高杜 一榮の世界

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モノローグ

20200101水曜日

そういえば離婚をした時に、配偶者の親戚の人と話す機会があったが、その際先方から言われた言葉があった。わたしたちの離婚は慰謝料を貰わないという条件になった。母に離婚のことを話した時、慰謝料なしで別れると告げたら「それで良い」と言われた。なにしろ夫側の申し出で離婚になったので、こちらは受け身。しかし真実の理由はあまり話したくない。何故なら夫の名誉に関わり、ひいては自分にも損である。しかし母の世話をしてゆくとその時点で決まった。母を大好きだったので、その道を選んだ。元夫の親族はある食品のメーカーで大々的に運営していたので、離婚を不審に思っていたらしい。親族から「何故慰謝料を請求しないのか?」と疑問をもたれた。大抵の女性は慰謝料を請求するのが当たり前と思っていた時代だったように思う。慰謝料なしで離婚して、母と暮らした。その後夫の親族から連絡がありその際毎回のように「あなたは損をしましたね」と言われた。だがその意味を理解しなかった。損したとは思わなかったから。それに部外者は損得で考えるから、何を話しても理解してもらえることがないと推測していた。18年の結婚を離婚で終わらせたのは夫だったが、皆それは私の側に落ち度があったためと推測していたような気がする。しかし毎回「あなたは損をしましたね」と毎回電話で話す度に言われた。それは凄く面白い現象だった。大体損得という勘定で暮らしていなかったし、大体人生をあまり深く考えないで歩いてきたので、誤解されても気が付かなかった。そしてこの年になって婚家の親類から「あなたは離婚で損をしましたね」と毎回言われてあまり考えもしなかったが、どうやら先方の考え方は離婚の際の慰謝料を求めなかったのでわたしに落ち度があったと思っていたらしい。誤解だったが訂正もしなかった。母に「あなたは損をしましたね」と婚家側から言われたと話した時、母は笑っていただけだった。しかし何故笑ったかといえば、簡単なことだ。わたしが離婚したのは金が問題ではなかったこと。やはり商家の家族と、画家の家族の相違で、わたしが離婚した際に慰謝料をもらわないで平然としていたのは芸術家の家に生まれ育ったためだった。つまり価値判断が異なっていたためだった。それが「損しましたね」という商家の出身の言葉との相違になっていたのだ。損をしたかもしれないけど、肝炎になり死にそうになっていた人から金をむしり取ることはできないはずだったと今になって思える。愛し愛された、悔いはない、というのが今の心境だし、今でも夫のことを心底愛しているといえる。そのため慰謝料をもらわなくてよかった、と思える。ちなみに今現在住んでいるところは母が離婚届に署名したところで、三男の兄が離婚届に署名したところで、わたしも同じこの家で離婚届に署名した。不思議な一致は、おそらく何かの因縁のパワーかも知れない。しかしながらかなり若死にだったといえる。なにしろ五十にならないで亡くなったのだ。新年になり改めて過去のことが鮮やかに浮上している。
 
2020年01月02日 07:06

20191229日曜日

最近猫を飼っているのでペットフードを買いに行く。PFの種類も豊富で乾いたPFペースト状のPFなど多数。それを毎日飽きないように交互に選んで与えている。名前はナツキ。なぜナツキとつけたかといえば、ある日遠くからやってきたような猫が家の前の塀の上に歩いていた。すぐ台所から食べられそうな魚の缶詰を出し、中身を皿に入れ、出してあげた。するとお腹が空いていたらしく全部食べた。翌日もまた来て、同じように出してあげた。するとペロッと残さず食べた。三回目に来たときは両足でわたしの肩を抱くようにした。それが「これからもよろしくお願いします」の挨拶だった。わたしにすぐ懐いたのでナツキと名付けた。毎日PFを考えているうちにスーパーのペット用品売り場に行き、買い物をするようになった。ナツキはだが習慣がある。なにしろPFを食べ終わると必ずといってよいほどすぐ外にでてゆく。それでいつくるか、いつくるかとわたしは待つようになった。その習慣が気になったので「お前は食べたらすぐ外にでてゆくね」とちょっと怒った様な顔で言ったら、次に来たときに、帰るときにわたしの頬にチューをしてくれた。猫もちゃんと話せばよくわかるのだ、と理解した。最近では話しかけることにしている。「ナツキ、お前はわたしと一緒にずっと暮らすんだよ。お前はわたしの相棒だよ」「死ぬ時も一緒だよ」と言うと驚いた顔でわたしを茫然と見つめていた。あの眼に恐怖感が混じっていなかったとはいえなかった。猫でも人間の気持ちを理解するのだ、と最近は思っている。今では人生の相棒になったナツキは今日もわたしのそばで爆睡している。

