高杜 一榮の世界

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モノローグ

20191227金曜日

最近周囲に滅多やたらと日本人ではない人種が多くなった。ひところの豊島区とは異なり異邦人の村という感じ。それというのも風貌も日本人とほとんど異なるので一目で判る。彼らはかなり日本に慣れてきて、日本語もうまくなってゆく。だが、次第に日本人の良さが減ってゆくのではないか、と気にかかる。例えば狭い道を歩いていると、向こうから同じように狭い道を歩いてくる人がいる。傘でもさしていると、傘をたたまなければ通れない。真っ先に傘をたたむのは日本人側で、向こうの人はすぐにはそう反応しない。これなどもほんの一例だが日本人の心遣いや、ほんのちょっとした親切が無視されたり、またこちらの親切を期待して行動しているような事態になる。つまり消えてしまうような「ほんの小さな心遣い」などはあたかも降ってきた淡雪のように消えてしまう。時代が変われば小さな心遣いなどは次第に摩滅してなくなるのだろう。そういえば、と思い出す。過去にかなり良い家柄で育ち、成人してから、実際に良家で育ったために、あり得る細かい流儀などはなくなって「わたしたちの時代とは異なってきて、苦労する」というようなことを面と向かって吐露した方がいた。その人が言っているのは「時代が変わったので自分たちの良識ある流儀が廃れた」ということだった。今から五十年ほど前のことだ。あの時点でそれを味わっていた人がいたのだ。つまり今自分が味わったことと似たような場面が過去に存在していたというわけだ。つまり多くの人がその時代が変わったために、味わう新しい日本人の姿に戸惑っている、ということらしい。わたしは今になってその人の慨嘆を思い出した。良き時代を通過した人々はそうして慨嘆しながら消えてゆくらしい。かく言うわたしも、同じように「昔は良かった。世の中変わった」と慨嘆しながら消えてゆくことになりそう。それがどうした?と言われそう。
2019年12月27日 18:57

20191226木曜日

あるところで働くことになりました。なにしろアパートの居住者が故郷に帰ったまま家賃未払いで、当面状況が変わらない。大体元々天然系の性格なので、自身の状況を悲愴に感じないという極めて優れた感性をしている。そういえば数十万の家賃を踏み倒された経験を持っている。その際も踏み倒されても、払ってもらえる機会もあるだろう程度の感じで厳しい請求をしなかった、ようだ。今は忘れてしまったのだ。小学生の時に極めて算数数学の成績が悪かった。母は父に相談した。すると父は「女の子は計算高くない方が良い」とか述べたという。計算高いのと、算数の成績とあまり関連性がないような気がするが、なにしろ娘の教育に関しては、ほとんど無策に等しい両親だった。そのためわたしは金銭的に「ヤワ」でかなりおバカな女の子として育ったようだ。家賃を踏み倒された際にはいつか払って貰えるとかなり茫洋とした思いでいたらしい。今となっては親の教育が悪かったと親に文句を言うなどは到底できないし、自分が一番しっかりしなければならない、と自認すべきだ、と思うようになった。この年で?!考えてみれば学校で算数数学をきちんと習っておかないと、将来の人生の岐路に関わってくるのだとだんだん解ってきた。わたしが算数の成績が悪かったので、家賃の踏み倒しなどの被害を被ったのだろうか?関連性があるのか?そう思われても良いが、わたしは交渉は苦手ではない。金銭的に損することがあるが、人に迷惑や損害をもたらす人はそのうち天か神かどちらかからお裁きが必ずあると思っている。そのために損をしてもさほど身に沁みない質らしい。とはいえ、踏み倒された記憶はいつまでも消えない。相手の名前と出身地を今でも脳裏に燦然と輝いている。
2019年12月26日 07:51

