高杜 一榮の世界

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モノローグ

20200311水曜日

コロナ騒動で世界中が爆撃を受けたように連鎖反応を引き起こしているような感じ。のんびりしていると「どやされる」という空気。それも仕方ないかもしれない。この前新聞に書いてあった。どこかの国で同じような類の騒動が原因で大国が滅亡したとか。過去の歴史を辿るとそういう歴史があったのだそうだ。日本の国家はつぶれはしないだろうが、これも確定ではない。何があってもおかしくはない。しかし日本は大震災も経験、無数の人々が亡くなった。この度の騒動でどの程度損失があるかどうか不明だが、日本は多分切り抜けることができるような気がする。心配しているのは同盟国のアメリカ国家。なにしろ米国では保険制度が敷かれておらず皆何か大病しても自費で莫大な金額を払っているらしい。そのため今度のコロナ騒動でアメリカの底力(そこじから)が判明するのではないだろうか?米国民が保険のない世界でどの程度このコロナ騒動を切り抜けられるのか、を案じている。広島に爆弾を落とした国だからそれなりに「腐っても鯛」式な底の力を発揮すると思っている。どうか世界中で「あの国はやはり大国であった」という足跡を残してもらいたい。
2020年03月11日 18:47

20200308日曜日

最近はどこにアクセスしてもIDとパスワードを入力しなければどこにも潜れない。というわけでもし自分がかなり高齢で(自身の今の年齢は高齢だがこれ以上と言う意味)パソコンもパスワードも全く知識がなかったとしたら、求職もうまくゆかないし、なおかつ買い物もうまくいかないらしい。相当世の中進んでいて、かなりオールドファッションスタイルの生活を余儀なくしている人々はどういう暮らしになっているのか、心配。自身は時代の先端を生きていたという自信があるほどパソコン時代を泳いでいたのだが、もうそういう人が莫大に多いので肩身が狭いという空気があるようだ。「空気読めますか」という短編を書いたわたしは全く知らない人に「空気読めないんでしょ?」と憐れに思われる可能性がある。しかしそれでもまったくの門外漢ではない、という自負もある。だがこれからはどうなるか、周囲の視線が「あの人50年遅れているね」と言われるようになるだろう。しかしまだまだ諦めてはいけない。パソコンを日本に導入したのはわたしであるのは、日本経済新聞社で調べれば記録は残っている筈。というわけでパソコン時代を創ったわたしはまだまだ生きて行かれると思うことにした。ともあれ先駆者がこの後どういう生き方をすれば良いのか不明。時代は進んでゆくが、人間の幸せの形までは変わらない筈と思いたい。
2020年03月08日 17:08

20200301日曜日

数年前アマゾンから水を購入したが、その後クレジットカードの件でトラブルがあり、その件がまだ解決つかず、未だにメールを送ってくる。電話だけの時代であれば、電話でカタがつく話だが、いくら「すでに終わっている」「水はキャンセルしました」「支払いは終わってます」と回答しても、未だに解決していないというような印象でメールを送ってくる。つまり機械的な働き方といえる。正確に言えば「心や思いやりを度外視したビジネス」ということになる。有名な組織なので、すでに終わっていても良いことなのに未だにクレームを続けている。自分が組織の一員なら「これは終了」と片づけられる筈だが、そうはできない状態のようだ。あまりにも機械的なやり方なので、本当に苛立ちだけしか起こらない。アマゾンの方針としては一度トラブルがあったら、何回も繰り返すというような体制なのかもしれない。恐ろしい体制だと思える。自身はもしよければ社長室に伺って問題を白黒決着をつけたいと思っている。どうか小さなクレームにもお答えくださるようにお願いいたします。わたしは水をcancelしたのですから、払う必要はありませんと言いたいのです。どうか白黒(シロクロ)決着をつけてください。
 
