高杜 一榮の世界

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モノローグ(姓名判断教室)

20210109土曜日

普通の人々は何故自身の飲んだコーラやジュースの瓶を買った自動販売機の前にうず高く放置し、平気なのでしょうか?自身の家から歩いて五歩程度の位置に自動販売機があり、そこには買って飲んで空にしたコーラやジュースの瓶を放置する人が大半で、特に男性は必ず平気で放置する到って無知で礼儀知らずに思います。なおかつその捨て方で品性が低いと判断されます。大抵飲んで空の缶を捨てるのは女性ではなく、男性です。女性が立ち飲みし、その缶を投げ捨てる姿を見たことがありません。何故女性は礼儀を知っていて男性は平気で缶を捨てるのでしょうか、不思議です。同じニンゲンなのに、なぜこうも品性に落差があるのでしょうか?わたしはそれは幼少期からの躾に起因していると思われるのです。家庭では父母は息子には男らしく娘には女らしく躾ているようですが、どうしてそのような子育てをしているのでしょうか?男性は飲んだ缶を放り投げて去っていくことを何とも思っていないのでしょうか?それはやはり家庭での息子と娘へのしつけ方が異なっているためと推測できます。大抵の家庭では息子には男らしく、娘には女らしくと育てるため、そこで飲んだ缶の捨て方が「性別」によって異なってしまったのではないでしょうか?自身の観測では男性の中には飲んだ缶をきちんと品良く捨てる人は少なく、女性はきちんと捨てていると観測できると思っています。どうか缶の捨て方にも品位のあるなしが査定されることを意識していただきたいと思います。おそらく品格のある方は理想的な缶の捨て方をすでに習得していると感じます。毎土曜日瓶や缶、ペットボトルの分別のための箱が置かれます。そこでいつも感じるのは、こうした些末な行動もその人の人生の微妙な感性に影響すると思われるのです。優雅で理想的な人生のためには缶や瓶の捨て方にも品性が疑われるということを忘れないで頂きたい。
2021年01月09日 08:16

20210108金曜日

早いものであっという間にもう8日になりました。その間何をしていたかといえば、あるトラブルに頭を捻っていたというわけ。実はわたしの母がわたしが七歳頃、横浜市のある土地を買ったのです。その土地は噂では前天皇陛下が皇太子の頃散策に訪れ「この辺りは緑が鬱蒼として素晴らしい、この景観を失わないようにしたいものです」という内容のことを述べられたそうです。それ以来そこの土地が緑地風致地区になり、誰も建物を建てられない土地になってしまったわけ。その土地を兄は陶芸の仕事場として使い、その後誰も訪れないジャングルになってしまいました。ところが数年前某人物が無断でその土地を耕し、畑にして野菜を植えその野菜を親族の店で使っていたということが判りました。それでその無断使用の人物に弁護士の指導通りの文書を出し、念書を手に入れました。しかしその念書もあまり効果なくその挙句最近になって、その土地が崩落の危険があるので、何とかして欲しいと近隣の地主が連絡してきたのです。その書面に、崩落を回避する処置をして欲しいと書かれていました。自身は、当方では崩落防止の妙案も資金もありません。もしよろしければ土地を売りますがいかがか?と書いて送りました。現在その返事はありません。このようなトラブルになったのも、無断で使用した人物が崖を崩し畑にしたためである、と思ってその人物にも責任あり、と考えました。それでその人物にも「出るところに出る場合はあなたも出てきてください」と書いて送ってあります。母は将来自分が買った土地で娘が四苦八苦するとは想像だにしなかったでしょう。どういうわけか母も兄も土地を買うのが趣味で、わたしは愛知県犬山市やそのほか熱海の函南など数か所に土地があります。どなたか買いたい方はお知らせください。函南の土地は顔を上げれば富士山が雄大にひろがり、非常に気持ちの良い眺めです。どうぞよろしくお願いいたします。
2021年01月08日 07:37