20191222日曜日

このところ多忙で眼と脳ミソが地球を一周回って戻ってきた感じ。なにしろ某事情で働きに出ようと決意し、就職先を探しているのだ。だがどうも「どうせ腰掛程度」または「それ以上で暇な老けた女性が暇つぶし」に見えるらしく警戒しているらしい。でも新聞やネットで探せば莫大にありそう。それこそほとんど掃除のおばさんでも良いから、という気持ちの人々には「引く手あまた」のようだ。自身のように「なるべく以前やっていた仕事に近い職業を」探そうとしているので、見つからない。自身の文やCGを活かせるところ、となるとあまりない。一応慎重に探しているので見つからない。その上年齢制限もある。というわけで毎日暇を持て余しテレビを見て暮らしている。最近三人の人を殺害して無期懲役の判決を言い渡された青年がいる。その青年が裁判官が「無期懲役の判決」を言い渡した際、「万歳三唱」したという。万歳三唱を叫んで何か世間にアピールしたかったのか、わからないがそのニュースを見ているうちにふと「親の顔が見たい」と呟いていた。だが「親の顔が見たい」という言葉はほとんど死語みたいに最近は言う人がいないらしい。だが直後わたしの耳に「お前の顔を見てみたら?」と聞こえた。誰が言ったかわからないが、天の声かまたはわたしの深層の声かもしれない。わたしは思わず「なるほど」と呟いていた。
2019年12月22日 11:26

20191218水曜日

新しいノート型パソコンにしてからこのACERという機種に慣れるのがまるで初心者の山登りのようでほとんど汗まみれ、心臓ドキドキ、景色を堪能するという余裕さえなかった。だが大体焦らない、負けず嫌いではない性格が幸いしたのか、毎日少しづつ進歩してきたらしく、なんとか使えそうになってきた。しかしながらパソコンを日本に導入した先駆者つまりパイオニアとしては、なんたるヨチヨチ歩きだったか、信じられない。だがパソコンには一番大切なのは慣れること、そして放棄しないことが一番重要だとあらためて気付いた。とにかく転んでは起き上がり、蹴っ飛ばされては立ち上がりとまるで勝ち目のないボクシングの試合の選手のような状態だった。昨日や今日になり「ま、こんなもんでしょうね」「あなたは良くわたしを導きました」とパソコンに囁いている状態。パソコンに慣れたとはいえ、まだ判らないことが莫大にあるので、毎日が修行の日々。ま、そのうち悟りの境地でも開かねばならないと考えているのだ。ところで、猫のナツキは昨日いつの間にかそばにいないので探したら押し入れの中に入って爆睡していた。彼女は自身で居心地の良い場所を見つけるのがうまい。猫としては上級に入るかもしれない。時々彼女に人生の歩み方を教わっていたのだ。
2019年12月18日 07:39

20191217火曜日

最近の傾向はどこに行ってもIDとパスワードを請求されること。何故か知らないが玄関払いを喰わせたいのか、IDとパスワードを入力しないと、相手にされない。自身のこのページは誰でも入れるようになっている。しかし疑問は何故IDとパスワードがないと入れないようになっているのか?それは妙な悪戯や、心無い者の理由のない書き込みが怖いのかもしれない。だが新聞に載っている有名な人々は誰が買って読むのか知っていても知らなくても平気で写真を載せている。ある時選挙のポスターの写真が悪戯されて画鋲だらけだったことがある。あれなども本人にとっては、許せない出来事かも。ともあれ、人間生きていると、のし上がる人、足を引っ張る人と二手に分かれるらしい。そういう何故か索漠とした世界に清く正しく朗らかに楽しく生きられるのは、余程の楽天家でしかないかも。かく言うわたしは大の楽天家で無防備で考えずに生きている。亡くなった夫はあまりにも、天真爛漫で無防備なので「おまえは畳の上で死ねない」と言ったことがあった。それは妻があまりもノーテンキで周囲に配慮しないで、生きていたからだったようだ。夫はサラリーマンで生きているうちは相当激務で朝五時頃から仕事してそのまま出社、夜は十時十二時などほとんど休む暇もなく働き、時々明け方に帰ってきた。会社に相当酷使され、その後戦死したように亡くなった。病院を出たり入ったりしたこともあった。その時期のことで思い出すことがある。ある日体が弱い自分の未来を予知していたような言葉を吐いた。「こんなに病気でお前に世話になり、申し訳ない。回復したら一生懸命働いて楽させてあげるからね」と述べ私の前で泣いた。その時のことを日記に書いていたが、その言葉を読んだら泣けてきた。今生きて楽しめているのは彼のお陰だが、亡夫には言いたいことがある。あの世で再会したら、その時に話すことにしている。内容ですか?それは自作の中でお知らせします。
2019年12月17日 09:25

