高杜 一榮の世界

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モノローグ

151121
昨日週刊誌を買ったら、パリの同時多発テロの記事が書かれていた。オランド大統領は激怒して、テロ撲滅を誓った、との記事だがテロ撲滅って、それは人を殺すってことですね。しかし何故報復すれば済むと思っているのか?良く考えると撲滅する前にまだやることあるのではないか、と思うのだがどうだろう?日本はテロに対してはテロに関係した者はすべて殺すという体制ではない。捕まえてから対処するという体制らしい。ところがオランド大統領やそのほかの欧米の国主たちは「テロは捕まえるのではなく、捕まえる前に撲滅する」ということらしい。テロ撲滅はテロリストの皆殺しっていうことになる。日本語では皆殺し37564(ミナゴロシ)らしい。それって日本でやれるのでしょうか?オウム真理教の事件の時は37564ではなかった。これからパリ流に37564となるのか?時代はかなり進んでいるようだ。血まみれの未来が待っているのか?第三次世界大戦が始まった?それって、日本人が皆ヘルメット被り、機関銃を持つってこと?まるで映画みたい。はっきりいえば、ハリウッドの映画のシーンと同じことが起こるってこと?自身は正直にいえば、眼には眼をって日本人には似合わないし、なおかつ機関銃で血まみれっていうことは、日本の古来からの文化(?)にはない要素だし、日本人には似合わないと思う。目には目はやめしょうよ。オランド大統領殿!
2015年11月21日 04:37
151120
どうやら人間は苛めあって生きる生き物かも。この前マタハラが気になってしょうがないので、書いてしまったが、どうして妊娠中の女性の地位を復職するまで維持してあげない、のだろう、と気になった。男性側がそうしたハラスメントを作り上げているってことなのか?自身は子供を最初から作らないことにしていたので、子はない。理由は結局当時の妊娠出産、そして乳幼児保育の体制が完成されていなかったことにある。つまり現在ほど妊婦さんに便利で楽な体制ではなかったことにある。そうした体制の中で子を作ってなおかつ働くって大変なことであったはず。わたしは逆にハラスメントがあったという風に捉えている。つまり妊婦になるのを躊躇する体制だったから、産まなかったというのが正しい。男性側は産みたい奴は勝手に産め、という姿勢だったはずで、なおかつ産んだら、お前が産んだんだからすべて子育ては全部やれ、という対応だった。(と思う)元夫は亡くなっていないが、あの当時、夫側は多忙で、もし妻が妊娠しても手を差し伸べることも不可能だったはずだ。お互い気楽な共働き体制にして、働いて得た給料をお互い勝手に使うような暮らしだった。そのため住まいをたくさん買ってしまった。一時は家が四軒もあった。良く買い込んだものだ。しかしバブルがはじける頃には残っているものは何もないような印象。その後はいろいろあって、秋風が。。。という感じでした。つまり家で壊れたカップルともいえる。しかし懐かしい、蕨のマンション、大宮の一戸建て、六本木のワンルームなどなど。つわもの共の夢の跡って感じでしょう。
2015年11月20日 07:23


2015年11月20日 04:14

毎日のモノローグ 

20151120
産経新聞に載っていた石平氏の「China Watch」の「「連衡策」に警戒せよ」が注目すべき内容だった。現在の日本を取り囲む状態は中国の紀元前8世紀から3世紀までの戦国時代とほぼ同じ。当時「連衡策」という政略があったという。それは現在行われている日米を中心とした体制が「合従連衡」と全く同じものだという。中国の戦国時代とほぼ同じ様相を呈しているというが、果たして我々はどう対処すべきなのか?大昔の人々のように累々と重なる死体の上に倒れて行く?なるべくなら畳の上で死にたい。とはいえ、畳の上って少なくなっているけどね。
20151119 
昨日は横須賀美術館で150年前の写真展を観た。中には一般には観ることのできない花魁(おいらん)の写真まであり、貴重な写真をよくぞここまで、集めてこられた(クリスチャン・ポラック氏)と思い、深く感動したのだが、一口に蒐集とはいえ、莫大な資金がかかると思う。それがかなりの数を蒐集されているので、息を呑む感じ。または息が止まるというべきか。ともあれこれは簡単に見過ごせないと思えた。すぐそばで浮世絵も谷内六郎の展覧会もあり、何故か呆然。そのうち雨が降ってきてぼーっとしてはいられず走った。(バスに乗り遅れるから)忙しい果てしないほど、複雑な一日だった。 
151118
今日は少しは晴れるらしい。横須賀美術館で行われているフランス人モンゴルフィエの写真の展示会に行く予定。日仏外交ならびに日仏全般に渡って情報提供に貢献しているChristian・POLAK氏の監修によるものである。150年前の素晴らしい展示品がある。つまり展示されているものが、日仏間を150年も前に往復した貴重なものとのことだ。12月13日まで行われているので、是非観ておくべきと思う。というわけで十時に待ち合わせし、友と一路横須賀へ向かった。丁度昼に着き、そのままモンゴルフィエの展示品を鑑賞。150年前の横須賀製鉄所の建設風景の写真がかなりあった。わたしが驚いたのは幕末の花街の花魁(おいらん)の写真。いまだかつて、花魁の実物の写真をを見たことがなかったので、よくまあ探し出して、買い取ってきたものだと感心した。おそらく写真とか物にはなんらかの魂が宿るのではないか?そうでなければこうした出逢いが引き起こされるはずはない。写真と物と人の三角のつながり、そこにはテレパシーが存在するかもしれない。今日は考えさせられる一日になった。

20151117
11月16日の産経新聞に載っていた石原都知事の「日本よふたたび」の記事のことを書く。この中に石原氏が韓国の朴元大統領(現大統領の父)が彼に告白したことを書いている。「自分は貧農の息子で勉強をしたくてもできなかった。(中略)日本人がやってきて子供を学校に行かせない親は罰を受ける。(中略)日本人の校長に勧められ師範学校にいかされた」つまり日本人によって大統領までなれた、と打ち明けたという。実話でしょう。しかし何故父上から、現大統領は真実を聞かされていないのだろう?韓国は日本人の悪口または嘘の情報を流す傾向にあるがそれは天に唾を吐くのと同じかも。
20151116
この前習主席が国連総会で日本の軍国主義のことを言い募り執拗に非難したという。それを聞いた英国や米国の政治家が「日本の軍事費が上がっているのであれば問題だが、数字にも出ていない日本の軍事費について捻じ曲げて嘘をばらまいても無駄」というニュアンスで非難していた。なおかつ米国歴代の国務省、国防省の高官であったランディ・シュライバー氏は「中国の習主席は歴史について、日本叩きをし、日本を悪者と断じ、日米同盟を骨抜きにすることを目的にしているようだが、歴史に関しては、中国こそが全世界でもっとも悪用している」と逆に指摘されていた。最近中国による反日キャンペーンにうんざりしたのか英国までもが「エコノミスト」誌に書いている。「中国こそアジア制覇の野望のため歴史を捻じ曲げ、日本の弱化に利用している」と非難されていた。「中国の歴史悪用は、戦争の悪のイメージを現在の日本にリンクさせ国際社会や米国に向けて「日本は軍国主義でパートナーとしては頼りない」という風に印象づけている」とシュライバー氏は指摘しており、腹を読まれている。世界には中国の姿を正確にとらえている政治家もいることが解って安心した。ともあれ、中国の政治家は知性がないのではないか?印象としては、日本についてのプロパガンダが幼稚すぎる。単純に日本の悪口を書いても反感もたれて自国の損になる筈。もっと知性のある政治家や知識人が出てこないと世界で相手にされないはずだ。しかしながら何を言われても書かれても黙ってコツコツやるべきことを真面目に取り組む日本人を世界は充分判ってくれているらしい。
(十一月十五日の産経新聞あめりかノート、古森義久「中国に「歴史の直視」迫る時機」より一部引用)
 20151115
さきほどこの欄に書き込んでいたら突然画面が消え、書いた文が消えたのだが、どういう原因か判らない。パソコンが古くなってきたのか?ところでイジメ問題がまだ続行中だが、それで思うことがある。時代が変わると子育ても流儀が変わってきた。おそらく軟弱な子育てが原因ではないかと、思う。以前黒人の差別問題で対策をしていた光景をテレビでみたことがある。それは精神を鍛えるというもので、ありとあらゆる暴言罵声を浴びさせて、簡単に傷つかないようにするという教育だったがおそらく日本の家族はそういうことはさせないだろう。わたしが育つ時は厳しい母だったので、イジメに遭ってもそれほど傷つかなかった。やはり優しく育てるのも良いが、それがイジメに遭うベースにならない工夫が必要だと思える。
20151114
今日は雨。一日雨。だが仕事に頑張ったのでなんとか自己ノルマを達成した。最近昔の書簡類が出てきて、改めてもらったラブレターを開いたら、自分がある人に好かれていたのを判った。たった今気が付いた。あの当時全くそれに気づかないってどうしてなのだろう?しかし高校生時代に二十も違う人に好かれていたなんて驚き。わたしはどう思っていたのか良く判らない。あの当時、彼の奥さんからデスマスク(彼のです)をさしあげますから、という申し出があった。しかしまさかもらうことは辞退した。なにしろ高校生が二十も違う人のデスマスクをもらったらお嫁に行けない。もっともそう考えて貰わなかったわけではない。ただ単純にデスマスクをもらっても困るとだけ思った。雨なのに妙な話を書いてしまった。

20151113
昨日は恵比寿のガーデンプレイスに出かけイルミネーションを観た。五時に待ち合わせしたが、丁度細かい光のパレードが始まったばかり。ガーデンプレイスの広場に盛大に点灯されている様はうっとりさせる。光というのは多ければ多いほど感動する。並木道のイルミネーションとクリスマスのツリーの二種があり、ボリューム感一杯の光の群れを際だたせている。皆その中を歩く。そういえば自分たちの若いころはこういうイルミネーションのイベントがなかった。昭和と平成との違いは、光のイベントに差があると思えた。イルミネーションのイベントが暮らしの中に加えられ、脳に刺激を与えられている我々の世界。この光のイベントが平和の象徴であるだけで、それ以上の意味がないことを祈りたい。

20131112
昨日も今朝も某ソフトから新しいバージョンをインストールしなさいという強引な勧誘があり、困惑した。自身のパソコンは確かにのろいけど、このまま使い続けたいと願っている。何故なら新しいのに乗り換えると結構慣れるのに「骨」だから変えたくない。そのうちその気になったらやるつもり。というのもあの有名な「なんとか10」は友人によると評判悪いから、やめるべき、と言われたのだ。ということは強引にインストールさせるのはそういうことだったのか。パソコンは疲れると最近特に思えるようになった。やはりこの世界は若さがないと駄目なのか?と気分が朝から萎えそう。しかしとりあえず、現状維持で頑張るつもり。
20151111
二日も更新できなかった。というのもインターネットの接続や一連の操作が上手にできなかったためだ。自身の不器用が原因かそれともパソコンの劣化か、よくわからない。ともあれ今日も何だか雨模様かも。雨だと買い物に出にくい。
ところで産経新聞にソ連から引き揚げてきた女性たちの中にはソ連人に暴行され望まぬ子を堕胎しなければならなかった人たちがいたという記事があった。その望まれない子たちを当時の堕胎罪を犯し、「おろした」という。事情を知り罪を犯してまで、女性たちを助けた人たちがいた。あの当時のそうした悲劇は隠され続けてきた。新聞には今でも隠され続けている悲劇があると推測される。
20151108
どういうわけか、ホームページ制作を自身の作品の宣伝を目的として使用していると、思われるようだ。しかしわたしの場合この年齢になるとパソコンや文明の利器を必死に使いこなすための老化防止なので、勘違いされても困惑する。毎日更新するのはひたすら老化防止。この前数ヶ月ぶりに運転をしたが、あと何年運転していられるか、とシンミリするし、その上年取って免許取ったので、残された時間を考えると100歳まで運転しなきゃ元が取れないなどと愚かなことを思ってしまった。ともあれ何とかルーティンワークをしているのが喜び。画像も必死になってフォトショップを再インストールして変えてみた。毎日画像を変えたいと考えて手描きの画像を入れるつもり。
20151107
今日はNHKBSプレミアムで「高倉健のプレミアム、拝啓高倉健様」をやっていた。出演作の場面のカット。それも一番印象の深い場面ばかりを並べて、芸能人や友人たちなどのファンがコメントしていた。高倉健を倉本聡が「絶滅危惧種」と称した。確かにこのネーミングにぴったりといえる。しかし誰もが、彼を悪く言わない。誰もが彼の人間性を賞賛する。とにかく再婚しなかったことを江利チエミは喜んでいるはずだが、倉本聡は老人の役だけはやらなかった、と不満のようなコメントをしていた。しかし「それで良い。それだから高倉健なのだ」と言いたい。仏壇に写真でも飾ろうか?いややっぱりやめておく。MもUも焼き餅を妬く。
20151106
昨日は南シナ海の埋め立て工事続行中の中国を非難する日本と米国がアセアン会議で共同宣言を見送った。米国はシナ海の現場を巡回する方針で、日本はその巡回を支持したという。どうなっているのか中国。世界を不安に巻き込みたいのか?日本は中国という大きな年取った赤ちゃんと韓国というスネオという問題児を抱えてこれからどう生きていったら善いのか?どうもこうもないと思う。日本はひたすら正直で嘘つかず誠意をモットーにまっすぐ武士のスタンスで明るく雄々しく麗しく生きる。先祖からのメッセージは「勝つとか負けるとか考えず、日本らしく生きるべき、迷うな、誠意を見せ続け、日本を護り続ける魂を忘れるな」
20151105
今日は天気が良い。新聞に慰安婦問題平行線と書かれていた。つまりまだ韓国は慰安婦問題で賠償請求を求めてぐずぐず言っているという。政権が変わる度に賠償をその都度支払わねばならない、らしい。厳しい対応をしても、柔軟に対応しても、相手は毎月配達のハロウイーンのお化けのようにやってくる。正確にいえば被害妄想というビョーキではないのか?日本は悪いことは水に流すという流儀だが、どうやら相手は永遠に凍らない油っぽい恨みをたたえている湖のようにねちっこい。
アメリカはその尻馬にのったごとく、某所に慰安婦の銅像まで建てたとか。どの国もこの問題を抱えていない国はないと思えるが、日本はどうもスケープゴートになりやすいらしい。それというのも誠意があり、真面目で正直だから。たやすく嘘はつかないからか。過去は過去として葬らないと自分たちが惨めではないのか?気の毒だがこの際、前向きに考えてはいかがか?被害者たちの末裔たちを日本に留学させてみてはいかがでしょうか?おそらく仲良くなれるはず。とにかく日本はプロパガンダで苛められる体質らしい。日本人よ、騙されるな、まっとうなプロパガンダではない類に騙されるな!
20151104
昨日は電話による大乱闘があり、なおかつ天気が良かったので作業が滑らかに進んだ。人生は元気で朗らかがモットーでなければ、生きていても仕方がない。というわけで今日も最高の気分で行けるはず。文化の日は文化の日らしく「WILL」誌の櫻井氏のメッセージを読み、心安らかであった。ところで産経新聞には「朝の歌」というコラムが最初に載っているのだが、その詩がときどき可愛らしい詩にぶつかるので驚く。心洗われる詩で始まる日は何だかふんわりする。それも幼い子が書いたようなすごく可愛らしい詩があったりするが年齢を見てみると八十とか、九十過ぎだったりする。それが面白い。いつまでも幼い純なこころで生きている人がいるのを知ると、果たして自分はそういう可愛らしい心で生き残るのだろうか?と不安にもなる。勇ましく生きるのはできそうだが、可愛らしい老化って難しそう。
20151103
どういうわけか、不動産屋とトラブルになった。悪徳不動産屋とはいうけれど、かなり小型の悪徳らしいので、こちらの出方で動いているようだ。退去時の様子からどうも敷金が戻らないと思えたが、相手が最初から契約違反をしていたので、こちらは強気。敷金を返せないというニュアンスのお電話があり、こちらはインターネットが出来るとパンフに書いてあった割にはできなかった、と述べたところ、それはお客様側で用意すべきもの、と解答。仰天した。「どこの世界に客側が用意してインターネットのできる部屋が出現するのか?」それでは不動産屋は何もしないで良いことになる?そんな馬鹿な。驚きが止まらない。不動産屋の社長は全くインターネットのなんたるかを知らないらしい。知ったかぶりして、パンフを印刷させたのだ。もう一度良く勉強してください、と言ってあげた。これで敷金返さなかったら「この世界で生きてゆけなくしてやる」と思った。不動産屋をやっていてインターネットとパンフに書いて客を集め、契約違反と怒鳴られずに仕事を続けようとしているのか、と思うと正直呆れた。まったく世間には、幸せを絵に描いた喜劇的人間がいるらしい。
20151102
今日は雨。どういうわけか雨。友人に雨嫌いな人がいて、雨だと外出できない。それほどの雨嫌い。わたしは雨も天気もすべて好き。雨だからと外出しないことはない。それに雨という題名の歌が好き。三善英司が歌った歌で(三善の名前漢字合っているか不明)の「雨」は良く歌ったものだった。「雨に濡れながらたたずむ人がいる、約束した時間だけが身体をすり抜ける、道行く人はだれも見向きもしない、恋は・・・」と続くのだが耐え忍ぶ悲しい恋の歌というわけだ。悲しい恋などしたことがない(嘘つけ?って?忘れてるものね、そういうことって、誰でも常に)ので判らない。とはいうものの、「雨」はおそらく未来永劫に歌い継がれると思う。ところで無言電話があることがしばしば。その上一回鳴らして切る電話が最近多い、何故だろう?今もこれを書いていると一度鳴って切れた。昔の友か?それとも大昔の恋人か?寝ぼけているような感じですかね。これを称して雨ボケ。
20151101
日本の首相が韓国と中国の首脳と会談という大事な時期にうちのテレビがハプニング。どうやらアンテナに何か起こったらしく、映らない。画面には「受信できません。アンテナの設定や調整をしてください」と表示が出て終日駄目。というわけで修正する人材も見当たらず、仕方ないので仕事場の整頓。大幅に仕事場と寝室の模様替えを決行した。これはこれでかなり気分的には爽快。今日はまたまた忙しくなりそう。郵便局で支払いもあり、なおかついらなくなったスチールの棚を処分させるために、人を頼んで某所に運ぶ。新聞を見る暇もないほど忙しかったが、今日も同じかも。
ところで従軍慰安婦問題でアメリカ在住の日本人が窮地に立たされているという。WILL誌に「従軍慰安婦」在米日本人孤立無援の闘い(青山繁晴)。しかしながらこの従軍慰安婦問題は日本を追い詰めるプロパガンダと判断している人々はいる。数日前に書いたストークス氏は「どんなプロパガンダで苛められても堂々としていなさい」という内容のメッセージを「反日中韓の詐偽(さぎ)を暴いた」に載せている。つまり日本を眼の上のタンコブと思う国の人々は、そういう低レベルのプロパガンダで追い詰めるしかなくなっている、というわけだ。そのうち立ち消えになるはずだから無視するしかない。
今日から十一月つまり十二月の一月前。笑いだしたくなるほど何か無性に楽しい。何故かと考えたら、悩みがないこと、なおかつ面倒くさいことがないこと、そして一番は金に苦労してないから。金を持たないから金に振り回されることがない。これが人生で一番大切なこと。つくづく宝石やブランドものに興味を抱かなかったことを有難く思えるのだ。万歳、わたしは幸せだ。というと世間の人から白い目で見られるかもしれない。大体巷の群れは幸福な人よりも不幸な人に親近感を抱くのでは?もっとも誰も自分を幸福不幸と別けて暮らしているわけではないだろう。
ところで今日、安倍総理が韓国と中国の首脳と会談するという。とにかく何の問題もなく会談が進み、無事でご帰国されることを祈るばかり。
20151031
今日はアパートを退去する日。たった二ヶ月しかいなかったが、良い経験だった。ともあれ地デジが観られる、インターネットにつながると言われていた割には全く契約違反だった。でも言われたことを真に受けてはいけない、と注意する気になれた。鍵を返して、スキップして家に帰ろう。家の中は整理整頓中で書類やコピーなどを莫大に処分し、また仕事に取り掛かる予定。ところで後どのぐらい生きるのだろう?と考えて逆算して、計画を立ててみた。するとかなり長生きできそうな気がしてきたから不思議。母が八十六、父が七十六で亡くなった。わたしは九十六まで長生きしそうな気がする。やることたくさんあるが時間はたっぷりあるので(そう思うことにする)大丈夫といつも前向きなオプチミスト。矢でも鉄砲でもの気分は、今に始まったわけじゃない。
20151030
このところ整理整頓の日々だが、今日夕方写真と書かれた箱が出てきたからびっくり。亡夫の写真がたくさん入っていた。どういうわけか、アルバムに貼らないで束にして積んで紐やゴムでまとめて取っておく。亡夫が笑っている写真がたくさんある。そういえば結構もてる人だった。草彅剛に似ていると最近友に言われたが、草彅くんほど美男子ではない。おそらく顔の輪郭だけが似ているのだ。「この頃は生きていたのだ」と改めて思い、写真を元に戻した。
昨日は認知症の人が車を運転していて事故を起こし二名が亡くなったという報道があった。自身も自主的に免許証を返還する日があるのではないかと、思う時があった。数日前車を運転する機会があり、ふと事故を起こさないで来れたのは自分の技術というよりは、たまたま運が良かったため、と思わねばならないと考えた。この前の運転の際間違って直進の車道に入ってしまい、あっという間に「そこは直進です」との警察官のアナウンスが聞こえた。後で考えると「ゾッ」とする出来事だが、その時点では何も考えていない。免許取り立ての時は、某寺の境内で柱にぶつけてしまい、事故として処理した。事故と無事故は紙の裏表ほど隣り合っている。年取って運転している人は、免許を取り上げられることを恐ろしく嫌うはずだ。認知症の方も免許証を取り上げられたくなかったんで、必死にしがみついていたのかもしれない。安全と事故の予想は全く別のことなので、どう対処したら良いか判らない。慎重すぎると後続車に嫌われるし、大胆な運転をすると目を三角にされる。最近になり何歳で免許証を返還するか、計画を練り始めている。でもその前に自分の車を持ちたい。単なる夢だが、どこかから車を賜るような思いをしている。妄想って人間を幸せにする。

