高杜 一榮の世界

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モノローグ(姓名判断教室)

20201216水曜日

パソコンを相手に時間をかけていると、不思議と怒りが湧いてくる。何故なら勝手にパソコンが主導権を握り、勝手にパスワードを変更せよ、とかまたはこちらのサイトが便利とばかりに、異なった空気感のあるサイトに導いてくれる。つまり余計なお世話をする。パソコンとは「余計なお世話をする機械」と言いたい。とにかく誰に唆されているのか不明だが、何時の間にか別なグループに入り込んで、そこで暮らさねばならなくなるような雰囲気になっている。パソコンの悪い癖は、勝手にパソコンの所有者の代理として働き始め「このサイトに行って仲間になったら?」とか「このサイトで面白いことをやっているのでいかが?」とか勝手に働きだす。自分は他人に指図されたくないので、必死に逃げてホウホウの体で帰ってくる。一旦パソコンの世話になったら、ほとんど誘導され、何時の間にか買いたくないものを買わされる運命にあるようだ。かなり危険な組織に取り込まれる恐怖さえ感じる。本当に不思議な存在になりつつある。極めて烏合の衆になりさがるのを嫌うわたしは、必死に逃れようとするが、何時の間にか巻き込まれてしまっているらしいのだ。パソコンとインターネットの世界というのは、生の人間の世界よりも巧妙でなおかつ厳然とニンゲンを愚弄するのが仕事だと思っているかのよう。自分みたいに天邪鬼は嫌いらしいので見ていると面白い。このまま向こうの思うようには動かない天邪鬼で行くことに決めたので、天邪鬼の世界とサイトの名前を変えようかと思う。パソコンに都合の良いように動かされたくないわたしはバトルを続けるつもり。
2020年12月16日 07:16

20201215火曜日

本日は十五日。後十五日経てば今年とお別れ。年末の様々な「仕事」つまり大掃除や整理整頓が嫌いで、昔の人のように古き習慣を尊ぶという精神が欠如しているのかも。しかし何かに導かれるように建物の1Fと2Fのドアの拭き掃除を先日していた。これもご先祖様のご指導に寄るのかもしれない。ところで話は変わるが最近は手の込んだというか、無差別無分別の細かい犯罪が横行しているらしい。今朝もコインランドリーで自動販売機をバールなどで壊し、数万円を盗んでゆく犯人の姿がテレビで流されていた。あれなども店を運営している人の心身をズタズタにして、侮る行為としか言えない。この自分なども見ていて明日にでも犯人を捕まえにいってみようという気持にかられてしまう。おそらくもっと若い時にそういう正義感に満ち溢れた行為に走ればよかったのだが、あの当時はほとんど頭の中は現在の同じ年齢の人と比べて相当幼稚でまだまどろんでいる状態だったと思う。若い時こそ血気盛んに活躍すれば良かったのだが、ほとんどそういう気もなく、なおかつテレビもなかったので正義感を発揮する機会などは全くなかった。当時は不思議と正義感は所かまわず湧き出てくるらしく、ある時やーさん風の人が某スポーツセンターのカウンターで因縁つけて、威嚇していた。それを見て出て行こうとしたわたしの腕をひっぱったのは今は亡き夫だった。前にも同じことを書いたが彼は言った。「そんなことしたら畳の上で死ねないよ」それは確かなことだった。彼はほとんど格闘技などをしたことのないわたしの無謀な考えを危ぶみ、常にブレーキを掛けてくれたのだった。本当にわたしの良き用心棒だった。
 
