高杜 一榮の世界

WELCOME TO TAKAMORI COLLECTION

402

モノローグ

20201030金曜日

昨日この欄に新たに文を入力していて突然画面がおかしくなり、書いた文章が蒸発した。それでどこかに自分の文が残っているのではないかと調べたが全く出て来ないで諦めた。最近、巷でしばしば起きている小さな犯罪。例えば道路であおり運転で他の車に邪魔をする人々とか。それらの犯罪の根がおそらく男性の性的欲求不満が根になっているのではないかと思う。小さな犯罪でも苦しむ人もいるので、早めにその病気を治していただきたい。いつ頃からか、軽度の性犯罪が頻発している。性的犯罪はなるべくなら若いうちに治療して完治しないと、年取ってから、その種の軽犯罪を犯すと、自分も苦しむし、家族がいれば家族全体が苦しむ結果になる。例えば自身の兄や父が性犯罪を犯し新聞に名前が載ってしまったとしたら、家族は引っ越してどこか遠いところでひっそりと暮らさなければならなくなるだろうし、なおかつその種の犯罪は完治しないと死ぬまで続行されてしまう可能性がある。苦しむのは家族であり、愛する人びとだったりする。例えば考えてみて欲しい。自分の父、兄、弟が猥褻(わいせつ)な行為で新聞に載ったとすると、家族は外を歩くのさえ出来なくなり、いっそのこと外国へ逃げようかそれとも死のうか、という切羽詰まった状態になりかねない。例えば電車の中で女性のお尻を触ったなどで、捕まって名前まで公表されたら、家族はそれこそその日から外を歩けなくなるような事態になりかねない。どうか大小に限らず性犯罪は早く治療して新たに出発をして欲しい。自分が男性に生まれてそういう犯罪をするような羽目になったら、どうするだろうと考えると、なんとも表現しがたい。今思い出すのは二十代の頃ある時エレベーターに乗ったらその時、中に十代と思しき少年がのっていた。その子はわたしが壁に寄りかかっているとエレベーターが開いた途端手を伸ばしてわたしの胸を触って、さっと出て行った。わたしがもっと年配だったら、「このヤロー!何するんだ!」と怒鳴るだろうが、当時は若かったので慣れておらず、突然だったので声が出なかった。あの子はあの後どう育ったのだろう?あの後も性犯罪を犯していないことを希望する。大変カワイイ少年だったので、今でも思い出す。それで思い出したが、電車の中で痴漢に出合ったが、顔を見るとかなりの美青年だったことがあり、痴漢にも美青年がいるのだと感心したものだ。ただ美青年だから許したわけではないけど、男性でも美形であっても性犯罪を犯すのだと当時は内心驚いていた自分がいた。
2020年10月30日 16:06

20201029木曜日

最近車のあおり運転だとか、自転車の珍妙な事件とか今まで起こらなかった奇妙な事件が起きている。それも軽犯罪ともいえない微妙な犯罪だ。高速道路のあおり運転はしかし、命がけで自分の命をほとんど玩具にする位の何か幼稚でなおかつあぶなっかしく、最終的に暇人がやることではないか?と思える。つまりあまり忙しくなく、時間と金を持て余しているというか、それによって痛手にならない程度にやっているという風な・・・。診断するとおそらく不満があるのだ。人生に対する不満。その根幹を調べてみると、この性的にかなり自由な世界で性的な不満が根底にあるのではないか?と窺える。おそらく高速道路や普通の道路での自転車や乗用車のあおり運転は、根底に性的欲求不満の果てに出てきた事件ではないか、と推定できる。人生にまた自身の性的生活にとても満足している人は、そうした微小の犯罪や、他人の神経に触るような小規模の嫌がらせをすることはない、と推定できる。多分肉体的に精神的に不満を抱いている人はその解消の仕方を探せないでいるのではないだろうか?常に皆他人の性生活を覗くわけではなく、食欲の場合は他人が美味しそうに食べているのを見ると今度あれと同じものを食べよう、と思ったりする。だが食欲以外、性的欲求不満は解消が難しい。個人差もあるだろうが、中々満たされている性生活の人は100人のうち15名ぐらいではないか、と思う。それ以外の満たされない人々は車のおあり運転で自身の欲求不満を解消するのではないだろうか?単なる推測だが意外に当たっているかも。
2020年10月29日 17:44

