高杜 一榮の世界

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モノローグ

20160307月曜日

大正の関東大震災の時に横浜の刑務所の所長が迷った末に囚人を解放し、地震が収束した後に戻るように命じて,解放した。所長は不安だったが、信じた通り囚人934人は所長の前に戻ってきた。その顛末が「典獄と934人のメロス」(著者坂本敏夫、講談社)に書かれている。もし自分なら囚人が戻ってくると信じ、解放するだろうか?中には極悪な犯罪を犯した囚人も混じっている。所長の不安は934人全員が脱獄と思われ市民に迷惑を及ぼすのではないか。彼の頭の中に「囚人に鎖と縄は必要ない」というモットーがあった。囚人の中には冤罪で服役していた者もいた。ところが様々な状況の中で大半が奇跡的に帰還した。所長の賭けが見事に成功したのだった。こういう賭けは何回か人生に訪れるはず。人を信じることは難しいが、それは結局自身の中の覚悟につながっている。この解放の記録は史実に残っていないという。その理由も本に記載されている。本をお読みになることをお勧めする。
 
ところで今の六本木のテレビ朝日が毛利家のお屋敷跡だった頃、自分の家近辺は宮村町という名称だった。その頃周囲は外人が多く、その中で幼いアメリカ人の友達ができた。彼女はジミリューという名前でお父さんがパイロットだった。彼女は朝皆が寝ている家の雨戸の戸を「アケテヨー」とカタコトの日本語で叩く。雨戸を家人が開けると、彼女はまっさきにわたしの布団の中に入ってくる。それがほぼ毎日だった。彼女と友達になったので、良くPXに買い物に連れて行ってくれた。だがそのうち突然いなくなった。後で考えたが、おそらくジミリューの父母は娘が泣くと思われるので「さよなら」を言わせずに離日したらしい。。朝は父母が忙しいから相手にされず、メイドさんも来ていないから寂しい思いをしていたのだろう。「アケテヨー」と叫んで雨戸を叩いた彼女のことを時々思い出す。ジミリューが四歳、わたしが六歳ぐらいの頃のことだ。その頃の思い出の影響で語学マニアになったと思える。
2016年03月07日 08:41

20160306日曜日

最近友人が癌を患い医者に手術を勧められたが、迷った末に結局手術をしないと決断した。その彼女の勇気に賛成した。どうなっても自身の治療の決断は、勇気と覚悟と余裕が必要。そういえば自身も昔大きな決断をした。甲状腺ホルモン昂進症との診断で医師が薬を処方してくれた。「この薬をずっと飲み続けてください。止めたりすればあなたは死にます」と宣言された。普通の人なら医師の言葉通りに薬を飲み続けるだろう。(当時自身は普通だと思って生きていたが)すこぶる普通ではなかったらしいわたしは、そこで医師の「飲み続けなければあなたは死にます」の言葉に頭に来て「そんなこというなら自分で病気を治してやる」と家に帰り、プールに毎日行って泳いでいた。その頃階段上ったりすると心臓がドキドキしていたわたしだったが、医師に半旗を翻してからは、まったくドキドキもせず、汗もかくことなく不思議なことには、治ってしまった。それで思い出した。父は良く言っていた。「医者の言うことを聞いては治らない。医者の言うとおりにした患者は病院を出ることなく死んだ」と。こういう刷り込みのため正直に同じことを直に某病院の先生に話したことがあった。即嫌われて診察もしてくれなかった。それを思うと医師と言う職業の方々は結構辛抱強くないと生きられないと推測される。こういう患者は嫌われる見本だ。死ぬのも生きるのも自分の責任だから自分の思うとおりに生きると決めている。そういえば長生きしたければ病院行くな、というような本が出ているようだ。
2016年03月06日 08:46

