高杜 一榮の世界

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モノローグ

20191211水曜日

実は自身は姓名判断の趣味を持っている。これは数十年前からの趣味で、いわゆる琴とか三味線とか、日舞やダンスなどとほぼ感覚は同じ。姓名判断に興味を抱いたのは、母親の影響が強い。彼女は姓名判断で子供の名前を付けていたらしい。例えば本名の高木一榮子は姓名判断では真ん中の木の字と次の名前の一の字を足して五画。5の数字は吉にあたる。全体を足して、つまり高、木、一、榮、子全部足すと32になる。姓名判断中32は大吉数になる。例えばお笑い系のグループ名、クリームシチューも16、関ジャニ∞も24で吉数。そのほか人気が出ているグループ名は必ずと言っていいほど、吉数を持っている。皆姓名判断の吉数を持っているのを確認しているらしい。特に人気商売は16がかなり良い。吉数ではない名前は改名をお勧めする。飛行機事故で亡くなった坂本九氏は、悪い数を持っていた。坂が7、真ん中の本が5、九は2、全体は14。全体が14の数であるのは、本当に気の毒。14が姓名判断中最悪の凶。お子さんに名前を付けるとすれば全部で14になる名前はつけないことをお勧めする。吉数であっても、凶数であっても関係なく順風満帆にいっている方はゼロではない。しかし予め調べておくことをお勧めする。店名をつけるとすれば16になるように命名することをお祈りしております。
2019年12月11日 13:51

20191210火曜日

人生で悩むことは多い。だが悩みがまったくないに等しいがいつも悩んでいる状態が継続する。理由は不明。人間のそれは本来持っている性(サガ)らしい。若いころ、今よりももっと悩みがなかったはずなのに悩んでいる時期が多かった。それもかなり小規模なことで悩んでいた。あまり書きたくもない話だが、離婚した母が別れた夫に対して不愉快な心境にいたためか、わたしにある日宣言した。「お父さんのところからお米を持ってきなさい」実は父母は離婚した後、六本木の土地つきの家を売ることにし、売った額を半分にして別けて離婚した。つまり土地が売れたから別れることができた。父母は四人の子供をいかに二人で別けるか考えたのかもしれないが、息子三人は父が扶養し、娘は母が扶養すると決まった。つまり父は娘の扶養はあまりしたくなかったらしい。一度は兄たちと父と一緒に暮らしたがわたしにとっては、母のいない家庭は居心地が悪かった。それで毎日母の住む豊島区の家に出かけ、学校のカバンを置き、寝泊まりした。学校と父の家と母の家と交互に通っていた。そのため嫌われたと思った父は、娘の養育は母に任せると宣言したらしい。母親は養育費をもらっていないから、悩んでいたらしい。ある日母はわたしに言った。「お父さんのところからお米をもらってきなさい」父の家なら兄たちがいるのでお米はたくさんあるだろう、と踏んでいたのかもしれない。聞いた途端嫌な気分がした。父の家に米をもらいにゆくなど青天の霹靂どころか、搔き曇った天が裂けて火の玉が落ちてくるような気分がした。わたしは重い気分で西武線の電車に乗り、豊島園に向かった。着くと長兄も次兄もいなかった。台所に入り、米櫃を探した。ある場所は分かっていたので、アルミの米櫃の蓋を取り、米を手で握り、持って行った風呂敷に入れた。米が風呂敷に落ちる音が聞こえた。突然玄関に音がした。誰もいないと思っていたが、誰か帰ってきたらしい。わたしは見られるのを憚り、立ち上がろうした瞬間父の姿が見えた。父は米櫃を見て理解したらしく、眼前からすぐ消えた。風呂敷を縛り、駅まで歩いた。西武線の電車に乗った時、人生で一番いやな気分を苦々しく味わっていた。不思議と父に怒りはなく、米を取りに行かせた母を呪っていた。その後母を好きだったわたしは、父のことはそれほど悪く思わなくなり、結婚というものを深く理解できるようになって行った。母に米を持ってきなさいと命じられるほど、父母の離婚後は貧しかった。

 