20201029木曜日

幼い頃、多分四歳かその位の時だった。暗い道を父に背負われていた。長くて暗い道を歩いていたため、何故か疲れたので思わず「疲れた」と呟いたら、すかさず父が「お父さんに背負われていて疲れたはないだろう?」と言われた。その時何故か不思議な気持ちになった。それはわたしが恥ずかしいという感情に生まれて初めて味わった時だった。人間は幼い時にすべての喜怒哀楽などやそれよりももっと繊細な感情を味わう。むしろ味わうというより初体験すると言った方が適している。その時点で人生で初めての恥を知ったのだ。珍しい出来事だった。わたしは十代以降父を嫌った。なにしろ父は笑わない、不愛想、沈黙となにしろ家庭の中が暗くなる存在だった。一度何があったのか母を蹴飛ばしてから、ガラス窓の方に行き、そこでガラスを三枚次々に拳で殴って割った。その後血だらけの手のまま外へ出て行った。その行為が何を表していたのか、全く判らなかった。そういう父だったので、わたしは嫌いだった。どうしても好きになれない人だった。だがわたしが成人となり、母と一緒に別居していた時電話があり(それも父の日に)会いたいという。父の日に会いたいと言われたら大抵断れない。六本木のアマンドで会った。父はわたしの顔をじっと眺めてにこやかにしていて、嬉しそうだった。わたしは怪訝な顔をしていたのかもしれない。それから数十年以上経過してから、あまり会わないうちに死なれてしまった。葬式を終わって家に帰った時、何故か悲しくて涙がこぼれて止まらなかった。翌日もそのまた翌日も泣いた。一週間泣き通した。その後母が亡くなった時には全く泣かなかったのに、父の葬式の後一週間も泣いていたのは自分の人生の中では珍事に等しい。父を嫌っていたわたしだったが、結婚してから父母の不和を理解するようになり、嫌っていた自分を反省したのだった。父の日に自発的に会いに来るという高等テクニックを使っていた父の流儀に今なら微笑ましく思えるのだが・・・。
2020年10月29日 06:39

20201028水曜日

テレビで未成年者の犯罪を報道していた。普通の乗用車の男性が赤信号で停まった時に後から追いかけてきたバイクの少年たちがミラーガラスやフロントガラスなどをヘルメットで滅多打ちにして、破壊し、乗用車の男性に威嚇し「出て来い」と言ったが、男性は出なかったら諦めて去って行った。これが車内のカメラに証拠として残り、警察は恐らく犯人を特定し、逮捕は近々実行される筈だと思える。この報道を観ていて、わたしは思った。もし自分に息子がいて、同様の犯罪を犯したことが判ったら宣言する。「あんたはわたしの息子だが、こういうことやって世間に知られたら、親でも子でもない。ただちに家を出て行きなさい。お前は自分でやった犯罪だから自分が責任持つと思っているかもしれないが、この犯罪はお前の未来の子供や孫に大いなる足かせ手かせになる、ということを解りなさい。お前はわたしの子ではない。今日から出て行きなさい。今日以後どんなことがあっても親子として認めないし、死んでも駆けつけない!」と怒鳴る筈。幸い子を作らなかったから怒鳴りようがないが、こういう犯罪者に絶対なると思っていたわけでない。どんな子に育つか自身の力ではどうにもならない、ような気がするだけ。テレビに出てきた少年たちの母親たちは知らないうちは良いが、知ったらどんな気持ちになるか、と推測するとお気の毒としかいえない。「あんたが育てたからそうなった!」と怒鳴れない、多分。
 
