高杜 一榮の世界

WELCOME TO TAKAMORI COLLECTION

024s

モノローグ

20200723水曜日

2020年07月23日 10:01

20200615月曜日

実を言えばわたしは読めるもので一番好きなものは何ですか?と尋ねられたら「新聞です」と答えるはず。何故そんなに新聞が好きなのか不明。好きになっておそらく五十年以上は経過している。主に読むのは産経新聞。契機になっているのは、産経新聞に在籍していた某人物が縁で新聞を買う習慣がついた。それも配達ではなく、毎日買いに出る。新聞でどこを読むかといえば随筆などの欄と占いの欄。ある意味知性とは、かけ離れているかも。読んだ後で気に入った記事があれば、切り抜いて保存する。かれこれ五十年以上切り抜いているので、わたしの部屋は切り抜きのファイルがたくさんある。毎日切り抜いてとっておき、時々数年前の切り抜きのファイルを取り出して読むこともある。しかしわたしが死んだ後は「こんなに新聞の切り抜きをため込んでなんだろうね?」と首を傾げられる筈だがしょうがない。今度古い記事を読み返し、その中から今まで一番好きな記事を選び出してみようか。しかし訃報の記事を見ると人生いろいろあるけど、とにかく皆死んでゆくと思うと、何か「そこはかとなく意味もなく切ない」そういえば、母は死ぬ前に「早くお迎えが来ないか」と呟いていたことがあった。あの時切ない気持ちがあったのかも。母が亡くなった年はあと10年もすればやってくる。今思えば自分を一番愛してくれたのは母だけだったような気がする。

 
2020年06月15日 13:53

20200614日曜日

このところ落ち着かない日々を過ごしている。やはりコロナ騒動が根にあるようだ。生来ほとんど無駄な正義感と出来もしない発想をこねくるという日々だった。おそらく性格もあるだろう。今までは、人のためと思って結構脳を使っていたのだが、最近になりそれが独りよがりと思われるかもしれないと思うようになった。というのは新聞を見ると数々の事件があり、また不幸な人々が理由もなく消えて行く。そこで自身が考えたのは、皆に姓名判断の知識を広めなければならないと思うに至った。つまり人生の運不運は姓名の中に秘密が隠されていると思えるからだ。姓名判断では吉数と、凶数があり、吉は11、13、21、24、31、32などで凶数は12、14、20、22、25など。その数え方は姓と名と別けて数種類ある。その数が名前のどこかにあれば、吉と凶が判る。新聞を見ると殺された人、事故によって亡くなった人、と数々あるが、名前の画数でそれが判断できる。新聞で行方不明者の名や、殺害された人の名を見ると明らかに名前に不運が出ているので、そのような名前でであると、教えてあげなければ、と思う。しかしこればかりは、人によりけりで、行方不明者の身内の方に「お子さんのお名前を変えなければいけません」などの余計なお世話はできないだろう。例えば行方不明になり出て来ない人の名前が凶数であれば即座に変えて運気を好転させることは、絶対可能であると思っている。この前も新聞を見ていてある人の名前をすべて判断してみたら、行方不明の凶数であるのが、判明した。この行方不明の人の名前を即座に変えないと運気は変わらない、と思えるケースがあった。お節介だがお知らせしたい、と思う時があった。しかしこればかりは家族の方針や「そんなことであの子が出てくるわけはない」と思われそうなので、思いついたことを伝えるのは、差し控えた。いつもながら、世の中の多くの人が名前の運気について関心を持つことをお勧めしたい、と思っている。
2020年06月14日 10:44

