高杜 一榮の世界

WELCOME TO TAKAMORI COLLECTION

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モノローグ

20151230

その昔昭和の、あれはいつだったのか。母は重箱に本当のおせち料理を完璧に創っていた。鯛を六名分用意し、七輪で炭を起こし、鯛を炭火焼。黒豆を煮て、栗きんとんを造り。御雑煮は鶏肉と三つ葉が入り、カズノコは完璧に黄金色に輝いていた。御屠蘇を朱色の杯でそれぞれが口に含む。母は何故あのように完璧に手作りしてくれたのだろうか?まるで「これは最後でもうないのよ」というかのように。確かにあのような完璧なお正月はなくなった。父母がそれぞれの人生を歩き出したから。あのお節料理を思い出すと切ない。最近は自分流の我儘なお正月料理だけど、年を取っても楽しく明るく夢を一杯抱きながら歩んで行きたい。いくつになっても好奇心と向学心とを持ち生きて行きたい。来年はまた新しい楽しみをみつけたい。ところで文豪と父の物語を小説化し、電子本にいたしました。来年から発売になります。「文豪の月」猫乃電子出版から出しますのでよろしくお願いいたします。
2015年12月30日 19:34

20151229

そういえば今から二十年以上前は中国映画を好み「覇王別姫」とか「初恋の来た道」などの映画を好んで観ていた。だが最近は中国映画を輸入しているはずだが、あまりニュースが届かない。映画それ自体が衰退しているのか不明。あの当時心に残る映画が結構あったのに、最近は届かない理由が判らない。昔は「いつの日か映画を自分で造りたい」と思っていた。やろうと思えば実現は出来そうな気がしている。死ぬまでに一作などと呟きながら・・・。その思いが始まったのは遡ること四十年ほど前。きっかけはインドのサタジット・レイ監督の「大地のうた」などの三部作。後はトルコのユルマズ・ギュネイ監督の「路」「群」などだ。これら三部作は会話があまりないモノトーンな雰囲気。場面だけが淡々と続く。こうした緩やかな癒しの映画が好きだった。ギュネイ監督はアナーキストの学生をかくまった罪で刑務所に収監され、獄中から指示を出し、助手のシェリフ・ギョレンが実際の製作を行い「群れ」「路」を完成させたという。1984年パリで四七歳で死去している。ギュネイ監督の魂をテレパシーで戴き、映画を創ることを目論んでいる。まだ夢だけは枯れていない。
2015年12月29日 19:59

20151227

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昨日テレビを見ていたら未来の医学は癌細胞をミクロの世界で撲滅させる細胞を体内に潜ませ、癌が発生したら即消滅させるほどの技術が進んでいるという。だがそうなったら、その細胞自体が勝手に暴走し癌も良い細胞も共に莫大に拡大することもありえる、というニュアンス(確かに理解したとは言えないかも)で報道していた。人類は健康で長生きを希望して発展してきた。だが健康も病気も共に人には必要なもののようだ。病気があるから、健康になるべく励む。人は努力しなければならない生き物だと思う。 
ところで土曜日の新聞に理化学研究所が合成した原子番号113番の元素が新元素として国際的に認定されることになったと出ていた。この件とは別に日本の仁科芳雄博士が昭和15年発見した93番のための加速器をGHQが原爆製造用と誤認し強引に破壊したと出ていた。113番の快挙を、93番の雪辱を果たしたという解釈をしているようだ。GHQのなしたことは正当性があるのか、誤認としたことを正々堂々と非難しないのか?戦争に負けたから敗戦国は何をされても仕方がないと判断されるのか?という愚痴をこぼすよりも「雪辱を果たした」で受け止める方がはるかに素晴らしいとしておこう。

