高杜 一榮の世界

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モノローグ

20180304日曜日

最近相棒の飼う猫のチビちゃんの世話をしているだが、チビちゃんという天才猫は以前からその頭の良さを物語る逸話には事欠かない。一昨日は面白い場面があった。飼い主が入院中なので彼女(チビちゃんはメス猫)はわたしの世話を仕方なく我慢をしているのかもしれない。二月の寒い時期に彼女にはホットカーペットの上で寝るようにさせていたのだがある時姿が見えない。散歩に出たのかと家の前の駐車場を見るがいない。それで心配して家の中で名前を呼びながら探していると、ニャーと鳴く声が聞こえた。鳴き声を辿ると奥の部屋の押入れの上段のプラスティックの整理箱の上で蹲っていた。彼女が言葉を発するとすれば「あっちの部屋は暑くなったのでこっちにきているの、こっちは涼しいから」ところがそれが判らなかった。だが二日してなるほどと理解した。春なので季節柄寒暖の差が著しく彼女は暑くなると北の部屋の押入れ、寒くなると南の部屋の窓際で日光浴という具合にして暮らしていたのだ。誰も教えないのに、と思うと彼女の賢さに感動する。わたしは寒暖の差があり毎日寝る場所を変える彼女が不憫で仕方なくなり、思わず「チビちゃん!」と言ったまま、彼女の前で涙を零してしまった。すると天才猫は愕然として眼を見張り、わたしの顔を凝視した。彼女が言葉を発したとすればこうだ。「どうしたんですか?何故何故泣いているんですか?」「わたし何かしましたか?」わたしは彼女が愕然と見ているのを初めて見たが、あれは猫を被ってるわけもなく、人間を被っていたのだった。つまり彼女はわたしの顔を「人間が相手を気遣う」まさにその境地で対応していたのだ。そう思うと飼い主が入院したことを知ることもなく、ただひたすら待っているチビちゃんが不憫でならなくなった。この話をした時、飼い主はやはり涙を零していた。今までホットカーペットの温度を調節して彼女が暑すぎず寒すぎずと、気を遣っていたのだが、同時に彼女も気を遣っていたのだ。それを判って来た。誰にも懐かず、飼い主だけだったチビちゃんはわたしを受け入れてくれてわたしの泣き顔を見て愕然とした。天才猫チビちゃんはやはり抜群の賢さを持つ猫だった。そういえば相棒との会話があった。「チビちゃんが死んだらあなた悲しくて生きていけないんじゃないの?」「それはいえてる、チビちゃんに死なれたら当面物も食べられない」これから何が起こるか一寸先は見えない。
2018年03月04日 08:29

20180218日曜日

ところで自慢ではないが今年三月で75歳になるわたしは今新聞を老眼鏡なしで読む。最近そのことを知人に話したところ驚嘆された。だが今から二十年前当時その頃のわたしと同じ年齢になっていた師匠が老眼鏡なしで原稿を読んでいた。その時の不思議な感じを思い出した。だが老眼鏡なしで過ごせるというのは多分刷り込みがあったためだろう。「老眼鏡を使わずに過ごしていれば度は進まない」それが根底にあったためか、現在老眼鏡があってもほとんど使わないで暮らしている。お勧めは老眼鏡を必要になった時に慌てて眼鏡を作らない、または老眼鏡に頼らずに暮らすことを心掛ける。そうすれば、そのまま度は進むことはない、と思われる。実際現在新聞や雑誌は眼鏡なしで読んで支障はない。
 