20200611木曜日

横田めぐみさんのことだが、かれこれ十数年前まだ血気盛んだった頃、めぐみさんの事件に非常に憤慨し、新聞を読んでは「何とかしなければ」などと心を轟かせていた。その後小泉元総理が訪朝したこともあり、何とかなると思っていたが相変わらず現状維持のまま時間が経過した。めぐみさんのお父さんの横田滋氏が亡くなり、わたしは何ともいえない気分を味わっている。というのもこの事件が新聞を賑わせていた頃、自分に出来るのではないか、と妙な正義感を抱いた。それはあの北朝鮮の御大がスイスに留学したことがある、という情報を得た時だった。突然わたしは考えた。あの御大はスイス留学をしたので、必ずフランス語を話せる筈。極秘に御大と連絡を仏語で取り、面談を希望して、極秘にめぐみさんを奪還する計画を考えた。その際自身の名前と素性を打ち明けない、などの様々な計画を目論んでいた。その計画に一歩踏み出さなかったのは、自分が名前を公表させるのを極力避けるにはどうしたらよいか、など細かい点で二の足を踏むようなことになったため。あれこれ考えないで踏み出すことも必要ではないのか。今更出て行って、うまくゆく路線を講じている人々に迷惑がかかるかも、など余計なことを考えて時間を浪費してしまった。やれば出来ないことはないかもしれない。今はそういう類の計画を考えたことを思い出すだけになっている。多分わたしにかなり力のあるモーター格の人物がいれば何とかなるのではないか、と思う。ここに発表しただけで満足してはいけない、とは思う。しかし自身の計画はもしかしたら堅い扉を開かせたのかどうか?
2020年06月11日 08:11

20200610水曜日

自分の家にはエアコンがない。敢えて冷房なしの暮らしになっている。というのは二十代の頃会社のエアコンの強い冷気によって冷房病になってしまったためだ。当時普通の家庭でもまだ冷房が普及していない頃で毎日会社で冷房を浴びていたら、体調が悪くなりクリニックに行き薬を貰った。どのような薬を貰ったのか覚えてない。それでようやく治ったのだが、それ以来冷房を浴びない暮らしを好んでいる。老齢になっても冷房なしで平気で暮らしているので誰にも理解されない。ただ冷房に慣れるとロクなことにならないのを体感したわたしは未だに家には冷房を付ける意志なし。もし外で冷房を浴びたら体調が悪くなるので気をつけている。どうなるか、といえばだるくなったり、ぐったり疲れたりする。冷えていないところで過ごすと治る。冷房嫌いになって特に気に入っているのは、冷房が人間に悪い影響があるというのを体感できたこと。気軽に文明の利器を過信しない方が良いのを肌が知っている。多分自分の体の自衛本能だ、と解釈している。デパートや喫茶店では冷房を少し感じたらすぐ出ることにしている。むしろ暑い時に、寒いところにいて肌を甘やかすことを避けている。冷房を持たないで暮らせるのは素晴らしことと思っている。わたしの熱中症対策は簡単。まず冷蔵庫に冷たいタオルを置いておく。暑くてたまらない時は、そのタオルを首に巻いて過ごす。そのタオルが温くなったら、洗ってまた絞って冷蔵庫にしまっておく。それがわたしの冷房なんです。この方式にしたら、エアコンもいらない。もっとも冷房の部屋で違和感なく過ごせたら、体調に異常がなければ、エアコンを使うようになるかも。しかしおそらく身体の感性がすでにエアコンなしに慣れているので、そうならないと思える。今年で冷房なし生活は四十年になる。おそらくこのまま死ぬまでです。どうぞよろしく。

2020年06月10日 08:15

20200610水曜日

コロナの騒動がまだ沈没していないので、あまり派手なことは出来ません。ところで最近の身辺雑記というようなことですが、自身の飼っているナツキという猫の話を書きます。彼女が頼もしくなってきたので、頼りにするような事態になりました。彼女は家に来るようになったのはかれこれ二年前位からですが、最初はうちの猫という感じではなかったのですが、わたしが入院したり、忙しそうにしていたら、彼女は彼女なりの感性で自分で自分のことをするようになりました。例えばお腹が空いた時は、わたしの手を噛んで、何か食べるものないのか?というように「表現する」ようになりました。わたしが雑事に紛れて、彼女の食事(エサとはいいません)を用意するのを忘れていると、必ず「あなたはわたしの食べるものを用意するの忘れているでしょ?」というように近づいて知らせてくれる。または食べた後はわたしの傍に来て「ありがとう」というようにわたしの顔を見上げ頬を接近させるのです。非常に律儀な猫です。誰に似たのでしょう?わかりません。最近はわたしは彼女から「生き物との付き合い方」を学びました。彼女が死に水を取ってくれそうなので、すべてを任せることにしました。今彼女はわたしの布団の上で爆睡中です。彼女は自分の居心地の良い場所を見つけるのが非常にうまいので、感嘆してみています。いつかなんかも、どこに行ったか判らない。どこにいるのかと探したら押し入れの中の毛布の上に眠ってました。彼女は「ここに寝かせよう」と考えなくても、率先して自分で探してそこに眠ってます。だから今度はわたしの老後を任せようと思っています。頼りになる猫なのでわたしが認知症になったとしても手を噛んでしっかり管理してくれる筈。最近はわたしの娘だと思って暮らしてます。
 