20191216月曜日

世の中わけのわからない出来事が多い。例えば箱根かどこかでイノシシが出てきたと騒いでいて、捕獲をしようとしても捕まらない、というテレビの報道。あれって本気で捕獲しようとしているのかどうか、疑問に思った。何故なら皆蝉やバッタなどを捕るような網みたいなものをそれぞれ持って追いかけているんだけど、どうしてそんなちゃちな網で捕れると思っているのかどうか、大人がやっているとは思えない。それとも世界的にどんな生き物でも生存している動物として獰猛な生き物だったとしても、単純に相手にしてはいない、という体制なのかどうか、という疑問がある。つまり蝉用の網以外のもっと大きな網で、それこそ四畳半用に作られた昔の蚊帳みたいな大きな網を用意して追いかけてみたらいかが?かと思う。もしかして世界的に「日本人はまだいたいけなイノシシを大きな網で捕って、あれは殺して食べるのかも」と思われたくないという考えが底にあるのではないか?と疑惑を抱いてしまった。つまりイノシシが人間を襲って殺される事件があったら、その際に一気に「やってしまう」ということなのか?わたしは疑問を抱いている。特に日本人は誰かが一名死んだら動き出すという姿勢があるのではないか?そのほかの疑問としては、最近かなりの資産家である人がお金を見せびらかして万札の束の犇めく鞄を見せていた、というニュースを出していたが、表面だけ報道して、彼の深層の部分ををおもんぱかって心理的な部分も伝えていないような気がしたのだが、間違っているだろうか?
2019年12月16日 09:35

20191215日曜日

友人のご主人が亡くなったというお知らせをいただいた。年末になるとこの種のお知らせが多い。その葉書には何が原因で亡くなったのか、病名も原因も書いてなかった。おそらくかなり複雑なストーリーがあるのかもしれない。だが思い出すのは彼女のこと。今よりも若かったわたしは二人のなれそめを知らないが同じ職場で働いたこともあるので、ご主人のことを知っていた。そのため病名を伺うこともしなければならない、が何かが胸の中でそのための電話を留められている。つまり友人の配偶者の亡くなったことを知りながらその一連のストーリーを伺うのをためらっている。何故なら自身は最近あたかも仙人か世捨て人か何かにすでになっているような気になり、世間の通常の礼儀やしきたりに背を向けていても許されると勘違いしているらしい。元々葬式や結婚式や何かの集いなどに積極的に参加しない傾向にある。「人嫌い?」とも違う。自身は人が大好き。犬や猫が好きと同じに人間が好き。しかし人間は犬や猫と違い結構気を使う。猫なら窓から入ってきて、黙って布団の上にゴロンと寝て、ムクッと突然起きてPF(ペットフード)を求め、食べたらすぐ外に出かけるのを習慣にしている猫のナツキとは異なり、それなりに対応しなければならない。それが難しい。だからそーいう意味においては、気を使わないで済む猫が好き。というわけでニンゲン好きだけど、フツーの人間との暮らしは面倒なので、あまり付き合わない傾向にある。というわけでご主人を亡くしたばかりの友人に何を言うべきかを考えつつ時間だけが過ぎて行く。さりげなく小さな花を買ってお訪ねするのも一案、仙人もしくは世捨て人らしい訪問をしてみたいと願っている。「それって何?」とおそらく、日本人としてまっすぐに正しい道をきちんと歩いていらした友人からは厳しい言葉がありそう。
2019年12月15日 19:15