 
ところで」最近「奇妙なもの」を見た。某病院の待合室のソファに座っていたときのことだ。前の席に座っている男の首を見て驚いた。首に見えたのは「下痢」とか「蛇」という文字、それも刺青だった。あの刺青独特の色で「下痢」「蛇」と入れられている刺青は見る者を異次元に誘うような勢い。男の子の意図が理解できたので、見る気を失ったわたしは見た瞬間、ほかに書かれたその他の「許しがたい悪戯」を見もしなかった。おそらく十代ではないだろうか?何故刺青が「下痢」とか「蛇」という文字になったのか?多分人に嫌われる意味の字を入れたかったのだろう。それがすぐ判った。それで思い出したことがある。今から四十年前ぐらい前に同様の種類の刺青を見たのだ。十代の男の子だったが背中に入れられた刺青が不気味な絵柄だった。墓地の光景に幽霊のような女の姿。おどろおどろしい忌まわしい光景。その刺青を背中にいれた男(ごく若く少年のようなイメージだった)は求めに応じて背中を見せてくれたが、見たわたしは唖然としたまま何もいえなかった。つまり最近見た不思議な絵柄の刺青は同一の目的で入れられていたと思われる。目的はまず第一に「見る人が驚く画像、第二に人に思い出してもらえる絵柄、第三に首筋がぞっとするほどショッキングな画像。彼ら若者は背中で自己の意思を伝えている。「どうだ、こういう画像を背中に入れられるか?おまえにはできはしない」こう言いたいのだろう。彼らは「世の中に背を向けることを誇りにしている」のかもしれない。しかし後で完成された大人になったとき、後悔して背中の刺青を抹消しに出かける可能性はある。それも人生かも。生きている限りやりたいことはやりなさい、としか言えない。
 
2018年02月15日 22:03

20180201木曜日

先日楽天の市場で「別けありうなぎ」を売っていたので買おうとして記入していたのだが完璧に注文完了といかず、難儀した。これってバカみたいな話、買おうとしている客がフェイクで注文していたり、料金未納をするのでは?と最初から疑ってかかっているような警戒心一杯のダブルなゲートを構築していて、それらを通過しなければ買えないシステムになっている。あまりの険しい断崖の警戒心一杯の複雑なやり口に頭にきて途中で投げ出した。言っておくが売る方が、上から眼線でどうなるんだ?いつまでもその天下は続くと思うな、と言いたい。インターネットの買い物は日々進歩し簡単にできなければビジネスは拡大しない。

ところでTBS毎週火曜「きみが心に棲みついた」ってドラマどっか頭おかしいのではないか?一度ふられた女が「前の恋人を忘れられなくてウジウジと執着し続け、いつまでもその泥濘から抜けきれない」そういう状態の女性が日本にどの位存在していると推測しているのか?それともそういうタイプの女がいなくなったので苛立ちから生まれたドラマなのか?どう解釈しても理解不能。画面を観ているだけで苛立ってしまう。ふられた腹いせに出来上がったフェイクドラマなのか?良く理解できない。もっとドライで失恋からすぐ立ち上がれ、なおかつ素晴らしい変身をする女を描けないのか?女が異性の執着で一歩も前に進めないドラマは日本文化の停滞を招くから描くべきではない。明るくドライで楽しい女性がドラマには必要。たとえば「ドクターX」の女医の猛者なんかが理想像。ところで向井理を質の悪い性格の役にして欲しくない。あの柔和な好感度高い俳優に良い雰囲気を持たせたままにして欲しい。
2018年02月01日 16:47

20180130火曜日

先日小室哲哉さんが引退を発表した。主な理由は不倫をマスコミに暴露されたのかまたはそのメディアに対する現在の心境を表現したのか。どちらともいえるが、大体不倫自体個人の自由があり他人がどうこう書き立てることではない。そのため彼の引退発表は日本文化にとっては不利益なことと言える。テレビでは全く関係のない普通の人が「不倫は個人的なことなので他人がどうこういうこと自体間違っている」という感想を述べていた。正にその通りだし、マスコミが不倫を話題にして番組を盛り上げようと企むがそれは、「自分たちは種切れなので今回はこの不倫を扱います。ご容赦くださいませ」と「自白」しているのと同じ。毎回謝罪をすべきではないのか。赤の他人の不倫で儲けようとするのははっきりえば、センスがないし、バックボーンが情けない印象になってしまう。そういう類の情報を売って儲けようとする者はもっと謙虚にならなければならない。小室氏は引退を宣言する必要はなかった、と言いたい。情報を流した彼らの落ち度と言うか犯罪に近い。

ところで今朝(一月三十日)頭に来たことがあった。楽天の市場で「別けありうなぎ」を売っていたので買おうとして記入していたのがだが完璧に注文完了といかず、難儀した。これってあほみたいな話、買おうとしている客がフェイクで注文していたり、料金未納をするのではと疑っているような警戒心一杯のダブルなゲートを構築していて、それらを通過しなければ買えないシステムになっている。あまりの警戒心一杯の複雑なやり口に呆れた。頭にきて途中で投げ出した。言っておくが売る方が上から眼線でどうなるんだ?いつまでもその天下は続くと思うな、と言いたい。だが大体わけありうなぎを買おうとする者がもっと謙虚にならなくてはならないのか?そうかも。もっとも食べ物などは我慢ができるから、売る側は充分配慮しなければ天下は続かない、と言いたい。

