高杜 一榮の世界

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024s

モノローグ

20201103火曜日

今の六本木がまだ有名な繁華街として名を知られていない頃にわたしの家は、六本木の交差点から約十五分ほどの所で、山羊を数頭飼っていた。六本木で山羊を飼っていたというのは今になってみれば「ウソー」と言われそうだが、わたしが五歳から十五年住んだ所は以前は宮村町という名であった。あの頃(昭和24年頃)は辺りは雑草の生えた原野みたいな土地で、我が家の周囲はまだ建物が少なかった。父が雑誌や新聞の小説の挿絵を描いていたので、かなり収入があったのだろう。(父は横溝正史の小説「悪魔が来りて笛を吹く」などの小説の挿絵を描いていた)知人で日露の混血児という人物が我が家に来て「お宅は育ち盛りの子供が四人もいるんだからお子さんのために山羊を飼ったら、どう?山羊の乳を搾って飲ませれば背が伸びるのよ」と勧められ、当時五千円位したのか、結構な値段だったらしいが、払えたのだろう。一頭だけはじめ売ってくれたが「一頭じゃ、子ができないから」と言われ「つがい」にしてもらったら、まもなく七頭になってしまったほど増えた。どうやら山羊の世界は性的にルールがないらしく、近親相姦的になり、ルール無視で破廉恥というか、人間の世界なら道徳的に告発されるような具合になって増えてしまったようだ。だがなにしろそういう点をドーノコーノという家族ではなかったので、無意味に増えてしまったらしい。そして兄たちは山羊の乳で背が高くなり、わたし自身は山羊の乳を飲まなかったのか、それとも「飲めなかった」のか、背が低いままになった。兄たちはすべて175センチから185センチか皆高いが、わたしは低いまま。ともあれ六本木で山羊を飼ったというのは近所で皆知っていて、この前六本木で立ち話していたら「ああ山羊を飼っていた家でしょ?」と言われて覚えている人がいた。あの頃はまるで牧歌的な町だった。
2020年11月03日 17:50