20160305土曜日

昨日内藤やす子の歌手復帰ドキュメントをやっていた。人気が絶大になり紅白にまで出場できたほど頂点に達した。だが突如として芸能界から消えた謎。彼女は闘病生活を続けていたのだ。脳血栓という難病との闘い。そしてプロダクションの支援もあった一日だけの復活をなしとげた。現役当時の声量をほぼ取り戻せているほどの迫力ある声の強さ。これからどの程度頑張れるか不明だが、ファンは待っている。復帰が成功すれば第二の歌手生活のスタートだ。ファンではなくとも頑張れと応援したくなった。こういう具合に現在も消えたままの人材を掘り起こして行くべきだと思う。

ところで話は変わるがパキスタンでは名誉殺人という恐ろしい習慣があるのだそうだ。つまり家族の名誉のために妹や姉、またはその家の主婦が殺されるという習慣。不倫などをばっさり切捨てて、家の名誉を守るということが実際行われている。日本などは不倫が大手を振って歩いているようなところがある。それと較べるとパキスタンでは自由恋愛しただけで殺されてしまうらしい。後何年経過すれば、その悪習がなくなるのだろうか?誰にも予測できない。しかしながらこういう厳しさを少しは学んで欲しい日本の不倫天国。どうにかならないのか?名誉殺人の犠牲者の爪の垢を輸入してもらえば?
2016年03月05日 19:59

20160304金曜日

中学生の頃演劇に興味があった。その当時芝居を観たわけでもなかったが、友達と一緒に学校の屋上で自主練習をして劇団名をつけていたこともある。その後自然解散し、芝居を観にでかけていた。当時観た芝居は市原悦子主演の作品で彼女が二役を演じていた。声が透き通るように素晴らしく綺麗であったのを覚えている。その後かなり演劇を見るようになった。阿部公房の作品に傾倒していた。小説をかなり読んだ。難解なこともあったが初期の作品の中にでてくる「デンドロカカリヤ」という単語を思い出す。芝居の脚本を書くことを夢見ていた。脚本家養成の学校にも通ったこともある。芝居を本格的にやる気があったのかどうか今としては不明。若くないからと尻込みすることなく、自分の好きな道に入ることは良いことだ。東山千栄子が女優を目指したのは結構平均年齢よりも遅かったという。というわけでこの先年取ってから女優を目指すのも一案。そういえば女優としてヤクザの女親分に扮するのが夢だった。それもアップで子分を叱り飛ばすコワーイ表情をやってみたいと思っていた。理由は特にない。おそらく女優といえばにっこり嫣然と微笑するのが通例だからかもしれない。なにしろフツーではない家庭で、父母の離婚を観ていたので芝居の基礎はできている?というわけではないが夢は夢。ところでアメリカの大統領クリントンに決まると良いと願っているのだが、どうなるだろう?

PART2
ところでどういうわけか気になることがある。新聞に事故や事件の記事が載るが、その後その家族が今どうなっているか、をどこの新聞も書いてない。その事件のその後は結構有名な人物や会社などであれば載せる確立が高い。ところが小さな事件や火事のその後は知らされない。例えば遠くにいる知人が新聞に載っていたその事件の後のことを知りたいと思っても知ることは難しい。何か解決方法がないのか?テレビでその事件を報道していて、その事故で亡くなったのがその家の住人だったのか、そうではなかったのか、という詳細が載らない。そこまでの継続的な報道をしない。それが気になった。知人であれば、知りたいのは当たり前。知人でなくても、あの後どうなったのか気になる。そういう「痒いところに手が届く記事」を期待したい。痒いところに手が届く記事を求められないのだろうか?そういう意味で「事件の後新聞」というタイトルで新聞を作って欲しい。


