高杜 一榮の世界

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モノローグ

20160105

新年になり何か大きなまたは小さな抱負を、と考えた。やらなければならないことが沢山ある。だが今は戦後の占領時代のことを調べながら史料を読んでいる。不思議なのは、数十年も前に集めた史料で特に多いのが占領時代のもので、莫大にある。それを読む限り、日本には占領し民主主義を日本国民に植え付けるために莫大なアメリカ人がやってきていたのだと判った。一万人以上になるだろう。現在の日本の基地にどのぐらいの人材が駐留しているのか、知らないが、戦後はその数が多かったらしい。その上日本の女性に男女同権、男女平等を「植樹」するために、苦労したという記録もある。戦前は男女同権ではなかったのかと改めて驚く。選挙権もまだだったらしいので、日本に女性の首相が出て来るのは戦後百年以上経過しないと駄目なのか?と不思議に思う。しかしながら自分でも占領時代のことをいつか書くと思って集めていたのか、これほど史料を集めた動機が何であったのか、今もって自分でも判らない。もっとも戦後幼い頃アメリカ人パイロットの娘ジミリューちゃんと遊んだ時期があるので、それが影響しているのかも知れない。
2016年01月05日 09:11

20160104

そういえば母の金難事件を書いてなかった。数十年前の話だが、当時は金融関係の詐欺がマスコミを騒がせていた。ところが母がいつの間にか詐欺の被害者になっていたのだ。ある日母を久しぶりに訪ねたら「金の延べ棒を買った」と言うから驚いた。245万を払ったという。ただその延べ棒はある一定の時期にならないと手にできないそうで、証明書としての書類をもらったという。卒業証書のような感じの書類を一枚見せられた。どうも変な印象がした。それにパンフレットもおかしい。写真が何か「やらせ」的な雰囲気が。そこまで感じていたが、すでに金を払った後だった。事務所に行って返金して欲しいと言うと「今返金すると半分以下しか戻らない」と言われそのまま戻った。結局その会社は豊田商事と同じ末路を辿った。だまされたことは確実だったので、あきらめて追及しなかった。その後被害者の会ができたと勧誘があったが、これも詐欺らしいので断った。あれから数十年、詐欺はいろいろ出てくる。母がそういう経験をしたので、わたしは儲け話には絶対乗らない。「儲けようと思うと人は必ず金を失う」と肝に銘じている。
2016年01月04日 16:02

20160103

新年になり、世界を見回すと時代の足音がザクザクと聞こえてくるような気がする。何しろドイツとフランスにアフリカや中東から難民がかなりの数押し寄せていると言う。日本はその難民を少しは受け入れても良いではないのか、と思う。フランスでは難民受け入れに国民は不安を感じているらしい。日本では戦後すぐ杉原千畝氏が彼の任地で、何千というユダヤ人難民のビザ申請を受け入れて、夜を徹して発行し続けたという。あの素晴らしいヒューマニズムの遺伝子が日本人にあることは確かなはず。皆の心にも一滴ほど残っている優しい心で受け入れることは、難しいことではない筈だ。

ところで昔亡夫に「お前は畳の上で死ねないな」と言われたことがあった。つまり普通の死に方ではないってこと。お正月なのに縁起の悪い話で悪いが、今でも彼の言葉を思い出すと笑ってしまう。今ではタタミの部屋が少なくなっているので当然タタミにお眼に掛かれないけども。彼がなぜそんなことを言ったかといえば、わたしはかなり大胆で、たとえばYa~sanみたいな人がいるとツカツカと近づき、一言いいたくなる。何か気になることがあるとじっとはしていられない、ところがある。ある時、スポーツジムでかなりいかつい感じのその筋のお方が受付の男性に言いがかりをつけ、凄んでいたのだが、それを見たわたしはよせばよいのに受付の人を助けるべく
ツカツカと近づいた。ところが一緒に来ていた夫が、わたしの腕をつかみ、首を振った。行っては駄目だと制したのだ。後で何故止めたのか、と尋ねたら「お前は血の気が多いから喧嘩になって血だらけのお前を抱えて帰ることになるから、怖い」と言ったのだ。止めてくれて良かったといえるが非常に怖がりの人だった。彼は、一歳年下だったが何かあると「おねえちゃま、怖い」といって縋って来る人だった。もし相手が凄んで相当な修羅場になったら相手を傷つけている可能性もあった。良く考えると歩む道を間違ったのかも。そういえば、合気道を習っていた時に、肩で風を切って歩いていたっけ。誤解があるといけないので付け加えるが彼はそういうことを言って怖がる振りをするが、現実はかなり男性的で立派な人だった。単なる演技だったわけ。
2016年01月03日 19:24