2020年12月15日 06:31

20201214月曜日

ところで二十代の頃にアジアからの留学生にパーティで出会ったことがある。その人はベトナムから来ていた。確か外務省関係の人物だったようだ。付き合ううちにお互い何故か楽しく会話していた。その当時は英語はそれほどできないが、相手もそれほど日本語が出来ない。だが何故か会って話せた。だがその短い出逢いが長くは続かず、彼がベトナムに帰るというので、別れがすぐ来てしまった。彼の名前は「ウング・ルング・リッツ」今でも名前は憶えている。当時彼は二十代の初め頃でわたしも同じ位の年齢。彼がわたしのことを好きらしいので、別れは何故か辛くなりそうだった。市ヶ谷の駅のホームで別れたのだが、ホームの向こうに立っている彼は涙を浮かべているらしいのが判った。わたしは泣いてはいなかったが、泣いている彼を見て何故か「もう二度と会えないだろう」と思えた。彼は「また会いたい」と告げていた。しかし不思議なのはお互い言葉があまりできないのに、よく意志が通じていた。それが不思議でならない。その後数年してからあの有名なベトナム戦争が始まった。共産系の派閥と民主主義系の派閥との対立は泥沼化し、莫大な民族が亡くなって行った。そのニュースを新聞で知り「おそらく彼はもう死んでいるかも」と内心思っていた。彼は富裕層の階級の出で、やり玉にあがる確率は高い。彼が殺されていると思っていたし、まだ生きているとは思えない。あれから数十年ほどの歳月が流れた。今でも彼の名前ウング・ルング・リッツを覚えているが、おそらく何万という数の死者が出た戦争で亡くなっている可能性が高い。生きていれば孫に囲まれて暮らしているかもしれない。不思議なことだが、母は彼のことを話すと黙って聞いていて、にこやかに笑っていた。母はわたしの異性との交際に反対を唱えたり、また親らしい小言を絶対言ったりしなかった人だった。今でもその点が不思議に思っている。だがその理由をわたしは知っていた。娘の異性に対して激しく反対を唱えていた祖母のことを話していた母はわたしにだけはいつも自由にさせる、と決意していたのだろう。
 
2020年12月14日 07:18

20201213日曜日

いつも老人の運転で事故が発生しているなどの事件がある。そしてその中身が「アクセルとブレーキを踏み間違えた」というものだった。そのためいつも「アクセルは右足、ブレーキは左足と覚えさせておけば、事故を防げると思っている。お勧めだが、それでも事故は起こす人は起こす。しかし老人(わたしを含めて)皆、自分が事故を起こすわけはない、と自信があるらしい。自信過剰は事故の始まり。ともあれ皆事故のない人生を送って欲しい。ところで、今だから公開できるけど、昔かなり酷い失敗をした。ある時、何かのお礼とのことで有名な東郷清児の絵を頂いた。その時は東郷氏の名前を知っていたのだが、父が挿絵画家だったので、軽い気持ちで絵を自分の部屋に置いた。ところが父や兄に見られて「これどうしたの?」と言われるのがいやだったのか、さりげなく捨ててしまった。後であの絵を取っておけばかなりの値打ちだったのだ、と反省した。父の絵と東郷氏の絵と比べれ雲泥の差であるのは判る。だが全く会ったことのない人の絵をもらっているのを家族に知られたくなくて捨ててしまった。わたしに絵をくれた人がわたしの愚かな行為を知ったらしく、その後つきあいもなくなった。しかし現時点では「あの絵があればよかった」とも思っていない。つまりどんな絵でも好き嫌いがあるので致し方ないと思える。家族に話せば、怒られるかもしれない。今から五十年以上前の話だ。
2020年12月13日 11:35

20201212土曜日

最近パソコンが壊れ四苦八苦状態だった。インターネットには繋げず、なおかつメールも出せない。パソコンお助けサービスなどの業者に連絡を取ったが、土曜日曜のためうまくゆかず、ふと冷静になって考えたら、初期化が一番と気が付いた。パソコンが不調でも、他のどんな機械には出来ない裏技がある。それは初期化すれば、再度新しく使える。それに気が付いたわたしは早速初期化し、再出発した。そんなわけでとにかく物事が停滞したら、まず冷静になること、そして再度やり直すこと。これが一番の解決方法だ。そんなわけでひとまず安堵している。最近年末なのでお掃除らしきことをしていたら、昔のラブレターや、昔の写真が出てきた。懐かしいので眺めていたら、昔は結構天真爛漫に暮らしていたことがじんわり思い出された。もうすぐ八の字がつく年齢になるというのに、中身だけは若い時のまんまで思い出に「年代物の皺とか余分なたるみなど」が付かないのは素晴らしい。しかしそのうちどっと何かが来るのかもしれないが、今を謳歌することに徹しよう。それしかない。今そばでお肌のお手入れに夢中の我が娘のナツキがいる。彼女にこの前言ったことがある。「お前は猫でわたしはニンゲンだけどね、あの世に行ったら、わたしが猫でお前がニンゲンってこともあるんだから、よろしくね」と伝えたら、わたしの顔をじっと見つめていた。「判りました。今後はそのつもりでおります」という気持になっていたのかも。

