高杜 一榮の世界

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モノローグ

20200723木曜日

今日は朝から雨。猫のナツキはいつもご飯を食べたら必ず外に行きたがる。雨だからダメと言っても聴く耳を持たない。それで抱っこして窓際に行き、ほら雨だからね?と顔を見ると納得したのかおとなしくなって、後はテレビの前でつまらなそうにゴロゴロしていた。まるで人間の娘みたいに感情を表すので面白い。ところで世間はコロナ騒動なおかつ最近の俳優三浦春馬の自殺の情報を流していたが、二日も経つと彼の自殺のニュースは全く出て来ない。かなり鮮やかに後を引かないのはどうしてだろう?と不思議に思えた。インターネットで検索するとやはりすぐには出てこなかった。その上やや不快だったのは、彼の本が発売されているのが分かった。それもかなりの金額なので更に仰天。亡くなったために値段が高騰したらしい。世間というのはこういう「すばしっこさ」と容赦のない冷酷に近い「欲塗れの商売熱心」で形成されているらしい。三浦春馬さんの純粋さなどはまったく踏みつぶされてしまう位のしたたかさ。慣れねば生きてゆけない?そうだろうか?もう少し一人一人が彼の自殺の意味を追求せねばならないのではないか?自身も見極めがつかないが、彼の自殺を貴重なメッセージとして受け取らねばならない、と思う。日本でも自殺者が毎年数万という数字になっているらしいが、その報道に慣れてしまい無感覚になっているようだ。人間の世界は清濁あわせ呑むということになっているが、何故か理解に苦しむ部分がある。金にまつわることが汚いとは言わないが、もっと物事の真実を見極めて報道して欲しい。だがかくのごとく書いている自身もその理解に苦しむ人々の群れの中の一人になっているかもしれない。かもしれないどころか、全くその中の一員で平然としているのだろうか?ともあれ彼の死も、その他大勢の自殺と同じに分類されてあの世に行ってしまい二度と戻らない。これを機会に自殺と人間について深く熟考してみたい。そういえばかなり親しい人が過去に自殺で亡くなっていたのを思い出し、再び悲哀を味わった。親しい人の自殺はかなり衝撃が強烈。自身の場合その情報を十年後にもたらされたので衝撃は薄まっていたが、思い出すと薄まっていた衝撃にいくらか感謝した。不謹慎だが悲哀はまともに受けるよりも薄まっていた方が助かる。
2020年07月23日 10:05