2016年03月04日 07:27

20160301火曜日

アメリカの大統領選のことだが、クリントン大統領になることが望ましい。日本はアメリカ国を目指して国際社会に乗り出してきたと考えると、やはり女性の大統領が出ないことには進歩がそれだけ遅いと観測してしまう。アメリカに女性の大統領が就任すれば、やがて日本にもその可能性が出てくるはず。今は女性男性どちらになっても差がない、と見る人がいるかもしれない。だがそれは間違い。明らかに女性の大統領が出てくれば、すべてにおいて流儀が異なる可能性が大になる。どう異なるか?アメリカは女性の社会進出が広くて深い。すべてにおいてそうなれば社会は次第に女性の占める割合が大きくなる。女性の社会進出が日本で増加すれば社会的に女性の意見を取り入れる機会も大きくなる。今まで採用されなかった女性の意見も通るようになる。そしてアメリカに女性の大統領が就任し、なおかつそれが日本に波及すると、女性の首相が立つ可能性が大になる。そして皇室も女性の天皇になる可能性も出てくる。こうなれば愛子様が天皇になることが実現する。誰もが予想できなかったことが起こりえる。今まで叶わなかったことが実現することがありえるのが未来だ。予想外の未来を実現しよう。
2016年03月01日 04:48

20160229月曜日

昨日奇妙なことを思いついた。あの世に行く前に遺言書を書く準備をする前にやることがあるのではないか、と。というのも突然死ぬことのあるこの世で、いつもこれだけは決めておかねばならないと「提案」を考えた。死にいたる寸前に、あの世の関門で問われるのではないか?「あなたはこの先この世に生き残りたいですか?それともこのままあの世に直接行きますか?こちらには三つの選択があります」と宣言される。その選択とは(一)このまま関門を過ぎてあの世で暮らす(二)配偶者があったりする場合、その後釜の肉体に宿り元の配偶者と一緒に暮らすと考える。(三)再び新たな肉体を授けられこの世にまた戻って暮らす。これらのうちのどれを選ぶか、決めよ、と言われる。わたしの空想は結構当たっている可能性がある。何となくそう思うのだが、何故この提案があるのではないか?と思ったかといえば、この世はかなり合理的にまた公平にできていると思えたので、こういう生死にまつわることは、きちんとしたルールがありそうなのだ。そのためこのオプションのうちの一つを選んでおくのは賢明。わたしはこのうちどれを選ぶかといえば、三番目の新たな肉体を与えられこの世に戻ってくる、のを選ぶ。自分の人生はそれほど悪くなかったので(もっともこれからが不明だが)また別な人生を新たに繰り返すのも良いと思える。
2016年02月29日 08:24

20160228日曜日

この前ある会合で二次会があったが、出席しないで早々と帰った。二次会といえばお酒。実を言えば二回の断酒をした。一度目の断酒は仏語圏の某大使館で秘書をしていた時、参事官から大使館でアルコールを輸入したいから、その手続きをせよ、と命じられた。その際シーバス・リーガル、ナポレオンなど有名ブランドの酒をケースごと発注するのだが、その輸入の手続きに税関に行ってすべて書類を書いたり、運ばせたり雑務をこなした。その注文の際参事官が言ったことは「君も個人的に注文しなさい」と言われ、そういえばと思い出した。亡夫は当時会社で結構高いブランドの酒を贈答品に選んで買っていたので、家に帰りどうするか、と尋ねた。するとケース単位で十数個を注文することになった。それも個人で使うものを含めたからかなりの量になった。ワインやシャンパンまで含まれていた。断酒のきっかけはそこにあった。なにしろ某大使館では毎週どこかの大使館でレセプションがある。その度にワインやシャンペンを飲まされる羽目に。当時マンションによれよれになって帰ったことが度々だった。ワンルームの壁にアルコールのダンボールが壁や天井に張り付いていた。結局毎日飲む羽目になった。ある日ふと気がついた。このまま行けばアル中だ。そんなわけでその日からピタっと辞めた。ところが今から十五年前毎日ふと疲れるとビールを一杯飲む習慣がついていた。そこでまたある日考えた。「このまま行けばアル中だ」そんなわけでまた断酒。二度目の断酒から現在まで飲んでいない。二次会がある度勧められ飲まされると困るのは自分。それほど好きなアルコールではない。だが飲むとそれなりに快感。それで飲むが翌日仕事にならない。それで困る。母親に十六歳のわたしはビールを飲めとうるさく言われ、仕方なく始めた酒。どういうわけか、母はわたしが飲めるようになるのを待っていたようだった。彼女は小学高学年に初めて飲んだという。父母共に酒が強いわけではないらしい。酒に溺れることを恐れていたわたしは一時AA(断酒の組織)に家を貸していたことがあり、組織の主催する講演会を聞きに行ったことがある。現在は断酒ならびに薬物の依存関係も支援しているらしい。今では依存症にならなくて良かったと思っている。母がわたしに「飲め」と言ったあの頃をなつかしく思い出す。