2015年12月27日 08:21

20151226

今から数十年前のことだが、ある人から電話で「主人のデスマスクがありますのでお贈りしたいのですが」と言われたことがある。正直言えばデスマスクがあったとしても、貰う理由も原因もない。つまり言われた瞬間(結婚前だったので)どうしてそれを持ってお嫁に行けようか?との疑問が起こったから。それにその方が亡くなった後も知らされておらず、その電話は突然だった。だから唐突なオハナシになる。例えばお葬式で「あなたも主人が生きていたら彫刻などの一つもさしあげたい」という会話があったとか、そういう交流があったとしたらありえることかもしれない。だが距離が東京と四国と離れていたしなおかつ結婚前だったので鄭重にお断りしたのだった。それで最近になり、そのことが気になり「あれはどういう意味だったのか?」と反芻してみた。すると判ってきたことがあった。わたしの高校時代の友人がその後連絡あり、こう言った。「わたし彼とベッドインしちゃった」と。愕然としたというよりも、その人が遠くに移転した後は交流がなかったので、ありえることだった。それを聞いても彼は結構手が早かった?などと考えた。在り得るかも、とも思った。それで「デスマスクをさしあげます」の言葉を素直に聞けなかったのかもしれない。わたしは即時に断ったが、良く考えるとその友人に未亡人は連絡し、デスマスクを彼女にあげればよかったのだ。彼の妻は夫の恋に気付いていたのだ。それでデスマスクを「夫が好きだった人に贈ろう」と考えた。これが真相だとようやく気付いた。今から恐ろしく前の話だが、これほど経過してからわたしが気がつくなど彼はがっかりしているかも。自分が彼に好かれていたことも全く気付かなかった。しかしそれが一番自分らしいなことだといえる。彼がエジプトまで出かけて技を磨いた優れた彫刻家であったので「早死に」は惜しい気がする。彼が尋常な死に方ではなかったために知らせが届かなかったのも今なら理解する。考えてみると小説化すると良いかも。しかし夫人はデスマスクを良く創ったもの、と感心する。いくら傍で夫が創るのを眺めたことがあるにせよ・・・。そう、だから彼の思いと夫人の思いが詰まったデスマスクだったのだ、とようやく今理解した。本当に蛍光灯だ。
2015年12月26日 05:23

20151225

最近「嫁ブロック」という言葉がある、と知った。例えばサラリーマンが転職を考えているとすると、必ず最終的に配偶者にこの会社に転職したいがどうだろう?と普通の夫なら尋ねる。その際「あの会社やめときなさいよ。何となくあまり良くない会社みたいな印象がある。わたしの勘だけどね」と嫁が言う。それを「嫁ブロック」というのだそうだ。現代は妻の発言が重視される。ということで「嫁ブロック」が花盛りだ。しかし夫ブロックがないのか?どうして嫁ブロックがはやっているのか不思議。おそらく多忙な夫は最終決断を妻に任せるほど多忙なのだろう。その上自分がその決断を避けるのは、後で嫁に何か言われたら困ると反対するのも尻込みしてしまう、そう思える。つまり女性上位時代と言われているのとやや似ているのだ。そういえば、わたしも結婚している時代は嫁ブロックを行使していなかったわけではない。結構嫁ブロックばかりだったような・・・。そういえば亡夫は嫁ブロックを面白がっていたっけ。それで早死にだった?ああ、そうですか。
2015年12月25日 19:07

20151224

今日はクリスマス。幼い頃クリスマスの時期になると、朝起きると枕元にプレゼントの包みが置かれていた。サンタクロースの存在を信じていた。毎回そっと子供たちに届けてくれると信じられた。ところが中学三年生になると級友から「まだ信じているの?」と馬鹿にされた。父母が内緒で買っておいたプレゼントを隣家に預けてまで子供たちにサプライズを演出した。そういう風に子供たちを大切にした。つまり子供たちに夢を持たせたことになる。今でもそういう親がいると思うが、今の時代は子供たちに夢を持たせなくても、勝手に夢を描くはず、と思う。クリスマスは親がその愛を試される季節かもしれない。

ところで今日の産経に旧ソ連の抑留時代に共産主義化や親ソ教育に日本語の歌集まで製作して配布していた、と書かれていた。抑留された人がアコーディオンのヒダに挟んで内緒でその歌集を日本に持ち込んだという。戦後七十年いろいろと過去の「珍しい遺産」が出てくる。悲しい記憶辛い記憶も、宝となる日もあるはずだ。伯父が旧ソの抑留生活を語ることはなかったが、大阪の万博のソ連館が素晴らしい展示だった、と語った母に「ソ連など褒めるところなど何もない!」と怒った。母は驚いた。それまで怒ったり叱ったりしたことのなかった優しい伯父だったのに。辛い経験があったのだ、と母は初めて知ったのだ。それ以後も辛い経験を一度として語らなかった伯父は抑留経験と同じ程度の
晩年だったと聞いた。
2015年12月24日 14:09

