高杜 一榮の世界

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モノローグ

20200118土曜日

今日雪の日。それを猫は知らない。そのためわたしが溺愛するナツキちゃん(メス)はいつものように食事(エサを食べたなどと彼女の心を傷つける言葉は使わない)をしたら、その後必ず外にでてゆく。決まって朝食後、昼食後、夕食後は外出するのを日課にしている。それを止める理由はない。しかし今日は雪が辺り一面降っている。こういう時は人間だとて、そう外には出ない。だがナツキは全く理解しない。それで抱き上げてその柔らかい身体を胸のあたりまで持ち上げ、窓を開け、外を見せてあげる。「ほらね。こんなに雪が降っているのだよ。だからナツキちゃんは出られないの」「出たら風邪を引いてしまうから危険なの」と解説する。だが人間の子供であれば、少しは理解してくれるのだが、彼女はまだ若い猫なので、わたしの言葉を理解しない。どうしても外に出ていきたいという風にわたしを振り返る。その都度同じことを繰り返した。窓の外に、または玄関の外に抱きあげて、連れて行き、解説する。するとようやく理解したのか、寝床の上に横になり、全身のお手入れをはじめた。毛づくろいを始めたので、ようやく安堵してこれを書いている。この子を飼い始めてから一年ちょっと経過しているのだが、自身は時々彼女に話しかける。「なっちゃんは猫、わたしは人間」「でも一緒に暮らしているので、もしかしたら来世はなっちゃんが人間で、わたしが猫ってこともあるのかもしれないのよ」と話しかける。しかしその会話も空しく消えて行く。来世でなっちゃんに出会えたらそれは奇跡ともいえるだろう。彼女と全く噛み合わない一方的な会話をして、最後は彼女が諦めたかのように寝そべっているのを眺める。彼女はすでにわたしが何を話し、何を考えているのかもしかしたら知っているのではないだろうか?雪の日の奇跡的童話がまるで小さなマッチの火のように生まれていた。なっちゃんには日頃精神的に助けられているが、彼女が実際わたしの言葉を理解しているような気になるのだけは、まだ解明できていない。ところで話は別だが、テレビで芸能人の歯が異常に白くなっているのを時々みかけるが、それほど気にはならないが、何だか「やり過ぎ」に思う。話は変わるがテレビで巨大なブリがたくさんならべられてセリにかけられているのを見ると、人間の権力の凄さを感じる。ブリに同情している自分がいる。ブリは食べることがあるが、あれを見るとブリを食べたくなくなった。可哀想で仕方ない。アウシュビッツの人間迫害の光景をみるのと同じようなショックがあった。わたしだけの感性なのだが、ブリを並べている人間の醜さを見た、という感じ。わたしの感想はおそらくノイローゼとして把握されるだろう。
2020年01月18日 13:23