高杜 一榮の世界

WELCOME TO TAKAMORI COLLECTION

0253s

高杜 一榮の世界 ≫ 高杜一榮のモノローグ ≫

モノローグ

20160315火曜日

そういえば専業主夫という言葉を聞くことがある。夫が家事を手掛け、妻が外で働いて家族を養う形式だが、意味は判っても「わたしは主夫です」と名乗りをあげる人をみたことはない。実際に身近にいたりするが、その家庭もそれを表に出さないらしく、積極的に主夫を前面に出さないらしい。家庭の問題は微妙だがこの主導権があるとかないに関することは、結構神経を使うらしい。自身が共働きをしていたときは、わたしが稼いだ額が夫の稼ぐ額より高かった時は一度だけでそれ以後そういうことはなかった。その上その時期も家庭内でその立ち位置が上下関係を示すこともなかった。自身が稼いでいた時期は、夫が入院していたので微妙だとか神経を使うなどのストレスを感じるような類の空気はなかった。つまり夫婦は誰がどれほど稼いでも稼がなくてもお互い助け合うという関係で強く土台が築かれていたようだ。夫婦関係や給料に強弱や大小はないといえる。夫婦はどの時代でもお互い助け合う絆で関係が強化されると言いたい。勝手な結論だが、夫婦は荒波や平穏な波などを超えて成長し続ける関係であり、いくら苦労しても、それが夫婦の人生の味付けになっていることを理解すべきではないか、と言いたい。夫に苦労させられた、妻に苦労させられたと、良く聞くがそれは「当たり前のこと」で「それがなければ夫婦ではない」と断言できる。
2016年03月15日 13:18

20160314月曜日

昨日テレビで凄いニュースを知った。日本で初の発明。それも時計型の人工透析器だからびっくり。何故そのニュースに過激に反応したかといえば、今から数十年前に人工透析中の元医師で禅僧に禅を講義してもらっていたから。彼は、以前はスポーツ万能の元気な青年だったが腎臓病となり、いつの間にか人工透析をしなければならない身体になっていた。彼に禅を教えてもらっていた時に、尋ねたことがある。何故禅を信奉するようになったのかと聞いてみると凄まじい宗教へのこだわりがあった。身体が病んでからありとあらゆる宗教を遍歴した。その挙句にたどり着いたのが禅だった。それを聞いて彼の過酷な人生が生半可なものではないと判った。彼が明日をも知れない命だと聞いていつ黄泉の世界に旅立つのか、と会う度に気になっていた。結局彼の葬式まで参列した。御棺の中に用意していた手紙をそっと入れた。今ではどう書いたのか不明だが、並み居る参列者が御棺に手紙を入れるのを見ていたらしい。誰も何も言わなかったが、彼のお姉さんが後で近寄って一言述べられたが何を言われたのか今は思い出さない。そういえば彼は凄い美形で、かなり女性にもてたらしい。御棺に入れたのは恋文だったかと尋ねられたような気がしたが、内容は「今までありがとうございました」だけだった、と思う。晩年の彼は美形だったが、黒ずんでいたことを思い出す。朝から葬式の話で申し訳ないが、今となっては彼が遺してくれた言葉を宝のように思っている。どういう言葉か?って。それは打ち明ける気になった時のお楽しみ。
2016年03月14日 08:42

20160313日曜日

古い手紙を発見した。良くとっておいたと感心するほどだが、自身は何でも捨てられない性質で困る。いつ捨てるか、は他の人に任そう。古い手紙の中に写真も結構混じっていた。それもまったく知らない人の写真。誰であったのか以前は覚えていたが現在は忘れているのか、どうかも不明。最近は年のせいかテレビで見ていても意味不明なものが多くなった。次第に意味不明が多くなりすべてが解らなくなるかも知れない。それを認知症というの!と叱咤されそうだが、大体自分の好きなこと以外無関心の傾向があるので、それも良いかも。世の中知性と知識と知識欲と無知と知ったかぶりの殴り合いの態なのでそれも致し方ない。判らない奴はほっておけば良いという感じ。というわけでここで知りたいことがある。テレビドラマを観ていて何故か内容が混沌として解らない時は他の人はどうしているのだろう?わたしは解らない時のための週刊誌、テレビライフの解説を観る。そうすると大体解る。テレビはそれで解決されるが、何故人間は解らないものがあると追求して解るまで辿ろうとするのだろう?そこで気付いた。人間は知りたがりの生き物であることを。知ってどうなるの?と考えない。つまり人間は考える動物ということなのか?まだまだ知りたい人間の一人です。
2016年03月13日 06:35