2018年01月30日 02:36

20180127土曜日

今日は猫のことを書く。実を言えば猫嫌いだった。以前は生まれたばかりの猫がやってきたときも、「シッシッシッ」と追い返していたほど。ところが十数年前から飼っている友達が飼っているチビちゃんの世話を「ある事情で」任されてから、猫好きになってしまった。そのチビちゃんはかなりの人見知りで絶対飼い主以外人に懐かない猫だった。だが毎回餌を与えているうちに可愛いという「人並に猫を愛する情感」がわたしに育ったらしく、心底可愛くてしょうがなくなった。彼女は食べる時に鼻の上に小さい皺が浮かべる。懸命に食べているチビちゃんの鼻の上の皺を見ると「この子を一生護ってあげたい」と思うに至った。そのきっかけになったのは、最近の出来事にある。いつも朝昼晩と三回カリカリ(乾いた餌)とカツオの切り身を微塵切りにしたものを交互にあげていた。以前は皿の上にのせて置いておくのだが、そのうち食欲がないので強制的に食べさせるため餌を手にのせて食べさせているうちにその方が食べ易いのか、手にのせないと食べなくなってしまった。そのうち何かわたしのドアの開け方に驚いたのか、彼女の逆鱗に触れ、餌を食べないハンストみたいなことになってしまった。つまりわたしへの怒りが高じてハンストしたようだったがそれが続かず、仕方なくわたしが差し出す「お食事」を「仕方なく食べる」ようになった。こうして培ったお互いの「上下関係」というか「猫人関係」というか、その麗しい絆が逞しくなりつつある。最近の出来事では、この極寒の天候のせいで彼女は正式な飼い主が不在のため温かい膝に乗れないため、寒くてしょうがない。それでわたしは密かにホットカーペットを温めておき、自然に彼女がそこにのって眠るようにしかけておいた。だがいつになっても気付いてくれないので困っていた。昨日そのホットカーペットの温もりを確かめるために、触ったら「ギャッ」と声がしてチビちゃんが逃げていった。内心良かったと安堵した。なにしろ密かに温めておいたカーペットに気付いてそこに眠るようにチビちゃんが利用し始めていたのが判ったから。逃げていったチビちゃんに「ごめんなさい」と言ってそっと二階に上がった。飼い主が帰って来るのはまだまだなので、当面この二人暮らしが続くようだ。「チビちゃんあなたの大好きな人はもうすぐ帰って来るからね」と話しているのだが人間の言葉を理解しないチビちゃんはひたすらわたしの手の上のかつおの微塵切りを必死に鼻に皺よせて、食べるだけ。そういえば相棒はチビちゃんに死に水を取ってもらうと言っていたのだっけ。
2018年01月27日 11:01

20180122月曜日

東大の優秀なる若者たちが芸能人と競う番組を良く見かけるが、ヒントありなしにかかわらず漢字を言い当てるなどの問題を解く番組は何かまだ不完全燃焼的な面を感じる。何故なら答えを出すだけなら何も才能がなく知識もなくても解けるものもある。何か問題の作り方にイマイチ深みや知識の濃度が足りない気がする。つまりこの種の知識や知恵に関する番組は、もっと多様性のある濃度の濃い永遠の知識に関する問題を編み出すべきではないか、と思う。なにしろ答えを当てるのは、単純でなおかつ意味も深くない。問題の中にもっと教養と知性を感じさせるより高度な多様性が欲しい。つまり今までにあった問題はもう古いシステムの中で作りだされた物が多く、新鮮なものが少ないということだ。クイズ番組は時代と共に切磋琢磨し、より高度な知性と教養へと高みを目指して欲しいと思う。クイズ番組は遊びの番組ではなくもっと深い感性を養う種類の教養番組になって欲しい。今のままではおそらく壁に打ち当たると思う。今のままでは出演者の才能を無駄遣いし、なおかつ視聴者の感性を無駄に浪費させてしまう。東大の名前を濫用のし過ぎともいえるし、番組作りがマンネリになってきているようだ。出演者や視聴者などの若者たちの才能や時間を浪費していることになる。彼らが遊びで参加しているかもしれないが、それは才能を無駄に使っていることに他ならない。もっとクイズ番組は進化すべきではないか。
2018年01月22日 20:14