 
2019年12月29日 09:57

20191228土曜日

幼かった頃六本木で育ったわたしは、三歳か四歳ぐらいの可愛らしい金髪の女の子ジミリュウと親しくした時期があった。自分が二つほど上だったのだが、今思い出すと彼女との付き合いがきっかけで外国語に興味を抱いたのだと思う。自作にも書いたが、毎朝彼女はわたしの家の雨戸を手で叩き「アケテヨー」と覚えたばかりの日本語で叫ぶ。すると家族が起き、長兄が雨戸を開けると、彼女は飛び込んできてわたしの布団の中に潜り込む。二人でキャッキャッと戯れてそれから庭に出て遊んだ。わたしがミリュウを可愛がってくれていると知った彼女のママはランチに招待してくれた。その後横浜にドライブに連れて行ってくれたりした。彼女と過ごしたほんの短い時期はその後わたしの脳裏にくっきりと残っている。後で彼女の国アメリカが日本と戦争し、日本はその国によって原爆を落とされたのだ、と学んだ。しかし当時の父母はアメリカが原爆を落としたとも、アメリカは恐ろしい国だとも言わなかった。その上彼女のパパがパイロットだったが、パイロットの彼女の父が戦争に駆り出されていたかどうか、なども全く知らない。そうだったとしても、父母はアメリカに対して敵意を抱いていなかった。父によれば戦後働くところのない頃、横浜に行き、軍艦が着くとアメリカ兵がどんどん降りてくるのを待ち、似顔絵を描きますと手振り身振りで言い、ドルを稼いだという。父母のその苦労を今思うと内心表現できない気分になる。
2019年12月28日 08:43

20191227金曜日

最近周囲に滅多やたらと日本人ではない人種が多くなった。ひところの豊島区とは異なり異邦人の村という感じ。それというのも風貌も日本人とほとんど異なるので一目で判る。彼らはかなり日本に慣れてきて、日本語もうまくなってゆく。だが、次第に日本人の良さが減ってゆくのではないか、と気にかかる。例えば狭い道を歩いていると、向こうから同じように狭い道を歩いてくる人がいる。傘でもさしていると、傘をたたまなければ通れない。真っ先に傘をたたむのは日本人側で、向こうの人はすぐにはそう反応しない。これなどもほんの一例だが日本人の心遣いや、ほんのちょっとした親切が無視されたり、またこちらの親切を期待して行動しているような事態になる。つまり消えてしまうような「ほんの小さな心遣い」などはあたかも降ってきた淡雪のように消えてしまう。時代が変われば小さな心遣いなどは次第に摩滅してなくなるのだろう。そういえば、と思い出す。過去にかなり良い家柄で育ち、成人してから、実際に良家で育ったために、あり得る細かい流儀などはなくなって「わたしたちの時代とは異なってきて、苦労する」というようなことを面と向かって吐露した方がいた。その人が言っているのは「時代が変わったので自分たちの良識ある流儀が廃れた」ということだった。今から五十年ほど前のことだ。あの時点でそれを味わっていた人がいたのだ。つまり今自分が味わったことと似たような場面が過去に存在していたというわけだ。つまり多くの人がその時代が変わったために、味わう新しい日本人の姿に戸惑っている、ということらしい。わたしは今になってその人の慨嘆を思い出した。良き時代を通過した人々はそうして慨嘆しながら消えてゆくらしい。かく言うわたしも、同じように「昔は良かった。世の中変わった」と慨嘆しながら消えてゆくことになりそう。それがどうした?と言われそう。
2019年12月27日 18:57

