高杜 一榮の世界

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モノローグ

20200730木曜日

最近何故か暗い。多分10ワット位の電球のよう。そういえば以前はかなり明るかった。ワットにすれば100ワットの電球のようだった。理由なく暗いのは別にその種(たね)になる要素は全くない。どうやら理由なく暗いのは「鬱」という名の症状らしいが、自身の場合鬱の種が全くない。一応生活は満足しているし、自分の活動には何の暗い要素はない。だから鬱なのかも知れない。大体若い時から明るかった。いつもにこやかに笑って暮らしていた。だが年を取ってから鬱になったようだ。それもほとんど理由なく。こういう場合どこかに働きに行けば良い解決になるのかもしれないが、以前何の目的もなく求職という方向にハンドルを回してみたが、帯に短しタスキに長し、というわけで不可。たまたま求職したら入社となったが、気が短いのが災いして途中で辞めてくるという事態になった。つまり勤めには向かないということだ。その上老齢のため、思考回路がやや歪んでいるらしく、暮らしの方法が楽な方に流れやすい。某人物に「認知症」を疑われ医学的に措置を取るように助言された。それを掛かりつけの医師の先生に話したら「あなたは認知症ではありません」と言われた。というわけで認知症を言ってくれた人に伝えたいが、トラブルになるといけないので、黙っていることにした。最近家にゴロゴロして有益な活動をしていない。自身の場合ゴロゴロというほど音が出るような生活ではなく、音で言えばむしろ「シュワシュワ」という泡のような液体状態。それでも死ぬまで生きていなければならない、という不自由。そういえば86まで生きた母はいつも言っていた。「早くお迎えが来ないかな」と。その度に「ママにはお迎えが来ないよ」「なぜ?」「だって、人間は目的が在って生かされているんだから、ママにはお迎えはまだね」と偉そうに言っていた。母は86歳で亡くなったが、わたしはそれ以上生きそうな感じ。そういえば近所の90歳近い老婦人が言っていた。「早くお迎えが来ないか」と。その後彼女はお迎えが来たらしく数年前に亡くなった。今は彼女の家は取り壊され、新しい建物が建っている。わたしのところも同じように売りに出されるか、などで人手に渡って、そのうち取り壊されて、家自体なくなるのかも。そうなると今のうちから終活への活動をしなければならないだろう。そういえば最近写真の整理をしていたら、母の関係の写真が莫大に出てきて、見知らぬ人々の写真だけになっていた。母の姉妹に写真を沢山送ったら喜ばれた。そういえば昔六本木で山羊を六頭か七頭飼っていた時期の写真があったが、何時の間にか手元にない。あの麗しき時代の写真を見つけて眺めて暮らしたい。そう最近思っている。いつか捨てられてしまうかもしれない写真を脳裏に浮かべて、あの時代が一番懐かしく思う。あの頃が悩みが一切無かった時代だったと脳裏が呟く。
 
2020年07月30日 15:51