高杜 一榮の世界

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モノローグ

20180218日曜日

ところで自慢ではないが今年三月で75歳になるわたしは今新聞を老眼鏡なしで読む。最近そのことを知人に話したところ驚嘆された。だが今から二十年前当時その頃のわたしと同じ年齢になっていた師匠が老眼鏡なしで原稿を読んでいた。その時の不思議な感じを思い出した。だが老眼鏡なしで過ごせるというのは多分刷り込みがあったためだろう。「老眼鏡を使わずに過ごしていれば度は進まない」それが根底にあったためか、現在老眼鏡があってもほとんど使わないで暮らしている。お勧めは老眼鏡を必要になった時に慌てて眼鏡を作らない、または老眼鏡に頼らずに暮らすことを心掛ける。そうすれば、そのまま度は進むことはない、と思われる。実際現在新聞や雑誌は眼鏡なしで読んで支障はない。
 
 
ところで」最近「奇妙なもの」を見た。某病院の待合室のソファに座っていたときのことだ。前の席に座っている男の首を見て驚いた。首に見えたのは「下痢」とか「蛇」という文字、それも刺青だった。あの刺青独特の色で「下痢」「蛇」と入れられている刺青は見る者を異次元に誘うような勢い。男の子の意図が理解できたので、見る気を失ったわたしは見た瞬間、ほかに書かれたその他の「許しがたい悪戯」を見もしなかった。おそらく十代ではないだろうか?何故刺青が「下痢」とか「蛇」という文字になったのか?多分人に嫌われる意味の字を入れたかったのだろう。それがすぐ判った。それで思い出したことがある。今から四十年前ぐらい前に同様の種類の刺青を見たのだ。十代の男の子だったが背中に入れられた刺青が不気味な絵柄だった。墓地の光景に幽霊のような女の姿。おどろおどろしい忌まわしい光景。その刺青を背中にいれた男(ごく若く少年のようなイメージだった)は求めに応じて背中を見せてくれたが、見たわたしは唖然としたまま何もいえなかった。つまり最近見た不思議な絵柄の刺青は同一の目的で入れられていたと思われる。目的はまず第一に「見る人が驚く画像、第二に人に思い出してもらえる絵柄、第三に首筋がぞっとするほどショッキングな画像。彼ら若者は背中で自己の意思を伝えている。「どうだ、こういう画像を背中に入れられるか?おまえにはできはしない」こう言いたいのだろう。彼らは「世の中に背を向けることを誇りにしている」のかもしれない。しかし後で完成された大人になったとき、後悔して背中の刺青を抹消しに出かける可能性はある。それも人生かも。生きている限りやりたいことはやりなさい、としか言えない。
 
2018年02月15日 22:03