20151029
最近の傾向は、どういうわけか「人を殺してみたい」という若い人が結構多くなっている。理由は言葉にできない不満、ストレス、孤独。わたしが以前から思っていることだが、「人生に勝つためには、自身の孤独に打ち勝つこと」孤独を打ち勝てば、どんな局面でも対応が可能になるはずだ。孤独を打ち勝つには、自己を知ること。自分を知らないと孤独は打ち勝てない。とはいえ悲哀を持ちすぎる人は、充分注意して人生を歩んで欲しい。悲哀は精神力を奪う傾向にある。
ところでアパートから自宅に引っ越す作業をしている。資料を整理したのはそのため。縁起担ぎなので運勢の良い日に引っ越す。人生最後の引っ越しになると思う。思えば引っ越しが大好きで十年に六回も引っ越した。それを中国語の先生に話したら、馬鹿みたいと言われてショックだったが同じ意見のひともいる。その人は引っ越しはお風呂に入るのと似ていると。引っ越しが終わったらさぞいい湯加減だったと思うだろう。
20151028
年末が近ずいたためではなく、諸般の事情により自身の資料棚の整理整頓を始めた。莫大な資料のコピーが無数に積み上げられた棚を見て気力も失せそうだったが、覚悟を決めやってみたら、夕方に近くなりほぼ半分ばかり整理が出来た。そして過去に集めた資料で特に多いのが上海フランス租界の史料。小説を書くために集めたがまだ読んでない物もある。莫大な資料の中には二度と手にできないものもあるので、貴重品だが、事情により処分することになった。選んでいるうちに「良く集めたものだ」と呆れるほど。これは病気に近い。名づけて資料蒐集病だ。これは死ぬまで続くはず。蒐集病になってから四十年は経つ。上海の史料を欲しい方に差し上げたいがもらってくれる人はいないだろう。
20151027
ストークス氏の本のことを熱を込めて書き続けた。だが日本人が立派な民族であると書かれた本を敬遠しがちなのは日本人。それほど言論統制と戦争犯罪を攻めたてられた過去を消し去ることは出来ない。だが追い詰められ、劣等感に苛まされている日本人こそ高邁な精神であること、はおそらく時間の経過とともに理解されるはず。尊い命を捧げた英霊たちにはいつまでも敬意を表し続けたい。ところで今日の新聞を見ると、「IMFが人民元をドル・円と並ぶ準備通貨として検討する方針で理事会にかける」と書かれていた。あの中国の元が?と不思議に思ったが、不思議ではないらしい。しかし中国の為替相場の閉鎖性のため、危ぶむ声もあるとのこと。何故か大きな変革が起こりそうな世界の通貨状況。変わったところで変化が自分まで到達するわけがないので安心だが、これからどうなるのか見物。

20151026
ところで再度ストークス氏が出した本「反日中韓の詐偽(さぎ)を暴いた」のことだが、本の中身が良い割にはタイトルが受けない可能性がある。内容を把握する限り「日本人よ、プロパガンダに負けるな」が適当かも知れない。日本は戦後プロパガンダで血みどろの経験をした。日本人に「あの戦争は犯罪だ。謝れ」と言われ続けた。現在特に吠えているのは中国韓国。だがストークス氏は言う。「日本人よ、騙されるな。プロパガンダで国を危うくするな」「もっと自信を持て、多くのアジア人が日本に感謝している」その通り、あの戦争は犯罪ではない。犯罪なのは、広島長崎に新型爆弾を落としたアメリカなのである。国際法からいえば、軍事基地ではない広島の市街地に爆弾を落としたアメリカは犯罪国なのである。ストークス氏は言う。「東京裁判」はマッカーサーの一人芝居であり、彼が権限を持っていない裁判権を一人で行使したという。「反日中韓の詐偽(さぎ)を暴いた」には多くの「目から鱗」が書かれている。

20151025
日本人として生まれ、日本に住んでこの国の未来を考えたことがあるだろうか?ないと答える人が多数ではないか、と思える。愛国心とは戦争が起きている状態で生まれるものかもしれないが、平和でいる間も常に愛国心を抱き、真剣に国家情勢と向き合って欲しいと考える。ただ安定した国であると思い込んではいけない。一人一人が外国からの圧力に負けそうな日本を護って行く必要がある。ヘンリー・S・ストークス氏は日本が戦前から戦後そして現在まで、アメリカの庇護の下に暮らしてきて、自国で外圧と血まみれになって戦う「闘志」を失っていると示唆している。確かにそうだ。だが、もし戦争となったとして、日本を背負って戦う若者がいるだろうか?ストークス氏はもうアメリカの庇護を外し自国民だけで闘う気概と情熱と体力を持たねばならないと説く。なおかつ今まで自国の姿をアメリカから「お前の国は戦いに敗れた」と言われていた。しかしあの戦争は日本がアジアの国々を独立に導くために戦った聖戦である、アメリカによって、あの戦争を侵略戦争と叱責され、その通りに思わされてきたが、実際そうではなくアジアの国々から欧米の植民地を削除させた聖戦であった、と彼は説く。「日本人よ、眼を覚ませ!胸を張ってあの戦争を誇りに思え!」と説いている。多くのアジア人が日本に感謝しているのを忘れるな、と叫んでいる。靖国参拝は重要な国民の義務ともいえる。「誇りを忘れるな、日本は聖戦を戦いアジアから植民地をなくした功績がある!」
20151024
昨日書いた本のことだが「反日中韓の詐偽(さぎ)を暴いた」というタイトルで作者はヘンリーS・ストークス、悟空出版で出されている。お勧め本だが、これを読むと大変な国の隣に日本が位置しているのを実感する。なおかつ我が国はこの二国とどう付き合っていくかで、今後の未来の明暗が別れると実感する。日本は嘘つかない国であるし、なおかつ誠意を絶やすことがない国と思える。日本人は嘘つかない、と世界に発信してゆくべきだし、世界の人に日本国を誤解されないように訴え続けなければならない。嘘を垂れ流し続けるプロパガンダの国とどう向き合うか日本人は老若男女すべて肝に銘じていただきたい。是非この本をお読みいただき、世界的に日本を護る愛国心に目覚めていただきたい。
20151023
今日は三時ころから目が覚めて、なにもすることがなく、それというの自宅にすべて運んで、鍋もないので湯も沸かせい。食べ物を買ってないので食べられない。というわけで自宅に帰った。七時ころだったので皆眠っている。テレビだけがすぐ起きて相手にしてくれる。というわけでテレビをつけた。朝は朝ドラだけが、目を覚まさせてくれる。ところで最近の民放のCMに気になることがある。何を目的にしているのか、全く判らないシュールを気取ったCMが結構ある。品良く表しているのは感じるが、シュール過ぎて意味不明。悪い印象はないが、シュールにまとめたために伝わらないこともある。CMが短いためになおさら判らなくなる。何のCMか知ろうとしてみるがあっという間に消えるのでそれも難しい。目的が通じなければ莫大な額の損失になるのだろう。しかしそれほど損失を気にしない会社もあるかもしれない。
最近「中国韓国が反日傾向にあるのは、日本に対する憎悪ではなく、プロパガンダで仕組まれているから」という内容の本をイギリス人が書いた。読んでみると中々理解できた。プロパガンダは1900年代から始まっていたというのだ。日本人は「誠実、謙遜、正直であるため損するから、気をつけろ」ということだが、日本人が中国人や韓国人的性格になれといわれても、それは絶対無理かも。
20151022
今日は病院でレントゲン撮影の後、先生にお目にかかったのだが、予期せぬ宣告をうけた。「治ってますので、今日で終了」もう通院必要なし。うれしくて喜ぶのも忘れていた。そのあと観られなくなった地デジテレビのことが頭痛の種。退院後テレビを観られない。原因は再度の移転のため地デジが調子が狂ったらしい。リモコンでつかない。テレビのうしろを見るとますま混迷。さあ、どうするか?
20151021
今朝はアパートの何もない部屋で所在なげにぼうっとしていたが、テレビも本もない部屋で長い間じっとしているのが辛くなりおせんべいの袋から二枚入りのサラダ煎餅を取り出し食べた。実を言えば、若いときは煎餅や饅頭などの間食が大嫌いだった。それが変わったのは十年ほど前になる。大人の味覚になったのか、それとも老化か?十一月から新生活を旧居で迎える。新生活といっても別に退院後の新たな暮らしってだけなのだが・・・。御徒町で買ってきた鯵を焼いている。いつの間にか「通い猫」がガス台のそばで二本足で掴まり立ちして、鼻をクンクンさせている。ベージュ君は性格がのんびりしているのか、喧嘩をしかけない。逆に顔を傷だらけにして飛び込んでくるところをみると、ほかの猫に咬まれたらしい。猫のおひとよしは命がけだ。
ところで米国や中国が「慰安婦問題」で日本を窮地に追い込みたがるのはどういう理由なのか?中国も大昔に莫大な数の人間を殺戮しているくせに、日本に対して南京大虐殺を言い立てる。それとこれとは違うというかもしれないが、地球規模で言えば問題はある。米国などはインディアンをどのぐらい殺戮したか数字に残せない数だったように見える。どの国も未来の地球を見通して過去から他国の弱点を探し出し貶めるのはやめにしたらいかがか?
20151020
地デジのテレビをアパートから家まで運んだので、再度セットしなおさねばならず、テレビの背面の様々なパーツに刺さっていたコードを抜き取り、持ち帰ったもののまだそのままテレビを観られない状態。パソコンには強いが、テレビにはからきし駄目で周囲に世話になる羽目に。午後二時頃家を出て御徒町まで買い物に。愛する猫のチビちゃんとベージュ君のお食事の買い物にでかけた。御徒町の魚は十代から通っているので精通しているつもり。本当はししゃもが欲しいが、店では「入らない」というのでいつものように鯵を買う。全部で24匹千円。というわけで猫の食事のピンハネではないが、二匹を焼いて食べた。チビちゃんもベージュもわたしもそれぞれ鯵一匹づつ食べているという極めて優雅なひととき。
20151019
今日は朝から引っ越しの荷造り。あれほど荷物が少ないから大丈夫と思っていたら、全く逆。細かいものほど厄介。結局自分の性質の弱点を自覚する羽目に。わたしは書類や家具や洋服など世の中に関するすべてのことを分類するのが下手で大の苦手。分類などそれほど頭を悩ませることはないが、それが私には恐ろしく苦手。今後自分の弱点に改めて面と向かうことになりそうだ。分類下手という病気か。
20151018
今日は快晴。眩しいばかりの天気。朝の五時に起き、アパートを出たのは7時半。引っ越しすると決まったら、アパートを早く出るようになった。新聞をコンビニで買い、家のドアを開けると、チビもべージュもいない。どこに行ったのかと外を見ると斜め向かいの家の屋根でスヤスヤ眠っている。猫は呑気で良い。新聞を見ると「慰安婦問題でカリフォルニア市では、学校教育の中でこの情報を教える」という。どういうわけか日本は米国中国などに苛められる国となっているらしい。日本人の性格の良さが災いして、いつも「謙遜」と「譲歩」の善意がアダとなり窮地に立たされることになっている。だれかこの慰安婦問題で日本を追い詰める他国にアッパーカットを入れる猛者はいないのか?櫻井よし子氏だけが奮闘しているのをただ腕組みして見ていてよいのか?

151017
一月前から左の人指し指を包丁で切り、バンドを巻いていた。このほどようやく包帯を取ることができた。だがまだ絆創膏のネバネバが取れず自分の指ではないような感じ。どういうわけか、ほんの少しの傷で予定が延期になりかねない。ところでこの前五輪のエンブレムのデザインのトラブルがあった。今度は東京都のマークが問題になっている。どうしてエンブレムとか、マークとか重要ではないような問題でトラブルが起きる。金は掛かるし、トラブルがあるなら、辞めたらどうなの?と考えるのは不謹慎だけど、世の中「人集め、注目集め、名を広める」などの行為で事件が起こるらしい。だが不思議なことに、そういうトラブルが金になる、という世の中らしい。言ってみればある種の職業の人はトラブル怪傑黒頭巾で、事件を造っては宣伝しているみたいな印象があるらしい。結局有名になりたい人が事件を創るってこと?そこんところ良く勉強しなきゃ。
昨日はバッテリー探しで苦労したが、今朝古いカバンのポケットをみてみたら「あった!」見つかると思っていたので、それほど心配はしていなかったが、何故本体と切り離していたのか解せない。良く考えてみると機械が熱くなると取り外す習慣がついていたようだ。それで切り離したままになっていたというわけ。大体物事を深刻に考えない性質なのでこうしたことが起きやすい。ほとんど毎日新聞を買う習慣がついているのだが、なぜこうなったかといえば、出張しなければならない時期があり契約していた新聞販売所に一週間新聞の配達を断る電話をしたことがあった。その際のかなりぞんざいな態度に呆れて、それからほとんど新聞を買うことになったのだ。どういうわけか、新聞が好きでまた切り抜きをするのも好き。ビョーキかも。うちには切り抜きが莫大にあり、それぞれファイルに収まっている。たまに本に疲れてるとそれを持って喫茶店に行き古い記事を「堪能」している。切り抜く時と、それを見る時が一番楽しい。
20151015
今日は家で探し物。パソコンのバッテリー。何故か大切なものをなくす傾向にある。また明日探すことにする。昨日は夜「相棒」を観た。相手役が反町になったので、一新した印象がある。だが途中から眠くなった。マイナンバー制度導入で事件があったらしい。これから新たな収賄事件がありそう。時代は少しずつだが、動いている。
20151013
昨日は西新井行きのバスに乗り、阿弥陀橋に行った。ドイトで木材を買い、改装のための準備。ドイトの車を借りて運転して、家に材木を運び、そのまま空の車を返しにドイトへ。バスで帰る帰路に、王子駅で下車。どういうわけか相棒の「王子で降りて歩いて大塚まで」の提案にのり、歩いた。最初は良かったが、最後になってどっぷりと疲れ、だが驚くべきことにそのどっぷりが快感となる。眠りたかったが眠れず、ドラマを観る羽目に。「わたしに恋したお坊さん」結構面白かったが、主演のお坊さん役の男優が、まだ若いせいか恋を経験していないせいか、恋する顔でないのが気になった。よく考えてみれば、初恋であれば、そういう堅い表情にもなるかも、と納得。
20151012
今日は運転を頼まれ一日中豊島区と江東区を往復していた。疲れたので休みたいが、休めそうな雰囲気がしない。身体が真綿のように疲れているという表現があるが、似ている。今日の出来事はまた明日にゆっくり書く。
20151011
今日はアパートの契約解除のため不動産S・Hを訪問、お互いやや違和感を感じながら印鑑を押したのだ。生きてゆくために何回この印鑑押しを重ねるのやら、と漠然と考えた。大体「ノホホン、マイペース、グータラ」をまるでフルコースのように続けていたわたしには最適の激辛コースだったみたい。どういうわけかお互い「騙された」という言葉が漏れた。それはこっちの言葉だと言いたいが、我慢。なにしろ敵は契約書片手に理詰めで押してくる。ガードが堅い。パンフにインターネットができるとあったのに、全く不可能だったのが、不思議。ゴリ押しのできない性格なのか?そういえばわたしは以前占い師に「一本の矢と弓を持って全裸で走っているのがあなたです」と言われた。全くその通りですよ。笑ってケリを入れるしかない。
20151010
もう後二ヶ月で年の瀬に。あっという間の一年ともいえず、二ヶ月の入院があったので、イマイチな年。入院もそれほど辛くなくなおかつ結構楽しく過ごして、有意義な日々でした。その上若く美しい看護婦に「脈を取ります」とsaturation monitor(指で酸素の度合いを測る器具)で手を触られると「男性だったら楽しいだろう」とか、考えるなど面白い場面もありました。あの経験は入院したことなかったわたしには最高に良い経験になった。ところで最近テレビで「図書館戦争」というドラマを観たけど、なかなか面白かった。いわゆるSFタッチの未来映画のような感じで、この種の映画を観たことがなかったので、新鮮。なあかつ
岡田准一と永倉奈々の二人の芝居が結構娯楽として「サマ」になっているのも面白い。最近中年男性にこの二人の繊細な場面が人気があると週刊誌に出ていたか。やはりいくつになっても、ドキドキ感やトキメキは大切らしい。脳の老化防止にも役立つのかも。そういえば脳の老化防止にえのきを凍らせてから煮てペーストにして食すと脳の若返りと健康に良いのだとか、新聞に出ていた。
20151009
一週間もご無沙汰しました。理由はいろいろありますが、なにしろハプニングならびにドジ(あやまって指を切ったなど)が重なったため忙しかっただけ。ともあれテレビでは芸能人の結婚ラッシュで凄い。しかしこう言っては悪いけど、訃報よりも結婚報道が観ていて嬉しいし、なおかつ明るい。一番祝福したかったのは、DAIGOと北川景子さん。なかなか初々しくてカワユイ。ところで今熱中しているのは「アメリカの鏡:日本」を書いたヘレン・ミアーズのこと。マッカーサーから上記の本を発禁本にされた女性だ。物を書いている人は自分の本を発禁本にされたらそりゃ、激しく怒ると思うが、果たして彼女は? 
20151002
飼い猫のチビちゃんが帰ってこないという。心配だが帰ってくるまで待つしかない。昨日は絶大なる人気のある福山雅治の結婚報道がもみくちゃになり、テレビが捩れてひん曲がっていたっけ。どういうわけか、昔からアイドルとか人気歌手などのファンクラブの集いをクールな眼差しで見ていたっけ。だからか、知らないが会ったこともなく、壁にブロマイドを貼って眺めるだけのファンが結構報道で「死にたい」とか「会社休んだ」というのが理解できない。主体性とか内面の広がりに力を入れる興味もないまま、時を過ごし、格調高い孤独を味わう趣味を知らないためだと思う。だが、ファンの集いで「ワーワー」と黄色い声やピンク色の声を上げる女性たちを見ると、何故か羨ましい気が起きる。無駄に青春を送ったような、というか、自身の青春の過ごし方を今更反省しても遅い。やれないことをやれた人には理由なく羨望の眼差しになるのは、それだけ自分の内面がリッチではなかったってこと?90ぐらいになってからファンクラブに入るっていうのも一案。そこまで無理するなって声がする。
20151001
御徒町で買っていた鯵を今朝焼いて食べた。本当の話は、猫用に買った鯵だが、たまには人間も食べてみようと、ピンハネを。どうして猫に鯵を買ったのか?それは書くと長くなるので、短く説明する。飼い猫のチビちゃんは食べ物の好みがいつも変わる。以前はししゃもだったがししゃもが売ってなかったので、仕方なく鯵になった。そのうち鯵も飽きるかもしれない。その都度買いに行くことにしている。ペットフードも食べるが、缶詰類も用意していて、日によって食べさせている。こういう風に飼い猫の好みに合わせているのは、それだけチビちゃんの食が細いから。食べなくなったらげっそり痩せる。飼い主としては結構気をつかう。ところで最近殺人が多い。それも女性が良く殺される。これは不景気と密接に関係があるのか?そうかもしれない。なるべくならすべての人が寿命を全うして欲しいのでそのためにも景気回復が望ましい。
20150930
昨日は上野まで歩いて出かけ、帰りも歩きで帰った。つまり十数キロを完全ウォーキングしたことになる。退院後一ヶ月で凄い大胆なことをしたかもしれない。だが、身体は悲鳴をあげていなかった。自信が出たといえる。やっぱりスパルタ式が良い。自分を甘やかす傾向にあるので叱咤激励してくれる伴走者というか、伴歩者がいるほうが良いのかもしれない。そういえば地デジまでの二十数キロも歩いてたどり着き、帰りも歩いて帰った。五年前のことだ。また同じ道程をものにしたい。気力はまだあるってこと。自然に微笑みが出る。
20150928
今朝は快晴。晴れているのは身体に良い。朝5時に起き、雑用を済ませ(雑用の中には朝ドラも含む)都電に乗り、東池袋まで出かけた。近くに西友があるので、買い物をする。一割引きの惣菜が売っていたので買った。ここの惣菜は結構買うことが多い。料理をするが最近は手早く食べられるものを選びがち。今日はどうにか快適な一日を送れそう。そういえばNHKの朝ドラが今朝から始まった。題は「あさが来た」というのだが、なかなか面白そう。そういえば自身の幼少の頃は現在の六本木六丁目の辺りで、野原が広がっている隣に我が家があった。(丁度今のテレビ朝日の建物から、谷を隔てた高台の場所)あの頃は両親が結構自由な発想をしていたのか、進駐軍の家族と気兼ねなくつきあっていた。全くアメリカを嫌うなどの傾向はなかった。両親が穏やかな教育をしてくれたのだろう。両親は夫婦喧嘩をしていたが、どういうわけか、子供には優しかった。あの当時の思い出はたくさんある。アメリカ人パイロットの四歳の娘と友達になって、結構英語を覚えた。語学マニアになった原点だ。
20150927
今日はどんよりしている。洗濯日和ではないが、よんどころなく洗濯した。というのもアパートには洗濯機を設置していないため、家に帰ってするしかない。朝7時半には家に帰り実家に帰った娘のようにウロウロと歩き回る。そうなると思い出の品などがあちこちに散らばっているので手に取る。すると時間がかかる。忘れていたニンゲンカンケイを思い出す。家のことは大体思い出に浸ると時間がかかる。ストレス解消には向いているが、過去に浸るのは湯に浸る具合にはいかない。チビちゃん(飼い猫のメスで年齢は人間にすると四十過ぎか)が鳴いているが、何故泣いているのか判らない。どうやら膝に乗って甘えたかったらしい。判りやすくて良い。これから郵便物の中にあったインフルエンザ予防接種のパンフをじっくり読んで検討するつもり。
20150926
歩いて二十分ぐらいのところに大型銭湯があり、そこにはサウナや温泉並みの露天風呂もある。そこに行くと様々な人が裸になっているのだが、まるでデブの標本みたいに種類が多い。激しく肥っている人を見ると、感動するほどの体型に不安感と恐怖感を同時に味わう。そういえば母は激しく肥っていたっけ。昔の女優で名は忘れたが、その女優と同じぐらい肥っていた。人気女優だったその人を見て、母は「あの人よりもわたし肥っている?」と尋ねたことがあった。あの時「同じぐらい」と正直言えなかった。脳梗塞になり二十年介護した。そんなわけで彼女はわたしの反面教師だった。甘いもの油っこいもの、塩辛いものが好きだったが、わたしはそれらを今でも敬遠するよう努めている。
20150924
今日は某病院で診察。先生から「何かかわったことありましたか?」と尋ねられ「何もありません」と答えた。実を言えば某所で黒オリーブの瓶詰を買ったのだが、美味しいのでかなりたくさん食べた。あっという間に嘔吐。ようやく食べ過ぎていたことに気付いた。美味しいからといえ、食べ過ぎはいけない、と誰にも言われたことはない。大人になってドジするのはそれだけ溺愛されたということか?先生にはその顛末をいえなかった。退院後にドジ話に恵まれすぎている。すべてを告白しなければならないとは思わないから黙っている。ところで最近何か殺人事件が多過ぎる。理由はどうもテレビや映画のような気がしてならない。わたしだけなのか?テレビで殺人事件のドラマをやっていると、真似する者がでるから大変だ、とマジで思う。
20150923
今日は真夏日、暑い!しかし日蔭は涼しい。ところでわたしには、こだわりが1つある。洗い物などする前に必ず腕カバーみたいなものを両腕にはめる。なぜなら洗っているうちに服の袖を水で濡らすのが嫌いだから。そのため腕カバーを必ずはめて洗う。ところがアパートでその腕カバーを干していると、誤って片方を落としてしまった。下を見ると下のアパートの部屋の窓に掛かっている洗濯竿に落ちていた。あれを取るのは大変だ、と呆然と眺めていると、ずっと奥の左側の(よそのアパート)の人らしい人物がじっと眺めていた。おそらく「ドジ」とつぶやいているらしい。万事窮す。そういうわけで、腕カバーは片方しかない。家に帰り替えのカバーを探したが見当たらなかった。よその部屋の人の洗濯竿にひっかったわたしのカバーをどうやって取り戻すか、今そのことで頭を悩ましている。些細なことで取るに足りないことで頭を使うのは、馬鹿デアル証明かも。そういう自分が好きという程度の馬鹿。
20150922

