高杜 一榮の世界

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モノローグ

20200728火曜日

幼い頃四歳か五歳かアメリカ人の幼児と仲良くなって遊んだことがある。当時のことは以前書いたことがあるが、再度思い出したことがあるので書いてみる。当時六本木の、今はヒルズの傍の公園(高台)に家があった頃の話だ。アメリカ人の女の子と友達になった。彼女は朝起きると一人で外に出て隣の家の、つまりわたしのうちの敷地まで入ってきて、雨戸をドンドンと叩き「アケテヨー」と覚えたばかりの日本語で叫ぶ。すると兄が雨戸を開けてやると飛び込んできてわたしの布団の中に突進してくる。二人できゃーきゃーと叫んだりしてから庭にでたりして、遊んだ。ごはんの時も、家族が丸い卓袱台でお椀にご飯で食べている時に、母が小さいご飯茶椀と小さい味噌汁用の木製の碗に盛ってあげると皆と一緒に食べる。ジミリュウという名の彼女の父親は、パイロットだということを後から聞いた。彼女の母親は日本人の家庭でごちそうになったと聞いて、わたしをランチに招いてくれた。その後母とわたしは彼女の母親の運転で横浜までドライブに連れて行ってもらった。ジミリュウの母親がGHQのスーパーらしきところで買い物をするのを待っていたこともあった。だが二人の交流はある日突然なくなった。わたしはいつ彼女が国に帰ったのか覚えていない。二つの家族の交流はある日突然の断絶になってしまった。おそらくジミリュウの母親は娘が泣いてしまうから、日本からいなくなることを、我々には黙っていたらしい。娘が泣くのを避けるために突然の帰国にしたのではないか、と推測している。わたしよりも三つほど下のジミリュウは今アメリカのどこかで生きていると思える。パイロットだったお父さんが軍のパイロットなのかそれとも民間のパイロットだったのか、知らない。ジミリュウの名前はジミーという男性の名前の女性版だったと思える。わたしの父はカメラを持っていたが、彼女とわたしとの写真はない。宣教師の家族が崖の上にあったが、その宣教師の姉と弟の写真はある。今から七十年前の話だ。ジミリュウの思い出はまだ沢山あるので、思い出したらその都度書いて見ることにする。
2020年07月28日 13:31