20191226木曜日

あるところで働くことになりました。なにしろアパートの居住者が故郷に帰ったまま家賃未払いで、当面状況が変わらない。大体元々天然系の性格なので、自身の状況を悲愴に感じないという極めて優れた感性をしている。そういえば数十万の家賃を踏み倒された経験を持っている。その際も踏み倒されても、払ってもらえる機会もあるだろう程度の感じで厳しい請求をしなかった、ようだ。今は忘れてしまったのだ。小学生の時に極めて算数数学の成績が悪かった。母は父に相談した。すると父は「女の子は計算高くない方が良い」とか述べたという。計算高いのと、算数の成績とあまり関連性がないような気がするが、なにしろ娘の教育に関しては、ほとんど無策に等しい両親だった。そのためわたしは金銭的に「ヤワ」でかなりおバカな女の子として育ったようだ。家賃を踏み倒された際にはいつか払って貰えるとかなり茫洋とした思いでいたらしい。今となっては親の教育が悪かったと親に文句を言うなどは到底できないし、自分が一番しっかりしなければならない、と自認すべきだ、と思うようになった。この年で?!考えてみれば学校で算数数学をきちんと習っておかないと、将来の人生の岐路に関わってくるのだとだんだん解ってきた。わたしが算数の成績が悪かったので、家賃の踏み倒しなどの被害を被ったのだろうか?関連性があるのか?そう思われても良いが、わたしは交渉は苦手ではない。金銭的に損することがあるが、人に迷惑や損害をもたらす人はそのうち天か神かどちらかからお裁きが必ずあると思っている。そのために損をしてもさほど身に沁みない質らしい。とはいえ、踏み倒された記憶はいつまでも消えない。相手の名前と出身地を今でも脳裏に燦然と輝いている。
2019年12月26日 07:51

20191222日曜日

このところ多忙で眼と脳ミソが地球を一周回って戻ってきた感じ。なにしろ某事情で働きに出ようと決意し、就職先を探しているのだ。だがどうも「どうせ腰掛程度」または「それ以上で暇な老けた女性が暇つぶし」に見えるらしく警戒しているらしい。でも新聞やネットで探せば莫大にありそう。それこそほとんど掃除のおばさんでも良いから、という気持ちの人々には「引く手あまた」のようだ。自身のように「なるべく以前やっていた仕事に近い職業を」探そうとしているので、見つからない。自身の文やCGを活かせるところ、となるとあまりない。一応慎重に探しているので見つからない。その上年齢制限もある。というわけで毎日暇を持て余しテレビを見て暮らしている。最近三人の人を殺害して無期懲役の判決を言い渡された青年がいる。その青年が裁判官が「無期懲役の判決」を言い渡した際、「万歳三唱」したという。万歳三唱を叫んで何か世間にアピールしたかったのか、わからないがそのニュースを見ているうちにふと「親の顔が見たい」と呟いていた。だが「親の顔が見たい」という言葉はほとんど死語みたいに最近は言う人がいないらしい。だが直後わたしの耳に「お前の顔を見てみたら?」と聞こえた。誰が言ったかわからないが、天の声かまたはわたしの深層の声かもしれない。わたしは思わず「なるほど」と呟いていた。
2019年12月22日 11:26

20191218水曜日

新しいノート型パソコンにしてからこのACERという機種に慣れるのがまるで初心者の山登りのようでほとんど汗まみれ、心臓ドキドキ、景色を堪能するという余裕さえなかった。だが大体焦らない、負けず嫌いではない性格が幸いしたのか、毎日少しづつ進歩してきたらしく、なんとか使えそうになってきた。しかしながらパソコンを日本に導入した先駆者つまりパイオニアとしては、なんたるヨチヨチ歩きだったか、信じられない。だがパソコンには一番大切なのは慣れること、そして放棄しないことが一番重要だとあらためて気付いた。とにかく転んでは起き上がり、蹴っ飛ばされては立ち上がりとまるで勝ち目のないボクシングの試合の選手のような状態だった。昨日や今日になり「ま、こんなもんでしょうね」「あなたは良くわたしを導きました」とパソコンに囁いている状態。パソコンに慣れたとはいえ、まだ判らないことが莫大にあるので、毎日が修行の日々。ま、そのうち悟りの境地でも開かねばならないと考えているのだ。ところで、猫のナツキは昨日いつの間にかそばにいないので探したら押し入れの中に入って爆睡していた。彼女は自身で居心地の良い場所を見つけるのがうまい。猫としては上級に入るかもしれない。時々彼女に人生の歩み方を教わっていたのだ。
2019年12月18日 07:39