2020年10月28日 07:05

20201027火曜日

最近富に世の中妙な犯罪が多い。例えば豚泥棒、子牛泥棒、野菜泥棒、メロン泥棒などほとんど食物に関する盗難が多い。しかし子豚を抱えて逃げる泥棒に対して、子豚はどんな気持だったのだろうか?とほとんど子豚の親になったような疑問を持つ。子豚にすれば同じところにいれば人間に食われるだけだし、また泥棒側にいてもどのみち食われる運命だ。どちらでも良いから早くなんとかしてと思っている筈。しかし子豚の身になってみれば、真夜中叩き起こされるように連れ去られる心境って怖くて、お母さーんと叫びたかったかも知れない。気の毒だと思うのだ、と余計な心配をしていたら、先日のテレビで豚泥棒が捕まり、犯人の国籍がベトナムとか出ていた。彼らが捕まった原因は豚の丸焼きを撮影してインターネットで流したため。結構抜かりなく盗んだけれど、やはり泥棒の基本的条件を備えていなかったようだ。豚の丸焼きなどは日本人は絶対しない筈。大体料理そのものを優雅な雰囲気で食す国民性がある。泥棒が日本で捕まらない基本条件とは「盗んだものを撮影して自慢気に流さないこと」これ見よがしに豚を焼いているところを見せびらかして流すなど、泥棒としてはまだ修行が足りなかったかも。しかし泥棒が捕まったが、まだ同じ犯罪をする人が出てくる筈だ。日本は犯罪しても、すぐ捕まることになっている。なにしろ防犯カメラが緻密に撮影しているからどのみち犯罪は難しい国だと思う。
2020年10月27日 07:41

20201026月曜日

今日は快晴の日で、わたしの部屋は燦燦と日光が当たる。特にわたしの部屋は光が届き過ぎてほとんど日に照らされ続けて、大変なこともある。だが夏に冷房をかけない。過去に冷房病にかかり、半月ほど会社に出勤できなかったこともあったために冷房を毛嫌いしている。若い頃であの当時は某ホテルチェーンの有名ホテルのフロントの仏語担当で採用された。だがその採用の際に上司に前の会社でセクハラがあったと告げたために「嘘言うな、その顔で」という表情をされたので、その後自分のことはなるべく話さないようになった。しかしながら今は昔の面影がないから、あまり言いたくないが、過去には歩けば異性に声をかけられ、毎日そういうアプローチで内心「良くもてる」と思っていたが、ある時からパタリとそのアプローチがなくなった。端的に言えば年を食ったということだった。だがあの当時持ていたことが、それほど嬉しくなく、迷惑だったが、今になると、何故あんなに持て過ぎていたのにその影響が人生に現れなかったのかと、不思議に思う。今になってみると持てていために得したことがなかったのはどういうことだろう?と首を傾げている。世の中美女が多いが、その方たちはアプローチをうるさくて死にそうと思ったことがあったのだろうか?知りたい。母が毎日のように「お前よりわたしの方が若い時綺麗だった」と言われて育ったわたしは、やはり心がよじれてしまったのか?今になってみると、顔など「どーでも良い」と達観すれば良かったと思うが、ある程度年取らないと達観が出来ない仕組みに世の中が、なっているらしい。
 
2020年10月26日 11:02

20201025日曜日

テレビで好きな番組はNHKのファミリーヒストリー、テレビ東京の男子ごはん、毎週土曜日曜以外に放送されている「韓流プレミア・王になった男」、テレビ朝日のざわつく!金曜日などがある。「韓流プレミア」は最近まで「トンイ」という韓国の最下層の女性が王様と恋に落ち、様々な試練にもめげず、最終的に次代の王になる子を産み、王様との恋に勝利するというストーリで最後までかなり楽しめた。しかしこれは、つい最近完結した。ほとんどテレビにしがみついているほど、テレビとの時間が多い。だが時々、テレビの中の展開があまり面白くない時は遠慮せず、チャンネルを切る。お料理番組の「男子ごはん」はノートを広げ、中でも気に入った料理を書きとることがある。他番組でも料理では、ノートに書きとることが多いのだが、書きとった料理を再現するることもあるが、知らない名前の香辛料などが出てくると再現が難しい。料理の中に調味料の知らない名前が出てくると、再現が難しいと感じて、料理をしないことがあるが、ノートに取った料理はいつか再現したいと思っている。いつか外国の知らない料理を再現したいと願っているので、その日のために知らない調味料の名前を必ず書きとっている。いつの日か知らない国の料理を自分で作ってみるなど、面白そうな計画をしている。正確にいえば、お料理が好きで、作ることはかなり好きだと言える。最近では行ってみることの出来ない国で知らない国の知らない料理に興味を抱き、いつの日か必ず作りたいという野望を抱いている。
2020年10月25日 16:12