20191214土曜日

最近の出来事といえば、地方のあるところの土地のことでトラブルになっている。それというのも母が昔(大体七十年前ぐらい)買った土地なので、簡単に手放せない気分でいた。そういえば兄も土地を買う趣味があった。家族の趣味は似るらしく、わたしも以前伊豆の土地を買った。だが、その土地を活かすことも出来ず年月が経過し、おそらく自分が亡くなるときは誰も興味を持たず現地に行く気もないかもしれない。大体土地というのは、若くして興味を持って情熱を抱いてそれを活かす工夫をしなければ何もならない。問題の土地は現在ジャングルのような土地なのだが去年から知人が畑にして使っていた。無料で土地を貸していたのだがそのまま放置したら使用している人の土地になりかねない。土地に興味があったのは若い時で、現在車の免許も返納したので見に行くことも簡単にできない。というわけで人生の「お荷物」となっている。あの土地で兄は陶芸の窯を築いていたし、なおかつ夏には泊まれるほどの小屋をこさえていた。思い出はたくさんある。知人の外国人に案内したら、キャンプ暮らしをするから、貸してといわれ、貸したこともあった。考えてみたら一番最適なのはキャンプ暮らしである。しかしこうも無精になってくると、キャンプや山登りもあまりしなくなっている。考えてみるとすべて若い時にやれるべきものは目一杯やっておけばよかったと、思う今日この頃になっている。だが人生百年時代だから、ある日覚醒して動き出すかもしれない。一度は映画製作を夢にみたのだから何でも手放さず常に夢を追い続けることが最善だと思える。問題の土地のそばには警察の射撃場や大型温泉施設、そして大学まで出来ている。だがわたしの土地はそれほど離れていないのにジャングル状態。しかし畑にしてくれているのは良いが、どうやら畑にすると自分の物という感覚が芽生えるらしい。その「芽生え」がトラブルの原因になるようだ。しかし「芽生え」は無断借用とは別な次元なので、誰も怒れない。兄が「あそこは貸さないで売らないで取っておきなさい」と指示したように、そうするしかない。土地は愚かな者が買うものではない。肝にも心臓にも、言い聞かせておく。
2019年12月14日 18:05

20191212木曜日

今朝新聞を見ていたら、農水省のお役人の父親が息子を殺害した事件が載っていた。それを読んだら、思わず「わたしは良い選択をした。こうならなくて良かった」と呟いていた。というのもわたしは成人してから父母の仲の悪さにほとほと呆れて、そのため自身が結婚しても絶対子を作らない、と決めていた。理由は父母のように子の前で壮烈な喧嘩をして、子の心を傷つけるかもしれない。なおかつ子供を叱りつけ、このお役人のように殺害に走ることは否定できない。そんな決意があっても、もし子を産んでいたらこのお役人のように子を殺してしまう可能性はゼロではない。それほどカッとなり易いに違いない。自身の選択で幸いなことに、わたしに殺される運命の子は、そういう事情か何か理由がみつからなくて、生まれて来れなかった。わたしは生まれる予定になるかもしれない未来の子に「ごめんなさいね、あなたを生むことを放棄して」と謝罪した。子を親が殺す事件のある度に「生んでいたら殺していたかも」と思うことは長い人生結構あった。事件が起きる度にそう思うので推測は確かかも知れない。ともあれ父母は仲は悪かったが、仲が良い時はないことはなかった。しかし彼らは離婚した。とはいえ法的には籍は変わらず母は婚家の姓のまま亡くなった。母がわたしに尋ねたことがあった。「何故子供を作らないの?」わたしはこう答えた。「離婚してしまう可能性があるから、子を作っていたらその子が可哀想だから」母はわたしのその言葉にめげずに言った。「親の気持ちを味わうことがないなんて狡い」この言葉を思い出すと自然に微笑を浮かべてしまう。彼女の気持ちが良く判った。だがある時「四人の子を集めてガソリンかけて焼いてしまいたい」それを聞いて配偶者つまり父を極めて嫌っていると思えた。母の中に何があったのか、良く判らない。しかしその強烈な言葉も日々の不仲を思い出し理解できた。そういえば友人の一人が述べていた。「子供を殺そうとしたことがあった」彼女の息子は、幸い殺されることなく、今では海外で出世し、彼女の自慢の息子になっているようだ。
 
2019年12月12日 10:51

20191211パート2

モノローグの記事を同じ日に二回も書くことはめったにないが、本日はそのめったにない日のうちに入る。わたしは毎日新聞を買いに行く。何故なら一度某新聞の販売店に頼んで配達をして頂いていたのだが、出張で新聞を休むことになり、休んだところ、販売店の店主の配偶者が機嫌が悪く、酷い対応だった。それから毎日買いに行く。特に産経新聞だけいつも買う。というのは産経に某人物が勤務していた時に、その人物の類まれな人生の歩み方にやや傾倒したためだった。かもしれないと思う。わたしはかなり老齢になってからでも、老眼鏡をかけない。それはこの人物の影響。ある時、眼鏡もかけずにすべての事務をなさっているのを目撃しびっくりした。そのためそれ以降遠視の眼鏡を新調しても、あまり使わない。よほど眼が疲れてこない限り眼鏡なし。それはその人物の影響が大。眼の度数は眼鏡に頼れば頼るほど進む、というのをその人物のお陰で学んだ。米寿に近い年齢でも眼鏡なしで過ごせそう。
2019年12月11日 18:55