2016年02月28日 07:19

20160227土曜日

今朝ゴミを捨てに行ったら、莫大な量の空き缶を、積んで持ち去ろうとしていた人に出合った。つまり東京都のゴミを盗むホームレス(だと思う)らしい。そういえばホームレスのたまり場が歩いて三十分ほどのところにある。年末になるとそこに炊き出しのボランティアがお椀に味噌汁のようなものを配っていた。以前からホームレスに取材したいと思っていたが、未だに実行できないでいる。そういえばバブル崩壊の時代には「十分前にホームレスになりました然」としたピカピカのホームレス一年生がいたのを目撃したことがある。ほとんど新しい背広でスーツケースを引っ張っていた。あの当時公園には無数の即席のホームレスがいた。しかし毎回女性のホームレスがいないのはどういうわけか、と首を傾げる。何故男性のホームレスがいて、女性がいないのか?これは差別か?など妙なことを考えていたのだが、今もってこの疑問が解けない。これについてじっくり判断してみたい。ところで女性が結婚しないというが、こういうホームレスをうちに「持ち帰り」世話をする奇特な人はいないのか?そこが理解できない。わたしがいつか元夫に同じことを言ったら、一人連れ帰ったらあっという間に家はホームレスだらけになる、といわれたことがある。ぬいぐるみを集めるような具合にはいかないのだ。
2016年02月27日 21:50

20160226金曜日

どういうわけかフェースブックから突然「〇〇をご存知ですか?」とメールがきた。知ってはいるがどちらかといえば疎遠。その上その人は多忙なのでメールがくるわけもない。フェースブックの最近は利用者が低迷しているのか?良くは知らないが突然前触れもなく「ご存知ですか?」は少々驚く。それに知っていてもその人の個人の連絡先を勝手に使ってくるというのは許しがたい。最近インターネットのプライバシーはないも同然で一度ネットに連絡先を書くとそれをそのまま垂れ流しても良いと思い込んでいるようだ。使うときは使ってもよろしいですか?と事前に知らせて了解取って欲しい。フェースブックで働いている人も同じ筈。どうしてそう自由気ままに活動するのか判らない。もっともその自由さが素晴らしい関係を生むのかもしれない。ともあれ自由は不自由に通じ、不自由は自由を生むのかもしれない。なにしろネットで幸せになる人が結構いるらしいので、本当に平和だ。ただしプライバシーつまり私生活を邪魔しないように。
2016年02月26日 08:40

20160225木曜日

田中角栄が毛沢東と中日外交を再開させた時のこと。過去の戦争について田中が謝罪したが、毛氏は述べた。「日本は謝罪しなくて良い。日本がやってくれなければ今の中国はいまだに列強(西欧諸国)に抑えられていたはずだ。わたしは感謝している」というニュアンスのコメントがあった。この情報は広げたい人は広げていたかもしれないが、都合の悪い人々は隠した。歴史は結構重要な舞台をなかったことにしたい人、広げたい人に別れる。田中角栄が築いた新しい外交が今どうなっているかといえば「南沙諸島の異様な展開」だ。毛沢東はこの情景と中日外交のあやうい状況をどう見るだろう。「過去に世話になった国をないがしろにするな。良く考えろ」と述べられると思える。毛殿一度こちらにいらして貴国の国民へ一言お願いいたします。「恩返しの形式を誤るな」と。

2016年02月25日 05:13