高杜 一榮の世界

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モノローグ

20190416火曜日

わたしは第二次世界大戦の真っ只中に生まれたそうだ。あの当時ほとんど定期的に爆撃があったらしく、家族は庭に掘った防空壕に潜り込んだ。防空壕は近所の人たちと空襲が来た時に入って爆撃で命を落とすことのない様に掘られた洞窟のようなものだった。空襲が来ると近所の人々とそこに潜り込み、爆撃機が遠ざかるまで待つという習慣だったらしい。当時父はすでに召集され家には子供たちと母の五名だけ。その日遠くから爆撃があると知らせるサイレンが鳴った。するとタタミに寝かされていた、生まれて間もないわたしがハイハイしながらタタミの上に置かれた負ぶい紐に手を延ばし、背中にくくりつけられるのを待つ支度をしていたという。生まれて間もない(昭和十八年三月頃)わたしは畳の上に寝かされていた。生まれてそれほど時間が経過していないのに、赤子が負ぶい紐に手を延ばしたのを見た母は大変驚いたらしい。生まれたばかりでも生死を分ける危険を察していたというわけだ。さすがにわが子だ、と思ったかどうかは知らないが、そのような情景をどうしても皆に教えたかったのか、母は誰彼となくわが子の危機感の鋭さを自慢気に話していた。その後大人になってから、父の話を聞いた。兵隊として呉に召集された父は原爆の時の黒い雲を呉の空で見たと語っていた。父が原爆を語る時、何故か悲壮感で語るのではなく、まるで皆に素晴らしい情報を聞かせているごとく高揚していたのを記憶している。父に優しく接することがなかったわたしは、この様子を思い出すと優しくしてあげれば良かったと後悔の念がある。
 
2019年04月16日 12:59