20210102土曜日

もう新年二日目です。早いものですね。一年が終わって新しい年になってあっという間に二日目。最近昔使っていたノートをたまたま本棚の中から見つけて、開いてみたところ、昔書いた文章が、全く古い気がしなくて、十年前のものでも、四十年前のものでも、大体似たようなことが書いてあって、何だか昔も今も成長していないのだ、と改めて思いました。何故なら四十年前に映画作りたいと、夢を抱いていたのが、今でも同じことを思っていて、何年経っても夢は変わらず、そのまま少しも損なうことなく、夢が血をもっているごとく息をしているのを感じました。それが何故か、自分のことながら「不憫で」なおかつ「憐れで」我ながら諦めないところは、どーいう脳をしているのか、と呆れます。ところで最近妙な夢を見ました。ある人物と不愉快な関係になり、夢の中で七転八倒の苦しみを抱いていたのです。呆れました。夢の中でも人間関係に苦しんでいたのです。しかし夢が覚めてみるとあれは何だったのか?と理解できませんでした。夢は勝手にわたしの中でドラマを作ってわたしの脳を玩具にして遊んでいる風でした。覚めてみるとその夢があまりにもリアルで驚いてしまいました。今年は自身にとって、進歩の年にしたいと思っています。少しでも進歩ができるように頑張るつもりです。
2021年01月02日 16:56

20210101元旦

あけましておめでとうございます。2021年が新たに始まりました。昨年はコロナを皮切りに日本中が湧いて、ざわざわごちゃごちゃとまるで噴火直後の溶岩の崩落をみているようでしたが、今年はもっと優雅にもっと静かに美しく爽やかに行きたいものです。だがそうなるかどうかは、不明です。新年早々何が出てくるか、不明です。しかしわたしたちニンゲンはそれなりに知性と教養に恵まれているいないに関わらず、それぞれが幸福を味わう権利を与えられており、それを駆使して楽しく生きて行ける筈です。つまり幸福と輝かしい暮らしを得られる権利はそれぞれが持っているはずなのです。究極の結論は幸福は自分が造るものという当たり前の常識を知ることが肝心。自身が不幸だ、恵まれないと思う方がおられるとしたら、それは簡単に切り替えができることになっております。2021年はこれまでにない自身の幸福を味わえることに「誰でも」なおかつ「どんな状況にいても」なっているのです。それを充分理解した上で今年を暮らしてください。自身も偉そうなことを言ってますけど、他人が自分の人生を左右するとは思いません。あくまでも自分が舵を切り生きてゆく、それが一番幸せの道です。どうぞ2021年をたっぷり幸せの光で満たしてくださいませ。
2020年12月31日 07:09

20201229火曜日

年末も29日になるともう正月になった気分で、過ごしているようにみえるが、そうではなく自身が次第に「一人では暮らせない怠惰なニンゲンになっている」ような気がしてきているのだ。元々怠惰でなおかつシャカリキに暮らすのが嫌いな性格なので、年末が来ても正月が来ても台風が来ても嵐が来ても、太陽の眩しい光をみても「ふーん、皆元気のようね」とぼんやり暮らしている。冷めているわけではなく、脳の働きを故意に止めているようだ。何故なら他の人がやっていることと同じことをしたくないため。ところで来年の叶えられるか叶えられないか不明の夢を吐露しておきたい。吐露などとやや「生意気な言葉を使いたくないが」吐露に間違いない。マグロのトロとは異なる。来年は念願の自作の映画化の準備をしたい。話は別だが、最近のテレビを見ると、何故か皆勝手なことをやりだしていて、見て居られない。多分視聴者に迎合するあまり、程度を下げたり上げたり常にスタンスを頑固に守って番組を作っているような印象がない。あるところで新規の番組が評判を呼ぶと、それと1ミリ程度異なったような類似している番組を制作してなんとか”世間体を守っている”ようだ。生意気な意見で申し訳ないが、一番腹が立つのは誤字が修正されないで通過していること。この前は「健在」を「建材」と誤字を並べていた。後で修正を入れれば良いが野放しなのが困る。誤字が判った時点でその都度、報告し謝罪すべきと思う。何しろ日本には多くの外国人が来て日本語を学んでいる。皆その日から日本語を、漢字を使いたがる。なのでなるべく正しい字で発表するのが望ましい。自身も誤字を平気で書いてしまったことを後で気付く。日本は日本語の漢字で文化が海外へ出て行く。その点誤字には気を付けたい。自身もこの欄で誤字を自ら発見して、愕然としたことがあった。ともあれ来年が輝かしい麗しい年になるように祈ります。
2020年12月29日 08:47