今日も暑い。半袖で外出。アパートから家まで歩く十分程度で汗びっちょり。家に帰るとひんやりしていた。チビちゃんは猫だけど、真夏でも毛皮のコート着ておすまししている。彼女はここでは女王様で傅いている家来の手からお食事をもらって食べている。それも家来の膝の上でだ。だからか、いつもながら態度がでかい。今日も彼女の大好物のししゃもを買いに上野まで出かける予定。これほど飼い猫の餌に心を配ったことはなかったので、家来の姿勢に感服する。最近物価が上がっている。キャベツは200円以上になっていた。高けれりゃ食べなきゃいいのだ。と思えるのだが、栄養不良になる不安が過る。俳優の榎本孝明氏の断食修行を思ってしばし虚ろになる。

20150921
今日は真夏並みに暑い。冷蔵庫をアパートに設置するために一日の大半を費やした。待つのが苦手だが、丁度その時間に男子バレーの日本対イランの試合。結局日本が僅差で(と表現したい)負けた。何か勝てそうな雰囲気がしていたが、時の運がついてなかったのかも。負けたニュースを観た後冷蔵庫が届いた。黒光りする冷蔵庫はすごく迫力ある。今日は黒い冷蔵庫にご挨拶しなければ。
20150920
最近のニュースと言えば安保法案のデモ。戦争反対とか、「戦争を許すな」と叫ぶ声。だがどの時代も戦争を反対してもあがいても、死をもって抗っても結局戦争に突入してしまった。人類の病気ともいえる。要はどんなに抗っても戦争になるときはなることになっている。恐ろしい魔力があるのかも。だからこそ無駄に時間を過ごすより、知識ある人は戦争を起こさない術を編み出す努力をして欲しい。戦争を回避するための大学でもこさえると良い。数多の数の研究者がいれば、そのうち妙案がでてくるはず。


20150919
今日は昨日のシトシト雨が嘘のような上天気。明るいし、なおかつ蒸すぐらいの暑さになりそう。半袖を着て大塚に帰った。たった十分ぐらいで真夏のように汗が凄い。ここ数日ちょっとした猛暑になりそう。昨今のニュースでは茨城栃木の豪雨災害が主流だ。豪雨で助かった人亡くなった人など、映像に出てくる画像が「生死の境に生きている人々」ばかり。ある映像は屋根の上にようやく登ってきた二人、夫婦か兄弟かなど男女の区別もつかない。アナウンサーが言葉少なになり「この二人がどこに行ったのか生きているのか不明」ともいわず場面が終了した。無慈悲な映像ともいえるが、大体映像そのものがそういうクールさを以前から秘めているのは何となくわかってきた。
20150918
安保法案でもめている国会の映像を視線の隅に入れ、家を出た。雨である。このところ六月に降る雨を九月に降らせているような具合。雨嫌いではないけれど、雨靴が痛いので履きたくない。ところでテレビの映像が何となく古めかしく感じることがある。未来から現在を眺めているような気分なのか?面白い感触だ。

20150917
今日は雨。シトシト降っている中を図書館に行った。戦後の日本のことを調べたかったのだ。いつもながら本の数の多さにため息が出る。戦後の食生活を調べたいのだが、どの家庭も同じではないだろう。ところで日本研究家のヘレン・ミアーズが、日本が貧しいにもかかわらず戦争に突入してしまったことを、無謀だった、と書いている。しかし「無謀であったが、ただし日本が悪いわけではない」とも書いている。ミアーズの視点は普通の学者の視点とは異なり、複雑で高尚で一筋縄ではいかないほど緻密でレベルが高い。おそらく戦前の日本国はアメリカの裕福さを知ることができないほど貧しく、自国が無知であることも知りえなかったのかも。現在も戦前の日本のように敵対する国の規模を知らずに抗っている国が世界のどこかに存在するはずだ。
20150916
今日は体調が悪く朝から「どんより」して「ぐったり」している。理由は仕事と勉強のやり過ぎ。それにスポーツ観戦に明け暮れていたせいかもしれない。今日は休養日と決めたが、どう休養するのか判らない。朝食はインスタントラーメンだった。お料理好きのわたしにしては堕落といえる。ラーメンに謝りたい。

20150915
二日も休憩してしまいました。それというのも新居のアパートに細かいものを運んだりしていたから。その上外食が多くなった。ともあれ連休が近いのでその連休を利用して生活をすっきりさせたい。ところで神戸の殺人事件の犯人が本を出し、その反響は絶大だったらしい。良く考えるとこうした犯罪者を更生させるために、普通人と同じ権利をもたせるのは悪くはないが、個人差があってそれが本人のために良くないこともある。今回週刊文春九月十七日号に、本人が
関係者に送った手紙全文が掲載されているが、更生については完成度が低いと感じた。人を殺したことから立ち直るには、長い修行が求められるはず。本人が更生を完了したと自覚しているようだが、文面からは把握できない。被害者の家族が読めば、怒りしか起こらないはずだ。加害者家族と被害者家族の脳裏には底知れぬ暗黒の世界が広がっている。お互いもっと爽快な解決があるはずだ。

20150912
本日はアパートから本宅へ帰り、パソコンでいろいろやることがあったので、仕事をした。最近はノタノタやっているのが、なかなか気に入ってきた。大体セカセカ歩く性質だったが、最近はそうすると息切れしてしまう。弱くなったのか、まだ治っていないのか、どちらかだ。ヘレン・ミアーズに夢中になって秒本タイプの「アメリカの鏡:日本」を買ってしまった。彼女が生きていたら会いたかった。
20150911
今日は金曜日その上数日続いた長雨もおさまり台風の後の晴天、あまりの落差の激しさに息も絶え絶え。結構天気は良ければよいだけ健康を損なうのかもしれない。体がついていけないの?というほどの眩しい天気。今日は久しぶりに図書館に行った。それというのもヘレン・ミアーズの原書の本がないかどうか、と探していたから。だが見当たらなかった。昨日はバレーの試合、日本対豪州でテレビに釘付け。正直言えばパソコンの画面とテレビの画面を往復していたようなもの。どちらにも身が入らず、テレビだけに専心した。勝負はオーストラリアに三対一で勝ったが何となく物足りない。不思議と落差のある格上の対戦相手に勝つと狂喜するが、その落差がそれほどでもない場合だと不満があるらしい。観戦者もかなり我儘。わたし個人だけの感想か?以前はスポーツ観戦などしたことがなかったが、どう変わったのか、結構楽しんでいる。
20150910
新しい(実は築数十年の古い建物、つまり客観的には古いが、私には新しいわけ)アパートに住むようになり、三日ほど経過。部屋にはエアコンだけがあるが、インターネットや地デジとは縁もゆかりもない。最初はパンフレットに謳ってあったが、それをきちんと確認すべきだった。物事は正直に受け止めると、裏切られるらしい。だがわたしに貸してくれただけでも有難いと思わねばならないらしい。なにしろ(〇〇歳以上)つまり棺桶に近ければ近いほど、不動産屋は貸してくれないのだという。そうとは知らなかったので、結構ノーテンキだった。ともあれ、まるで「神田川」の平成版ともいうようなアパートの一室でワープロを叩き、コンビニで買ってきたクリームシチューのレトルトパックを開けて、その袋に湯沸かし器のお湯で洗ったそばをつけ込んでは食す、という「原始時代」を味わっている。「人生、こういう具合で、まあいっか」で過ごしていると、激しい場面が多くなるようだ。どういう気持ちかって?「楽しいの半分に少々すさんだ気分半分っていう感じかな」

20150907
二か月留守にしておりました。最近はバレーボールやバスケット、サッカーの試合観戦に熱中してみている時間が多くなりました。入院中のちょっとしたエピソードなどはゆっくり書いて行きます。

長年健康で来たのだが、七月七日頃突然息が苦しくなり、クリニックに駆け込んだところ意外な診断を受けた。「肺炎なので入院が必要」と紹介状を渡された。行った病院で即入院と宣言された。この時もまったく事の重大さに気づかなかった。最初は息もまともにしていなかったので、酸素ボンベで暮らすことになってしまったのだった。毎食
病院食が美味しいので助かったが、同じ患者同士のバトルが始まった。運悪く、最初から女性専用の部屋が空いてなくて、男性の部屋にいれられた。そこで夜中に「アンパンありませんか?三個で良いんです」とのべつまくなし食べ物の話をする、おつむのいかれた御爺さんがいて、超うるさい。その濃度の高さがハンパではない。あまりにもうるさいので、極道の妻風に脅してみて、ようやく黙ったが、翌日の夜はまた同じ。最後には手製の手榴弾を爆破させ、狂ったかのようにナースセンターに駆け込んだ。すると簡単に部屋を変えてもらった。最初から過激にねじこめば良かったのだ女性患者専用の部屋に移転して後、少ししてその部屋の牢名主風の患者と話すようになった。テレビはカードで見ることになっており、カードを千円で買う。ところが千円で900分だとか。まあ、それは良いが、牢名主風の口が達者な患者がテレビのカードを出し忘れているといけない、とか何とか患者としての最低の常識を教えてくれているような口調が続いた。するといつの間にか、買ったばかりのカードがないことに気付いた。不思議と口の達者な患者がテレビを悠然と観ていて楽しそう。どうやら盗人は近くにいたような印象があったが確証はない。なくしたのは自分の落ち度だと思い込んだわたしは罰として最低一週間はテレビなしの暮らしを自分に課した。だが歩いて数秒のところに大型のテレビがあり、そこは自由に観られる。ただし先客があればその人がチャンネルの決定権がある、らしい。そのようなわけでテレビでは苦労し、なおかつ暇なので売店に行き買い物をして食べる自堕落な暮らしが続いた。わたしは胃腸の病気ではないので買い食いしても誰からもお咎めなし。そんなわけで無聊を収めるには食い物とテレビしかなかったが、そのうち新聞と本が慰めとなった。入院してから一度退院するまで自分の病気をしっかりと把握していなかったらしく、退院後再度息苦しくなり、また再入院となった。それが八月六日。前回の退院の時に、医師の反対を押し切って退院したので、入院には担当医の先生への直訴というか懇願書を書いて送らねばならなかった。再入院の強引さのため、先生から「こういうことは今度はありえませんから」というお言葉を賜った。つまり勝手に逃げ出して勝手に患者として返り咲いたずうずうしさに釘を刺されたわけだ。その後「家は木造ですか?」と尋ねられ「築六十年の木造の家」と答えた。結局家のカビが原因の発病と判ってきた。そのため今度退院しても家に戻らずアパートを探して住むようにと助言された。だが年齢が高いと易々と貸してくれないとはその時点では知らなかったのだ。アパート探しのために病院から外出許可をもらって不動産屋に出かけ、六畳一間の1Kのアパートを借りることにした。結構条件は厳しかったが、印鑑証明など取り揃え、保証人もクリアできて、すべて完璧。3万5千円の家賃。狭いが一人なので不自由はない。一番苦手なのが近所付き合い。だが慣れれば怖くはない、と思うことにして暮らしている。自身の家から歩いて15分ほどの距離。仕事用の隠れ家というわけだが、新しいアパートから自身の家には出入り禁止と先生に言われているので、それを守っているが、不便だ。カビよさらば。友人に話すと、「カビで苦労したことがあるから、わかる」と言われた。世の中いろいろな病気があるのをこの年で知った。

20150730
今日は退院して3日目。なぜかかったるい。急ぎの郵便物をポストに入れてその帰りにアイスクリームを買ってなめていた。暑いのでこれしかない。だがもともと夏がすきなのでそれほどつらいとは思わない。 酸素ボンベを買いにいかねばならない。酸素が少ないのだそうだ。
20150727
七夕の日に肺炎で入院。入院中は歩くな、トイレはポータブルとほとんどカイゴロージン並み。しかし三食いつも黙っていても出てくるので結構楽。相棒が毎日見舞いに来てくれていたので、何も不安もなかった。次第に病院に慣れてきたころ退院になり、無事27日に帰宅。だが料理を作るなどの作業をする気にならない。まだ心身共にびょーきって感じでしょうか?いずれ完治するはずなので、気長に過ごすつもり。友は北海道へ行ったとかで写真を送ってくれた。羨ましいけど、旅行に行きたい気分もない。しかし何故か創作意欲だけは衰えず着々と妄想に近い構想が脳裏に跳ねている。
20150703

調子がイマイチだったのでクリニックに行ったら、肺炎だとか。熱っぽい。そのため何もせず家で寝ている。こういう風に健康を損なうとは予想もしていなかったが、日ごろの生活習慣の管理が杜撰だっただけ。大体出不精のため健康もなおざりになるらしい。何も作らずすぐ食べられるものを買ってきて開けて食べるだけ。動物園の熊みたい。
20150702
真夜中十二時過ぎ。眠りから覚め、テレビをつけて驚いた。本田圭佑がヨーロッパのクラブの経営に乗り出すとか。日本人の優秀な選手を海外に出し、支援する目的というのが素晴らしい。ただ自身の選手生活に留まらず、後進の育成を視野に入れている。大物感絶大。サッカークラブの株があれば殺到するかも。スポーツと金儲けは一致するかしないかは、不明。目的の純粋さに感激。スポーツに無縁だがその壮大なvisionに拍手を送りたい。

朝七時頃からサッカーを観る。たまたまテレビをつけたら試合が始まったばかり。いつの間にかなでしこジャパンのファンになっていた。中途観ていなかったが2-1でイングランドに勝利。決勝に進むという。おめでとう!ご苦労様。今日のニュースに新幹線で車内で自殺した七十代の老人の事件があった。この事件で被害者一名巻き添えで五十代の女性が死亡。いつも思うのだが、毎日星占いを見る努力も重要。自分に何が迫っているのか感じる感性も重要。ただ息して真面目に暮らすだけでは理想的な人生などありえない。自分に危険が迫っているのを感じる能力は犬並みにあるひとは在る。感性を磨くのは人生を歩むためには不可欠。感性は磨けば光る。予期せぬ死に出遭ってしまった方のご冥福をお祈りいたします。
20150701
二日間多忙のため、サイトを更新できず。今朝は雨、それも真夜中の二時半。昨日は某所で某人物の発言を拝聴。その中に極めて無防備な発言があった。こういう風に逃げるというのは何故?と思ったが怒りも不快もない。いつの頃からか不快を回避する神経回路になっていたのか。これで良いのか?ともあれ、平穏無事を祈りながらいつの間にか眠っていた。喜怒哀楽がほとんど同じに角が取れていた。疲労のためらしい。

20150628
韓国の対日非難を日本以外のどのような国が迎合しているのだろう。産経新聞の今日の古森義久氏の「あめりかノート」では韓国の異様な反日を「韓国の強迫観念」と寸評していた。最近で米国側で韓国の対日非難をやんわりと制御させる動きが広まっているという。慰安婦問題については、韓国大統領が訪米の際は、日本に触れないと打ち合わせたという。外交とはお互いを譲歩し、お互いを尊敬するのが理想だ。穏やかな平和外交へと導かねばならない。米国側の配慮は的を射ている。