2020年06月03日 10:12

20200531日曜日

先日やたらペンキなどで落書きをする少年たちに苦言をほざいていたのだが、一番言い忘れたことがある。まずペンキで落書きする心理の下にあるのは、分析すると性的欲求不満これが第一にある。彼らはこの自由でほとんどの小さなイタズラが許される中で、満たされたことがなくいつも不満。性的にまだ未完成なので、どのように性的に満たされるのか、自身の満足度が何で構成されているのかも分析できていない。そのためあちこちで性的軽犯罪を繰り返すことになる。その上大人たちも自身の少年時代を振り返って「このようにすれば?」などの助言もできない。それでどうなるかといえば、ペンキの缶とブラシを持ち、あちらこちらで「俺は不満だ」と書き殴るわけ。そのため大人たちは「またやっておる!」と表面だけ見て怒るだけ。つまり誰も解決案を持たない。それが数十年続いている。そのうち一人二人自然にフツーの大人になり、ペンキ缶とブラシを必要としなくなる。昨日何をしていたのか、その時点で忘れることになっている。そんな時代があったと後で思い出す。ペンキ少年時代が終わったら、大人の仲間入り。極めて不器用で不完全な大人がペンキ少年時代を思い出すことなく、フツーの大人になってゆく。脳裏にペンキでイタズラ描きしていた時代を少し思い出しながら暮らす。彼らのイタズラ書きがあちこちに残っていても、自身がやったことをほとんど思い出さない程度になりようやくフツーの大人になる。しかしその時代が必要だったのか、なかったのかどうなのか?疑問は何故女子はそういうイタズラ描きの時代を持たないのか?誰か教えてその理由。わたしも考えてみる。
 
2020年05月31日 08:48

20200528木曜日

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今日テレビで首都高速道路上で、若い男たち(ルーレット族という)が200キロ以上のスピードで飛ばし(これらの迷惑行為は必ず若い男に限定されているらしいが、何故か理由を考えたい。女性はそういうバカをやらない生き物かも?)警察に捕まって良かったが、その警察に捕まったという行為の理由が「気晴らしがしたかったから」だと。生意気というか、当然の発言と思っているところが浅墓で、不愉快。「気晴らし」が許されるのであれば、さしずめ三十年以上社会に貢献したとかまたは自身の納得のゆくような仕事をし、満足のゆく自信を手に入れたなどの充足感もあるべきだが、ただただ「気晴らしがしたかった」と。それを言うならそれを言えるだけの実績(または証明になるもの)を提示せよ、と言いたい。ただバイクで好きなだけの理由で、走って充足し、「気晴らしがしたかった」という発言が不愉快。もっともこういう形で叱責したとしても彼らは納得しないだろう。高速道路上でアクロバット的な激しいパフォーマンスをしてみせれば、納得してくれるかもしれないが、そういう歴史的に無に近い行為を道路上でする者はだれもいないだろう。彼らの行動が歴史や国家を変化させるものでない限り永遠に理解されない。ただ自己満足だけなら、美術館や体育館もしくは、同じ高速道路で待機していれば、同じ種類の男たちが走っているだろう。彼らのエネルギーが無駄に使用されているという果てしない国家的損失の現実をいつか理解するまで続く筈。もっともここで正論めいたことを書いても無駄だと判る。しかしいつもながら道路のあちこちで無駄なイタズラ描きが多いのはどういうわけだろう?例えば店で莫大な量のサインペンやペンキを買う少年がいたら「これをどういう目的で使うのか?」と尋ねても無駄だろう。何の反省も得られない。彼らが長じて結婚し子を持った時に改めて自身の若き頃を振り返り、何か親らしいことを言えるまでに成長しているかどうか?しかし自身もまだかなりの年齢が高くとも若者への言葉をほとんど自省なしで「ほざいている」ので何とも言えない。言えることは「とにかく犯罪さえ起こさねばなんとかなる」と呟くのみ。はっきりえば老いてもっと学びたい心境。
2020年05月28日 12:33