20160311金曜日

エアコンを使わない主義のわたしはガスストーブのそばで仕事をしているのだが、最初はパソコンを開いてもすぐに打てない場合は、薄いポリエチレンの手袋を両手にはめて仕事を開始する。そうすることで、かじかんで指が動かないことはなく、キーを叩ける。結構この薄い手袋で寒くても仕事ができる。今日は東北大震災五年目であちらこちらで記念の行事が行われている、という。知人も地震があった数週間後に被災地を見舞に行ったというのを聞いたことがあった。彼の感想は「その地に立って広大な土地が海に飲み込まれた場所で何も考えることはできなかった」で、あたり一体が無限に広がっているだけの大地の上で人間の無力を痛感した、と推測できた。見た人しか感じることができないほどの衝撃。わたしたち日本人はこれからも引き続き、まださまざまな天変地異に見舞われる運命なのだろう。どの程度の防災を準備すれば良いのか、まったく判らない。しかしながら一方では海の藻屑の中に埋没し、未だに遺体すら出てこない人もいる。また一方ではわたしのように災害に遭うことなく年を経て無事の者もいる。運命とはいえ、誰がそれを振り分けているのだろう?知人のように地震のあった被災地に一度は行ってみなければ、と思っている。
2016年03月11日 17:04

20160310木曜日

 20160310
小説を読んでいて「ズボンが良く落ちた」という行を発見した。即座に(フランスの小説だったので)誤訳だと思った。仏語でズボンが良く落ちた、は「サ・トンブ・ビアン」となる。「サ」は日本語の「それは」に当たる。つまり文中のズボンを指す。フランス語ではズボンがスラリと決まっている、のを「サ・トンブ・ビアン」と表現することがある。それを直訳すると「ズボンが良く落ちた」になるが、仏語ではズボンが落ちることなく「すっきり決まっている」となる。何故わたしが誤訳だと気付いたかといえば、当時フランス企業のブランド品の営業で通訳をしていた。副社長の若き男性が営業先でお客に試着させ、この言葉を連発していた。そのため本の中に突如出てきた「ズボンが良く落ちた」の本当の意味が直感的に解かった。多分単純に仏語を翻訳している訳者はそこまで知識がなかったのかも知れない。かなり有名な小説だったが、惜しいことにこういうミスがあった。だがこれは仏語に限らないはずだ。最近は仏語の文字や文章を入れると格があがると思ってなのかあちこちで使っているが、非常に無茶な仏語が並べてあって驚く。お菓子やファッションには仏語の文章を入れると本物らしく格調高い印象を与えるのだろう。しかしそういう目的があるなら、やはり専門の関係者に製品を出す前に見せるべきでしょう。日本語も海外ではあちらこちらに偽の(というか意味不明の)日本語が散乱している。そういうのを見ると「ズボンが良く落ちた」事件を思い出す。
2016年03月10日 10:21

20160309水曜日

オバマ大統領が銃規制を敷くと述べられていたのだが、アメリカの銃規制は成功するのかと気になっている。日本だとて、銃を規制しているのに、最近は山口組分裂などの事件で銃が使われている。警察も取締りを強化しているが、どこまで規制を徹底させられるのか疑問。現実には小学校のそばに組の事務所があったりする。諦めるのは早いが、組に近づくのだけでも普通の民間人は戦いている気配がする。もし可能であれば、警察以外の組織を作り、組関係との交渉を手がけて貰うのはどうか?と考えた。どういうわけかこれみよがしの組のスタンスが気になるが彼らも日本人であり、国民なのだから国の平和を願う基本精神に立ち返ってもらうことを期待したい。民間人と「組」組織という構造ではなく、日本人の中で平和を保つという意識を持つという基本を重視したい。理想的にはいかないが、彼らも日本人であり現在生きているので、常識を持つという平和感覚を持つことに腐心して欲しい。と理想的なことを述べても難しいだろう。高倉健の映画のような具合に落着は難しい。そういえば高倉健が自身がやくざ映画に出演していることを密かに憂えて、自身の映画を上映している映画館に極秘で観にでかけたことがある。その際映画館を出て行く男たちが、生き返ったように元気に胸を張って出て行くのを目撃し「自分はそのまま演じていて良いのだ」と自覚した。それは映画で人を生き返えらせることができる、ということなのだが、現在やくざ映画が作られていない。その意味をもっときちんと考えなければいけない。
2016年03月09日 06:34

20160308火曜日

昨日麻布の時代のことを書いたが、当時家には山羊が多い時で六頭いた。家族とつきあっていた混血の友人がいたがその人が私たち家族を見て、金持ちだと思ったのか、毎日のように高価な英国生地やいろいろと面白いものを持ってきた。ある日白い毛の動物を連れてきた。山羊だ、と皆喜んだ。母は子供たちの健康に、とすぐ山羊の乳を飲ませるために買い入れた。一頭一万払った。当時の一万はかなり高額であったが、子供たちの健康のため思い切って買った。最初に来たのは牝の山羊。数日後には雄の山羊を連れてきた。そして牝の山羊は子を産んで六頭になった。兄たちは近所に草を探して山羊を連れて歩く。山羊は野原で草を思う存分食べ家に帰る。その後山羊の乳で育った兄たちは、皆背が高くなり、どういうわけかわたしはそれほど高くはならなかった。山羊はその後いなくなった。理由は住居が建設され、野原がなくなり草がみつからなくなったためだった。今でも六本木に行くと当時を知る人は「山羊を連れて歩いていたお兄さんたちの姿を覚えています」と言われる。のどかな時代だった。

