高杜 一榮の世界

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モノローグ

20200520水曜日

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このところ昔のことを思い出すことが多い。時々自身の仕事場の中の雑然とした光景に内心茫然として、なんとかしなきゃ、と思ったのが過去を思い出す結果につながったといえる。実をいえば父が挿絵画家であったために父の流儀ですべてが回っていた。とはいえ父が暴君であったとは思わない。今思えば昭和の時代に生きていた全く普通の男性であったと思える。父のことをざっと説明すると、二十代の初めころ名古屋から東京に出てきた。目的は挿絵画家になるためだった。それも文豪菊池寛氏にはなっからめがけて突進したともいえる。当時の菊池寛氏は非常に面倒見の良い文豪であったようで、文芸春秋社の前で待ち伏せしていた無名の父を即座に受け入れ「また作品できたら見せに来なさい」と述べたという。ラッキーな父はせっせと描いては持参し、先生に接近し続けた。その後菊池氏と将棋の話になり、大いに盛り上がり先生の将棋の対戦相手になってしまった。これが父の出世の契機となったわけ。将棋ができなければ出世はできなかったかも。父はその後召集令状が来て広島の隣の呉で他の戦友と共に原爆を目撃した。そのような稀有な紆余曲折があり、父が後に花形挿絵画家になり、なおかつ戦後は少女小説の挿絵を描き全国的に少女のファンが増えた。改めて考えると父は数多くの戦死者を出した戦争にも関わらず、生き残ってきたと感心した。生きているうちは大嫌いな父だったが、亡くなった時は一週間も泣いていた。母が亡くなった時は一滴も涙を流さなかったのに何故か不明。あの世で母が「何故なの!」と怒っているかもしれない。今思うと父を疎んだわたしは後悔している。結婚した後、わたしはようやく父のことが理解できたのだ。何故部屋の中の雑然から父を思い出したかと言えば、父が仕事をしている間は絶対家族はそばによれず、なおかつ部屋の書類一枚も動かすことを許されなかったからだ。今では死んだ後でも父を理解できたことは幸せなことと受け止めている。父が「父の日」に会いに来た時の笑顔は、今でも忘れない。なにしろ家の中で笑った顔をしたことの全くない父だったから。
2020年05月20日 12:12