2019年12月10日 15:24

20191209月曜日

最近テレビを見るとイジメのニュースがあった。男子生徒がトイレの便器の中に頭を押し付けられ、酷いイジメに遭ったらしい。それが元で自殺したというニュースだ。自身なら戦ってぶんなぐってから死を決意するのに、と思う。戦えないし、ぶん殴れないから死んだのだと解るがもっと力強く生きるように何故親は育てなかったのだろう、と疑問を抱く。しかしながらわたしが相手をぶん殴ってから死ぬという発想を持てるのはこの年になってからなので、若いころはかなりおとなしかったと思う。もっとも電車の中で痴漢に遭い、相手を殴ったことがあるので、やれば出来たかも。しかしご両親は悲痛な気持ちでおられると思う。自身が親であれば虐めた子供の親に会いに行き、「うちの子は優しい子でしたからできませんでしたが、わたしは息子の気持ちになってこの際殴らせていただきます」と言いながら両親の頭を思いっきり殴って来ると思う。そうでなければ、死んだ息子が可哀想。暴力はいけないが、やられたらやり返すぐらいの正当な暴力なら許せると思う。だが良識のある知性のある方々は暴力に対して相当硬い感性を抱いているようだ。スポーツで体を鍛えているスポ根系の人々はある意味「正しい暴力」「極めて正道の暴力」を認めているらしい。つまり暴力はスポーツで鍛えている人々には容認できる「きちんとした礼儀正しい暴力」を念頭に入れているようだ。だが誰でもその礼儀正しい暴力を実行できるかどうか、不明だ。暴力はいわば許しがたい行動と捉えられているので、正統派の暴力行使容認派はなんとなく「このへんぐらいはよろしい」という限度を把握しているかもしれない。問題は暴力らしい暴力を行使したがる無頼型の人々。しかし思い出すのは山手線の電車内で痴漢に遭った時、思わずぶんなぐったことがあったが、よくやったと自分でも「自画自賛」している。あの時は十五歳程度だったか。今思い出すと殴った後の相手の男の驚いた顔が滑稽だった。しかし今では痴漢に遭わないけど、あの時、殴ったのは男にとっては、撫でた程度だったのだ、と思うと悔しい。
2019年12月09日 19:19

20191207土曜日

最近ネットにSHOPを作りそこで自作のCGと電子本を販売する予定でいるのだが、そのサイトは同じようなショップのオーナーがそれぞれ店の飾りつけをし、美容やインテリアなどほぼ暮らしに必要なありとあらゆるものを売る店がひしめいている巨大な市場ともいえる。つまりホームページの大中小のショップが軒を連ねて個人が店をオープンしているような感じ。大抵普通であれば不動産屋で店を借り、そこに荷物を運んで店開きとなるのだが、インターネット上では、誰も動かずパソコンがあれば二時間もかからずに店が開ける仕組み。大変便利になってきた。オーナーは家具も売るが大抵はメールで送れる程度の商品が最適らしい。自身のCGと電子本を売ることにしたのだが、まだ店開きできるほど、整ってはいない。これからである。インターネットが盛んになってから、進歩してきたということかもしれない。令和時代のインターネットビジネスということになるだろう。わたしはたまたまお店を開くことができたが、これは道路歩いていたら新しいショーウインドウを見つけて「ここにしよう」と決めたのとほぼ同じ。これからどうなってゆくか皆目先が見えない。わたしのURLは後刻お知らせするつもりですのでよろしくお願いいたします。
2019年12月07日 19:24

20191204水曜日

ネットで小さなショップを開くことにしているのだが、最近のインターネット関連の交流にはまずその専用のIDつまり身分証明書みたいな数字やアルファベットなどの混じった名前を付けなければならず、なおかつそのパスワードを設定しなければならない。その上使用するソフトやデバイスなどのツールは必ずパスワードが必要。たった原稿用紙一枚分の文を書くためにツールであるほとんど無意味なIDを設定し、なおかつそのショップを維持するためのIDとパスが絶対に必要。つまりがんじがらめに閉じ込められる風である。例えばIDとパスがないと埒が明かない。なおかつIDとパスワードをうっかり忘れたり、記入しないとドアが開かないので仕事にならない。これほど厳重にする必要がどこにあるのかしらないが、滑稽でなおかつ馬鹿馬鹿しいほど不経済なシステムだといえる。だがそれらを守らないとどこにも出入りできないし、上級のレストランに断られるのとほぼ同じ程度で規則を守らないとショップ自体が動かない。厳重で厳しすぎる。というわけで自身はやや「落ちこぼれ」状態になりそうだ。でも何故パスワードが必要なのか、悪いことしなければ損害を被らないのではないか?しかしこういう世界叫んでも喚いても相手にしてくれない。というわけで古巣の自身のHPを書きながらブツブツ呟いて「ここなら何も文句言われない」と安堵するのだった。
2019年12月04日 12:15