2020年03月01日 10:11

20200227木曜日

コロナ騒動で日本は台風と地震と小規模の戦闘が混じったようなマスコミの騒ぎよう。あれは何かお祭りが来たような騒ぎに等しく、毎日何もせず暇を持て余していた人々にはある意味ほど良い娯楽になっている。そういえばニンゲンはどういうわけか人の不幸を味わうというあくどい根があるらしく、程よい娯楽にしてしまっているのではないか?と疑いたくなる。娯楽にしているとは断言しないが、ニュースの種不足で困窮していた一部の人にとってはかなり刺激になっているのかもしれない。自身は友人に暇を持て余しているし、生きていて素晴らしい展望などもないので、「コロナ自殺でもしたい」と言ったら「ヤバイ」と言われた。確かにそうかもしれない。いくら自分自身に希望がなくても、将来の展望が暗くても、そこまで言うというのは亡くなった母に申し訳ないし、なおかつ育ててくれた人に対しては裏切りに近い筈だが、何故かマスコミの動き方に対して冷ややかな視線しかない。何が言いたいかと言えばそれほど災難で私利を得る必要もないし、この期に及んで得になるように、立ち回るのも見苦しい。マスコミはもう少し冷静に書く必要があるし、なおかつ視聴者をもっと明るい方向に向ける努力をすべき。悪いニュースばかり垂れ流すのではなく、そこに人間が生きるということの根底に流れているものを、掬って視聴者を「人生はそれほど悪くはないし、この災禍はいつの日にか素晴らしい何かをもたらす可能性がある」ぐらいのことを発信する必要あり。地球的には災禍が人間を作ってきたという歴史も忘れないようにしたい。
2020年02月27日 12:16

20200224月曜日

このところ退屈な日が続いていたが、ひょんなことから実にラッキーな出来事があった。実はパソコンでメール送信やインターネット上の買い物などが全くできないほど簡単な送受信が不能状態だった。それでパソコンに詳しい人が周囲にいなかったので、業者に頼むべく探して依頼したのだが、その費用すべて見積もって一時間で一万という結果に。それで了承しひたすらその日を待っていた。だが以前パソコンの操作などのトラブルでOCNのスタッフに連絡をして解決をしていただいたことを思い出し、早速連絡してみた。すると電話でインターネット関連の機器やWi-Fiやその他の通信機器すべてを知らせたところ、どこの機器のコードがどこにつながっているかなどの質問が数々あり、逐一伝えたところ「上から三番目は点灯してますか?」「四番目は点灯してますか?」などの質問に答えているうちに「ではパソコンでインターネットの接続を試みてください」と指示が出た。そして幸いなことに無事復旧。つまりOCNのスタッフが無料で指導してくださったお陰で、助かったわけ。このようなラッキーな出来事は今までなかったので、今つくづく安堵しているそのOCNのスタッフの方にお礼をしたいのだがどういう形でお礼をするか、思案中。現在そのうちまた同じようなトラブルで困ることがあるかもしれない。このトラブルの解消へのすべての流れを記憶はしていないので、また同じようなことがあったら、教えを乞うしかない。そのようなわけで長い間パソコンと関わってきて、トラブルもあったが、いつまでも謙虚に教えを請い、様々な方にお世話になるということを続けることになる筈と自覚するようになった。老いてはパソコンは一人では出来ない。
2020年02月24日 10:04

20200223日曜日

コロナのせいで日本中が中位の地震を毎日味わっているような具合に騒がしい。テレビを見ると、どこそこに何名感染、年配者は何名と報道を繰り返している。いつになったら、このコロナ地震がなくなるのか、落ち着いて暮らせない位だ。ところが不思議なことに天気が青天で太陽が尋常に「仕事をしているらしく」空気が明るい。すると気分は爽快だ。とても良い。というわけで自身は非常に嬉しい。ところで今朝そのことよりも、別なことで人生で最大の幸福を味わった。というのも数日来パソコンでインターネット送受信が不能になり、何もできない状態だった。それで解決のため業者に依頼したのだがその金額が最低でも一万となる、と聞いていた。覚悟して待っていたのだが、ふと思いついてプロバイダに連絡を取り、ご指導を仰いだ。するとどういうわけか電話で指示通り操作していたら、うまくゆき、何の苦労もない。Wi-Fiのことなどが原因で起こったちょっとしたミスが原因だった。そんなわけで業者にキャンセルを入れた。つまり一万払うところを無料で済んでしまったのだ。今までにこんなに物事が円滑に解決したことはない。今日は満面の笑顔。浮いた額で浪費したくなったが、この際天に感謝し、浪費を慎むことにした。今日ほど人生が素晴らしいと思えたことはかつてない。一人で万歳三唱したくなっていた。
2020年02月23日 12:16