2020年12月12日 11:26

20201210木曜日

年末となると思い出すのは麻布宮村町(現在の六本木)で暮らしたころの年末の我が家の光景。年末になると母はほとんど人生の勝負だとばかりに、お節料理に情熱を燃やす。黒豆やきんぴらごぼう、鯛の丸焼き、それから歯ごたえのある鰊の子、そのほか様々な正月のお節料理が並ぶ。それもすべて手作り。なにしろ母がまるで全情熱を絞り出すかのように作った具合。年末に兄を連れて御徒町まで買い出しに行き、家族六名分の鯛を六匹買うというのが習慣だった。当時は今ほど既成のお節料理を販売していない(在ったとしても料理屋向け)時期なので、すべて手作り。母は家族の人数分の六匹の鯛を買ってくると、画家一家の主婦としてこう皆に告げるのだ。「さあ、鯛が悪くならないうちに描きなさい」兄も絵描きなので、皆その鯛を描く。それはほとんど面白い風景だった。絵のモデルになった鯛たちは庭に出した七輪で焼いた。わたしは何もせず見ていただけ。母の号令で皆絵を描くのだが父はといえば、書斎で自身の仕事をしていた。母の凄いところは、黒豆やきんぴらごぼうなどは手作りなので、それだけで大変な作業だった筈が、愚痴などこぼさずやり遂げていた。今思うと大変な家族愛だったのかも。彼女のその情熱に赤信号が出てくるのはそれから数十年後だった。父母が離婚ということになり、わたしは父に引き取られることになり、大変な精神的地獄を味わう。西武線の線路に飛び込んで死んでしまいたいと思ったのはその頃だった。なにしろ母に「お父さんのところからお米を持ってきなさい」と言われた時は脳がひっくりかえっていた。あの時は父母を憎んでいた。自身が子を作らない方針になったのは、家族の様々な出来事に起因しているようだ。
2020年12月10日 06:57

20201207月曜日

猫と「二人暮らし」だが、相棒の猫は朝とか真夜中とか、人間の暮らしの時間の感覚がないせいか、突如明け方の4時頃にガラス窓の向こうに現れ、ガサガサと音をさせる。普通ならニャーと鳴くが彼女は身体障碍者で鳴かない猫。しかしわたしの声を聴けるらしくわたしが話しかけると「なに?」とじっと見ている。抱き上げるとわたしの両目をじっとみている。その両眼が可愛らしくほとんどギューと抱ききしめたくなる。彼女が鳴かない猫であることにもう慣れたが正確に表現すると、一緒にいると猫と一緒にいる感覚がない。言ってみれば言葉を話さないがロボットと人間を割って妖精の要素を混ぜたような存在。だから一緒にいると、猫と暮らしているという感覚ではなく、実際生きて息してそばにいる人間に近い知性ある生物のような印象がある。つまり彼女は人間の代役みたいになっている。こうまでお互いを信頼しているので、いつか別れなければならない状態になった時、辛いに決まっているのだが時々もう一匹猫を飼いたい気分になっている。彼女との別れの日がくるまでまだ時間があるが、彼女にエネルギーをもらって辛うじて生きているらしい。ナツキはわたしの娘です。
2020年12月07日 11:53

20201206日曜日

母から譲り受けたアパートに住んでいるが、そのアパートに住みたいと申し出た近所の人がいた。 我が家は築七十年以上、木造モルタル、二度ほど改装したが、もうヨレヨレのアパート。 それでも借りたいというので承知したが、契約書を用意しないでくれ、保証人はなし、と申し出た。 自身は契約書は作らないと貴方が損ですよ、と告げたが、その後借りたくないと言う。 それで道で会ったら、借りたいという意志がどうやら消えかけてるようだった。 アパートの欠点をしゃべりだした。 内心「借りたくないならそのまま辞退すればよいのにアパートの欠点を述べてどうしたいのか? 」と首を傾げた。 「借りないなら別にアパートの欠点を言うことはありませんけど」と述べると怯んだ。 自分の意志を正当化するために、相手の短所(アパートの難点)を並べていること。 断るのに「辞めました」とだけ告げることもできるのに相手側の欠点を並べるのは、おかしいと感じた。 それで気が付いた。 社会的に人間関係でうまくいったことのない人ではないか? 普通の人間なら相手の長所を言い、見せて頂いたアパートは駅にも七分でいかれるし、池袋ににも近い、お部屋は古いけど静かそうだし、と相手側を褒めてから辞退出来る筈、正直言えば、自分がその余裕がないので、借りません、と告げればよいのに、そうせず相手の短所ばかり述べる。 それで彼のネーミングが決まった。 絶滅危惧種だ。 彼を説明するのに一番ぴったりなネーミングだ。 良く考えると時代や世相についていかれず、路頭に迷う人々は莫大にいるだろう。 絶滅危惧種人間が令和時代の新しい人間像だといえる。 絶滅危惧種人間は昭和時代の男性によくある男尊女卑的な内面を隠し持っていて、いざ自分とは異なった人格と接するとどう接して良いか判らず、まず否定する。 否定して相手が怯むまで待つ。 怯まないと怒る。 関係が悪化しても平然といている。 損をしてもまず気づかない。 この先莫大な数の絶滅危惧種人間の増加を感じる。 そのうち絶滅危惧種同士で闘争が起こるだろう。 令和時代ははっきりいえば、莫大な絶滅危惧種人間の喧騒で賑やかになるだろう。
 