20150627
朝ドラマの「まれ」を観ているとどういうわけか、セリフが余計な場面が多い。確かに解りやすいが、現実ではこれほどなんでもペラペラ自己の胸の内をしゃべくらないもの。あのようにしゃべくっては「身も蓋もない」しなおかつスマートではないし、人生が雑になる。正確に言えば昭和の心かも知れない。べらべらしゃべるようになったのは平成になってから。テレビの影響もある。もっと沈黙をうまく使うドラマが欲しい。品良く格調高く、優雅に口を閉じてもらいたい。
六月ももうあと少し。どうして年月は早く過ぎてゆくのだろう?そういえば節目節目に「またパリにでかけてみたい」「ストラスブールにでかけてみたい」と何回となく思い、実現していない。理由は家にいて書いているのが好きだからともいえる。ところで最近友の話を聞いていて、時々脳裏に別な映像のテーマが展開することがある。つまり相手の話を一部、聞いていない。自分の脳の中に展開する画像に気を取られていたから。だがある時、漫画界の巨匠手塚治虫氏が同じように相手の話を聞いてなくて、時々自分の世界に没頭すると、聞いたことがあった。それ以来自分の脳の勝手な「散歩」を肯定するようになった。それが高じて認知症になることはないかも。しかし人間って「結構おもしろい」が、かなり優秀な機能を放置しているのかも。
20150626
朝起きてあまりにも暑いので眠られなくなり、仕方なく体操を数分やってからまた寝た。時計を見ると約一時間寝ただけだった。このところ時間を無駄に使っているような感じ。テレビをつけると真鍋かをりが「きちゃった結婚」をしたというニュースがやっていた。てっきりわたしは真鍋かをりが「花より男子」に出ていた小栗旬と結婚した人だと思い込んでいた。それでできちゃった結婚とは、何があったのだろう?と。だがインターネット上で調べてみたら小栗が結婚したのは山田優だった。このような好奇心に煩わされ確かめている自分が馬鹿馬鹿しくもあったが、何故か確認したかった。ところで最近はできちゃった結婚が普通になりつつあり、数十年前の友人の結婚を思い出した。その当時「D結婚」は今ほど当たり前ではなかったが、大体神経が鈍感に近いわたしはD結婚の当事者の友のお父様に会場で「おめでただそうで良かったですね」と話しかけたら、お父様はお顔を朱くされておられた。「悪かった」と思ったが口から出た言葉は戻せなかった。今では隔世の思いがするエピソードだ。
20150625
昨日なでしこジャパンがオランダに勝利した試合を観た。サッカーの試合は大観衆の応援風景も報道されるが、すべてをまとめてサッカーの試合ということになる。大観衆が夢中になっている姿を含めたサッカー観戦。ボリュームのあるスポーツということになる。話は変わるがサーカスのような一団が毎年海外からやってくる。どうもサーカスは苦手。理由は判らない。一度だけ観たことがあるが、ハラハラドキドキする場面を敬遠しているらしい。ところで芸能人の恋愛がリークして、恋愛を噂されるカップルがインタビューで「いじられる」それもインタビューが終わっても追いかけて声をかける。あれってインタビュアーの性格にもよるのかも。しつこく質問しても意味ない。温かく見守る姿勢がなければ格好悪いし、みっともないのでなるべく「スマートなインタビュー」を心掛けて欲しい。芸能界全体のイメージが劣化してしまう。
悪魔の辞典という辞典があった。平成悪魔の辞典を時々モノローグの文末に披露したい。
平成悪魔の辞典
戦争:武器を生産し、威力をどうしても見てみたい人々が考えた適切だと思われる血みどろの戦い。
病気:医師と患者が協力して作り上げるもので、片方だけでは存在しない。病気に名前がついているのは、患者の慰撫目的になっている。
離婚:愛が枯れたために別れることになる男女の形式。中には知恵がないために離婚になる例があるが、誰も助けることができない。離婚届があるから離婚が存在する、と主張する者もいる。



20150624
毎朝NHKの連続テレビ小説「まれ」を観ている。習慣にしてしまっている。朝仏語の独習が終わって食事してから毎回観ている。どうも気になっているのが小日向氏の配役。いつも穏健な優しい人を演じているが今回の役は真逆。小うるさく厳しい。配役を決めた演出の人はその落差を目指していたらしい。小日向氏がそういう役をやるのは初めてではないだろうが、役者は何でも消化して演じられるようだ。ところでこのドラマで気になる役者は柳楽くんだ。初出演の映画で世界的な演技賞を受賞した彼が出てくるとインパクトがある。風貌がなにしろ濃い。これからどんな役者に育つか楽しみ。
20150622
あれほど揉めていた日韓関係が最近見事に修復への道を辿っているらしい。世界遺産の件では明治の産業改革の中の遺産として軍艦島があったが、その登録をめぐって韓国が難色を示したとされる。解決を見出したのは韓国側の世界遺産の登録への日本側の支援が作用していたようだ。もちつもたれつ、ってことか。韓国もごね上手とは言わないが、外交感覚を磨き始めたのかもしれない。テレビで日本の植民地時代を再現した日本村を創設したという。それも日本人の観光客を狙っていたが狙いは外れたらしい。結果として韓国の若い人々の人気スポットになっているそうだ。浴衣を着た韓国の若い子たちが喜んでいる様子が報道されていた。なかなか皮肉な結果になった。
20150621
毎朝起きたらすぐグルジェフの自伝を数行音読する。それも十分に満たない短い時間。これがなかなか記憶力をあげるらしい。と思って実行している。すべては未来のため。ところで今朝4時50分頃寒暖計を見たら26度だった。ところで一昨日の産経新聞に日米安全保障条約の「真の設計者」はマッカーサー二世だった、と書かれていた。マッカーサーに二世がいたことは知らなかった。M二世は日米両政府の間を奔走したのだ、という。十三歳で来日したM二世が日本で何を見て何を感じたのか?その未来に日本と関わる仕事をすると想像できたのか?不思議なことに因縁というのは、さりげなく懐かしくついて回るものらしい。因縁こそ大切にしなければならない。そういえば腐れ縁という言葉があるが、「腐らずの縁」も大切にしなければならない。そして腐れ縁もなるべくそれ以上腐らないように大切にしなければならない。
20150620
昨日雨が降っているのに買い物に出かけた。猫のチビちゃんとベージュ君のためのお食事の缶詰を買う。二十数個買った。いつも猫のことばかり考えていて、自分たちの食事を忘れることもある。何で猫狂いになったのか良く判らないが、彼らの可愛さは誰でも理解してくれるはず。チビちゃんは病気の相棒の肌をペロペロ舐めてくれたという。ベージュ君は皿に美味しいペットの缶詰をあげると、食べ終わると頭を頭突きして「ありがとう」とお礼を表す。皆それぞれ可愛いのだ。たぶんそれぞれが亡くなったら泣くかも。
20150619
PART1
今思い出したのだが、数十年前オランダに滞在していた日本人留学生が、現地オランダ人に「戦争中インドネシアで日本兵に撃たれて今でもその傷が疼いている」と訴えられたという。その際日本人留学生は即座に「御免なさい」と謝罪したという。だが何故オランダ人がインドネシアで何をしていたのか、何も調べもしないで即座に謝ったのか?果たしてそれが正解だったのか?その時点で記事を読んだわたしは留学生の謝罪は早かったと思えた。ただの勘だけだったが、最近になりその当時のインドネシア独立戦争でオランダ軍と闘って現地のインドネシア人に感謝をされた記録が載った本を見つけた。題して「皇軍兵士とインドネシア独立戦争」副題「ある残留日本人の生涯」林英一著(吉川弘文館)これには、インドネシア人のためにオランダ人と闘いインドネシア独立後は多くの現地人に慕われた日本兵が存在した記録の詳細が載っている。謙虚を旨とする教育をうけている日本人の特有の逸話があるのかもしれない。世界に出かけてゆくなら、是非日本のことで因縁つけられた時の反論ぐらいは準備しておくべき。さもなければ道理も歴史認識も宙に投げ、感情だけで迫る側に追い詰められてしまいかねない。謝れば済む問題ではない。日本軍が現地インドネシア人に慕われるまでの関係を築けていた逸話を後世に遺すべきである。日本に帰らずインドネシア独立に人生をすべて捧げた人々がたくさんいるという情報をもっと多くの人々が知るべきでは?


PART2
昨日の食事会でなめこのカレーを作った話をしたら唖然とした人が一人。ほかの一人は「それもいいかも」と同調してくれた。料理は独創が一番と思っているのだが、従来のレシピを崩したくないひともいるらしい。これからも跳んだ発想のものを作りたい。

20150618
本日は月一回の食事会。朝から携帯と鍵が見当たらず、愕然。ときたま「ないない!」と探す癖はいつになっても治らない。後でゆっくり探したら携帯はカバンにあり、鍵はすでに服の中に入っていた。こうした間違いはいつもある。待ち合わせに遅れそうになるが時間に余裕をもっていたので、大丈夫だった。皆といつもの麻布十番の洋食の店に行く。そこは小さな店だが味が人気があるのか、いつ行ってもお客が満杯。店も十名ほど入ると一杯になるほど小さい。今日もオムレツ定食を頼む。優しく美味しい味は幸せな気分にさせた。その後麻布稲荷神社に行って参拝。おみくじが多数並んでいた。神社は無人だった。空を見ると雨が降りそうな気配。家に帰りつく際にようやく小雨が・・・。
20150617
昨日新宿御苑に行った。広大な敷地は歴史的に意味のあるところ。家康が家臣内藤清成に与えた17万8千坪が出発点だったという。その後農業技能研究目的のために使用されたというので興味深い。広大な芝生の向こうに異常に大きな松があった。まるでアメリカの公園に出かけたような大規模な風景。以前ここに来たことがあったが、異なる印象だ。広大な広さだが、正味歩き回ったのはほんの数百坪程度。もっと堪能したかったが同行の友人との会話が大切だったので、風景を味わう時間もなかった。今度景色を味わうためにまた行ってみたい。

中国長江の大型船の事故の報道で数回の改装が原因だったという。つまり客室を増やしたために事故が起きたといえる。大型船のオーナーの欲が事故を招いた、というのが真相らしいが可哀想なのは遺族の方々。事故を起こした側は社長以下すべて遺族に誠意のある謝罪を願いたいが、そのような様子は微塵もない。正確には中国は観光で利益を出せるほどまだ体制が整っていないのではないか?欲だけで始まったことは、崩壊が終点になるのを身をもって知るべき。
20150616
今日は久しぶりに仲の良い友と再会する予定。公園で散歩して語るのだけだが、年を経るとどういうわけか友人が少なくなった。誤解もあるが、二人の友が視界から消えた。そういえばある親しい友人は「年を取って友を失わないようにしたい」と述べたことがあった。その言葉が気になった。自身は病気にも人生の途中の落ち込みにも強いが、友を失うことはかなりの打撃らしい。それも台風一過と思いたい。わたしはわたしと思っているといつの間にか友が減るのかも。あまり気にしたくない。そういえば、甲状腺ホルモン異常症になったことがある。数十年前の話だ。女医の担当医が薬を処方して渡してくれた時「この薬を飲み続けなければ死にますよ」と告げられた。その時持ち前の負けん気なのか、その日以来医師に再診のため訪れることはなかった。薬などで治さない自力でで治すと決めた。プールに行き毎日明るく泳いだ。驚いたとことにそれだけで、すっかり完治させた。汗をかいたり動悸がしたりしていたが、それ以後まったくなくなった。
自力で完治させることができたのを知り自信が出た。そんなわけで今ではどんな病気も怖くない。どういう性格をしているか?って?「多分、死ぬも生きるも同じって考えているからかもね」

20150613
今日は良い本に出逢った。「旧日本軍の『泣ける話』」メディアソフト社刊 すべての逸話は旧軍人のインタビューや伝記で構成されている。台湾の独立を助けた人物の話。インドネシア独立を助け、ラバウルを終戦まで守り抜いた今村均中将など。感動的な話に胸が詰まる。靖国神社参拝まで思いが及んだ。良い日だ。
ところでこのサイトには似合わないテーマだが、面白いレシピを一つ。なめこカレー。なめこって結構便利な茸だが、たまたまカレーに入れてみた。ごく普通のカレーになめこを一袋いれる。なめこは健康に良いし、カレーは薬膳料理だから、なかなか合っている。たまたまカレーのための材料のじゃがいもがなかったので、味噌汁にいれるつもりのなめこを入れたら「楽しい一品」になった。ボーリングをしていて、よろめいてしまったが、玉はきちんとまっすぐピンに当たり、全部ピンが倒れたような偶然。料理ってだから面白い。たまたま作ってしまった料理でばっちり収まることがある。普通の料理を作るより創作料理の方が好き。そういえば昔鯵の干物を焼かないで野菜と煮たことがあり、呆れられたことがあった。母は料理学校に行かせようと思ったらしい。
20150612
一人息子が両親を撲殺した事件があった。のどかで殺人とは無縁に等しい村で起こった事件だ。両親は殴られ死に行く瞬間「ああ、自分たちの子育ては間違っていた」と思ったかもしれない。大体親は厳しいか、甘すぎるかの二種類しかないように思える。わたしの両親は厳しいしつけをしてくれた。四人の兄妹の中で親が甘かったのは三番目の兄と末のわたし。両親に愛された三男は、愛されたゆえにか、人生の流転が激しかった。最後に南米の地で亡くなった。好きに生きてその挙句早死にだった。愛されることは地獄に通じているのかもしれない。
20150611
最近テレビで騒がれているのが、少年時に殺人事件を起こした人が出版した本のこと。犯罪を犯した者が出版すべきではない、という意見もある。少年が何故自分が犯罪を犯したのかの理由を公表したかったという「言い訳」は理解できる。だが被害者の親にしてみればまるで再度息子を殺されたような不愉快さと怒りを抱くはずだ。その心理を解って出版したのであればそれは犯罪に等しい。書いた本人が病気だとすれば、出した会社が責任を取るべきかもしれない。なにしろその加害者は少年たちにカリスマ的な存在だと言われているそうだしその観点からいえば、書いた本人も出版社も犯罪者と同列ともいえる。書いた内容はある程度買わないでも解る。かねてから殺人行為をしてしまう衝動は、性的目覚めに深い関係があると睨んでいた。おそらく少年はその時期を「性的に目覚めていた時期に」犯してしまった犯罪と書いているはずだ。この点を多くの親はきちんと学んでいただく必要がある。怖気ず堂々と性教育をしなさい。息子を犯罪者にしたくなければ。

20150609
最近いやにグルメ志向になっている。どこの番組でも美味しい店、絶品の店を訪ねてはそのグルメ度を調査している。あれってどうにかならないの?というのは、食料もない貧しい時代に育った者にとっては、いい加減にしろ、と言いたいほどゼ~タク。あれは教育上よろしくない。貧しい食事に慣れろとは、言わない。だが美味は良いが、貧しくとも暮らせる癖をつけておかないと、これからどんな未来があるか判らない。美味追求は職業従事者にまかせて、ご自分は贅沢な味の追求よりも別な次元の世界に宝を見つけて欲しい。それが一番自分を育てるはず。音楽とグルメは人生を歪める。音楽を聴いて陶酔しても人生の指針にはならない。美味しい味に出逢っても人生には役に立たないかも。
20150608
NO1
ところで最近様々な事故があり、多くの方々が亡くなっている。どうして平穏無事に過ごせる人と、事故に遭い早死にする人がいるのだろう?その差は何だろう?以前から考えていたが、それは予知能力ではないか、と思った。実を言えば母は予知能力が優れていた。「明日何かがありそう」というと母の言う通りに出来事があった。予知能力は誰にでもあるが、気が付く人もいるし、また気が付かない人もいる。もし自分の人生に予知能力という才能を加えたいと思うなら、今からでも遅くない。眠る前と起きる前に「これから何があるのだろうか?」と自問してみると良い。深いところであなたを守っている何かが答えをくれるかもしれない。幼い頃から守護霊らしき者が何か囁いていたのを覚えている。時々「おめでとうございます」と言って教えてくれたこともある。理解できることもあったが、首を傾げることもあった。おそらく予知能力は母や祖先が導いてくれているのかもしれない。ともあれ予知能力は磨けば光り輝きます。導いてくれるはずなので、磨いて見てください。
NO2
そういえば、男の人がイヤリングをするようになって久しいが、最初にその現場にぶつかった時は内心奇妙な違和感を感じた。今から数十年以上前の話だ。その時「ああこの人は自分がアプローチしたい対象を見つけた時に、相手にそれを解らせるためにイヤリングをつけたのだ」と判った。そういう男性は「ハンティング」をしたがる。本当に純粋な愛を育てる意志のある人は、背を向けるはず。つまりイヤリングをして「待つ男」は、土台素晴らしい性愛に巡り会わないことになっていると見える。性と愛をバラして人生を歩いている人は、異性を転々とするだけの人生になってしまう。こういうことは時が経たないと判らない。性愛に目覚め過ぎてその世界だけに興味を抱くと精神世界やそのほかの価値ある世界を知らないで人生を終わるかもしれない。どちらが最善か解らないが、生きているうちに自身の宝を発見できる人は稀かもしれない。よりよい人生は精神世界にある宝を発見することではないかと思えるようになった。
20150607
日本年金機構のデータ紛失ってあれは、正に内部のミスを隠すための「プレイ」ではないのでしょうか?以前も内部的に使い込みがあった。あの体質って治ってないんではないのか?今度のデータ紛失は演技に見えると思われても仕方ない。あれほど改革したのに、まだ事件が起こるのはそれだけ公務員気質、官僚気質が抜けないのでは?国民を馬鹿にしてそれで収まるはずがない。そのうち公務員、官僚改革が大々的に行われることが実現するはず。そうでなければ年金そのものの形式が日本から消滅する。
20150606
最近の出来事でいえば、近所の人で周囲に総スカン食っている人物がいて、その方が突然わたしに話しかけて来たこと。全く付き合いはないが、聞いてみると相当過激な性格らしく現在誰も相手をしないのだ、という。大体博愛精神の強いわたしは皆が相手しない人でも全く差別せず受け入れる。なにしろそういう「くせ者」のような人ほど、興味があるから。彼女はゴミ回収のおじさんが時々「これは持っていかないよ」と規定に反するゴミは絶対受け取らないという。だからゴミ集積場で待っていて「持っていくかどうかみたい」のだという。
暇な人らしいが一応会話らしい会話を済ませて引っ込んだ。なにしろ気に入らないと玄関にゴミをばら撒いて「怒りを表現する才能」があるらしい。話していると普通の人なので全く気にならなかった。近所トラブルというが、ちょっとしたことで、凄い事件に発展するらしい。その方に「お宅新聞何取っているの?」と尋ねてみた。すると「新聞?」と言ったまま黙ってそのまま背を向けた。聞いたところで文字を読む気のないひとらしい。今度ゆっくりと彼女とまた話したくなった。誰も相手しない人に興味を持つのはおかしいのか?自身も誰とも話さない時期があったので、興味大だ。
20150605
国民性というが、日本人は否定的で救いがたい揉め事などをうまく「水に流す」ことで人生を歩んできた。過去のグレーも黒も、その上に白いペンキを塗り、忘れる。だがそれをできない民族が結構多い。土地の空気も作用しているかもしれない。未だに他国の過去の過失に拘泥し、そのテーマを一生抱えて生きる姿勢というのは、日本古来の遺伝子にあっただろうか?国際的な面を考えるとどうも落差を感じる。だが忘れない、絶対怨念を孫子の代まで伝達し続ける、という姿勢を持つ民族が存在する。地球で火の手があがっているところは、そうした遺伝子を持つ人種が住んでいるのでは?どこに行っても笑顔があふれる地球であって欲しい。人類は果てしなく続くが、個人の寿命は限られている。
20150604

従軍慰安婦問題がメディアで取り沙汰されてから久しい。だがこれは韓国中国などの他国からの日本叩きのテーマとしてはやや迫力が欠ける。何故なら元々このテーマは女性の地位が低い時代の遺物で、女性虐待の歴史の一つといえる面もある。某男性は「あの当時のそうした女性たちは金のためにそうした職業に付き、かなりの収入を得ていた」そのため「その非難の根本がまだ盤石ではない」と言いたいらしい。あの時代は女を売り買いしていた時代の遺産を引き継いで処々の悪習が残っていたに違いない。聞いたところでは攫われていた女性が交番に駆け込んだら、警官は雇い主に女性を返してしまいその誘拐事件までも隠してしまったという事実がある。恐ろしい時代だった。日本を非難したいのであればそのテーマは妥当ではない。日本ばかりではなく同様のことが韓国、中国で存在したはずで、現に現代日本にも同様のことが横行していると聞いたことがある。その昔「からゆきさん」という存在があった。日本女性がアジアの他国でそうした仕事についていた。慰安婦という言葉とニュアンスが異なるが、そうした女性はいた。ところが日本で過去にそうした仕事についた(日本以外の)女性が未だにこれを問題にする理由はそれなりにあるだろう。しかし現代という時代、戦前や戦後などの詐欺被害を告訴するのに似て、説得力が充分ではない。時効だと言いたいが、彼女らはまだ彼らの運動の成果を得てない、と言い募っているらしい。過去の悲哀、怒りを如何に解決できるか、知恵が出ないが、ここで言いたいことがある。銅像をこさえるまでに運動できたことは評価する。しかしこれは日本向けの銅像ではなく、世界中の男性への銅像だと理解したいし、そう思える。しかし男性側の立場から見れば「なにも銅像までこさえることをしなくても」という声が聞こえてきそうだ。
 