20200524日曜日

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前回小泉八雲のことを書いたが、本日は事情により別なテーマで書くことにしたい。最近のテレビも雑誌もコロナ騒動の話題でコロナから離れようとしない。敢えて今回コロナからやや離れた話題を中心に書きたい。コロナつながりではないが、病気というテーマで今回は書く。実は以前も書いたかもしれないが、しつこく自身がバセード氏病になった時のことを書く。十代後半かニ十代初めにバセード氏病になった。階段を昇る時、心臓がドキドキしたり、汗をかいたりした。それでその専門のクリニックに診断をお願いしたところ女医の先生が「あなたはバセード氏病です。わたくしが錠剤を処方しますが、これを毎日飲みなさい」と白い錠剤をわたされた。その際その先生は「この薬を飲み続けないとあなたは死にます」とほとんど断言するように述べた。わたしは「死にますよ」と言われたことに相当腹を立てたらしく、薬は一切飲まず、プールに行き気持ち良く泳いだり、歩いたりした。すると汗をかいたり、ドキドキと動悸をしていたのが、全くなく、すっかり治ってしまった。それで自信を得たわたしはそれ以後医師の話を鵜呑みにせず、自分の思うまま暮らすことにしている。誰でもわたしの方法で治るわけではないが、わたしのように医師の言葉を鵜呑みにしないで、病を克服できる人も存在すると言いたい。以後よほどのことがない限り医師の言葉に頼ることのない日々を過ごしてきた。おそらく死ぬまでこの流儀を変えないと思う。わたしはわたしで人生を歩いてきたと思うが、誰でも同じようにできるわけではないので、お勧めはしないが、医師の話を鵜呑みにして人生を狂わせないようにご自分に内蔵している力を信じていかれることをお勧めします。
2020年05月24日 12:42

20200523土曜日

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最近小泉八雲に関する記事を新聞で読んだ。実はわたくしは小泉八雲には非常に親近感を抱いている人間の一人ともいえる。なにしろ十代の頃小泉八雲の墓のある雑司ヶ谷墓地に行き、お墓参りを何回も重ねていた。何故かと言えば、母が常に菊池寛氏の奥様と親しくしていただいた時期があり、盆暮れに何かしらの贈答品を「奥様にこれをお届けしてきなさい」と青森から送られたリンゴを十個包んで渡された。そのようにリンゴを持って雑司ヶ谷墓地を通って菊池家に伺っていたことが毎年年末にあった。どうして雑司ヶ谷墓地と菊池家が関連があるかといえば、当時菊池家のお屋敷は旅館のような大きな建物が二軒あり、一方は菊池寛先生の書斎、一方は菊池家のご家族のお屋敷であった。わたしたち家族は戦時中お屋敷に同居させていただいていた時期もあった。母が菊池家に何かを届けさせるために、わたしが使いに出されていたのだ。そしてその当時十代で怖さを知らないわたしは平気で暗い墓地を通って(菊池家は墓地の近くにお屋敷がある)行かねばならず、その度に墓地を歩く楽しみを覚えた。当時平気で「わたし墓地歩くの好き」などと言っていた。多分まだ幽霊とか存在しているかしていないか不明の生き物の存在を深く知らなかったためだろう。その墓地で小泉八雲の墓を発見して、通過する度に手を合わせていた。後に明治の歴史的人物もそこに墓があることが判った。有名な小栗上野介である。そのため通過する度に小泉八雲と小栗上野介の墓で手を合わせた。その後大川橋蔵の墓も夏目漱石の墓もあることが判った。今回はお墓の話だけになったが、人間どこでどう繋がりが出てくるか、長い間生きていると不思議なご縁を感じることもある。小泉八雲が日本にいた時代に彼が世界に日本のことを発信していたのだが、その事実はまだ広く知られていなかった。かなり時間が経ってからその事実が判明したようだ。別な機会に小泉八雲のことを書きたいと思う。
2020年05月23日 17:55