20191202月曜日

最近古い紙幣を金庫から発見した。それも古い百円。昭和時代に使われていた古い紙幣。これは母が趣味でというか、何か蒐集したかったようで、集めていたようだった。それも明治時代かまたはそれ以前に使われていたと思しき古色蒼然とした紙幣だった。少々金がない時にその古い百円を持ち出し、使っていた。本当は友人に新札と交換してもらえばよかったのだが、そんなことを頼める友人もないので、仕方なく手放した。古い紙幣を銀行に持参し、取り換えて貰ったこともある。何とも居心地の悪い場面だが、しょうがないのでそうして使ってしまった。母が生きていれば「誰かに一時的に交換してもらって、余裕が出た時にまた古い紙幣を返してもらえば良い」というかもしれない。ともあれ取り換えた古い紙幣は二度と戻ってこないが致し方ない。大体金に困ったことが少なかったわたしは金があるとなかった時期のことを忘れて使う傾向にある。でも古い紙幣に興味があれば取り戻すが、現在処分した古い紙幣に執着心はない。残っている紙幣は見たこともない古い紙幣で、明治大正昭和初期に流通していた紙幣のようだ。だが、自身は古い紙幣の蒐集の趣味がないので、おそらく手放した紙幣を取り戻す気はない。そのうち値打ちを考えないで蒐集する癖をつけたいとも思う。テレビ東京で「開運、なんでも鑑定団」という番組があり、数々の珍品や骨とう品が値段を付けられている。それらの品々を見ると趣味で集めた意志が理解でき、お金にしなければならない事情を知らされると何故か同情する気が起きる。蒐集という分野は奥が深いが、集める人の純粋な気持ちを思うと現金化することは可愛がっているペットと別れる時のように思え、涙ぐましい。考えてみれば、物とのお別れは悲しいが、ペットとのお別れよりは、まだ救われるかもしれない。しかし「なんでも鑑定団」に登場する人々の裕福ぶりがかなり過激で、なおかつ「えッ!」と驚くほどの浪費ぶり。「そんなところによくまあ金を使う!」と驚くことが多い。しかしよく考えると、莫大な金額で絵画に金を投じる人が多いのを普通のできごとと受け入れているのだから「どっちもどっち」かもしれない。
2019年12月02日 14:57

20191129金曜日

横浜に土地を持っているが、その土地のことで問題が生じていた。土地は母が今から七十年前ぐらいに買っていた土地で緑地風致地区ということで、住居は建てられない。買った当時は建てられる土地だったが、横浜市から建物を建てるならそのように申告をしなさい、とのお知らせが来ていたようだった。だが母は申告?と聞いて税金がかかると思い、そのまま申告せずにいた。そのため土地には建物というよりも、到底長く住めない小屋ぐらいしか建っていないのだが、どういうわけか長い間放置していた。近くには警察の射撃場があり、大学まで建っている良い環境だが、持っている土地はジャングル状態だ。その土地をいつのまにか無断で使っていた知人がいた。それを咎めて「使わない」という念書まで書いてもらっていたが、つい最近「正式に借りたい」と伝えてきた。それで契約書を作ることにした。その際の先方の人の言い分は「あそこは荒れ放題荒らすと、汚くなるので綺麗にした」という。つまりお礼を述べて欲しいらしい。しかし話しているうちに、どうやら土地を綺麗にしてまた再度畑にして野菜を収穫しているとは気づかなかった。畑にしている箇所は約500坪あるところの五ケ所で全体の20%ぐらいしか使っていないらしい。五ケ所の中にはほんの畳二帖分程度のところもあり、当人としてはその分安くても良いと解釈しているらしい。年間の使用料を書いて契約書の下書きを書いて送った。人間は自分が畑にして耕したところは愛着がでるらしく、どうも自身の持ち物という感覚になっているらしいのが、透けてみえていた。それは当然のことかもしれないが、耕して自分のものになるという感覚に簡単になるなら、誰にも貸せない。ともあれ母も兄も土地を買うのが趣味みたいなところがあるので、困ったものだ。兄が亡くなった後見たこともないところに地所があるのを知ったが、すべて自身で使うつもりはないところは、調べて放置するしかなかった。なにしろインターネットで地所を調べたら山林で道路もなく、どこにあるかも、判らなかった。長兄は生前北海道の富良野に土地を買ったと言い喜んでいたが、不動産屋が再度買い戻したいと述べ、買値で売ったという。そういう愚かな兄であった。目から鼻へ抜けず、目から耳へ抜けてニコニコしている兄だった。家族は大体金銭感覚を厳しく教育をされていないので、損ばかりしている。土地にまつわる話はたくさんあって、自身も伊豆に持っているがまだ現地をみたこともない。近くまで行ったが案内の不動産屋さんが「あそこです」と指の先には二メーターほど雑木が生えた原野が広がっていたのだった。それを見て満足したわけではないが、親子ともども「土地にまつわるびょーき」ってあると思う。
2019年11月29日 08:10