20150604
今日はまた暑い。朝四時半に起きてしまい、朝餉の支度。判で押したように造るのだが最近は味噌汁にご飯とはいうが、いつも味噌汁は具だくさん。なんでもいれる。いつも入れるのが薩摩揚げ。具を入れると、それだけで美味しい。
ところで最近、グルジェフの「Rencontre avec des hommes remarquables」(注目すべき人々との出会い)を長い間積ん読していたが、これを無作為にページを選び毎日音読する習慣をつけている。ほんの数十分だけだが、これが面白い。意外にスラスラ理解できたりするので嬉しい。精神に喜びを与えるのは自分だと思う。
20150603Part1
新潮社刊の櫻井よし子著
「日本の敵」に中国人の数字を「創る」流儀が載っていた。中国高官に歴史の中の数字の信憑性について尋ねたところ「中国の歴史の中の数字は国民の被害者感情が加わって数字が増加する」というような答えが返ってきたという。つまり中国人が良くいう南京大虐殺三十万は、あれは創られた数字だというのだ。とうとうばらしたか。国際的に信用されなくても平気だという体質があるのか?それともプライドがないのか?ところが創ってしまうのは数字ばかりではなく、歴史そのものも恣意的に捻じ曲げられているというのだ。朝鮮戦争勃発は北朝鮮の攻撃で始まり、中国軍は二百九十万人も投入されたというが、それはアメリカの帝国主義の侵略で始まった、と教科書に書いてあるという。高官にこの点を尋ねたところ「その件は今研究中」と答えたそうだ。櫻井氏は本当に日本と中国が向き合うことになったら、チベット、ウイグル、モンゴルを弾圧している中国に立ち向かえるのか?と問う。どのように戦争を回避すべきか?今から考える必要がある。

20150602
今朝TBSで「お墓」にまつわる話を報道していた。最新のお墓はインターネットのお墓だ、という。そういえば日本で初のパソコン絵画教室を開いた平成元年頃、インターネットでお墓を造ったことがあった。残念ながら当時はアメリカのドメインを持っていたが、現在使用していないので残ってはいない。何でも最初にパイオニアになってしまう癖はどこから来たのか判らない。

20150601
櫻井よしこ氏の「日本の敵」新潮社、を読んでいる。ダボス会議で中国の某氏が「中国は平和を愛する国だ。我々は他国を侵略したことはない。どの国も脅したことはない」と平然と述べたと載っている。だが次に「国際社会は中国の嘘を見抜いている」「そのスピーチは会場の多くの失笑を買った」とある。国際的に他国から信用を受ける受けないは代表の述べる言葉にかかっている。多くの国の人が「世界で一番信用できる国日本」と信じてくれてはいるが、大嘘がまかり通る時代が来ないことを祈りたい。どういうわけか日本人は嘘がつけない国民性だ。この遺伝子は消え去らないことを祈りたい。

20150529
そういえば競馬場に行ったことがある。競馬場だから賭けることにしたが、馬の見方も予想の情報も手に入れてなかった。案の定結果はゼロ。馬の背中やお尻の見事な光沢を見て感動した。結構それだけで楽しかった。連れて行ってくれた人とそのほかの友人と苦い結果を味わいながら駅まで雑踏の中を歩いた。今は馬と競馬場も変わってきている筈。馬って素晴らしいが、賭けの対象でなければまた別の味があるはず。

馬に乗れたら良いと思っていたけど、結局一度観光地で乗っただけだった。
20150528
今日は朝四時半に起きてしまった。あまりにも早いので仕方なく一階に行きシャワーを浴びた。こういう猛暑に近い季節になると、シャワーを浴びるしか手がない。真夏に冷蔵庫に冷たいタオルを常備して、常にタオルを首に巻いていた。それがわたしのエアコン。
ところでNHKの「まれ」を観ているけど寒い季節なのに皆白い息を吐いていない。あれって演出のミス?

20150527
五月に30度ということは、真夏の八月には40度になるかも、と予想している人も多いはず。インドは45度になり、1000人の死者がでている。同じ地球に住んでいるでどうなるか不安が広がる。大体エアコン嫌いなので暑さは平気だが、なるべくなら皆元気に猛暑を吹き飛ばしていただきたい。ともあれ、真夏に近いほど暑いと血なまぐさい事件が起きるようで、三名の家族が殺された事件が起きた。なるべく血の気が多い人は、ひとまず深呼吸してください。しかしながらインドはあのように暑くて血なまぐさい事件が起きないのか?
昨日面白い川柳を某所で発見した。
結婚記念日を悟らせたい配偶者が尋ねた。

今日何の日?尋ねたら、燃えるごみの日

そう答えたそうだが、奥さんに罪はない。そういう間違いは往々にしてある。

20150524
22日麻布十番で食事会があり行ってきた。某団体のメンバー三人で毎月一回行うことにしているが、ここ数ヶ月は麻布十番と決まっている。「えどや」という店だがここのオムライスが絶品。毎回オムライスを注文していたが、今回だけは「キャベツ巻き定食」にした。これも美味で、幸福感に包まれる。やはり美味は幸福を運んでくる。店内はランチのお客で満杯。麻布十番ではこの店ばかりになっている。次回は自分の地元の池袋にして貰うことにした。どういうわけか出不精のわたしは近場ばかりに出かける。理由は地下鉄の乗り換えが苦痛。若い時から出不精だったけど、山手線の車内で乗客をスケッチしていた時代がある。十代の頃だ。

20150521
ところで最近「ドローン」にまつわる事件が話題になっている。15歳の少年が15万のドローンでマスコミを騒がせている。これがきっかけになって、彼は能力がなくても世間の耳目を集めることができると知ってしまった。彼の前に二本に別れた道が左右に続いている。一方はまともな社会人、もう一方は犯罪者。このほかに類まれなアーティストの道もあるはず。15歳で逮捕された記録は彼の誇りになるのか?
親はどうしている?この逮捕を契機に素晴らしい道を編み出して欲しい。

今朝4時半頃に強烈な落雷の音で眼が醒めた。かなり執拗に何回も春雷が落とされた。春には欠かせない春雷がこのような大きな音だったとは忘れていた。あまりにも大きい音だったので、猫のことが心配だ。チビちゃんとベージュ君は友達みたいなものだが、おそらくこの音で死ぬほどびっくりしているに違いない。

案の定雷に驚いて、チビちゃんは家の中の新しい「隠れ家」を見つけ昼になるまでそこを動かなかった。
ところで話は変わるが日本の世界遺産に指定される軍艦島の登録で韓国が「登録に反対表明をしている」という。韓国人の強制労働があった、という理由だ。この反対には証拠が必要なのだろうか?世界遺産という「活動」がどのように組織されているのか知らないが、反対が起こるかどうか調査しないで認定したのだろうか?物議を醸しださない方法はないのだろうか?韓国の反対には世界遺産側は「日韓双方で和解するように希望する」という内容のコメントがあったらしいが、世界遺産という「勲章」の組織自体が両国の不和の火種をもたらさない努力をすべきではないのか?ところで文化勲章とか世界遺産の認定とか、人間は名誉が好きな生き物だが、名誉がなくても生きられる。
20150520
最近、隣の中国の寮から留学生のお母さんの手造りのお粥や餃子を頂くことが多い。餃子も日本人の作るものとやはり一味違う。それなりに美味しくいただいているが、お礼になにかというと必ず手製の一品を差し上げたいのだが、このところ料理がすこぶる下手になり、自慢の一品を差し上げれない。というわけでケーキ屋さんで買ってきた洋菓子となる。そういえば留学生に聞いたことがある。「日本は濃やかな商品がたくさんあるのでびっくりした」と言っていた。確かに創意工夫を凝らした品々が多い。だがひたすら同じものを作り続け進歩がないように見える暮らしを一概に否定できない。日本には物がありあまるほどあり、新しいものが次々に出来る。そうした速度についていけない人々もいるのではないのか?

20150519
一昨日橋下氏の政界引退を憂え、辞めないで欲しいと書いたが、年齢を改めて知り驚いた。まだ五十歳過ぎてもいない。やはり若いと決断が速い分だけ人生を短絡的即断即決で締めくくりたいのか?ある意味見栄を張っているような印象がある。どうかまた思い直して日本のために頑張っていただきたい。大阪が駄目なら東京もあるし、福岡もある。外国もある。冗談ではない。とにかくもう少し派手な行動を慎むべきではないのか?エールを送る代わりに叱咤激励になってしまった。

20150517

また姓名判断のことを書く。姓名判断の本を実は出版する気でいる。もう一人これぞ姓名判断最高の名前を挙げておく。樹木希林、彼女の名前は姓名判断のオーソリティーに創ってもらったとうかがえる。なにしろすべて良い数になっている。「樹」が16画姓の最後の漢字が「林」で8画。足して24。この数字はブラボーが五個。姓の二番目の「木」4画と名前の最初の漢字が「希」で7画。足して11。この数字はまた最高でブラボーが五個。全体を足して35。35は芸能芸術文化などどの分野でも輝き、躍進する個性豊かな才能の持ち主というブラボー十ほどの数字。24の数字は一生金に苦労しない裕福運。11は強運を持つ強い運気の数。これほど完璧な名前はそうないだろう。

ところで今日橋下氏が、大阪都構想に反対する市民の票の結果、政界を引退する表明をしたという。「引退しないで欲しい」それに「いつか必ず大阪が都になるはずだから、諦めないで欲しい」


20150515
今日はまた姓名判断の話を書く。かつて非業の死を遂げた向田邦子氏。中心運は16で最高。外格つまり被援助運数(他からの援助のあらわす運数)は11。総格が27。中心運16は人生を通じて強運であるという数字。外格11も強い運気を表している。だが総格の27が凶と出ていた。良い格数の名前は作家山本一六。山と六で7、本と一で六。総数は十三で最高な運気。作家として運勢抜群が名前に表れている。数字には吉凶を示す念が籠っている可能性がある。
20150514
暑くなってきている。今五月で東京が三十度とすると、真夏はどうなる?おそらく四十度ぐらいになっているかも。人間は過酷な季節に耐えて進化しなければ生きられない動物らしい。どう進化したらよいのか良く判らない。例えば夏だけ鰓呼吸をして生きる魚になるとか。そうなると海で暮らす人間が増えるだろう。海の中に事務所をこさえるしかなくなる。なるべく楽しい空想をして生きるしかない。残酷な夏でも冬でも生きられる能力だけはあるらしいから。
ところで水玉模様が怖かったことがある。これは眼が悪くなり常時眼科に通っていたことが原因だった。眼科では点眼薬を処方してくれるが、それを点眼すると必ず視界が水玉模様になってしまう。薬の中に油性のものが入っているために、視界が歪む。だが最初の頃はそれが薬のせいだと思えなかった。ある時、トラックに鉄のパイプが莫大に積んであった。それを真後ろで見ると巨大な水玉模様。背筋がゾッとした。だがそれも慣れてしまうと何でもない。しかし巨大な水玉模様が点眼薬のせいだと判らない間は怖かった。
ところで、南沙諸島に中国が軍事基地を建設しているという。中国としては焦りがあるのだろうか?日本は何も案ずることはない。中国が始めていることには無理がある。民意を掌握する力がない政府が強引にでっちあげたことは、おそらく破綻する。民意に敬意を。


20150513
そういえば幼い頃に風邪を引き易い体質だった。冬から春にかけて良く寝ていた。寝ている布団のそばに母は本を開き、読み聞かせてくれた。学校の勉強が遅れてしまうのを懸念したのだ。童話のような読み物だが、その読み聞かせがその後の創作活動を培ってくれたらしい。子供への読み聞かせは案外軽んじてはいけない。その子の未来の一部を創る一端になるかもしれない。子供は他に三人もいたし、父の仕事は来客が多かったので忙しかったはずだが、かならず読み聞かせてくれた。良く考えると兄妹四名の中では一番可愛がられていたらしい。風邪を引いた時に良く起こることだが、嗅覚がなくなり、お味噌汁やご飯の匂いが鼻から消えていた。数日するとその匂いが戻ってくる。それも一つずつ。味噌汁の中身によっては細かく匂いが違う。世の中に匂いが莫大にあるということをおぼろげに知った頃だった。
20110512

最近の傾向だが、やたらにパスワードを乱発して世の中パスワードアレルギーになっているのではないか?パスワードで守るものとは何なのか?それほど大切なものでもないはずなのに、やたらパスワード、パスワードとうるさい。どうしてこういう世の中になったのか?愚かな傾向と言いたいが、助かっている会社もあるかもしれない。犯罪を防止するには、良い方法かもしれない。わたしはパスワードよりももっと簡単な方法で守る方法があると思う。パスワードで守るよりも人間の信頼を正確に確認するための
誠意を培うべきなのではないか。

20150511
本日からこのサイトに姓名判断のコーナーを、不定期に設けることにしました。姓名判断といえば、十代からこの分野に興味を抱き、毎日のように新聞の事故や殺人事件の被害者の姓名の格数から何故その人が被害に遭ったのかを調べているうちに、次第に分かるようになりました。
作家や有名人なども、その類まれなる強運が名前にも反映されていました。特にコンビを組んでいる名前を調べるとその人気度がすでに名前の力もあると理解できました。例えばオリエンタルラジオ、画数の総数が23。この23は姓名判断中最高の部類に入ります。またクリームシチューは16。この16も最高の中でも特に良い。生まれながらの名前もさることながら、新たに出発する店の名前や芸名は特に姓名判断を理解し、命名をすることが賢明ではないか、と感じます。今後は不定期に姓名判断のこぼれ話を掲載します。

20150509
今日は半日ぼんやり過ごした。季節の空気が春なのに淀んで・・・。こういう天気って困る。雨が降りそうで降らなかったり。ところで半ノラのベージュ君を携帯のビデオで撮影した。カワユイ!ベージュはどういうわけか、甘えん坊で「ね、ね、僕のこと抱っこして」という風な空気をもたらす。または寝転んで「僕をなでなでして!」と身をくねらせる。本当に遊んでやると時間を忘れる。今度可愛い顔を載せてみます。今日はベージュ君が好物だった鯵も食べなくなったので、彼に食べてもらえるものを
買いにでかけた。小さな缶詰でほたてやマグロの入ったものを買ってきた。すると開けた瞬間に近づいてきて、バクバク。凄い迫力。食欲がないように見えただけだった。

20150508
今日は病気について考えた。父は入退院を繰り返したほど病気がちな人だったが、そのため生きるためのノウハウを自然に会得していた。彼が言っていたことは「医師の言うとおりに従っていた患者は退院することなく、病院で死んだ」「医師の言うとおりにしてはならない」と家族に言った。父の言葉が身についていた。最近自分の思うとおりに暮らしている。生き抜くということは、生きることに根性を持てるかどうかにかかっている。だから死ぬも生きるも自身の根性次第だ。
20150504
本日明治時代の産業革命であるさまざまな事業のある地域が世界遺産に登録が勧告されたという。八幡製鉄所や「軍艦島」なども含まれているという。それが真実であればその世界遺産登録に到達した基礎となったのが「日仏外交史」に基因すると言える。照明が当たるとすれば日仏外交史にあたるべきである。
日本は炭鉱の技術も製鉄所の技術もすべてフランス人技術者の指導によって導入が可能になったのであり、ほかのどの国でもない。今回の世界遺産の基礎となったのはフランス人技術者がもたらしていた技術である。その元になったのはナポレオン三世と十四代将軍家茂との間の極秘外交に在る。日仏外交史のページを改めてご覧いただきたい。


20150503
以前から新聞の切り抜きをしている。気になる話題、生きるためにためになる言葉、知らなかったことなどを切り抜いて数十年。その数は莫大。だが一度切り抜き読むと後は二度と読まない。そういう習慣にはするまいと、このほどバインダーにしっかり閉じることにした。外出の度に携帯し、お茶のひとときに切り抜きを読む。おそらく濃厚な教養の時間を持てるはず。そううまくゆくか不明だが、やってみることにした。しかし活字から離れない暮らしも良いけど、文字も言葉もないある特殊な暮らしをしている人々の内面にも非常に関心がある。
わたしが何を求めているかと言えば、どこかに貴重なアイディアや哲学がこぼれ落ちてないか、ということ。

20150502
最近面白いエッセイを読んだ。5歳の子が卒園を迎えた。その子は卒園なので今までの思いを手紙に書いた。「〇ちゃんが好きです」すると「僕も〇ちゃんが好きです」と返事が来た。そしておしゃまさんなので、その彼に言った。「お姫様だっこして」彼の返事は体を鍛えておく、と。ところが彼の方は孫娘さんよりも体格が良かったのか、僕には無理だからと後ろからハグしてくれた、とか。まるで二十代の恋人たちのような感じだが、今の時代卒園からこうでは将来どう人生を歩むのか、心配。われらの時代は晩生だったから人生に飽きることはなかった。おしゃまさんの将来がどうなるか、不安が?心配だとて問題ないでしょうね。

今日は暑い。エアコンをつけずにひたすら我慢。それが習性になっている。マゾの傾向がある。冷たいタオルを首に巻く。それがわたしのエアコン。最近昼寝すると肥ると言われたので、眠くなったらコーヒーを飲む。今54キロある。これを52キロにしたい。やればできないことない。どういうわけか、胴回りが肥ってきた。毎日裸になって点検が必要だ。人間の体は飛行機のように、点検が必要なのだが、やったことはない。点検しなくても百名もの人が亡くなることはない。だから気が緩む。計器に体を預けて「あなたの体は事故が起きる前の飛行機状態です」と自動的に警告してくれる体重計があれば良いのに。無理だよね。



20150501
今日は真夏のように暑い。屋根の上で玉子焼きが出来るかも。これからの家は屋根で玉子焼きができる設計にしてはいかが?などと埒もないことを考えている。ところでこう暑いと出不精のわたしは夏の過ごし方に苦慮しなければならない。大体エアコンが嫌い。鎌倉に逃げようかと思う。鎌倉にはジャングルのような土地があり、そこを避暑地にしたい。そう思って数十年。何もしていない。無策のままだが、なるようになる。猛暑に冷蔵庫で冷やしたタオルを使い、エアコンを使ったことがない。それというのもOL時代に冷房病になったためだ。ところで話は変わるが、テレビでアルコール依存症になって行くらしい芸能人を見かける。酒の害は誰でも気付かない。気付いて断酒する人は少ないらしい。二度の断酒で今は飲んでいないが、酒の魅力に抵抗できない方には、是非思い切って一度断酒をすることをお勧めする。
大酒呑みではなかったが、止められなかった時間を今になって後悔している。

英国王室のニュースがテレビに情報を伝えている。キャサリン妃の入院している病院の前には徹夜組のファンが集まっているらしい。それは驚くことはないが、ファンにお菓子やお茶が配られたという。キャサリン妃の心遣いは、聞いていて新鮮。皇室のある日本はやはり王室のあるイギリスに関心が強い。
ネパールで地震があったという。それも大地震。最近は地球のあちこちで大きな変化が勃発。地球が活きているということだ。大地震が人間でいえば心臓の鼓動なら、異常気象は何?地球は疲れているのかも知れない。それで戦争を起こりそうな気配があるとしたら、この世の終わりが近い?地球は生身の人間なら、人間の起こす戦争は吹き出物か?地球の吹き出物に最適な塗り薬はありませんか?

