高杜 一榮の世界

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モノローグ

20200731金曜日

この前三浦春馬が自殺したが、週刊誌の情報によれば生母との関係に原因があると思われた。母の愛を豊かに与えられた者ほど、その恩義に応えなければならないという暗黙の空気が世間に在るのは確かかもしれない。三浦氏の自殺が意味するものは、沢山あるが彼が悩んだ末に辿り着いた地点で、彼はようやく安堵しているのか?それはどうなのかは知らないが、自身は同じような経験をしているので理解したい。母を愛したが壮烈な喧嘩もした。その上結婚には大反対され、その大きな壁を無理やり越えて結婚を断行した。今思えば、一応自分なりに意志を通すことが一番解決だと思っていた。しかし若いからできたのであって、あのようなエネルギーはあの時だけ。現時点で思うのは、親の言いなりになり、一生独身で過ごすことになっていた可能性はあった。母を愛するのは誰でも味わうことだが、母に背を向けることが成長への道と感じていたらしい。前に書いたが母に「結婚しても一生子を持たない」と宣言したことがあった。母は「それは狡いよ。母となった苦労を知って欲しいのに」と言われた。確かにその言葉通り母になっての苦労と子を持たない苦労とは格段に異なるだろう。今現在年を取って「子供を持っていたら今頃孫に囲まれて暮らしていたのだろう」と味わうことのなかった世界を空想している。母は四人の子を持ったが、後にこう呟いた。「四人の子を持てば四つの悩みがついてくる」と。それにこうも言った「四人の子をガソリン掛けて燃やしたい」それを聞いた時にそれほどショックではなかった。だが母がそれほど父を嫌っていたのを分かった。わたしも父を嫌っていたが、意外にも父の死後一週間泣き暮らした。母は別居した父には会わないで暮らしていた。今思えばその「ガソリン掛けて燃やしたい」という母の激しい言葉で、わたしは子供を持たない人生に切り替えたのかもしれない。そう思う。母の血を受け継いでいれば、恐ろしい結果になっていたのか?なにしろ父母は夫婦仲は悪いし、年取ってから離婚だと騒いだ。(実際には別居だけになったが)わたしは子を持つ喜びはなく、子を持たなった孤独を持つことになった。(それほど孤独を感じてはいないが)今となっては占い師の言葉を、母を通じて知らされていなかったらわたしの人生も変わっていただろう。「この方は子を作ってもその子は全く頼りになりません」別に頼りになる子を持ちたかったわけではないが、案外この言葉に導かれていたのかもしれない。ある時わたしは友人に言っていた。「子を持たないけど自分の小説が子供と思っている」一応ある程度の数の子ども(本)を持ったが、死ぬまで後何名の子ができるか、興味津々。
 
2020年07月31日 11:32