20210118月曜日

最近はコロナ騒動でコロナという文字が目立つ。テレビでコロナという文字で視聴率を高めているのが判る。しかしながらこのコロナであっという間に世界中で数百人が亡くなっている。現時点でその数字を持ち出してどうのこうのと呟いても始まらない。しかし脳裏の隅に「この際だからコロナになり急死する」という不埒な発想が走る。時々自分の脳の隅で「不埒」でなおかつ「ふてぶてしい」発想が起きるが、脳は勝手に動いて、本体(自分自身)とはかけ離れた発想をする代物らしいので、悪口も言えない。この「コロナ騒動に紛れて死んでしまう」という発想はなかなか素晴らしい。例えば時々「死んでしまいたい」という自身の本音とは異なる発想が芽生えることがあり、その着想は最適なアイデア。「〇〇さん自殺したんだって」と言われるよりも「まあ、お気の毒、コロナで急死だって」「でも自殺よりはましね」と言われるのがアイデアとしてはなかなかイケている。と、ほとんど人生に逃げ腰、自身の本音とは裏腹な発想を時には手にして弄んでいるような感じだ。しかし早くコロナ騒動が過ぎて行ってくれないか、まともな暮らしになれないような気がしている。
 
2021年01月18日 07:21

20201227日曜日

年末になると必ず大掃除とか、来年のための準備とか色々な作業があるのだが、元々怠け者でほとんどマイペースで過ごすことに慣れているせいか、切羽詰まった感じはない。だがテレビを観ると皆右往左往している様子で、忙しなくしていなければならない、と思ってしまう。しかし、自分以外によって指図されたり、命令されたりしたくないので滅多に慌てない。今考えていることは、自身のCGを中心にしたショートムービーを制作したいこと。それができれば毎年その制作を続け、年に一回の映画を世に出して行きたい。ショートムービーなので、ストーリーはそれほどなく、自身のCGを使用し、画面に詩のようなツイッターのような文をつけてインターネットで流す。これを完成させるとすれば、数百万はかかるだろうと思う。そのためにはまず資金をこさえねばならない。この計画のため寄付を集めることにしたい。そんなことを叶えられるかどうか不明だが、考えている。夢は夢として口外すれば叶う可能性はないことはないけれど、今までよく自身のCGをPRもせず、そのまま冷蔵庫に寝かせていたごとく時間だけが経過した。それにしても結構のんびりしていると自分ながらあきれてしまう。だが、結構しぶとく長い間夢を持ち続けていた、と自分ながら諦めない性格を他人事のように見ている。しかし昔から諦めない性格であるのを、知っている。くじけそうになっても「いや、絶対やる!」という根性の奥に力瘤が出来ているらしい。
2020年12月26日 19:08

20201226土曜日

このところ疲労が続き、現在何もせず猫の世話をしているだけ。年末の掃除も毎年の習慣の年賀状造りも遅々として進まず、疑問符のような日々を過ごしている。誰のせいでもないしいってみれば年のせい。こうなるとは解っていたが、何もせずボーっとしているのはほぼ毎年同じといえる。久しぶりにNHKの大河ドラマを眺めていた。疲労は肉体的ばかりではなく精神疲労もあり、元に戻すのは結構大変かもしれない。年末なので来年の抱負を少しだけ考えた。来年は今までしていなかったことをしたい。例えば友人知己を突然訪問するとか、または突然旅に出るとか、自身が今までやってみたかったことをしてみたい。出来るかどうか不明だが、気持ちだけでも踏み出すエネルギーを魔女が丸太を上下しただけで、理想通りの小さな未来を生み出すようにやってみたい。大河ドラマを観ると何故か作者の名前を知りたくなりウイキペディアで調べたが、あまり多くの情報を得られなかった。ウイキペディアの情報は限りがあるらしく100%の情報は取得できないようだ。自身のウイキペディアを観たことがあったが、恐ろしく様々な情報が入っていた。過去の作品がすべて出てきたのにはかなり驚いたが、逃げも隠れ眼せず沈黙するしかない。こう長く生きると恥や外聞を気にしなくなってしまうらしい。ウイキペディアに対しては、もっと詳しく書いてくれればよいのに、と思った。日本で初めてコンピューターを導入をした人物として日本経済新聞に掲載された情報だけ抜けていた。ウイキペディアも完璧ではないのでしょう。
2020年12月26日 13:30