20150427
「瀬戸内少年野球団」をテレビで観た。これほど戦後の日本の地方を描いた映画が味わい深く様々な要素を含んでいたとは意外だった。細部に渡って戦後の日本人の心の傷とその経験の痛痒さが描かれていた。再度観てみたいと思ったがラストシーンの音楽(アメリカンポップというのか)にはやや不満だった。渡辺謙と夏目雅子のシーンはリアル過ぎ。
20150426
TBSで「芸能人かえうた王決定戦」をやっていた。まるで芸能人の文化祭のよう。面白いのでほかのチャンネルを回さず釘づけ。昔の歌が出てきてあの頃の自分を思い出していた。歌を歌うことを仕事にしている人は舞台に立つことが名誉。楽しそうだが、何故か複雑な切なさ。理由は日本人の深層に「切ない悲壮感」があるような気がしたから。
20150425
昨日某所でココナツオイルを買った。ココナツ好きのわたしには女神との遭遇のような一品。今朝たまたま良く焼いたトーストに白く塗ってみたらこれが驚きの美味。お勧めの一品になった。料理にも使えると考え大事に使うことにした。インターネットでココナツの効能を調べたらさらに驚いた。
ダイエット、免疫力向上、認知症予防、日焼け防止など。当面毎日最低一匙を口に入れ、健康になろうと決意。一日三匙ぐらいが適当らしい。今年の夏は日焼けのクリームはいらない。ココナツを塗って出かけようっと。
20150424
北野監督の最新作「龍三と七人の子分たち」の中に昔の知人を発見。彼の名前は伊藤幸純さん。七人の子分の一人を演じている。以前自分の友人を彼に見合いさせたことがあり、記憶している。当時女性の方は伊藤さんを気に入っていたのだが、どういうわけかお互いアクションを起こさなかったらしく不成立だった。あの時仲人的な細かい配慮をすれば良かったのだが、なにもしないうちに、結局ボツ。あれから数十年経過した。映画を観に行こうかと思っている。
20150421
雨ばかり降っている日々が続いた。何をしていたかと言えば、テレビで映画やドラマを無制限に観ていただけ。無為の日々かもしれないが、今まで夢中で過ごしてきた人生を振り返っていたような感じもする。結論が出ないがある人が言っていた言葉を思い出した。「人生は生きるだけ生きたら、それで良い。結論など出なくても、生きて息していたらそれで良い」そうかも。しかし四六時中関心事のテーマを追い求め、資料をコピーして莫大に手元に置いている今、その資料を積み上げたたまま溜息をついている。自分が読み切れない資料を眺めているだけの人生ではないのか?あのエネルギーを何か形に出来たかと問えば解答が出ない。しかし一方の自分が満足しているのだから点数をつけるような考えをしたくはない。


20150415
高峰秀子の「喜びも悲しみも幾歳月」を観た。1957年の映画。昔の映画だが、映画が上映された頃には観る機会がなかった。どういうわけか映画は観る度に印象が変わる。この映画も今度観る機会があったとすればまた異なった印象があるはずだ。映画の不思議なところは作品の印象が複合的に広がってゆく
世界があることだ。一作はその作品だけに留まらず無限の世界が広がっている。恐ろしいほどの芸術だがまだ入り口にはるか手前にいる。

20150413
最近寺や神社などの建物に油を掛ける新手のマーク付けの「犬」たちがいるらしい。
独自の能力で、世間の耳目を集めることができない者の犯行ともいえるが彼らを救済する組織はないのか?そういえばアルコール依存症の人々の団体があり、定期的に集まり二度と酒の毒に犯されまいと日々精進している。上記の軽犯罪者たちのグループ造りが求められるがどうだろうか?誰でも他人のことに無関心だから軽犯罪は続く。その軽犯罪を大きな犯罪に繋がらせない努力を国民全員が必要。例えば服役した人々の肩身の狭さも、なるべくなら緩和できないのか?そういえばごく普通の人々は、刑務所帰りを嫌がる。当たり前だが、彼らは普通の人間だ。映画の中で刑務所帰りの男を演じた高倉健なら会っても良いでは、話にならない。普通人は刑務所帰りでも大きな心で接して欲しい。

20150411
桜が散ってから春らしくなったはずだが、どうやら今年の春はまるでじらせているような感じで一筋縄では行かない春。それが結構快感だったりするのかも。最近は行動半径が狭くなり、外出の散歩は買い出しが半分、家では昔のドラマを観させられている。面白くないとは言わないが、人生はこんなものだろう。今日は有名な航空会社の社員をモデルにした「沈まぬ太陽」を観ている。男性が人生で輝かしい業績を挙げるには地獄の経験を通過せねばならない、ということなのか。


20150407
高崎で女性に硫酸をかけた男がいたという。今までの通り魔もこういった無差別で女性を傷める男も性的未熟という弱者であり、性的に熟する機会を失った者たちだ。究極なネーミングは欲求不満男といえるのだが、年々多くなる。なぜそうなるのか?尋常に性的な成長ができていなかった。女性の場合性的欲求不満を持つかどうか?持つかもしれないが、硫酸を持ち歩くことにならないのは何故か?男性の生き方の見本がこの世に多くないという理由もあるかもしれない。男性が生きにくい?そういえば世間は成功者しか見たくないらしい。

20150406
雑用で忙しかった。いろいろ世間も忙しいらしい。わたしもそれなりに忙しかった。そのため疲れてが出て今日は寝ていた。昨日はテレビばかり観ていた。今考えるのは闇雲に維新の会を除名処分になりそうになった女性議員の事件をテレビがうるさく報道していたこと。あれってほっとけば良いのではないか?大体明治以降政治家は恣意的にプライベートを処理してきた。女性だからって差別して倫理を押し付けるのはどうなのか?世間はいつでもスケープゴートがなければ生きていけないのか?
20150330
11時少し前にフジテレビで
SMAPの大運動会を観ていたら、ゲームの中でダンスが始まった。SMAP全員が踊っているのを観てつられて躍っていた。そういえば以前からテレビのダンスを観て踊る習性があったっけ。健康は身体が欲していることをそのまますることで作られる。というわけで真似して躍る癖は消えない。真似が良くできなくても気にしない。運動会って若さを振り絞れるかも。しかし家庭では運動の必要を教えてもらわなかった。もっとスポーツやダンスに興味を持たせる教育をして欲しかった。本を読み聞かせてくれた母親には悪いけどね。
20150329
この前のドイツ機の墜落、どうやらウツを病んでいた副操縦士の意図的な事故だったようだ。日本はパイロットや副操縦士の精神面のチェックは日常的に行われているという。それがなされていなかったということは、ドイツの飛行機会社では個人の私生活まで立ち入らない風習でもあったのかもしれない。ともあれ個人の恣意的な行為で起こった事故とはいえ恐ろしいことだ。これはドイツに始まらず、ほかの国でも絶対起こらないとは言えない。思い出すのは初めてパリにでかけた最初の機内。恐ろしく上下して、スチュワードらしき男性が青い顔をしていたのを思い出す。あの時は「この飛行機墜ちるらしい」と思ったものだ。あの時ほど怖い思いをしたことはなかった。乱気流があっただけらしいが、二度と乗らないと思ったがあれから数回渡仏した。最近はもう二度と行かないかもしれないと思える日々。もう一度だけ行きたい。
20150327
3.27日付の産経新聞に面白い記事が載っていた。ポーランドの歴史の中に登場するジプシーのこと。彼らは言語と文字を持たない民族である。そのため言語と文字を持たないからこその貴重な世界観がありそれらを持っている民族よりも数段哲学や思想により深い味わいとひろがりがある。ポーランド映画「パプーシャの黒い瞳」にはジプシーの詩人を通してポーランドの歴史が語られる。監督は「世界には多様な生き方があることを知ってほしい」と語る。こういうことを知らされると何故か現時点での世界が色褪せてみえるかもしれない。

20150321
毎日耳鼻科に通っている。花粉症かもしれないが、どうも鼻にトラブルがあるらしい。だが、それも結構楽しい時間。ところで昨日から今日にかけて吉事があった。嬉しい。書いた作品を褒められた。褒められた作品はこれから出す予定のもので、肩の力を抜いたコメディタッチ。それで思ったが受賞した「土踏まずの日記」もコメディタッチだった。つまり喜劇的要素の少ない作品より、より笑い転げる作品の方がイケるらしいことが判った。というわけでこれからに期待したい。スロースターターだが、まだ人生始まったばかりという気分。正確に表現すれば、若いってこと。

20150319
今日はトラブルだらけ。まず某クレジット会社の方から、1000円に満たない金額の未納を知らされ、慌てて支払いに出かけた。ところがその前に電話で知らせをしたと言っていた。確かにそういう記憶があったが、それどころではないプライベートなことで東奔西走していたのだ。だからそのようなことはできなかった。最後にクレジット会社の女性に顛末を解説し「個人にはどうしても出来ない場面が起こることがある。会社の破綻は小さなことが契機で起こり得る」と言っておいた。馬の耳に念仏だったかも。

20150318
昨日コンビニでおでんを買った。家に何も用意していない場合はおでんは結構便利。それにさしたる理由なくコンビニの大きなおでんの容器の前で、勝手にはんぺんや牛蒡巻きを大きめの容器に入れてゆく。なんとなくこの行為が好き。それに数多くのおでんの具がそれぞれ面白い。餅入りのアゲとか大根とか、買って帰るとき、なんとなく楽しい。日本人で良かったと思う。今日はテレビ東京の男子ごはんで教えてもらった変わりお好み焼きをやった。そういえば毎週男子ごはんを観ている。この番組は普通の料理番組とは一味違う。まず料理を楽しく作る雰囲気を教えてくれる。元々他の料理番組も良く観る。

20150316]
昨日さだまさしの過激で波乱の激しい人生を一時間にわたって報道していた。番組のタイトル自体が爆笑とつくので何回も笑う場面が出てきた。強烈にスターダムに昇りそれにつれ過激な転機に自ら飛び込んでしまう。無人島を買ってしまってそこに桟橋をつけ、家を建てるなどやりたいことはやってしまう。実はわたしは無人島を欲しいと思っていた時期があった。その夢は叶わなかったが、無人島を欲しいってどういう性格なのか?おそらく粗忽で夢見がちな自由人かも。

20150315
平岳大、父母ともに俳優の彼が「伊達正宗の命を受け、スペインの国王に交易の目的で謁見した1600年代の
支倉」の歩いた道を辿るドキュメントを観た。大昔の支倉常長の足跡を辿るその道は果てしなく途方もない。どんな思いで歩いたのか、と平がつぶやきながら歩く。その上大昔のサムライの足跡を現地の人が知っているというのを知り感動。旅は観るものではなく、やはり歩いて感じるものらしい。

20150314
新幹線が北陸までのびる初日。今日は初開通のお祝いムード一杯。そういえば過去に金沢に行ったことがあった。空気が綺麗で天気が良かったせいで、散策穏やかで楽しかった。当時バスに乗ったら、地元の人が乗っていて、マグロ漁船に乗っていると言っていた。一回数百万も稼ぐとか聞いた。おじさんは出来たら家に来ないかと誘ってくれたが行かなかった。三十年前の話だ。あのおじさん新幹線が通ると知ったら驚いているかもしれない。

20150312
大江戸線に若松河田という駅があるのを最近知った。どこでも春の雰囲気がして、気分まで緩む。そういえば季節の変わり目になると、いつの間にか俳句を創ってしまうようだ。友人が俳句を創ったと送ってもらったが、ほかの人の俳句を読むのは結構ホネ。ただ中に良い句があるとやはり毎日句を詠む人には自然に一歩進んでいる、と感じる。
毎日詠む人とときどきしか詠まない人とは比べられない。痛感する。
一日で100句作った時代があるが、あの時すこしにしておけばこうまで遠ざかっていないかも。
20150310
サッカー。なでしこジャパンがフランスに負けたのを今知った(十日の午前二時)。残念。フランスに勝てるだけの底力があるはずなのに。しかしこれを契機に勝利への道をひたすら邁進して欲しい。ご苦労様でした。

20150308
今日は日曜日やることが多くて、大変だったが、一応済ませた。最近土地を売る算段をしている。横浜市と静岡函南の二ヵ所。だが現地で売るのが最善かもしれない。土地を買うのは母の影響で、彼女は売買が上手だったらしい。不動産屋になれば良かったのに、と今思う。
わたしがもし新しく買うとすれば、沖縄か鹿児島。そういえば夏は北海道、冬は沖縄の別荘で暮らしていた金持ちがいた。真似したいができないだろう。
20150303
今日は夕方には寒くなり、雪が降りそう。明日は朝早く起きて出かける予定。
三月二日付の産経新聞の一面に櫻井よし子氏の記事が載っていた。従軍慰安婦問題の真実の報道である。国連人権委員会特別報告者のクマラスワミ氏が「悪魔的な所業は日本人の行為ではなく、中国人の伝統的手法、と国際社会に証明するために資治通鑑やそのほかの中国の歴史書を英語訳にして世界に紹介すべきだ」主張した、と書かれている。つまりいくら日本の悪口を捏造しても、世界に通用しないということをまず中国に解らしめることが重要と主張されていた。これで胸のつかえがおりた。日本人は胸を張って世界で振る舞って良い。堂々として良いと思える。櫻井氏がきっちり書いてくださったので多くの方々が溜飲を下げたはず。


今日は雛祭り。雛まつりといえば思い出すのは父の描いた雛の絵の掛け軸。現在は幻の絵だ。なにしろ行方不明になってしまったのだから悔しい。しかし思い出すがあれは実に品の良い美しい雛だった。会いたいあの雛に。ともあれ今日は誕生日と同じ気分で過ごすことにする。楽しいことをたくさんする。時間があればの話だけど。


20150301
今日から三月。嬉しい。自分の生まれ月だからか、なぜか嬉しい。毎年三月になると運気があがる傾向にある。誕生日には美味しいものを食べることにしている。ところがいつも鰻重を好きな人が周囲にいない。それで独りで鰻屋に行くはめになる。鰻の味って店によって違うことが多い。だから今まで知らなかった店に行っても感動しないことがある場合もある。ある店でかなり面白いことがあった。出てきた鰻丼に普通ならごく一般的なお新香がついているがその店は
生姜の甘酢漬けが添えられていた。その抜群のコラボが絶品で、びっくり。鰻丼には生姜の甘酢漬けがお勧め。
20150228
逮捕された中学生たちはすべて容疑を否認しているという。それも証拠が揃っていても堂々と否認しているらしい。まだ何も始まっていないのに、弁護士と共に警察に行ったと。しかも未成年なので名前も顔も公表されていない。護られている犯罪人。一方被害者の人権は護られていないのはどうしてなのだろう。まだ民法も刑法も万全ではない。今まで同様の事件があっても何も変わっていない。日本は本当に先進国の中でも優れた体制なのだろうか?未成年を護り過ぎることがかえって未成年の犯罪を多くさせているのではないのか?すべ

20150226
中学生殺害事件のことだが、原因は万引きを強要され、拒否したために殺されたという。この事件に学ぶことがある。万引きを強要した人物に対する罪名を殺人を強要したと同じより重い重刑を科す必要がある。そうでなければ犯罪を犯した者と命令した者の刑が異なって本当に悪い張本人が法の手から免れてしまいかねない。中学生のこの事件には重大な現代の法の問題が隠れているといえる。
20150224/NO.1
中学生が暴行され殺された事件がテレビで報道されている。こういう事件が何故起こるのか?誰かが止められたのではないか?両親が何故とめられなかったのか?不思議に思う。中学生は自身が受けている暴行の原因を何故親に話せなかったのか?両親はどの程度自分の子供の暮らしのすべてを把握していたのか?これは親子の関係にも原因があるのではないか?親しか子供を護れないと思う。親が一番近くにいるのだから、近くにいる者に責任がある。

20150224/NO.2
今日は免許の更新日、朝8時には東陽町に向かった。高齢者教習修了証を提出し、流れにそってあっという間に免許取得。写真が理想通りにならなかったことを除いては満足99%。素晴らしい日だったが昼食が何故か貧しくなった。相棒が浪費を嫌ったのだ。家に帰り即席の簡単スープをこしらえてご飯を食べた。最近はご飯を大量に炊いて冷凍しておくことにしている。そのため時間がかからず支度ができるのだが、料理の質が悪くなりつつある。キャラ弁とかキャラ寿司などをテレビでみると、あんなのを作りたいと、とぼんやり思う。
20150223坂東三津五郎氏が亡くなったニュースが今日知らされた。59歳とのこと。早い。そういえば歌舞伎界の大物級が数年引き続き亡くなっている。踊りの神様と言われていたそうだ。研究熱心であったという。辛かった病魔との闘いが終わってホッとしれおられることだろう。本来なら「ご冥福をお祈りいたします」になるのでしょうが、わたくしからは「あちらで皆様と歌舞伎公演をなさってください」美し舞のお姿が目に浮かびます。
20150222
免許の更新時期で24日は東陽町に行く予定。一昨日の20日は麻布十番で会食。「えどや」という洋食屋さんで食事したのだが、予期せぬ美味に出逢ってしまった。この店のオムライスが抜群の味でおそらく東京中探しても出合えない味ではないかと思う。混んでいてかなり待ったのだが、ほかの席では箱膳が運ばれていた。それも美味しそうなので次回に食す予定になった。美食家でも、無類のグルメではないけど探し回っていないのに良い味に出逢うこの頃。美食運があるといえるのかも。幹事さんのお蔭かも。
20150219
TBS木曜日の「残花繚乱」を観て思うこと。知性と教養のない
女性の登場人物がほとんど。上司と不倫していた女性が紆余曲折の末自分に相応しい男性と結婚できたが、その結婚を周囲の女性たちがもみくちゃにするほど嫉妬し、壊そうとしてゆく。ドラマとして一人も大人の女性が出て来ない。知性と教養がないから、簡単に悩み、不満を周囲にぶつける。ドラマとしてこれほど馬鹿馬鹿しいドラマがあってよいのか?作った側には悪いが、視聴者を侮っているような印象がある。もしかしたら視聴率を稼ぐのはこういうドラマなのか?だが毎回観てしまうわたしは、反省しなければならない。これ以外のドラマを観る努力をしていないことを。救いがあるのはピーター演じる書道の先生であり、この人物がいるから少しは観られる。

20150217
今日は最近出ていた週刊誌の記事のことを書く。十五年前新潟で少女監禁していた男が服役が終わり、とうとう出てくるのだという。この種の犯罪は再犯率が高いと思っていたらその通りらしい。記事では男は服役中に反省した様子もなく、規律は守らないし、なおかつ周囲の人々を軽んじているという。その反省しない男が出てくるとのことで、皆不安が広がっている。新たな事件を引き起さないという確証はまったくない。なのに出てくるという。しかし何故刑務所は「反省していない者」を出所させるのだろう?反省していないのは、刑務所の責任ではないのか?服役満了だからと言い、反省もできない男を出すべきではないのでは?新たな犯罪をその男が起こさないことを祈るしかないのか?


20150216
最近何故か雑用が多い。その上免許書き換えの知らせが届いた。結構遅い年齢で取得した免許なので長い間使いたいと思っていたら、自主返納もあり、とか。何だか気分イマイチ。どこにも文句は言えない。若くて取っておけば良かったけど、気が付いたら遅くなったのだ。兄や母に死なれて取得のチャンスが大幅に延びた。だが究極の目的は母を乗せてドライブをしたかったのだが、わたしが取得したときはすでに母はなく、何のために取ったのか無意味になっていたような印象すらある。今では材木運びのトラックとかそんな用事で運転するなど、あまり優雅ではない。もっとも大型のトラックの運転手になりたかったぐらいだから、優雅を求めた人生ではない。ま、わたしらしく行くことにする。なにしろアメリカの80歳のばあ様が孫に会うために大陸を車で横断するというのだから、見習いたいものだね。できるかどうかわからないが、日本人の意識をもっと目覚めさせないとね。何歳で運転免許を取り上げるなど一律にできはしない。個人差があり、到底無理。
20150215
本日はバレンタインデーの翌日。そういえば友人が銀座にチョコレートの店をオープンして今年で二年以上は経過している。売れ行きはどうなのだろう?銀座にはチョコレートの店がかなりたくさんあるという。友人の店ブロンデルはスイスのチョコレートで、味わったことがあるが、やはり本場の味は日本の板チョコよりも数段グレードが高く、あの味に親しんだら日本のチョコレートは満足できないはず。銀座の松屋のそばの三菱Bのすぐそばのブロンデルジャパンの売れ行きが気になった。毎年この季節はチョコレート祭りのごとく騒がしい。しかしホワイトデーもあるので、まだ終わったわけではない。
20150214
今日はバレンタインの日だった。小さな義理チョコを戴いただけで、お返しはしていない。今日草彅剛くんのドラマ「スペシャリスト」がテレビ朝日で昼と夜の二回あるので、嬉しい。草彅剛のファンだと言ったら友達は「亡くなったご主人に似ている」と言われた。確かに少しは似ているかも。顔で選ぶ傾向があったためでしょう。このドラマは冤罪で刑務所に入れられ十年後に冤罪を解明され、出所。ムショで培った犯罪心理学のデータを元に、数々の難事件を解決する男を草彅剛君が演じている。「銭の戦争」も主役だが、人気俳優の中で彼の個性がどのように受け止められているのか知りたい。
20150213
昨日TBSでやっていたドラマ「美しき罠 残花繚乱」を観たが、出てくる登場人物が皆おしゃべりで、ほとんど同じ嫉妬深い性格。これほど登場人物が同じ性格のドラマってありなのか?疑問。どうしてそうなるの?もっと幅広い人格を描かねば真実味がないではないのか?呆れた。それでも視聴率高いなら文句は言われないかも。ともあれ、夫の愛人に嫉妬し、自分の愛人を紹介し結婚させてしまう女性が存在するとは思えないけど、昔自分の養子と関係を持ち、自由に操り、その後若い女性と見合いさせ結婚させた人がいたが実際に奇妙なお節介をする女性がいることは確かだ。だが女性って美しさを保つのにそれほど必死になるのか、不思議。年取れば容貌が落ちるのは当たり前なのに莫大な金額をつぎ込んで若さを保つ人々がいる。それより発展途上の子供たちに何かプレゼントをすればよいのに、と思うけど、そういう発想はないのかも。ところで数年前からエステの店が雨後の竹の子のように増えたけど、あれってまだ繁盛しているのかしら?