20180109火曜日

あけましておめでとうございます。元旦から雑事が続きようやく更新に至りました。今年もよろしくお願いいたします。ところで今朝某テレビで、空港でアメリカから帰国した若者をインタビューしている会話を聞いてやや驚いた。「その荷物は何ですか?見せてくれますか?」「ええ、よいですよ」答えた若者は父の好きなものを買ってきたと答え、ダンボールの中央を切り開き、大きなパックを取り出した。「これポテトチップスのバーベキュー味なんです」日本にはこの味のポテトチップスが手に入らないのだとか。それも莫大な大きさのカートンボックスがすべてこの特大のポテトチップスの袋だとか。「この袋は一日ももたずになくなります」父親思いの息子だと感心した。しかし見ていて昭和平成時代の終わりを感じた。つまりアメリカ留学はこのように下駄履きやゴム草履履きスタイルで「ごく庶民的で非知性的でなおかつ家族的な意味」が多くなっているのだろう、と感じた。別にポテトチップスの味を研究し論文を書けとは望んではいないが、ある意味明治昭和時代の苦学生的色合いが全くなくなっているということか、と当然のことと感心した。多分驚いて呆れているのは昭和生まれのわたしだけかも。ポテトチップスのバーベキュー味が食べたいかと聞かれたら「それほどとも思わない」と答えるだろう。アメリカナイズされた食べ物には何かしら抵抗があるのは健康指向だからか、それともダイエット指向だからか不明だが今のままの指向で生き続けたい。Mというチェーン店のハンバーグの味も安いから仕方なく入って食べるのだが、心底好きかと問われれば、心底好きではない、と答える筈。食べ物の指向が変えられるのはそれほど望んではいない。日本人の食べ物をひたすら常食とし、死ぬまで同じままで暮らしたい。
 
2018年01月09日 07:49

20171216土曜日

昨日は多忙だった。年賀状を書いてほぼ例年の半分の枚数を書きポストに投函した。まだ20数枚残っているので、随時に書いてゆくことにする。ところがすでに年賀状を書いたリストの中の友人が昨日になり喪中の葉書を送って来た。年賀状の発送と同時に喪中の葉書がきたような具合なのでどうしたらよいか困っている。すでに出してしまったので、謝罪しなければならない。ところで謝罪といえば、最近某熟年女優が不倫したとかで、夫婦それぞれ記者の取材に答えていた。あれってまるでマスコミ生贄事件としか言えない。主なニュースがないので、不倫を見つけてニュースにするしかないというほど業界は悲惨なのか?不倫と断定された者には堪った者ではない。それが誤解であればほとんど悲劇だ。大体取材する方は予め落とし穴を空けて待っていて、すっぽり嵌った芸能人を生贄として取り巻くという事態に持って行くのではないかと推測される。ある意味「やらせ」に似ている。つまり誰でもが、在り得る事なのに「不倫」とレッテルをつけて事件を「演出」してしまうのだ。芸能界は政界と同じに恐ろしいところらしい。よほど神経が鋼鉄のごとく逞しく頑丈に出来ていないと罠にはまることになる。しかし中には不倫だろうがそうでなかろうが、とにかくテレビに顔と名前が出るから「しめた」と思う人もいるかも知れない。もっとも芸能人には神経が太ければ太いほど名を売る良い機会に恵まれていることになる。頑張れご両人と拍手を送りたいが相当有名であれば、かえって迷惑。ところで今から数十年前はこうではなかった。普通の人々は不倫はかなり人生とは逸脱した出来事と把握している人がほとんどだった。そういうわけで亡夫との暮らしは類稀な出来事が多かった。新婚時代から奇妙な場面に出会うことになった。亡夫は元々FSつまりフリーなセックス礼賛者だったために不倫を奨励し、タブーを解除すると宣言された。わたしが小説を書けるようになったのはそのタブーを解除されたためだったらしい。しかし完全に解放されたわけではなく、そういう世間とはやや離れた空間に押し込まれていただけであったといえる。詳細は過去の作品の中に描かれている。
 