20151223

昨日の産経にマッカーサーのことが載っていた。戦後七十年目の節目の年ということでマッカーサーが出てくるのは当然のこと。しかしながら日本人には彼の名前が衝撃的に記憶に刻まれているらしい。この記事の中にマッカーサーが嘘つきだった、と書かれている。自身の戦績を敗北であったにもかかわらず本国に「勝利した」と報告し、天皇との写真を撮影させ、新聞社に載せるようにと命じた。日本政府は「これだけは掲載させない」と発禁処分にして抵抗したのだが、マッカーサー元帥は天皇陛下との写真掲載を強要した、という。多くの識者は証言する「彼は天皇になり代わりたかった」と。そういう嘘と虚栄にまみれた(記事のタイトル通り)人だったにもかかわらず、どういうわけか日本国民に絶大なる人気があったらしい。誰でも彼の名は今でも知っているし、悪く言う者もいない。嘘と虚栄は日本人が嫌いだし、大抵の日本人は嘘つかない。なおかつ謙虚で、虚栄とはほとど遠い。一体何故彼は日本国民に愛されたのか?
2015年12月23日 06:34

20151222

昨日産経に石原慎太郎氏の「白人の世界は終わった」のメッセージがあった。それによると、現在のテロなどの世界的混迷は毛沢東の説通りに白人たちが勝手に行った「有色人世界への支配と略奪の歴史が原因」ということになる、そうだ。確かにそういえると思う。白人たちのその支配と略奪を阻止してアジア諸国を助けたのは日本国だった。しかしこれから白人の世界は本当に終わるのだろうか?終わるよりも白、中間色、黒などの色にこだわりを捨て、すべてごちゃまぜにしてかき混ぜ融合の世界にするべきかも知れない。石原氏はこの混迷の中から大国の資源獲得や政治力拡大などを乗り越え、白人が黄色人種への支配と略奪の歴史を現実として把握し、これからのこの国の立ち位置を考えるべき、という内容を述べられている。日本がこれからどう動くべきかは、重要な課題だ。大国の資源獲得や政治力拡大はどの時代でも同様のことで紛争が起きている。結局資源は限られているのだから、過度に資源を追い求めるのではなく、いかに地球の資源を上手に使うかということが重要であるはず。結局地球の悩みは近代化という人類の暮らしの進化が原因であることが判ってくる。これからちょん髷の時代に戻るわけにはいかないが、より資源を大切にする心を育てるべきかもしれない。つまりは節電と質素が一番。あの暗い時代に戻るのではなく、ということで。
2015年12月22日 05:16

20151221

アメリカ、カルフォルニア州の公立高校で日本の「慰安婦」教育が盛り込まれることになったという記事が産経に掲載されている。慰安婦は「性奴隷」と書いている。日本側からのなんらかの要請もコンタクトもなかったようだ。しかしながらカリフォルニア州が何故このような教育をするのか、理解できない。英ジャーナリストのストークス氏が提唱している「南京大虐殺も慰安婦問題も反日中国韓国の詐偽(さぎ)だ」とする言葉がまだ広く浸透していないようだ。彼が言うには、これらはすべて日本を追い詰めるプロパガンダで、日本は絶対悪くないと証言している。日本側はあちら側の吠える声をまだまともに相手をしていないようだ。聞いたところでは中国も韓国も偽情報で相手を追い落とす誣告(偽情報を捏造し告げること)という手を使っているという。誣告で相手を抑え付けるというのは正々堂々と戦えない美しくないやり方だ。誣告に対しては賢い対応があるはずだ。美しく優雅に対応して日本を支えなければならない。日本人は正々堂々と立ち向かえない立場の人たちしか誣告の手を使わないのを知っておこう。
2015年12月21日 15:49

0151221

昨日の産経の論壇で井伊重之氏が「中国の野心が揺らす海の平和」の中に南シナ海の緊張について論じられていた。その最後の行に櫻井よしこ氏の言葉があった。「中国は一度建設したプラットホームを撤去しない。世界を正しい方向に導くため、日本は全力で働かないとならない(原文のまま)」と書かれていた。だが現在どのような動きが水面下で動いているのか皆目わからない。おそらく何らかの動きが進行しているのだろう。海のことなので水面下で行われることは水面上には出て来ない。世界はきな臭くなりつつあるが、何事も冷静に対応しなければ過去の過ちを繰り返すことになりかねない。上記の記事の中に「アジアにおける海洋安全を守るには国連海洋法条約に従い(中略)新たな秩序を形成する必要がある」とあるので、早急に対策を条約に則り、試行されるべきだ。しかし日本はどういうわけかリアクションがいまいち遅くなっている。熟慮のし過ぎかもしれず、船頭多いための舵取りが困難ということもある。ともあれ中国の暴挙を各国で止めなければならないはずだ。日本は北に問題を抱え、南で問題が勃発し、多忙を極めている。こういう時期には確かな采配を振るう臨時のリーダーが必要かもしれない。臨時問題解決隊長を求む!

2015年12月21日 09:32