昨日テレビを見ていたら、さんまさんのトークショーがあって様々な人が出ていた。最近たくさんの芸能人を雛段のように並べて話させるスタイルが定着しているようだ。そのスタイルを見ていると、何故か皆テレビに出ている緊張感を雛段に並ぶことで、緩和させているらしいと思えてならない。緊張感といえば、自身はかなりな緊張感を持つタイプのようで、何かあるとあがり症の傾向がある。どこでもどんな場面でも緊張しない方法があれば、良いのだがこれは持って生まれた性質らしいが誰に似たのだろう?そういえば父は普段は大人しいが、何かあるとまるで正義感の塊となり俄然スーパーヒーロー的に振る舞うので周囲に注目されていたのだ。昔(今の六本木ヒルズのあたりに)金魚屋さんの卸問屋があり、広大な敷地に池があり、金魚が莫大に泳いでいた。そこに働く金魚の行商人たちと父が壮烈な喧嘩となり闘ったことがある。この事件の経緯は後で解説するが、その喧嘩で父は当時そのあたりで仕切っていた親分の頭を殴ってしまった。ところがその後近所の人々からまるで悪の一団と戦い、勝利した英雄かのように、皆に感謝されたのだ。日頃パーティ嫌いで隅でじっとしている大人しい父が、そういう事件を起こして感謝されたことは家族の歴史になっている。しかし事件はただでは済まなかったのだ。母は警察の指示通り親分の家に当時の金で二万円を包み、謝罪に行った。血だらけの親分の頭を拭いたのは母だった。どんな気持ちで親分の家を訪ねたのだろう?わたしは父の血を引いていると実感しているので、複雑な気分で思い出す。あの当時の二万は今の二十万に相当するはず。
テレビ朝日で「しくじり先生」という番組がある。芸能人が人生でしくじった体験を話して聞かせ「自分のようなドジをするなよ」と視聴者に警告をする。しかし芸能人のしくじりはどういうわけか独特であり、何故そこでお人好しを繰り返のかとと尋ねたくなるほど、理解できない。コメディアンのHKの話を聞くと、やはり天才的な喜劇王はその分だけ普通人と違った意味で、誰にも真似のできないドジをくりかえしているような印象があった。人を見る目も生まれたばかりの赤子に等しく、芸能人は普通人と異なる金銭感覚になるらしい。つまり普通人には参考にしたくともできないような話が多い。喜劇の天才は家族に非常に賢いひとがついていないと家庭が保てないと思えた。
2016年01月11日 05:53