2015012
本日は三十年来の知人と会食。有名出版社の社員であった方。小説を書かれるので話が盛り上がる。やはり小説を書くなら書いている人と話すのは重要なこと。最近珍妙な出来事があった。春になると珍事が結構ある。おそらく長い寒い冬が春に代わる時期は、皆の神経が歪み、捩れ、腸ねん転みたいになるようだ。珍事の詳細はそのうち書くが、最近年を取るほど幼児性が強くなる人っていることが判った。気を付けよう、狂った人には電話しないこと。
20150210
本日は恐ろしい日本の真実に気付いたことを書く。今日年賀状の当たり籤の番号をインターネットで調べていたら、「お年玉年賀状当選番号」と打ち込んだら、ズラズラと同じタイトルのサイトが出てきて、どこにアクセスしても当選番号の数字が出てこない。郵便局の事業なので、正確なサイトで正確な情報がきちんと伝えてもらえると思ったら、紆余曲折を経て「へとへと」になって諦めなければならないほど「お年玉年賀状当選番号」を餌に客を取り込もうとい業者ばかりで、肝心の目的のサイトに突き当たらないシステム。いまだに数字が判らない。どうしてこうなっているのか?やっぱ郵便局の名を利用して我田引水をたくらむ人が莫大にいるということだろう。どこでも同じ現象が起きていると思われる。明日郵便局で直接聞く方が早いと判断した。こうしてインターネットが敬遠されそう。

20150209
二日も書かなかったようだけど、休んでいたわけでもなくシャカリキに原稿に勤しんでいただけ。自分で締め切りを定めて、トロトロと仕事をしていた。一応何とか形になったので喜びをもひとしお。昨日はイヤホンが妙に静電気を発して痛いので、ヘッドフォンを買いに出かけた。今はそれをはめてテレビを観ている。音の調節も手元の小さいコントローラーでできるので便利。昨日は新聞の切り抜きをした。時々切り抜きをするのだが、昨日はたくさんの切り抜きをした。その中に眼についたのは「正常な受精卵を選んで出産を図る”着床前スクーリング”(受精卵検査)」についてのシンポジウのことが書かれていた。どうやら健康な子を産みたいという単純な母親の願いが多く、本来なら生まれしまうダウン症の子や性染色体異常などの子供たちも生まれる前に選別され、生まれてこられないという。その問題で賛否両論のようだ。自身がその問題にどう反応しただろうか?健康で優秀で完全な子を望むのは当然だが、落ちこぼれのわたしなどは生まれる前から弾かれていたと思うと、複雑通り越して憮然。
20150206
最近医師の指示に背を向けて歩き出しすこぶる快調。わたしって生まれながらに心が強いみたい。数日前は気が小さいと思っていたけど、今は矢でも鉄砲でも持って来い、というより機関銃でも核兵器でも持って来いとでも言いたいみたい。根っからのアホ?そうかも。ところで今日慰安婦問題のことが新聞に載っていた。産経新聞の一面。慰安婦小説全米図書館に、韓国系団体が送付活動をしているとか。韓国という国は恨みを子子孫孫に針小棒大に
伝えるという印象があるが、これは国家的に損だし、なおかつ国際的常識人はそうした物議を醸し出す体制自体を軽んじる傾向にある。すべて計算してなしている行動だとしたら、あまり発展性のない国と思われて本当に損だと思う。将来のことを見据えて、長い目でみて、結論を急がず、物事を冷静に判断することを希望する。日本は大体において、悪きものを追求するより、先のことを考え「水に流す」方針であり、それで発展してきた。日本の良きところを学んで欲しい。恨みは残すより水に流すのが最善。恨みを遺して良かったという歴史はない。

20150205
昨日は大型銭湯に行った。ここは良く来るところだけど、最大の目玉は
映画のスクリーンのような大きな大型テレビがあること。その上誰もいないので独り占めできる。そんなわけで相棒とそこでテレビを一時間ばかり観てから風呂に入る。ここは改装したばかりであちこちが新装されていた。そういえば前回来た時、薬草入りの風呂に浸かっていたら、中近東あたりの外人が湯船の縁に腰掛けていた。ニコッと笑いかけたら、向こうも笑った。言葉は流暢ではないが、心臓が悪いので湯には入れない。近々手術するとのこと。とても心配というので、「大丈夫、わたしがお呪いしてあげる」と言って頭に呪いをしてあげた。どうやらマンミャーの人らしい。
20150204
昨日は人質になっていた後藤氏が殺害されたというニュースが流れていた。後藤氏が願っていたすべてのことを継ぎ、後世に思いを伝えてゆくことを期待したい。今後日本人がテロのターゲットになる可能性が増大したのだ。不思議に21世紀になって時代が逆行して過去の暗黒時代になってしまうような気配。一方宇宙への進出が顕著になってきたともいう。個人的には何も変わっていないが、また語学への興味が甦り、勉強に励みたい気が起こっている。ところで週刊誌に若返りと健康維持のため、身体をまっすぐ横にし、足を片方ずつ高く上げ下げする。これを両足約六十回繰り返すと、抜群に良いと出ていた。それで実行している。お勧めのメニュー。わたしは毎日やってます。

20150202
最近知ったのだが、皆意外に気が小さいってこと。それに無知なのか結構病気に対して怖がり。わたしの父は胃がんだったが、自力で様々な方面から治療法を探し出し、それで永らえていた。結構教えられることが多かった。「医者の言うとおりにしていたら死ぬということが判った」とよく言っていた。そのため自身が病気になっても自己責任というわけで、自力で病気を克服した。三十代の時、甲状腺ホルモン異常にかかり、某専門病院に行ったところ薬を処方してくれた。数回目の時に「この薬を飲み続けないとあなたは死にます」と言われた。わたしの剛毅なところはここから始まったのだろう。先生の言葉を鵜呑みにせず即刻その薬を飲むことを辞め、自力で治すと決め、病気などどうともなれ、とばかりにプールに行って泳ぎまくった。そしたら簡単に治ってしまった。というわけで、わたしは心も身体も強いと確信している。絶対克服すると信じる者が勝つ。世間で病気に苦しんでいる人に言いたい。あなた次第でどうにでもなるのがあなたの病気です。勇気をもって立ち向かってください。病気はあなたが笑うと逃げてゆきます。大笑いしてください。
20150131
昨日は銀座で個展を開いている友人のところに出かけた。相棒と某所で待ち合わせしたがお互い勘違いで結局初めは良かったが終わりtoo badだったが、大体いつものことなのでしょうがない。絵を一枚獲得して嬉々として帰宅。絵を家のどこに飾ろうかと思うがまだ決めていない。
一言今日は言いたい。
戦争は地球のガンだ。まだあちこちで戦争の種がゴロゴロ。このままガンだらけの地球で良いのか!」以上、雄叫びならぬ雌叫び。
20150129
木曜毎にTBSで美しき罠~「残花繚乱」というドラマをやっているが、ほかの局のドラマも同様何故か登場人物が現時点でこの世に生きている人々とはかなり離れていると感じてしまった。つまりどの人物も余計なことをしゃべりすぎる。つまり人格的に幼稚、なおかつ知性と教養がありそうだが、表面だけ。そういう人物でなければドラマが生まれないということなのか?あまりにも皆おしゃべりなので、おかしいと感じた。何故登場人物が皆同じような性格をしているように見えてしまうのか、不思議。ドラマとはそうしたものなのか?ドラマはもっと多種多様であるべきではないのか。あれは視聴者のレベルを下げているのか?

友人が銀座で個展を開いている。フランスから毎年個展開催のために帰国。ご夫婦で交互に個展を開き、たまには二人展にしたり。数十年前からの活動。
このhttp://k-takamori.com/のサイトにも二人の作品群が載っているのでご覧ください。
20150128
今日は大事なアポがあったので、それに合わせて行動開始。図書館に本を三冊返却の後、弁当を二つ買った。相棒と食べるためだが、寒空にどこで食べるか考えたら図書館の休憩室があった。あそこは皆がくつろげるところで、食事も各自弁当持参。食べた後睡眠を取る方もいる。図書館って大好きだけど、弁当食べたのは初めて。その後池袋に出てアポをクリア。とにかくいろいろな人に会ってご意見を伺う。今年の春は忙しい。笑うのが一番良いことに気付いた。笑う門には〇〇が来るとは実際そうだと思える。病で悲しんでいる方は是非お腹の底から笑ってください。大丈夫!

20150127
そういえばテレビを真夜中になんとなくつけたら面白いとても勉強になる番組をやっていた。人生を深く考えたり、自己を探るなどのノウハウを自然に与えてもらえるものだったりするので、見逃せない。たまに番組表の通りにチャンネルを回してもすぐ変えたくなるものもある。だから無作為にチャンネルを変えざるを得なくなっている。そうした未知との遭遇は運にもある。人間、本、番組、どの出会いも「ここに凄いのがあるよ」と教えてくれないで不意に現れる。苦難も病気もそうかもしれない。意外に苦難や病気が「人生の師」であり「自己への類まれな哲学」になったりするらしい。こうした境地に達するって、面白い。
20150126
今日はドジばかりしていた。まず某所で買った弁当を、携帯電話を掛けている最中話し込んでしまい、電話が終わった途端全く忘れて立ち去り、家に戻る寸前思い出し、弁当屋に戻った。幸い弁当が覚めることはなかったが、こういうドジってありえるとは思ってもいなかった。しかしドジって楽しい。さっき裕次郎の映画をテレビで観た。昔の映画だがやはり大スターは古い映画でも素晴らしい。
20150124
NHKのEテレで午後11時から「戦後史証言プロジェクト」で三島由紀夫の人生を解説していた。彼が何を求め、何を「啓蒙」していたのか?その中で憲法改正も視野にあったという言葉が通過していた。彼は皇室の藩屏であることを目指していたが、それがうまくいかなかったから、あのような自決になったのか?しかし短い人生であった割に多くの運動をしていた、といえる。彼が昭和史の中で一番の英雄に見えるが、それが望みだったわけではないだろう。
20150123
今日は麻布十番で友達と会食する予定で出かけた。麻布十番には〇〇先生がおられるのでご挨拶を、と思いでかけたところ先生がお電話に出られて、駅近くにおりますとお伝えしたところ、お時間を割いていただけそうだった。ちょっと15分ほどお話して、新作のことをいろいろと解説した。そんなわけで次回の本の帯のことも何とかなりそう。結構収穫のある時間だった。中国料理店の〇〇で食事。その後近くのカフェでしゃべくってしまった。
おしゃべりはなかなか健康に良いかも。
20150122
イスラム教のスンニ派過激組織「イスラム国」が日本人二人を人質に取り、膨大な額の円を要求している事件だが、何の目的でその辺りにいたのか、日本人が何かしなければならないという思いで出て行ったのだ、とは思うが、これだけ政府を悩ませてしまった。悪いとか悪くないの話ではないがはっきりいえば、他国に入り、平和を願う行動をするにはまだ力のない人ばかりではないか。それを出て行って政府が身代金を払わねばならない状態だという。何故か理解できない事態だ。外国に出て行ったら、政府に迷惑が掛かりかねないとあらかじめ覚悟し、出国する前に「人質に取られた場合は死んでも構わない」という誓約書を書かせて出国させる?まさかそういうことになったら旅行会社は儲からないかも。ともあれここで誰が悪いかと言えば、それは「金」。これがあるから世界はいつも事件が起きる。いっそ、金のない世界にしてみたら。給料は現物支給。金がなければ脅されても金ありません、っていえるものね。その過激派組織に現物支給しますので、人質を連れて日本に来てください、と呼びかけ「飛行機はこちらから送るから、乗って日本に来てください」と言うしかないのでは?笑い話ではなく真面目にそう思う。過激派組織が着いたらどうするって盛大にお迎えし、丁重に接待し、挙句の果ては「日本式の武士道精神」「日本という文化」「日本人の価値」を教え、二度と日本人を人質に取らないという洗脳をする。これしかありませんが、いかが?
20150121
ところで今回重要なことを書く。いつも少子化で悩んでいる日本。以前からどうしても伝えたいことがあった。なぜ産婦人科で堕胎の野放しを許しているのか?そこをきっちり止めなければ少なくなるはず。たとえば産婦人科で「子供をおろしたいんですが」という女性が現れたら、厚生省側から派遣された人間がその女性を子を産むという喜び、親がなくとも子が育つという言葉などで取り囲み、絶対母への道を歩ませる。そういうチームワークが必要だと思う。そうした大いなるボランティア的な人口増加計画組織委員会を発足させよ、と言いたい。または人口増加計画組織の部署を一つの省庁として発足させれば良い。絶対日本は大丈夫だ。明日からこの組織を作れば三年以内に人口は倍増する。女性は子を産むことから逃げ出すことはない。条件さえ揃えば日本の人口は増加する。
日本人が人質に取られているという報道があった。写真を公開しているが、中東の現在の状況も日本では詳しい情報が得られていないらしい。首相が中東で援助する金額を明らかにしたためか身代金の額が2億ドルとか。日本円にすると200数十億円ぐらいになる。凄い額だが、途方もない額を設定して、本当に獲得できると信じているのか。金持ちとみなされている日本人は世界へ行くときは別な民族であると扮装して出かけた方が良いかもしれない。
20150120
今日は外出する。ところで自分の暮らしの好き嫌いを解説すると、人気店などに並ぶのは嫌い。団体で旅行するのは嫌い。集会に出るのは嫌い。なおかつbossyな人間を嫌う。いつの間にこうなってきたのかは判らないが、引き籠りの状態になっている。だがここから変わることはない。以前は年を取ったら老健に入ろうとしていたが、最近それが無理だと判ってきた。年を取り一人でテレビ見て、自力で暮らすのが似合っていると思える。今日某国の留学生を回転寿司に連れてゆく。日本って自分が暮らしてきて本当に面白い国だと思える。日本が本当にもっともっと面白い国になって行くことを期待したい。
20150119
昨日は外に出かけたらまだまだ結構寒い。新聞で阪神淡路大震災から二十年とかいう文字があった。その後東北地震があり、現在いかに予測不能の地震から身を守るか、という番組をテレビで扱っている。周囲に何も震災の恐怖や不幸を見ていない環境だと、忘れやすい。そのため防災用のさまざまなアイテムを揃えることはしていない。水も備蓄していない。テレビでは震災などのため一番必要なものが、簡易トイレのこと。特殊なビニール袋で用を足したらそれを固めて捨てることができるとか、報道していた。そこまで追い詰められているのだ。明日大震災が起こっても不思議ではない、という。しかし人間の暮らしが、震災で全部喪失することになるとは、信じられない。
だがそれが本当と判ってくると、日本は地理的に不利な大地に生きていたのだ、と思える。今まで地震がまるでなかったという大地があるはず。だが日本が好きなので動く気はない。
生きた心地のしない震災が降りかかることのないよう祈りたいが、こうした砂の一粒のようなちっぽけな祈りなど神様の視界に入っていないだろう。とにかく地震大国の日本。地震があっても翌日から以前と同じように暮らせる日が知恵と工夫でやってくることを信じたい。
20150118
昨日、人間には年取ってコツとか要領が判る時があるのだ、と改めてびっくりした。仏語の独学を再開していた時。グルジェフの自伝風の原書をずいぶん昔に買っていたので、読んでみたら発見することがあった。例えば単語を覚えるコツ。単語を書いて、意味を書く。これを単語を書いたら必ずその単語で文章を作る。そうすることですぐ単語を暗記できる。これを昔判っていたら、と後悔しているが、でもまだ時間があるから、今やればおそらく満足できる境地に達するかも。というわけで最近自分の翻訳で本を出したいと考えるようになった。なかなか欲張りな野心だが、何を思うかは自由だし。
20150117
ところで人間は妄想で成り立っている。そう思えるようになった。「あの人は自分のことを〇〇と思っている」「自分は幼い頃から夢見がちだった」など仮想のことや現実ではないことを言葉にするらしい。生きているといろいろあるので、何とも言い難いが、それぞれが自分を中心に考える傾向はどの人間も同じ。自分より他人ばかりを思って四苦八苦する人間は極めて少ない。最近昔書いた詩がみつかった。なかなか面白い詩だった。あの頃は無心だった、と思う。今日は猫のべージュ君が来て、わかさぎを食べていた。可愛い。

20150116
そういえば、一昨日から万引きの実況中継のごとく自分で万引きやコンビニで軽犯罪をする男のニュースを流していた。皆呆れているが、今犯罪は自己PRのための「態の良い」ツール化を遂げている。真面目で正常な人間のすることではない。良く考えるとインターネットは適宜なストレス解消の場として活躍している。しかし金に毒されない、金に背を向けた純粋な正義の英雄がなぜインターネットに出現しないのか?屈折しすぎて落ちこぼれて、自己嫌悪と化したお化けロボットだけが生き残っているのか?もっと賞賛すべき存在がいるのではないか、と思う。それから「従軍慰安婦問題のこと」で一言言いたい。日本は過去のことを向き合うとか向き合わないとか、外国から言われても毅然として背を伸ばすべきだ。日本人は日本人である。いつかタイタニック号であったか、沈没した際の事件で日本人が我先に生き残ろうとしたというニュースを流していた人(外国人らしい)がいた。だが後でそれは偽情報だったと判ったと情報が伝えられた。日本人はどの民族も真似できない優秀さと純粋さと品性を持っている。だからこそ蹴落としたいと願い外国からの嫉妬が存在するわけだ。従軍慰安婦問題で足をひっぱろうとする人々はほおっておけばよい。絶対そのうち真実が出てくる。真実は絶対嘘はつかない。であれば、情報で日本を蹴落とす人々が負ける日が絶対あるということだ。屈してはいけない。日本人の品性は他国から攻撃されても、その品性で打ち勝つ日がくる。足を引っ張ろうする側はそうしなければ日本に負けることが確実だから、そういう裏技を使おうとするのだ。負けてはいけないが、勝とうとしてもいけない。無視するに限る。

20150114
実は草彅剛の姓の方の名前をきちんと漢字で出せるようにしたので、これからフルネームで使う。13日のフジテレビ午後10時10分から草彅剛のドラマ「銭の戦争」二回目を観た。かなりの年収を誇っていた男がホームレスに落ちて、金にまつわる辛酸をなめて這い上がって行こうとする内容。草彅剛の真面目で一生懸命な演技がなかなか。感心するのだが、草彅剛のドラマはいつも感涙小説並みに感動的な作品が多い。「僕の生きる道」にしてもそのほかのドラマにしても感動を呼ぶ。今回のドラマは銭に踊らされる人々の話だが、内容を語るより、今日は題名について書きたい。今回「銭の戦争」は画数でいえば合計42になる。おそらく漢字の選択では別の数字になるかもしれない。最近は芸名やコンビ名を工夫して中には最後に「。」や「.」を付けるなどして良い画数に変える努力をしている。姓名判断に目覚めたのはずいぶん前のことだ。きっかけは新聞に載っていた飛行機事故の犠牲者の名前をひたすら数え姓名判断の本と照らし合わせていた。すると犠牲になる人は悪い画数を持っていた。やはり名前を考えるときは気にするべき。

20150113
今朝フジテレビでピアフの再来かといわれているZAZがシャンソンを熱唱。あの有名な「シャンゼリゼ」を歌う。「オー、シャンリゼ!」を繰り返すパートは幼いころに兄がシャンソンのレコードを何回もかけていたので良く聞いていた。一変に、懐かしのメロディーになっていた。ZAZは知らなかったが、好物のお寿司をたっぷり召し上がって日本を満喫して欲しい。レコードは今月末に発売とのことでした。

昨日ヨーロッパの首脳の面々がテロに断固として屈しないとデモを敢行した。350万人が参加したとか。テロ対策、何か妙案がありそうだが、未だに的確な対策が出ていない。しかしながら結構
シンプルな案で人道的な策があるのではないか、と思う。

昨日「オリエント急行殺人事件」の日本版のドラマを観た。アガサ・クリスティの小説の翻案のドラマで三谷監督のドラマ。しかし観て少々文句を言いたい。こうした団体でしめし合わせて恨みをはらすというドラマは日本人に肌があっているのだろうか?赤穂浪士は日本の遺産ドラマのような恨みをはらす内容だが、この翻案もののドラマはどうもお勧められない。殺人のための理由があるだろうが、いくら恨みがあったとしても、男を殺すことを皆で計画し、一人一人刺してゆく場面はお勧めできない。殺害される男がどの程度悪い男でも、殺意を正当化するドラマはお勧めできない、と思えた。これは戦争に向かう国家が皆で戦争への道程を正当化することがあると同じで、そういうあってはいけないことが、ありえるような具合になってしまうのに似ている。