20191127水曜日

最近困っていることを書く。友人にノート型パソコンが壊れてしまった、と打ち明けたら「じゃ新しいノート型パソコンを持ってゆくから、と言われ喜んで待っていた。そしてついにそれは来た。それも濃厚な深紅の派手なカラーでしかも、その深紅の上にキーボードが黒。激しいほど情熱的なノート型パソコンなのだ。それで喜んでいたのだが、扱っているとわたしと同じ性格なのか、天邪鬼で人のいうことにまったく耳を貸さず、激しく自分勝手に動き出すのはほとんど変人に近い。大抵のパソコンはそれなりにこちらの意志を瞬時に察して、さっと自分の思ったままに使える。だがこの深紅の女王様は、いつも背を伸ばし「あーっ!そっちいったらいかん!いかんと言っているでしょ」というように自身の命じたままに動かない。わたしはその都度、一切の操作も辞め、さっと電源をきるために、パソコンから離れる。彼女の恐ろしい命令から逃れるにはそれしかないからだ。それでほとぼりも冷めたころまたぞろ同じことを繰り返す。なにしろ右も左もわからないので、あちこち駆けずり回って、大体どこに何があるかわからないと話にならないから、向こうが女王様なら、こちらは昔あんみつ姫で現在は老齢のあんみつババ。だから相手が「ガーガー」と勝手にやりだすと、ガツンと殴る感じでしかるべきところを押し、自分の砦に帰る。だから仕事がうまく進まない。女王様が疲れ切って勝手にやれば、と諦めるまでバトルを続けるつもり。しかし最近のパソコンはなぜか進歩しすぎて使いにくいこと夥しい。それにこの深紅の女王様はなかなか優秀らしいが、なにしろ性格が頑固で、激しく、命令口調で、時々「好きにしたら!」と怒鳴る。するとわたしは、好き勝手にやって、ようやく自身のCGやら、文章やらを入れることができた。ただまだまだ彼女の全貌を分かっていないので、またバトルがたくさんありそう。しかしこんなに性格が激しくなおかつ素直ではなく、根性が凄いノート型パソコン会ったことがない。しかし昔のパソコンよりも遥かに刺激が強く、まるで登山でもしているような気にさせてくれるので、それを思えば家にいて電車賃払わないで登山ができて、幸せというものだろう。どうやらわたしの人生の相棒になりそうだ。ただまだまだたくさんのバトルがありそうだ。そのうちパソコン相手に銃の打ち合いなどがないように願いたい。令和のノート型パソコンは情熱的ではっきりいえば野生的といえる。機械もニンゲンもさほど変わりないらしく、結構性格があるらしい。転んだらただでは起きないのは人間もパソコンも同じようだ。
2019年11月27日 21:30

