ナポレオン三世皇帝

ヨーロッパにおける蚕の全滅以降、日本との蚕と生糸の貿易を考慮し、ロッシュ公使を派遣した。当時五十代。ロッシュ公使と十四代将軍家茂を結びつけたのは宣教師のカション。その後日仏外交が極秘に開始された。極秘外交は不文律の相互支援、フランスは蚕と生糸の占有、幕府は近代的技術の導入と軍事改革を条件とする。この極秘外交は1900年代まで継続された。
家茂薨去の後は、十五代将軍慶喜の弟昭武がフランスを訪問し、皇帝と皇后に謁見し、パリ万博にも臨席した。その後、パリ留学生活に入っている。フランス第三帝国が崩壊すると同時期に徳川幕府も崩壊した。日本との蚕輸入が成功し、後にパリがファッションの街として世界的に名を馳せる基因となったのは、皇帝の「日本で絹を確保せよ」の指令であった。