2020年12月06日 07:54

20201205土曜日

最近不用品を売ってください、という電話が多い。自分の不要なものを幾つか選んでまっていたら、何故か「これはちょっと」「これは最近は人気ない」とか難癖つけて「着物ありますか?」と尋ねる。それで見せたら「ふうん」とため息をして、「こういうのは売れないんです」と述べる。結局何しに来たかと言えば、本物のダイヤの指輪や結構売れそうな品なら眼を輝かすが、わたしのところに来る業者は、かなり薄っぺらな詐欺に近いと感じる。というわけで大体三名の業者がいたが、いずれもわたしの出すものは「最近はこういうの売れないんですよね」と呟いて終わり。結局お互い何も収穫なく、さようなら。最近同じような業者の電話を掛けてきたが、お断りした。なにしろ図々しい上に、マナーが悪い。驚いたことにわたしのタンスを勝手に開けて「こういうのは売れそう」とかほとんど泥棒並みに自己中。そのマナーの悪さに四度目に連絡してきた業者には「マナーが悪いから来なくて良い」とはっきりいうと、僕は違います、と述べた。しかし大体失望するから、会わない方がよろしいと結論をつけている。それから最近全く会ったことのない人で名前を名乗らない人(女性)がメールで連絡してきて、お友達になりたい、としつこく付きまとうので困っている。なにしろそーいう誰だか判らない人物とメール交換は危険だと思うので馴れ馴れしいメールが入ったら即削除することにしている。災いを見抜くのも人生には必要。友情と見せかけて詐欺だったりするかも。大体そう簡単に友情が芽生えるわけもない。
2020年12月05日 14:29

20201201火曜日

高齢という年になってみると、過去に高齢の人と話したことを思い出す。 その人は大きな広い家に住み、心配なことは何もないと窺えた。 だが口癖のように「こんなに長く生きるとは思ってもみなかった」「早くお迎えが来ないか」などと言っていた。 その時は彼女は九十九歳位だった。 長く生きると皆に羨ましがられて暮らすと思うが、そうではなく何故こんなになるまで生かしておくのか、と神に愚痴るほどになるらしい。 それを見て何故か、ああいう風にはならない、とも思ったが、今正にそんな風な日々になっている。 かなり高齢になってから、長生きを愚痴るというのは、ある意味贅沢なことなのだが、彼女はその時にはその贅沢を味わえなかったらしい。 そういう愚痴はこぼすまい、と今思っているが仕方ない。 愚痴も全く出ないよりはまし。 だがその愚痴を話す相手が猫だけになっているというのも、惨めかもしれない。 わたしの猫なつきは猫として生きるのを満喫しているらしく、朝の五時か六時頃ベランダのガラスの窓のところでガサガサと音をさせ、おはようございます、というようにガラス戸を打つ。 わたしがお食事(決してエサとは言わない)を出し、食べ終わると布団の上で眠る。 眠らない時は必ず外に出たいと意思表示し、ドアの前に座る。 出してやると出かける。 それが毎日の日課。 猫なら猫としてニャーと鳴くのが普通だが、ナツキはいわゆる身体障碍者つまり聾唖として生まれたらしく一切声を出さない。 ただし尾っぽを誤って踏んでしまったときは「痛いじゃないの! 」という風に「ギャー」と鳴く。 最初会ったときに耳に三角の形に切れた部分があった。 友人はこれはすでに避妊の手術を受けた印だ、と言っていた。 猫でもオシに生まれる猫がいることを知った。 最近彼女は頼りになる良い猫になってきた。 今ではお互いの気持ちが判るので、本当に良きパートナーとなっている。 知人にナツキのことを話したら猫でもきちんと葬式を出したり墓をこさえたりする、と言われた。 そこまで考えなければならなくなるとは思わなかったわけではないが、一応心積りをしなければならない。 富士山の麓に墓があるが、あそこに埋葬したいと願っているがおそらくナツキは同意すると思う。 しかし許されるかどうか不明。 生きていた時代にお互い親子以上だったのだからそれ位許されるのではないか、と。
2020年12月01日 10:54