高杜 一榮の世界

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モノローグ

20190102水曜日

あけましておめでとうございます。四十年前ならお節に、鯛の丸焼き、栗きんとんや紅白の「なます」などを前にお屠蘇(とそ)を一杯となるのだが、最近は何も作らず、なおかつお正月らしき商品をスーパーでみても買う気ゼロ。その代わりにこのところ習慣になっているのは餃子造り。餃子造りはほとんど我が家(猫一匹と人間一名の)の習慣で毎日作る。中身の具を毎回少しずつ変え、ニラ、豚肉鶏肉の挽肉、酒も少し入れて皮は市販のものだが、最初は粉から作っていた。というのも中国語の先生(大連出身)に本格的な餃子作りを教わった。最初粉から作る方法を教えていただきそれが契機で造るようになった。大連の餃子は大根とニラがほとんどで肉はなかった。煮てしぼった大根とニラを入れた具が美味であった。皮は粉から造るもので市販の皮で造る餃子よりもかなり美味しい。今は皮は市販のものだけ。ところでお正月が来て楽しいのは芸能人や歌番組を見て喜ぶ人ばかりかも。わたしはなにしろお正月と言うケジメみたいな年中行事が嫌い。お正月に何をするかといえば、やはり餃子。ほとんど無意識に造る。今年は自身が年賀状を作成しなかったのに、外部からの葉書がきているのを確認。自身が書かなかったにしてはかなりの数の年賀状がきていて、なにか反省気分。年末体調を崩し年賀状を準備できず友人知己に不義理となってしまう。毎年五十通ほど年賀状を書いていたのだが、あの忠実な習慣が年末から頓挫し、何もできなかった。「あの人は変人だから、年賀状の習慣を辞めたかも」と思われてしまうのも、仕方ないと思う。しかしながら忠実に書いていた時期の枚数を数えると相当な数になる。その分溜まりに溜まったストレスが現在に積み上げられたかのよう。年賀状を辞める人もいるが、まだその気にはなっていない。

2019年01月02日 12:35