20160102

お正月と言いうのにご馳走なし、お餅なし、お酒なしの元旦だった。理由はご馳走造らなかったし、お餅を嫌いだし、お酒も飲まないから。そういえば二度断酒したのだった。その昔仏語圏の大使館で秘書していたときに、レセプションの連続でワイン漬けになっていた。酒が弱いのですぐ顔が赤くなるし、ワインを少し飲んだだけでヨロヨロになる。毎晩フラフラで家に帰った。夫も、同じように接待で酒の日々。彼も酒が弱いので身体をいためていた。あの頃は二人とも忙しくお互いゆっくりする時間もなかった。バブルが弾ける頃だった。大使館ではオールドパーやナポレオンなどの輸入を任され税関まで手続きにでかけなければならなかった。「君も買いなさい」と勧められ、かなりの酒をワンルームのマンションの壁に箱ごと積んだ。ワインを毎日飲む羽目になり、ある日「ヤバイ」と気付いた。このままいけば依存症になると、それ以来きっぱり止めた。だが十年後また飲んでから少ししてから止めた。二度目の断酒以来飲んでいない。もっともわたしの断酒は酒飲みのそれではなく、小規模。最近友に贈られた日本酒を舐めるように飲んでいる。今度は依存症になる不安はない。ワインをブルーチーズで飲むなど、またしたい。今年は飲む機会がありそうだが気を付けよう。ともあれ、新しい年を寿ぎたい。
2016年01月03日 07:18

20160101

あけましておめでとうございます。無事年を越せて良かった。別に年末トラブルがあったわけではないのですが、理由がなく「良かった~」って感じでいます。しかしながら新聞を見るといろいろな問題がゴロゴロと転がっているようで今年は様々な変化がありそう。政治的にも、国際的にも、文化的にも、三面記事的にも芸能界的にも何かサプライズが潜んでいそうです。実を言えば、わたしはお化けやホラー映画に残酷映画が大嫌いです。気が小さいからかもしれないです。それにしても世間にはそういう類の話がかなりありそうで、またそれが好きな人も多いらしい。テレビでは特番を組んで展開して結構視聴率が上がるようです。しかし自分がホラーが嫌いなのはどうやら霊感が強いからかもしれません。昔の話ですが「わたしは、高知のある路上で殺された者です。犯人も知っています」と霊からの声が聞こえ、声の主は犯人の顔まで見せてくれた(と記憶してます)のです。声と書きましたが、耳から聞こえたのではなく身体全体で言葉を感じたのです。それを信じたわたしは問題の場所の警察に電話して「〇〇の人が高知の路上で殺された事件が二十年前にありましたか?」と尋ねてみました。しかし「ありませんん」と言われてがっくり。結局霊はわたしに嘘をついたのかもしれません。わたしも、霊の話を鵜呑みにする物好きだ、と反省しました。この種のエピソードに事欠きません。母も兄も皆霊感が強かったようです。わたしは昔、毎日のように霊のご託宣に悩まされていました。最近はわたしが彼らに威嚇するせいか、出なくなりました。霊はテキトーに付き合わないといけません。年明け早々霊の話でご免なさい。お節介ながら良い霊に出逢いましょう。

2016年01月01日 14:22

20151231

今年最後の日です。ところで慰安婦問題を外務大臣同士が会談して「不可逆的な解決」をしたそうで、大変な最終決断になりました。ところがテレビでは韓国の外務大臣が慰安婦たちに会って話をしていたのですが、一様に皆不満がありそうで、まだ本当の解決とは言えないような雰囲気でした。これからどうなるのか、不安もあります。しかし韓国と日本は国民性が異なり、傷つけられた被害者意識を末代まで抱きそうなのは日本人ではないような気がする。日本人は何でも「水に流す」のが好きだが、この問題を水に流すことはできなかったのだろう。しかし泣き寝入りも、水に流すも水分が主役。水分が伴う事件はどうも長引く。しかし日本人は恨みや怨念を持つのが上手なのかそれとも下手なのか、どうだろう?わたし自身が慰安婦問題の被害者だったらおそらく水に流してしまうだろう。問題を長引かせるのもまたいつまでも訴えるのも好きではない。つまり忍耐力がないのだろう。だからなのかこの問題を真剣に考えるのが苦手のようだ。良く考えれば酷い目に遭ったことのない人生を歩んできたといえる。性格もあるかも知れないが、問題を解決するためのルールを作っておく必要がありそうだ。慰安婦被害者の方へ一言。「残されたあなたの人生が明るく楽しいものになるよう、お祈りいたします」

2015年12月31日 16:12

20151230

その昔昭和の、あれはいつだったのか。母は重箱に本当のおせち料理を完璧に創っていた。鯛を六名分用意し、七輪で炭を起こし、鯛を炭火焼。黒豆を煮て、栗きんとんを造り。御雑煮は鶏肉と三つ葉が入り、カズノコは完璧に黄金色に輝いていた。御屠蘇を朱色の杯でそれぞれが口に含む。母は何故あのように完璧に手作りしてくれたのだろうか?まるで「これは最後でもうないのよ」というかのように。確かにあのような完璧なお正月はなくなった。父母がそれぞれの人生を歩き出したから。あのお節料理を思い出すと切ない。最近は自分流の我儘なお正月料理だけど、年を取っても楽しく明るく夢を一杯抱きながら歩んで行きたい。いくつになっても好奇心と向学心とを持ち生きて行きたい。来年はまた新しい楽しみをみつけたい。ところで文豪と父の物語を小説化し、電子本にいたしました。来年から発売になります。「文豪の月」猫乃電子出版から出しますのでよろしくお願いいたします。
2015年12月30日 19:34