20201220日曜日

このところ年末ともなると過去の写真などを見つけたりして久しぶりに思い出すことが多くなった。それでその過去の中で「あの時はこうすれば良かった」「ああ、あの人はおそらくこう思っていたに違いない」など過去の一場面を思い出し、ほとんど自分が真実を理解していなかったのではないか?と振り返ることがある。例えば二十代のころに出逢った某男性が地方のある会社に勤務していて、自身が彼を訪問し、帰ってきたことがあったが、あの時点でその人物を好きだったのか、それともどうだったのか、を思い出し、もしかしたら彼と結婚していた可能性がある筈が、信号を見誤っていたのではないか?などと奇妙な妄想を広げてしまった。その当時はほとんどまどろみの中で覚醒度が低かったから、感じることも感じずに時が経った。その後わたしが小説を書いているのを知らせたら、再会をすることになった。その際も普通の友人関係として、話していたが、もしかしたら相手の心理を把握していなかったのではないか、と今になって思う。こういう埒もないことを今モソモソと思い返しても何の足しにもならないが、ひょとすると小さな(もしくは大きな)宝石を無駄に河に流していたのかもしれない、と思えてきた。年取って何の足しにもならないことをグズグズと思い出しているのは、自身があまりにも子供であったために損をしたことになったように感じる。つまりもう一つの人生があったのではないか?と自分に問い正しているのだ。だがすでに時間が経過しているので、当時の薬缶に湯気が立ち上っていたのを、今思い出したからといって、お湯を取りには行けない。そう考えるとそのポイントが一個ではなく結構数があるのを感じる。しかし黄泉の国に旅立つ前にいろいろな引出しを開けて空にしてから旅立たねばならない。年末の心理状態としては何故かほとんどボケ老人の戯言に聞こえそう。しかし今の年齢で過去の愛や恋を思い出して相好を崩すなんて非常に贅沢で見方によっては変人とか奇人に思われそう。実を言えばわたしは正真正銘の変人だと思います。
2020年12月20日 16:10

20201218金曜日

今日地震の報道があったが、不思議なことに自身は昨日その地震を感じていた。だが昨日は「テレビをつけても地震報道がなく、わたしが感じたあの奇妙な感覚は何だろう?」と不思議に思っていた。昨日味わった地震は、揺れてはいるがいつもの地震ではなく、何となく迫力のない揺れで、そのためテレビでは報道が見当たらないので「あの感覚は何だったのだろう」と首を傾げていたのだ。その感覚は地震らしくない地震で、何だか強くなくまるで地震を少し強度を弱くした感じで「この揺れは何なの?」つまり地震にしては何だか地震らしくないただの風のようで、奇妙な感じ。すると判った。あれは地震からの特別なお知らせで、つまり「予告編」だったのだ。本当に地震がこれからありますよ、というお知らせだったから、迫力がなく、揺れが強くなかったのだ。つまりわたしは某所(神様に近い存在)からテレパシーで地震を予告された、ということになるのだ。あれは予告編らしく、迫力はなく、まるで「ふんわりした綿菓子のような揺れ」だった。だがその時にわたしは「地震だ」と把握していた。テレビをつけたが地震報道がないので首を傾げていたのだ。それでその一連の流れを、予知能力に似ていて、地震を前もって誰かがお知らせをしてくれたのではないのか。それで今「なるほど」と思っている。世の中奇妙なことがあるものだ、と思っている。熟慮すると、わたしを守ってくれている守護神殿が、地震がこれからあるよ、と教えてくれていたということになる。
2020年12月18日 18:33