20191212 木曜日

今朝新聞を見ていたら、農水省のお役人の父親が子を殺害した事件が載っていた。それを読んだら、思わず「わたしは良い選択をした。こうならなくて良かった」と呟いていた。というのもわたしは成人してから父母の仲の悪さにほとほと呆れて、そのため自身が結婚しても絶対子を作らない、と決めていた。理由は父母のように子の前で壮烈な喧嘩をして子の心を傷つけるかもしれない。なおかつ子供を叱りつけ、このお役人のように殺害に走ることは否定できない。もし子を産んでいたらこのお役人のように子を殺してしまう可能性はゼロではない。それほどカッとなり易いに違いない。自身の選択で幸いなことに、わたしに殺される「運命の子」はそういう事情で生まれて来れなかった。わたしは生まれる予定になるかもしれない未来の子に「ごめんなさいね、あなたを生むことを放棄して」と謝罪した。子を親が殺す事件のある度に「生んでいたら殺していたかも」と思うことは長い人生結構あった。というのもわたしの友人も子を殺しかけた、と聞いたことがあった。事件が起きる度にそう思うので推測は確かかも知れない。ともあれ父母は仲は悪かったが、仲が良い時はないことはなかった。しかし彼らは離婚した。とはいえ法的には籍は変わらず母は婚家の姓のまま亡くなった。母がわたしに尋ねたことがあった。「何故子供を作らないの?」わたしはこう答えた。「離婚してしまう可能性があるから、子をつくっていたらその子が可哀想だから」母はわたしのその言葉にめげずに言った。「親の気持ちを味わうことがないなんて狡い」この言葉を思い出すと母は自分の離婚で孫を持てなかったことを後悔していたかも。四人の子があったのに、孫は約一名のみ。だがある時は母言った。「四人の子を集めてガソリンかけて焼いてしまいたい」それを聞いて配偶者を極めて嫌っていると思えた。母の中に何があったのか、良く判らない。
 
2019年12月12日 09:52

20191123土曜日

実を言えば今年の七月に入院し、手術した。病名はこのエッセイの最後に書く。七月十九日に入院し、手術を二十二日にし、七月末日に退院した。この病気のことだが、わたしが三十年も抱えていた病気だった。最初に三十代でその病気を宣言されたが、医師に「手術しますか?」と言われたとき「いえ、しません」と答えたのだ。医師は「よろしいですよ。あなたの自由ですから」と述べた。というわけで今回何故そんなに手術を遅らせたのか?その原因になったわたしの性格について説明したい。わたしは生来かなりな剛毅な性質らしい。というのもこの「モノローグ」どこかに書いたとは思うが、再度書くことにする。二十代後半に「バセード氏病」に掛かり、その際女医の先生が白い錠剤をわたしに示し、こう言い放った。「あなたは甲状腺ホルモン亢進症です。この薬を一生飲み続けないと死にます」と宣言した。大体剛毅でなおかつ天邪鬼の傾向のあるわたしがその言葉にビビッて怖がると思ったのか、医師は宣言して絶対従うと読んでいたらしい。「飲まないとあなたは死にます」と宣言されたのが、よほど頭に来たようである。わたしには命令は効果ない。わたしはニコリともせずクリニック(その種の病気の専門の病院)を出て家に帰り、夫にも何も話さず母にも何も言わず、毎日プールへでかけ、水の中で歩いたり、泳いだりしていた。それ以前は階段昇るのも汗がびっしょりかいて、心臓もドキドキしたりしたのだが、プール療法が良かったのか、汗もかかず、心臓もドキドキしなくなった。つまり完治したということになる。わたしは病魔と医師の宣言に「勝った!」と思えた。それ以来というより、むしろ生来剛毅で自分の意志を露骨に表しながら暮らしていたので、そのまま続行。それでさっきの話つまり今年の七月の入院について述べる。わたしは乳がんだったとしても手術をしない選択をしようとしていた。三回先生が「手術しましょう」というのを三回とも断った。だが四回目は自ら医師に会い「先生お願いします」と頭を下げた。三十代で医師に背を向けたわたしが老齢となって気弱になっていたからなのか、自ら進んで選択したのだった。今の気持ち?本音をいえば「もう年も年だから、長くないだろうし手術しないでもよかったかな?」と嘯いている。四回目に自らお願いに行ったのは、わたしの「そこ」が自己主張し「あなたわたしを虐める気?」と叫んでいたためだったといえる。この手術のエピソードは続きがある。四回目に先生にお願いします、と述べた際に医師の三十歳半ばの先生は「そうですか、解りました」と笑顔で述べ、その際こう言い放った。「嬉しいです」医師に手術をお願いして「嬉しいです」と言われたのは初めてだったし、滅多に医師という人種は患者に「嬉しいです」と言うことはまれだと思う。その「嬉しいです」が自身も嬉しくて手術が失敗して死ぬようなことがあっても後悔しない、と心の底で思っていたらしい。その後そう思ったことを後悔した。何故ならかなり芸術的な抽象絵画のような傷口を鏡でみるたびに「もっと別な切り方もあっただろうに!」と思うようになった。つまり鏡を見なけれ良いのだけど。
2019年11月23日 15:11