20151229

そういえば今から二十年以上前は中国映画を好み「覇王別姫」とか「初恋の来た道」などの映画を好んで観ていた。だが最近は中国映画を輸入しているはずだが、あまりニュースが届かない。映画それ自体が衰退しているのか不明。あの当時心に残る映画が結構あったのに、最近は届かない理由が判らない。昔は「いつの日か映画を自分で造りたい」と思っていた。やろうと思えば実現は出来そうな気がしている。死ぬまでに一作などと呟きながら・・・。その思いが始まったのは遡ること四十年ほど前。きっかけはインドのサタジット・レイ監督の「大地のうた」などの三部作。後はトルコのユルマズ・ギュネイ監督の「路」「群」などだ。これら三部作は会話があまりないモノトーンな雰囲気。場面だけが淡々と続く。こうした緩やかな癒しの映画が好きだった。ギュネイ監督はアナーキストの学生をかくまった罪で刑務所に収監され、獄中から指示を出し、助手のシェリフ・ギョレンが実際の製作を行い「群れ」「路」を完成させたという。1984年パリで四七歳で死去している。ギュネイ監督の魂をテレパシーで戴き、映画を創ることを目論んでいる。まだ夢だけは枯れていない。
2015年12月29日 19:59

20151227

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昨日テレビを見ていたら未来の医学は癌細胞をミクロの世界で撲滅させる細胞を体内に潜ませ、癌が発生したら即消滅させるほどの技術が進んでいるという。だがそうなったら、その細胞自体が勝手に暴走し癌も良い細胞も共に莫大に拡大することもありえる、というニュアンス(確かに理解したとは言えないかも)で報道していた。人類は健康で長生きを希望して発展してきた。だが健康も病気も共に人には必要なもののようだ。病気があるから、健康になるべく励む。人は努力しなければならない生き物だと思う。 
ところで土曜日の新聞に理化学研究所が合成した原子番号113番の元素が新元素として国際的に認定されることになったと出ていた。この件とは別に日本の仁科芳雄博士が昭和15年発見した93番のための加速器をGHQが原爆製造用と誤認し強引に破壊したと出ていた。113番の快挙を、93番の雪辱を果たしたという解釈をしているようだ。GHQのなしたことは正当性があるのか、誤認としたことを正々堂々と非難しないのか?戦争に負けたから敗戦国は何をされても仕方がないと判断されるのか?という愚痴をこぼすよりも「雪辱を果たした」で受け止める方がはるかに素晴らしいとしておこう。

2015年12月27日 08:21

20151226

今から数十年前のことだが、ある人から電話で「主人のデスマスクがありますのでお贈りしたいのですが」と言われたことがある。正直言えばデスマスクがあったとしても、貰う理由も原因もない。つまり言われた瞬間(結婚前だったので)どうしてそれを持ってお嫁に行けようか?との疑問が起こったから。それにその方が亡くなった後も知らされておらず、その電話は突然だった。だから唐突なオハナシになる。例えばお葬式で「あなたも主人が生きていたら彫刻などの一つもさしあげたい」という会話があったとか、そういう交流があったとしたらありえることかもしれない。だが距離が東京と四国と離れていたしなおかつ結婚前だったので鄭重にお断りしたのだった。それで最近になり、そのことが気になり「あれはどういう意味だったのか?」と反芻してみた。すると判ってきたことがあった。わたしの高校時代の友人がその後連絡あり、こう言った。「わたし彼とベッドインしちゃった」と。愕然としたというよりも、その人が遠くに移転した後は交流がなかったので、ありえることだった。それを聞いても彼は結構手が早かった?などと考えた。在り得るかも、とも思った。それで「デスマスクをさしあげます」の言葉を素直に聞けなかったのかもしれない。わたしは即時に断ったが、良く考えるとその友人に未亡人は連絡し、デスマスクを彼女にあげればよかったのだ。彼の妻は夫の恋に気付いていたのだ。それでデスマスクを「夫が好きだった人に贈ろう」と考えた。これが真相だとようやく気付いた。今から恐ろしく前の話だが、これほど経過してからわたしが気がつくなど彼はがっかりしているかも。自分が彼に好かれていたことも全く気付かなかった。しかしそれが一番自分らしいなことだといえる。彼がエジプトまで出かけて技を磨いた優れた彫刻家であったので「早死に」は惜しい気がする。彼が尋常な死に方ではなかったために知らせが届かなかったのも今なら理解する。考えてみると小説化すると良いかも。しかし夫人はデスマスクを良く創ったもの、と感心する。いくら傍で夫が創るのを眺めたことがあるにせよ・・・。そう、だから彼の思いと夫人の思いが詰まったデスマスクだったのだ、とようやく今理解した。本当に蛍光灯だ。
2015年12月26日 05:23