20201024土曜日

最近アニメの作品に興味を抱き、今人気の「鬼滅の刃」を観たりしている。今までにはなかった新しい興味。アニメーションに興味を抱かなかったわけではないが、何故かアニメ作品を遠ざけていた。理由は自身の兄がアニメーションのパイオニアに等しいアニメーターであったためだ。兄はパイオニアのため、自身の活動に自信を抱いていたと思える。しかしそのアニメーション自体が彼を滅ぼしたのかもしれないと思える。アニメの会社を作った後、その会社をそっくり人手に渡し、某人物のアドバイスで一時陶芸家を目指した。しかしブラジルまで出かけ陶芸技術の普及のために活動をしていたが、挫折して命を失った。そのような経緯を見ていたので、アニメーション自体を遠去けるようになっていた。あの頃と現在は遥かにすべての技術や環境が進んでいる。今日初めて「鬼滅の刃」を観て、その進歩をあまり実感しないが、おそらく兄が生きていれば、現在のアニメに何か一言あったかもしれない、と思えた。しかし大抵すべての分野にパイオニアが存在するが、どの分野もそれなりの進歩がある。そのため大抵本当にパイオニアの人は、進歩そのものにかなり複雑な寂しさを覚えるのではないかと思う。兄が生きていたら手塚治氏のプロダクションに在籍していた頃のことを思い、複雑な孤独を感じてしまうかもしれない。兄は確かに確りと逞しく生きていたのだ、と改めて思う。彼はブラジルのサンパウロで亡くなっている。それもリオのカーニバルを観もしないで亡くなっていた。わたしならリオのカーニバルを観ないうちは絶対死ねない、と思うのだが・・・。
2020年10月24日 14:34

20201023金曜日

最近富に感じているのはテレビや新聞を観ても共感を得る物が少なく、何故か取り残されているという浦島太郎の心境になってしまう。それというのも流行のクイズ番組のすべてが何をやっているのか、そんな時間があるなら、自身の広めようとしている日仏外交史の存在をもっと知って欲しいと思ってしまった。日仏外交の内容を単純に表現するとすれば、日本の繁栄はひと頃、ジャパンナンバーワンと言われるまでになっているが、その根幹は日本とフランスとの極秘外交の成果であった、という真の情報。ナポレオン三世陛下と徳川家茂殿との間に硬い絆が結ばれたお蔭で現在の日本の繁栄がもたらされていたという真実をもっと知るべきだし、またもっと広まって良いものだ、と思っている。発信源は日仏外交の契機となったナポレオン三世への家茂の書いた仏語の親書(メルメ・カションという人物が翻訳)をクリスチャン・ポラック氏がパリの外務省の外交史料館で発見したことが発端になっている。この極秘外交の歴史を振り返って欲しいと願っている。上記情報のすべては自著の「蚕の旅 ナポレオン三世と家茂」文芸春秋版に載っている。東大出身の松丸亮吾氏に是非この情報の拡大に協力していただきたいと願っている。
2020年10月23日 05:55

20201021水曜日

前回から数日経過している。多忙だったわけでもないが、昨日仲良しの友とハイキングという楽しい時間を持った。場所は飛鳥山。この飛鳥山には渋沢栄一記念館もあるので、結構混んでいる時もある。今回はただ簡単なランチを食べたり、数歩歩いたりして最後に王子駅で解散となった。ところが王子駅と飛鳥山の公園の間に新たに素晴らしい乗り物があった。散歩する人に居心地の良いスペースをという意図で、公園と王子駅を結んでエレベーター代わりに乗り物が出来ていた。約三十名ほど乗れそうな乗り物で以前のエレベーターよりははるかに格好よくなおかつ「新装なので綺麗」。今度はこの駅で待ち合わせましょうね」と友が言い、わたしは快諾した。構内がかなり広いので、沢山の人出でも受け入れられそう。しかし新規に改装されたエレベーターはほとんどホテルの中のように華麗。もっとも今後このままの美意識で管理されるかどうかは、疑問だ。大体美しい物というと、心の中が荒んでいる人にかかると、破壊欲の出る人がいないことはない。それが不安材料。あちらこちらで悪戯描きし、見事な美術品でも石の彫像でもめちゃめちゃに汚されていたという報道もある。不思議と自身の劣等感を覆すほどの力に恵まれた者以外何故かその気高い彫像を汚したくなる人がいるらしい。あちらこちらで美術品や彫像に悪戯をする人に言いたい。「即刻あなたの愚かな行動を辞めてください」
2020年10月21日 09:58