2017年12月16日 06:36

20171128火曜日

北海道札幌において十二歳の少年が二十代の女性を刃物で刺すという事件が起きた。少年は「人を切ってみたかった」と供述しているという。ここで自分の意見を述べたい。人間は性的な成長をある程度達成すると、肉体が性的欲望に煩悶することになる生き物である。つまり肉体が熟すと、性的欲望の最盛期を迎える。そうなるとどうなるかといえば、性的衝動で身体が勝手に動き出し、日頃考えている以上のことを成し遂げたいところまで行ってしまう。人間を殺すことになるとは思えないで刃物で女性を刺してしまった。ここで彼は自分が刃物を持って女性を刺すことが殺人になるとは、想像できていなかった可能性がある。刃物は性的成長の延長線上に出て来る必需品になってしまう。成長すれば女性を愛する方向に熟する。だが一方肉体の方は熟すが脳の中はそれが殺意に繋がる危険性を孕んでいるのを知らない。または微かに判っていても、停めようがないほど「成長してしまう」のだ。性的成長が殺意へと熟してしまうのは、当然のことだが、意外に知られていない。つまり男性の性的成長は殺人行為に近接する可能性が高いパーセンテージになるともいえる。家庭で男の子を持つ父母は特に、この性的成長の監視役にならなければならないが、父親は意外のこの面での見守り役を率先して手掛けるという意志がない。自分の青春時代を思い出し「勝手に成長するはずだからそれほど心配しない」というほどの「緩み具合」だ。息子が女性殺害をしてしまう父親は自身の青春時代と較べて「ま、大丈夫だろう。オレはあの当時普通の男として成長していたし、絶対刃物で異性を傷つけることはしない筈」とそれほど気にしていない。誰しも自身の息子が刃物で異性を殺すなど考えたくはない。想定外のことらしい。性欲または愛が殺意に繋がっているというのは判るようで理解できないといえるが新聞には「愛イコール殺意」という図式の事件が載っている。人間はそういう類の生き物なのか?これは真面目に研究すべきテーマでは?
2017年11月28日 07:07

20171125土曜日

どういうわけか今真夜中の12時前。何故書くことになったかといえば、その少し前に笑福亭鶴瓶が坂井真紀という女優と対談しているのを観ていたのが契機となり、その番組が終わったら、何故か奇妙な衝動が起きた。この「思い」を書かねば。書かねばならない、と思ったようで、ガス暖房をつけ、パソコンを開いた。何故そうなったかの疑問が起きるが数日前から怒りのエネルギーが自然に発生していて、どうやらそれが原因らしい。怒りは数日前から起こっていた。だが数日前に何が起こったのかは、不明。だがどうやらそのエネルギーが燃え上がり何か書かねばならないという衝動が起きたようだ。しかし鶴瓶が何かおかしいことを述べていたのではない。何に対して怒っていたのか不明だがどうやらこの前から起きている相撲界のあの事件のとばっちりのせいかもしれない。何かすっきりもしないトラブルのせいでほとんど関係ないエネルギーがこっちにまで飛んできたらしい。なにしろあの世界ではまだあの事件がすっきりと解決していないらしい。原因はいろいろあるらしいが相撲の競技が数秒で決まることになっているのに、この事件だけは数秒では決まらず延々と続く見通しのようだ。相撲界だから、数秒でことが解決すると思ったら延々と揉め事は決着を見ない。そうなるとテレビのこちら側で見ているほうが、何故かイライラとその決着のつかぬ不快な空気を貰い受けてウジウジしてしまったようだ。だれか両手を叩いてシャンシャンと解決を強引につけて欲しいと願っている。なにしろ数秒でかたの着く勝負師の世界だから、きっぱりと強引に落着して欲しい。それが観客のほとんどの「キモチ」ではないのか?なにしろ国技で短い間に勝負が決まる競技だ。だからなのかどうか不明だが、すみやかに「シャンシャン」と解決つけて欲しい。生まれたばかりの「シャンシャン」がそう言っている。どういうわけか、十年以上飲んでいなかった日本酒を飲んでしまい、この真夜中にこの文をしたためた。
2017年11月25日 00:07