2016年03月08日 07:44

20160307月曜日

大正の関東大震災の時に横浜の刑務所の所長が迷った末に囚人を解放し、地震が収束した後に戻るように命じて,解放した。所長は不安だったが、信じた通り囚人934人は所長の前に戻ってきた。その顛末が「典獄と934人のメロス」(著者坂本敏夫、講談社)に書かれている。もし自分なら囚人が戻ってくると信じ、解放するだろうか?中には極悪な犯罪を犯した囚人も混じっている。所長の不安は934人全員が脱獄と思われ市民に迷惑を及ぼすのではないか。彼の頭の中に「囚人に鎖と縄は必要ない」というモットーがあった。囚人の中には冤罪で服役していた者もいた。ところが様々な状況の中で大半が奇跡的に帰還した。所長の賭けが見事に成功したのだった。こういう賭けは何回か人生に訪れるはず。人を信じることは難しいが、それは結局自身の中の覚悟につながっている。この解放の記録は史実に残っていないという。その理由も本に記載されている。本をお読みになることをお勧めする。
 
ところで今の六本木のテレビ朝日が毛利家のお屋敷跡だった頃、自分の家近辺は宮村町という名称だった。その頃周囲は外人が多く、その中で幼いアメリカ人の友達ができた。彼女はジミリューという名前でお父さんがパイロットだった。彼女は朝皆が寝ている家の雨戸の戸を「アケテヨー」とカタコトの日本語で叩く。雨戸を家人が開けると、彼女はまっさきにわたしの布団の中に入ってくる。それがほぼ毎日だった。彼女と友達になったので、良くPXに買い物に連れて行ってくれた。だがそのうち突然いなくなった。後で考えたが、おそらくジミリューの父母は娘が泣くと思われるので「さよなら」を言わせずに離日したらしい。。朝は父母が忙しいから相手にされず、メイドさんも来ていないから寂しい思いをしていたのだろう。「アケテヨー」と叫んで雨戸を叩いた彼女のことを時々思い出す。ジミリューが四歳、わたしが六歳ぐらいの頃のことだ。その頃の思い出の影響で語学マニアになったと思える。
2016年03月07日 08:41

20160306日曜日

最近友人が癌を患い医者に手術を勧められたが、迷った末に結局手術をしないと決断した。その彼女の勇気に賛成した。どうなっても自身の治療の決断は、勇気と覚悟と余裕が必要。そういえば自身も昔大きな決断をした。甲状腺ホルモン昂進症との診断で医師が薬を処方してくれた。「この薬をずっと飲み続けてください。止めたりすればあなたは死にます」と宣言された。普通の人なら医師の言葉通りに薬を飲み続けるだろう。(当時自身は普通だと思って生きていたが)すこぶる普通ではなかったらしいわたしは、そこで医師の「飲み続けなければあなたは死にます」の言葉に頭に来て「そんなこというなら自分で病気を治してやる」と家に帰り、プールに毎日行って泳いでいた。その頃階段上ったりすると心臓がドキドキしていたわたしだったが、医師に半旗を翻してからは、まったくドキドキもせず、汗もかくことなく不思議なことには、治ってしまった。それで思い出した。父は良く言っていた。「医者の言うことを聞いては治らない。医者の言うとおりにした患者は病院を出ることなく死んだ」と。こういう刷り込みのため正直に同じことを直に某病院の先生に話したことがあった。即嫌われて診察もしてくれなかった。それを思うと医師と言う職業の方々は結構辛抱強くないと生きられないと推測される。こういう患者は嫌われる見本だ。死ぬのも生きるのも自分の責任だから自分の思うとおりに生きると決めている。そういえば長生きしたければ病院行くな、というような本が出ているようだ。
2016年03月06日 08:46

20160305土曜日

昨日内藤やす子の歌手復帰ドキュメントをやっていた。人気が絶大になり紅白にまで出場できたほど頂点に達した。だが突如として芸能界から消えた謎。彼女は闘病生活を続けていたのだ。脳血栓という難病との闘い。そしてプロダクションの支援もあった一日だけの復活をなしとげた。現役当時の声量をほぼ取り戻せているほどの迫力ある声の強さ。これからどの程度頑張れるか不明だが、ファンは待っている。復帰が成功すれば第二の歌手生活のスタートだ。ファンではなくとも頑張れと応援したくなった。こういう具合に現在も消えたままの人材を掘り起こして行くべきだと思う。

ところで話は変わるがパキスタンでは名誉殺人という恐ろしい習慣があるのだそうだ。つまり家族の名誉のために妹や姉、またはその家の主婦が殺されるという習慣。不倫などをばっさり切捨てて、家の名誉を守るということが実際行われている。日本などは不倫が大手を振って歩いているようなところがある。それと較べるとパキスタンでは自由恋愛しただけで殺されてしまうらしい。後何年経過すれば、その悪習がなくなるのだろうか?誰にも予測できない。しかしながらこういう厳しさを少しは学んで欲しい日本の不倫天国。どうにかならないのか?名誉殺人の犠牲者の爪の垢を輸入してもらえば?
2016年03月05日 19:59