20191217火曜日

最近の傾向はどこに行ってもIDとパスワードを請求されること。何故か知らないが玄関払いを喰わせたいのか、IDとパスワードを入力しないと、相手にされない。自身のこのページは誰でも入れるようになっている。しかし疑問は何故IDとパスワードがないと入れないようになっているのか?それは妙な悪戯や、心無い者の理由のない書き込みが怖いのかもしれない。だが新聞に載っている有名な人々は誰が買って読むのか知っていても知らなくても平気で写真を載せている。ある時選挙のポスターの写真が悪戯されて画鋲だらけだったことがある。あれなども本人にとっては、許せない出来事かも。ともあれ、人間生きていると、のし上がる人、足を引っ張る人と二手に分かれるらしい。そういう何故か索漠とした世界に清く正しく朗らかに楽しく生きられるのは、余程の楽天家でしかないかも。かく言うわたしは大の楽天家で無防備で考えずに生きている。亡くなった夫はあまりにも、天真爛漫で無防備なので「おまえは畳の上で死ねない」と言ったことがあった。それは妻があまりもノーテンキで周囲に配慮しないで、生きていたからだったようだ。夫はサラリーマンで生きているうちは相当激務で朝五時頃から仕事してそのまま出社、夜は十時十二時などほとんど休む暇もなく働き、時々明け方に帰ってきた。会社に相当酷使され、その後戦死したように亡くなった。病院を出たり入ったりしたこともあった。その時期のことで思い出すことがある。ある日体が弱い自分の未来を予知していたような言葉を吐いた。「こんなに病気でお前に世話になり、申し訳ない。回復したら一生懸命働いて楽させてあげるからね」と述べ私の前で泣いた。その時のことを日記に書いていたが、その言葉を読んだら泣けてきた。今生きて楽しめているのは彼のお陰だが、亡夫には言いたいことがある。あの世で再会したら、その時に話すことにしている。内容ですか?それは自作の中でお知らせします。
2019年12月17日 09:25

20191216月曜日

世の中わけのわからない出来事が多い。例えば箱根かどこかでイノシシが出てきたと騒いでいて、捕獲をしようとしても捕まらない、というテレビの報道。あれって本気で捕獲しようとしているのかどうか、疑問に思った。何故なら皆蝉やバッタなどを捕るような網みたいなものをそれぞれ持って追いかけているんだけど、どうしてそんなちゃちな網で捕れると思っているのかどうか、大人がやっているとは思えない。それとも世界的にどんな生き物でも生存している動物として獰猛な生き物だったとしても、単純に相手にしてはいない、という体制なのかどうか、という疑問がある。つまり蝉用の網以外のもっと大きな網で、それこそ四畳半用に作られた昔の蚊帳みたいな大きな網を用意して追いかけてみたらいかが?かと思う。もしかして世界的に「日本人はまだいたいけなイノシシを大きな網で捕って、あれは殺して食べるのかも」と思われたくないという考えが底にあるのではないか?と疑惑を抱いてしまった。つまりイノシシが人間を襲って殺される事件があったら、その際に一気に「やってしまう」ということなのか?わたしは疑問を抱いている。特に日本人は誰かが一名死んだら動き出すという姿勢があるのではないか?そのほかの疑問としては、最近かなりの資産家である人がお金を見せびらかして万札の束の犇めく鞄を見せていた、というニュースを出していたが、表面だけ報道して、彼の深層の部分ををおもんぱかって心理的な部分も伝えていないような気がしたのだが、間違っているだろうか?
2019年12月16日 09:35

20191215日曜日

友人のご主人が亡くなったというお知らせをいただいた。年末になるとこの種のお知らせが多い。その葉書には何が原因で亡くなったのか、病名も原因も書いてなかった。おそらくかなり複雑なストーリーがあるのかもしれない。だが思い出すのは彼女のこと。今よりも若かったわたしは二人のなれそめを知らないが同じ職場で働いたこともあるので、ご主人のことを知っていた。そのため病名を伺うこともしなければならない、が何かが胸の中でそのための電話を留められている。つまり友人の配偶者の亡くなったことを知りながらその一連のストーリーを伺うのをためらっている。何故なら自身は最近あたかも仙人か世捨て人か何かにすでになっているような気になり、世間の通常の礼儀やしきたりに背を向けていても許されると勘違いしているらしい。元々葬式や結婚式や何かの集いなどに積極的に参加しない傾向にある。「人嫌い?」とも違う。自身は人が大好き。犬や猫が好きと同じに人間が好き。しかし人間は犬や猫と違い結構気を使う。猫なら窓から入ってきて、黙って布団の上にゴロンと寝て、ムクッと突然起きてPF(ペットフード)を求め、食べたらすぐ外に出かけるのを習慣にしている猫のナツキとは異なり、それなりに対応しなければならない。それが難しい。だからそーいう意味においては、気を使わないで済む猫が好き。というわけでニンゲン好きだけど、フツーの人間との暮らしは面倒なので、あまり付き合わない傾向にある。というわけでご主人を亡くしたばかりの友人に何を言うべきかを考えつつ時間だけが過ぎて行く。さりげなく小さな花を買ってお訪ねするのも一案、仙人もしくは世捨て人らしい訪問をしてみたいと願っている。「それって何?」とおそらく、日本人としてまっすぐに正しい道をきちんと歩いていらした友人からは厳しい言葉がありそう。
2019年12月15日 19:15