20200210月曜日

このところ寒いので外出が減った。買い物は二週分位買い込んで、そのまま外出しないという日々だった。だが大体外出好きではないわけではないが、出不精の傾向があり、一日家にいることもある。だがテレビとパソコンと本だけで暮らすとなると会話がない。会話がないので一日誰とも話さなかったと嘆いていた友人もいたが、自身は誰とも話さないことで悩む性格ではない。そういえば母は「口から産まれた」と豪語するほどおしゃべりが好きだった。なにしろ六本木(わたしの幼い頃は、宮村町という名だった)にいた時は、母は道で友人に会うと「あら、お久しぶり、元気?」で始まり延々と立ち話を始める。なにしろ口から産まれたというから話には終わりがない。七歳頃母が話してくれたことがある。ある時皆と話していて最後に誰からが「一体何でこんな話になったの?」と尋ねたら、母が「最初はこの話で、こうなってああなって、誰かさんがこう言って」と最初から最後まで記憶に残っていたのを話して一同驚嘆したという。そういう母だった。その母のおしゃべりの傍で長い時間待っていたこともある。母は明るく、明朗快活なおかつ頭が良く、記憶力が優れていたのか、長い時間しゃべっても苦痛を感じない性格だったようだ。その母が年を取って、周囲が脳の衰えを感じ始めた時、彼女は変わらず、活発にしゃべっていた。その母のことを思い出すと最近、非常に危機感を覚える。現在の自分の年齢の脳の機能と、あの当時の母の脳の機能を比べると格段の差がありそうな気がする。いわゆる認知症とはかけ離れていたのではないだろうか?自身は母ほどおしゃべりが好きではなく、立ち話をする際も、内心終わって欲しいという感じに「おしゃべり」を趣味や気晴らしにできない性格である。それを考えると、どうやら認知症の傾向がありそうな気がしてきた。しかしどういうわけかその病名で医療機関を訪ねる気にはならない。一度見てもらって「大丈夫」と言われたのでそのまま認知症関連のクリニックには行かない。行ったら病状が進むような気がする。それになるべくなら認知症とは別な病名で使って欲しい。たとえば「ボンサンス(仏語で良い感覚または常識という意味)」または「グッドライフ」「ハッピールック」なども少し認知症候補生を励ますネーミングはないのか!
2020年02月10日 09:33

20200207金曜日

自分の家は木造モルタル二階建ての古いアパートで、現在までに二回ほど改装している。考えてみたら、この建物はわたしが十六歳からずっとわたしをみつめてくれた唯一の証人ともいえる。わたしは六歳から十五歳まで六本木で育った。六歳の頃は百坪の土地の半分ほどある庭で山羊を飼っていたこともある。母は成長盛りの息子たちを立派な体格にしたかったらしく、山羊乳を飲ませた。当時山羊に縄を付け、山羊に草を食べさせるため、ひっぱって草を探して歩いたのは兄たちだった。その頃六本木は今ほど建物が建っておらず、母は六本木の十字路のそばの土地が売りに出ていたので「買おうか」と思ったらしい。だが売買条件があり、そこにコンクリ―トの建物を建てること、という条件だった。「鉄筋コンクリートなどは高そうだから無理」と諦めてしまったという。その後余っていた金で現在の横浜市の某所に土地を買った。その土地は今でも昔のまま、細い道を歩くとまるで軽井沢のような爽やかな土地ではあるが、値打ちはないに等しい。だがそばに警察の射撃場や温泉旅館らしき建物、最近は大学までできている。土地の「成長の仕方」は持ち主の好みによるが、この横浜の土地は母が別荘にしたかったために買ったのだが、今ではただのジャングルになっている。不思議と人間はどんな土地でも持っていると、自身は「土地持ち」という意識で満たされるらしい。母はそのために横浜という名がつく場所を買ったといえる。知人は「土地は誰でももらってうれしいものではない」と述べていた。それは全くいえてる。
2020年02月07日 20:27