20150113
昨日面白い新作レシピで作ってみた。材料はワカメ、ニラ少々、ネギ、ニンニク、生姜、玉子二個に豚ひき肉大匙一、ワイン並びに料理酒大匙一杯ほど。ワカメは一度煮て柔らかくしておく。ニンニク、生姜、ネギを油で炒め、ワカメ(細かくきっておく)を入れ、肉を入れまとめたらワイン、日本酒を入れ最後に玉子をかき混ぜてから入れる。なかなか面白い味でお勧め。ワカメを大量に仕入れたので、考えたレシピで名前は「ワカメと玉子のワイン煮」自分としてはなかなか美味しいと感じている。

20150113

成人式の女の子の着物をテレビで観たけどもうぶっ飛んでいるぐらいに多種多様。成人式がお祭りという感じ。それに中には二十歳同志で既に結婚し揃って成人式に出席してい
たカップルや、中には妊娠中の成人も列席していた。少子化とはいうが、こういう成人がたくさんでてきて「ちゃんとした大人になる」と宣言して人生を歩み出してほしい。頼もしいと感じた朝だった。
20150112今日は成人式だ。ところが今思い出すと成人式に呼ばれたことがなかった。おそらく区の手違いか母の勘違いか出席できなかったのだろう。今はそれほどとも思わないけど、ひょっとしたら母親が振袖を揃える余裕がなかったために出ないことにしたのではないのか?ところで話は変わるが、今でも思い出す出来事がある。離婚に迷っていたのだが、母が「そういうことならきっぱり離婚をして私の財産を継ぎ自分の老後を世話して欲しい」と頼まれた。紆余曲折の末、迷いがふっきれて離婚届にサインをしたのだが、婚家の親戚が連絡する度にかならず「カズエコさんは損をしましたね」と、森田の急死で遺産を相続できなかったことを、毎回言ってくる。だが母に頼まれて離婚の条件に何も請求しなかったのだ。実は離婚は母に依頼されたためと一言言えば良かったが、今もって言っていない。「損をしたと思ってせん」と今度言っておきたい。ただし良く考えると、我慢して暴風雨が収まるのを待てば、今でも彼は生きていた可能性もある。人生って忍耐が左右する、とつくづく思う。



20150111最近「鬼平犯科帳」に高島玲子が出ていた。このシリーズに彼女がでるのは初めてかも知れない。良く知らないが、多分シリーズ再開で彼女を起用して視聴率をあげると目論んだのかも。しかし久しぶりの「鬼犯」をたっぷり楽しんだ。また続けてもらいたいと思う。ここで浮かんだのは視聴者の寄付を追加して作るドラマ。良い番組やドラマを打ち切りにせず、視聴者の寄付で続けられるようにしたらいかがか?微々たる寄付ではなりたたないのは判るが、視聴者の中には継続を希望して寄付をしたいという人がいないことはないはず。是非実現して欲しい。良い番組、特に日本人の良き人情を描いたドラマは継続するべきだと思う。視聴率に迷わされず、良いバックボーンを持った作品にエールを送るべきだ。

20150108
テレビを観ていると、時には言いたい放題を叫ぶ時がある。「そんなことすると家庭が壊れるよ」「どういう神経で結婚したんだ?」と登場人物に言う。いつからなのか、不明。ストレスがたまっているわけではない。だがいつもテレビドラマをチクチクする。理由は最近のドラマに不満があるから。面白くない。大体内容が似通っている。なおかつ不幸と幸福を判っていない。不倫を綺麗に描きすぎる。登場人物が幼稚すぎるなどなど。言いたい放題を言う。それで満足してしまう。おおむね満足するのはドキュメンタリーだったりすることが多い。どうしてドラマで女性の醜いところを描きすぎるのだろう?不思議。もっとも醜いところがなければドラマが成り立たないらしい。


今朝パリでテロリストによる銃撃事件があり十数名の死傷者があったとの報道があった。イスラム系の犯罪とのこと。原因は諷刺画に対しての報復。ヨーロッパではテロリストが即反撃するらしい。この世にはまだ発展途上国のような苦しみに喘ぐ先進国が存在する。黒を白にするぐらいの転換ができないのだろうか
20150107

今朝の産経新聞に天皇陛下の慰霊の訪問のことが書かれていた。大戦の戦没者の最後の地へ赴くのは天皇陛下の戦後からのご希望であったという。だが陛下のご希望はいつまでも叶えられずそれが実現したのは平成十七年六月であった、という。その地は南太平洋のミクロネシア地域。サイパン島のバンザイクリフという名の断崖絶壁。鎮魂の祈りがいかようなものであったのか、不明だが戦没者の方々が彼方から見ていたと考えたい。「天皇陛下のご来臨」にはどのような驚きと喜びがあったのだろう。双方の感慨はひとしおだったはずだ。しかしながら周囲の反対を押してご希望を叶えられた天皇陛下と皇后陛下。これが日本的であり他の国ではありえないことだ、と友人は言っていた。そうかもしれない。

話は別だが、最近かっとして殺人を犯す若者が多い。食べ物のせいなのか?それとも教育のせいか?それとも世の中が悪いのか?どれも当てはまらない。かっとして殺人をなくすことは、警察の仕事か、それとも学校か、それとも各人の意識なのか。どうにかして逆上殺人がなくなるように願いたい。いつも考えよう殺人事件のなくなる方法。

20150106
ところでテレビを観ていて思ったことがある。竹下景子がCMに出ていたが、彼女が芸能界に出始めの頃、男性の芸能関係者が「竹下景子など美形の部類に入らない。それより自分の妻の方がよほど良い」というコメントを見かけた。あの時馬鹿なことをいう男がいるものだ、と思えた。なにしろ女優と普通の妻の美形を比較して問題にしてもしょうがない。ところが男性は女優が出てくると何か言いたいらしい。米倉亮子が出てきたときは散々な酷評をしていた。今絶大な人気を誇っているときに言えたら大したものだが、過激なほど人気があると叩けないらしい。男ってどういう生き物なのか解らない。
紅白も少しは観たけど、すぐ飽きて別な番組を観たりあちこちチャンネルを変えていた。昨日は久しぶりに浅草に行った。観音様のところまで行った。警備の警官が多数出ていて、行列がきちんと並んでいた。昔は行列などなくても騒ぎも混乱もなかった。このところ用心するようになっているのか、整然と行列する参拝など観たこともなかったのでびっくり。たまたま散歩していて電車が走っているので三ノ輪まで行こうということになり、相棒と二人で向かって目的もなく辿りついたのだ。三ノ輪で降りて歩いて地デジの塔を左に見て、右に曲がって浅草方面へ向かった。人に訊きながら行ったのでいつの間にか、観音様の裏に出ていた。縁日のたこ焼き、綿あめ、ウインナードックなどの店が犇めいていた。こうして人波を観るのがお正月の最もたる行事ですか。浮世に暮らして幾年か来ましたが、お正月って何故か懐かしくて楽しい。
20150103
昨日は近所の出世稲荷に詣でた。歩いてゼロ分のところにあるので毎日のように通る。何故か正月だからと思い、礼儀正しく詣でたのだが、思い出すのは母と毎年正月に浅草観音に初詣に出かけたこと。あの時は物凄い人出の中を黙々と歩いて大門を通り大きな提灯の下をくぐり
、お賽銭を投げる時も、押し合いへし合い。その上当時は、傷痍軍人風の物乞いも立っていた。母が亡くなってからは初詣はしていない。最近は巣鴨のお地蔵様。なにしろ雑踏が苦手で、なおかつ人気店の長い行列の最後列で待つこと。行列に待つ人を尊敬する。ところで今朝フジでやっていたドキュメンタリー大賞に輝いた作品を観た。不幸な(というかご自分の運命に呻吟している)女性たちの赤裸々な姿の記録を観たのだが、今まで自分が普通の穏やかな人生を歩いてきたのを改めて認識せざるを得ない。そういう人生、つまり過激に薄幸な生き方をしている方々を知らなかった自分を客観的に観ることができた。そのような方々を支援したいとか、助けたいとか思うができるかどうか。お正月早々自分を叱咤していた。自分は自分らしく活動するしかない。

20150101
昨日は久しぶりに紅白を観た。今回は徳永英明の歌を聞きたかったので観たのだがあいにく徳永氏が歌っているときに、事情があり結局半分も聞けなかった。だがその後紅白のお祭り騒ぎに釘づけになってしまった。その後紅白が終わってからNHKの番組で「ニッポンのサブカルチャー史」を観た。結構勉強になったが、疲れていたので忘れてしまった。ところでこういうところに書くのも顰蹙を買うかもしれないが、記録として書いておく。実は高倉健の記事が読みたくてある週刊誌を買ったのだが、その中に男性週刊誌に特有の綴じ込みページがあり、鋏で切って読むようになっていた。だがわたしは自分が女性だからそれを切って読むのは極めて礼儀に反するとか、綴じ込みを鋏で切る女はいないだろうと、躊躇して鋏で切るのをかなりためらった。そしていまだに切っていない。何故かページが「ふん、勇気がない癖に」とか「失礼だ」ぐらい思っているかもしれない、といろいろと迷った。だが男性なら切ってみるだろうし、自分は女性だからと躊躇うのもおかしいとも考えた。最後には今度からは男性用の綴じ込みのある週刊誌は絶対買わない、と決意した。週刊誌は男性の友人にあげるか、どこかの店にさりげなく置いてきてしまおう。しかし有名女優の写真の綴じ込みが気になった。だがその方への極めて奥ゆかしい気持ちを考えて、忘れることにした。

20141231
大晦日だというのに、何もしていません。ただひたすら人生を紡いでいるだけ。紡ぐ?そうなの。織物のように。正月は新たな織物の目の始まり。どういう織物ができますか、お楽しみ。ところで昨日の新聞のことを書きます。産経新聞「”捨て犬”AIBOを救え」という記事が出てました。つまりソニーの犬型ロボットの修理部が閉鎖になって困ったという話。AIBOが転ぶようになったので、修理部に問い合わせたところ、閉鎖でAIBOが「治らず」困った人がいて、ペットロスにまでなりそうになったのだそうです。だが修理をしていた方が会社を設立し、ア・ファンという名前で起業なさったそうです。修理してもらえて良かったですね。ロボットでも本当の生きている犬と同じでペットロスになるのだそう。この世はこういう具合になっているのだ。不思議というより、「可愛い」感じです。どうぞ修理なさりたい方はア・ファンにお尋ねください。

20141230
今日は買い物に出かけた。お正月に何をつくるかなど、全く考えなくなってから二年以上経つ。今は居心地良く、楽しく、笑えるような正月にしたいと考えている。そのための準備としてはやはり「美味しいもの」わたしはブルーチーズが大好きなので、まずそれを買っておく。後はシーザーズサラダを作る。生のニンニク入りのサラダだ。ブルーチーズはヨーグルトと混ぜて、野菜やパンにつけて食べる。日ごろからこのサラダを食べているので、お正月もこれ。後は鰻ご飯。それから美味しいケーキを一個。これで終わり。アルコールなし。今日は某知人からある提案を戴いた。それに賛意を表したつもりだが、着手するにはまだ何かブレーキになる気持ちがありそう。ブレーキではなく「ノリがあるかないか」そうわたしは「ノリ」で暮らしてきたのだ。そういえば海苔があってもあまり食べないところがある。嫌いではないが、好物ではない。そうだ。お正月に太巻きつくろう、っと。相棒に言ったら、「つくってあげる」だって。嬉しい。

20141229
どういうわけか、雨。雨と言えば大抵嫌いな人が多い。だけどわたくしは好き。何故なら雨は天から恋人たちに相合傘をささせるために降るんです。昔手紙が恋人たちの伝達の方法だった。今は電話とインターネットです。だけど雨は今も昔も変わらず天から恋人たちを応援するために降る。なんてね。
20141229
最近小豆を煮ている。先月何故か上野アメ横で小豆を一袋買ってしまった。毎日小豆を食べている。それも甘くない小豆粥。どういうわけか小豆は精神統一に良いらしい。ところで年末押し詰まってからインドネシアで飛行機事故があり、ギリシャでは大型船の火災が起こったという。どういうわけか年末年始に大きな出来事があるような印象だ。事故や災害は困る。世界の人々が平和で幸せであって欲しい。年末年始無事に過ごせますよう祈りたい。お正月にどこに初詣行こうか思案中。一番楽なのは駅のそばの天祖神社。ところが驚くべきというか忘れていたのだが、家の一番近く歩いてゼロ分に近いところに出世稲荷がある。こんなところにあると驚いてから毎日そこを通って買い物に出かける。通るとき「出世させてください。今まで出世したけど、もっと出世させてください」と頼むはずだがまだ頼んでいない。タイミングがありそう。ほかの神社で久しぶりにおみくじでも引こうか。お正月料理は海鮮どんぶり。一番簡単で美味しい。簡単で楽が基本の日々。来年はわたしの年だ。未年は久しぶりだ。面白くなりそう。
20141226
幼いころ風邪を引くと嗅覚がいっぺんになくなり、嗅覚が一つ一つ風邪が回復する次第に、戻ってくる。ごはんの匂い、味噌汁の匂い、お新香の匂い、牛乳の匂いって感じ。幼いころ匂いはそれぞれ独立しているのだと思っていた。
20141226
中国留学生が自国語と日本語を面白い言葉で表現する。ある時、インコウに行ってくる、というので、「えっ!」と驚いた。インコウってあれか?びっくりしたら、銀行のことだった。中国語では銀行は「インハン」と発音する。彼は銀行の「銀」をインと中国語で発音し、「行」を
中国語でではなく日本語で「コウ」と言った。つまり「インコウ」になる。「インコウ」は日本語では淫行と言い悪い意味だから使わないように、と伝えたら了解してくれた。だがこれで三回ほど同じこと言っていた。癖になっているらしい。早く治して欲しい癖だ。

20141224
今日はクリスマスイブ。皆忙しいらしい。ところで最近日本食ブームでどこの国でも日本食の店があるらしい。だがどこでも偽物の日本食の料理を偽の料理人が作っているらしい。恐ろしいほどの勘違い偽物。それを日本食だと出して稼いでいるという。本物の日本の料理人がいないなら、何故真面目に修行しないで、見よう見まねで営業しているのだろう?日本と日本食を馬鹿にしているのか?なんだか許せない。日本に行ったことのない料理人が偽の日本食を作って客に出し、客が満足すればそれで良いと思っているらしい。本当に恐ろしいこと。先が思いやられる。そしてその味で育った人々が日本にきて、本物を食べて「これは違う!」と叫ぶのか?何だか先が・・・。
20141223
きぐるみで人気のふなっしーというキャラクターが今テレビでタレントと一緒に活躍していた。これら実際の姿を表さずマスコミで人気を得るという流儀は今までの芸能界にはなかったスタイル。しかし人気は結構続いているらしい。人気がなくなったら着ぐるみを脱いでみるという方法もあるかも。これで何を判断できるのか、といえば結論は出ない。だが芸能界を逆手に取ったスタイルでなかなか頭が良い。

今日はもうクリスマスの前夜祭的なノリのテレビの報道。皆ツリーを競い合っていた。ところがいつもは他の家のキラキラギラギラと派手通り越してまるで見栄の張り合いに思えたツリーを観て内心、わたしも作りたいって、えーっ!わたしってそういうミーハーだった?と自分ながら驚いている。今年は無理だけど来年にはツリーを家の前に、と思っているわたしがいた。笑って済ませたいけど、どーいう心境だ?皮肉屋の友達が言いたそう「葬式の練習に思えばよいんじゃない。軽めにやれば?」
ところで〇安婦問題が年末にきて話題になっている。某新聞社が何か書いていたけど、この問題って何だか最古から培われてきた女性蔑視の根を持った怨念のなせる業ではないのか?なにしろ女性自体がそれに関わってあ~だこ~だと言わないような印象がある。つまりやっぱり男性が過去のツケを払わされているような、というかやっぱりツケでしょう。それも何千年も何万年も積もり積もったものの怨念かも。そう思えるのは、まだ日本は男性女性の平等がきちんと身についていないからではないか?とにかく女性の首相が誕生しないことには、先進国って言えないと思う!


20141222
昨日と今日東京駅で100周年記念の記念カードを買おうとして徹夜で並んだ人々が駅側の対応の稚拙さに頭にきて、暴力沙汰になったとか。記念カードなどを買う趣味がないし、それに並んで待つ忍耐力がないことで、結構冷やかにとらえてしまった。趣味ってその人の身にとってみれば、生きる命の素かもしれなれい。だから侮れない。しかし男性が多いのに驚いた。男性って意外に忍耐強くなおかつ理解できない趣味を持つように思える。ごめんなさい理解できなくて。
20141221
ところで戦争中の捕虜収容所で日本人が捕虜に牛蒡を料理して出したことがある。ところが戦後になり、アメリカ人(またはオーストラリア人)が牛蒡を食べさせた料理長を死刑に処した。その後欧米では牛蒡がいかに滋養に富み、素晴らしい野菜であるかに気付いたらしい。牛蒡を出したために処刑された方の名誉快復を是非お願いしたい。とにかく日本人は自分たちが正しいと胸を張る習慣がないらしい。謙虚であることを美徳として育った人種には、そういう不条理や無知や侮辱に対して茫洋として怒りさえ抱かないという残念な習性がある。これってどうやって教え込んだら良いのか?しかし日本人である遺伝子はそう簡単には変わらないだろう。
20141221
日仏外交史の中で逸話を一つ。ナポレオン三世の妻皇妃はスペイン貴族の出身でした。息子が生まれて数年経過すると、スペイン人の母親を疎んだのか、ある日皇太子は手を切った。彼は侍女に言った。「スペインの血は僕にはいらないから」と。それを聞いたナポレオン三世は、息子に言った。「スペインの血がいらないからと手を切ると、フランス人の血も流れるんだよ」と。すると息子は笑って言った。「そんなこと判っているよ」と。手を切ってからすぐ冷静になれたようだ。日本にもこういう息子がいるかもしれない。
2014 1218 
最近思ったことだが、昭和時代がひと頃の明治というイメージになってきたような気がする。平成になってから、もう二十六年も経つ。そうなると昭和生まれが年寄扱いされて行く。しかし日本は失わないで欲しいことがたくさんある。たとえば道を歩くと、以前なら人は道を譲ってくれた。自分も譲っている。だが譲らないで、自分だけが歩く道を歩いているという風に闊歩なさっておられるのはどういうわけ?理由が判らない。これが一事が万事こういうことになると日本の良いものが次第になくなる、と思う。何千年経過しても古き良きものや感性はなくならないで欲しい。来年も再来年も古き良き日本がなくならないで欲しい。よろしくお願いいたします。って誰に?すべての人ですよ。


1210
最近道路を歩いていて妙なことが書いてあった。「心の糞はお持ち帰りください」えっと驚いた。最近心が何かを排泄するようになったのか?ところが良く見ると、心という字が「犬」だった。判って安心した。こういう具合に、見間違うこともあり、聞いたことを別なことに解釈していることがしばしばある。だが概ね暮らしに支障はない。老化と思われそうだが、自身ではそう思わない。

2014 1130
お正月が近づく度に昔の大晦日や元旦を思い出す。昔はお正月を、本当に真面目にやっていた。お節料理を今みたいに買ってきて並べるのではなく、材料を買いに行き一から作る。年賀状もきちんと版画を彫り、一枚一枚刷った。今ほど印刷に頼む人が多い時代はないのでは。ダメとは言わないけど、下手でも恰好が悪くても手作りをお勧めしたい。皆、昔に帰って暮らして欲しい。できたら原始的に暮らすことをお勧めしたい。理由は何か?って?何故ならそれで失いそうなものが解るから。

2014 1130
日仏外交を研究するようになったのは理由がある。仏語を勉強して数十年経過したある年にパリに渡り、さまざまな交友関係を得た頃、友人に「何故フランス語を習ったのか?」と尋ねられた。「理由は特にない」と答えるとその友人は「そんなに仏語ができるのなら日本とフランスの関わりについて調べると良い」と言われ、次第に両国の歴史を調べるようになった。すると意外なことにフランスが日本の近代化の知識のすべての師匠であったことに気付いた。まず上海のフランス租界のことを調べ、幕府が切り開いた日仏関係が隠されており誰も仏国との相互支援関係に焦点を当てていないことに気付いた。それでホームページで日仏外交史研究会を発足させたのだった。
それが平成の十五年である。
調べてみると科学的知識から法律までありとあらゆる技術、知識はフランスから導入されていたのであった。
イギリスでもオランダでもなく仏国からであった。
横浜にガス灯がついたのはフランスのお蔭。
日本の民法が人道的になったのもフランスのお蔭。
もうフランスに足を向けて寝られないのである。
それを気付いて欲しいのでホームページを拡大してきたのだ。



 

2014年11月28日 10:24