20200203月曜日

わたしの地域はある一定の年齢になると銭湯の料金が100円になる。この恩恵にかなり助かっている。たとえば普通料金は420円ぐらいになるが、それがたった100円であれば、かなりの金額が得になる。10年間で換算すると結構優雅な旅行にでかけられるほどになる。だからそのカード「おたっしゃカード」という名前だが、極めて大切に使っている。ところが上限があるらしく最近もう100円で入れないと判り何だかわびしい気分がしている。四月まで100円で銭湯に入れない。四月になるまで待たねばならない。というわけで今日の午後12時過ぎにうちのシャワーを浴びた。お風呂はないが、シャワーはあるので、それで我慢した。そこで考えた。そのうち稼いでシャワーだけの暮らしをお風呂に改造してみたい、と欲が出た。しかしそこでチラリと脳裏に浮かんだ景色がある。銭湯のお風呂とうちに設置するお風呂とかなりの差がある。銭湯のお風呂は大浴場なのでザワザワガヤガヤと声がするし、水の音も一人のシャワー以上に盛大に聞える。つまりいくら金があってお風呂を家の中にこさえても、銭湯のあの雰囲気と盛大な湯煙を比べれば、かなりの落差がある。銭湯の音声や水やお湯の音、家の中のお風呂で一人で入っている雰囲気は較べてもしょうがないほどの大きな差がある。つまり大勢の裸の人に囲まれている銭湯の空気とざわめきは、どんなお風呂であっても、代えがたい要素があって、肉体の疲労を拭う要素はやはり銭湯のざわめきにありそうだ。どんなに豪華なお風呂でも較べようもない重大な要素がありそうだ。わたしは今までそれを感じていなかった。一人で家のシャワーを浴びてようやく判った。銭湯のざわめきは、何にも代えがたい究極の癒しが含んでいることをようやく今判った。人生何年経過していても、初めて判る重要なこともあるらしい。
2020年02月03日 16:03

20200202日曜日

最近理由もなく殺人を犯してしまう事件が多い。その中には一度殺人を犯してみたかった、という言葉を述べていた人もいた。それで思い出した。実は十九歳頃に親類になかなかハンサムな男性がいた。大体同じ年位だったと思う。彼は地方のかなり有名な大会社に就職し、その後南米のある地方の営業関係の部署で働くことになるのだが、どういうわけかつかず離れず交際が続いた。某県の某地で働くようになった際に「遊びにおいで」と言われ東京からでかけていったことがあった。母はその男性のことを遠縁の知り合いの人物と知っていたのでわたしの旅を許してくれた。今思うとかなり母の方針が良く判らないのだが、おそらくわたしがその男性と親しくなりすぎることはまずない、と踏んでいたのだと思う。わたしはその人が自動車製造販売の関連企業に就職したことしか知らなかったし、また「遊びにおいで」が何を意味しているのかも明確ではなかった。わたしがその地の親類の家から、待ち合わせの場所まで出かけて待っていると車で迎えに来て、そのまま車を走らせ午後から夕方まで車の中で話した。しかしそのまま車の中で話すだけで何事も起らず、時計を見ると真夜中になっていた。ところがどこにも行くわけではなく、そのまま明け方まで話してしまった。何を話したのか忘れたがすべて車の中で会話して数十時間が経過した。われわれはその会話だけで手を握るわけでもなく抱き合うわけでもなく、淡々と時間が過ぎた。つまり友達以上でも、以下でもない関係で時間が流れた。結局そのまま東京に帰った。それからお互いがそれぞれの相手と結婚した後まで友人関係が続いた。それだけであった。そして十年以上経過してから彼の妻から彼が亡くなったことを意味する葉書をもらった。今思うと、あの手を握らなかった夜の意味が何だったのか?何となく判ってきた。彼は一歩踏み込む勇気もなくわたしにもその勇気もなかっただけ。どちらかが踏み出せば何とかなった関係だが、それ以上何も起こらなかった。しかし後で彼がわたしの書いたものを読み、何か意味あることを述べていたのを記憶している。それが何であったのか不明だが、お互い愛し合う勇気も度胸もなく、お互いの成長を確認しないで時間が過ぎただけだったと思える。最初に殺人を犯してみたい人がいると冒頭で書いたが、彼が言っていた言葉がある。「殺人と銀行強盗を一度してみたかった」と。あの言葉に何があったのか、今もって何も判らない。
2020年02月02日 09:12