高杜 一榮の世界

WELCOME TO TAKAMORI COLLECTION

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モノローグ

20201210木曜日

年末となると思い出すのは麻布宮村町(現在の六本木)で暮らしたころの年末の我が家の光景。年末になると母はほとんど人生の勝負だとばかりに、お節料理に情熱を燃やす。黒豆やきんぴらごぼう、鯛の丸焼き、それから歯ごたえのある鰊の子、そのほか様々な正月のお節料理が並ぶ。それもすべて手作り。なにしろ母がまるで全情熱を絞り出すかのように作った具合。年末に兄を連れて御徒町まで買い出しに行き、家族六名分の鯛を六匹買うというのが習慣だった。当時は今ほど既成のお節料理を販売していない(在ったとしても料理屋向け)時期なので、すべて手作り。母は家族の人数分の六匹の鯛を買ってくると、画家一家の主婦としてこう皆に告げるのだ。「さあ、鯛が悪くならないうちに描きなさい」兄も絵描きなので、皆その鯛を描く。それはほとんど面白い風景だった。絵のモデルになった鯛たちは庭に出した七輪で焼いた。わたしは何もせず見ていただけ。母の号令で皆絵を描くのだが父はといえば、書斎で自身の仕事をしていた。母の凄いところは、黒豆やきんぴらごぼうなどは手作りなので、それだけで大変な作業だった筈が、愚痴などこぼさずやり遂げていた。今思うと大変な家族愛だったのかも。彼女のその情熱に赤信号が出てくるのはそれから数十年後だった。父母が離婚ということになり、わたしは父に引き取られることになり、大変な精神的地獄を味わう。西武線の線路に飛び込んで死んでしまいたいと思ったのはその頃だった。なにしろ母に「お父さんのところからお米を持ってきなさい」と言われた時は脳がひっくりかえっていた。あの時は父母を憎んでいた。自身が子を作らない方針になったのは、家族の様々な出来事に起因しているようだ。
2020年12月10日 06:57

20201207月曜日

猫と「二人暮らし」だが、相棒の猫は朝とか真夜中とか、人間の暮らしの時間の感覚がないせいか、突如明け方の4時頃にガラス窓の向こうに現れ、ガサガサと音をさせる。普通ならニャーと鳴くが彼女は身体障碍者で鳴かない猫。しかしわたしの声を聴けるらしくわたしが話しかけると「なに?」とじっと見ている。抱き上げるとわたしの両目をじっとみている。その両眼が可愛らしくほとんどギューと抱ききしめたくなる。彼女が鳴かない猫であることにもう慣れたが正確に表現すると、一緒にいると猫と一緒にいる感覚がない。言ってみれば言葉を話さないがロボットと人間を割って妖精の要素を混ぜたような存在。だから一緒にいると、猫と暮らしているという感覚ではなく、実際生きて息してそばにいる人間に近い知性ある生物のような印象がある。つまり彼女は人間の代役みたいになっている。こうまでお互いを信頼しているので、いつか別れなければならない状態になった時、辛いに決まっているのだが時々もう一匹猫を飼いたい気分になっている。彼女との別れの日がくるまでまだ時間があるが、彼女にエネルギーをもらって辛うじて生きているらしい。ナツキはわたしの娘です。
2020年12月07日 11:53

20201206日曜日

母から譲り受けたアパートに住んでいるが、そのアパートに住みたいと申し出た近所の人がいた。 我が家は築七十年以上、木造モルタル、二度ほど改装したが、もうヨレヨレのアパート。 それでも借りたいというので承知したが、契約書を用意しないでくれ、保証人はなし、と申し出た。 自身は契約書は作らないと貴方が損ですよ、と告げたが、その後借りたくないと言う。 それで道で会ったら、借りたいという意志がどうやら消えかけてるようだった。 アパートの欠点をしゃべりだした。 内心「借りたくないならそのまま辞退すればよいのにアパートの欠点を述べてどうしたいのか? 」と首を傾げた。 「借りないなら別にアパートの欠点を言うことはありませんけど」と述べると怯んだ。 自分の意志を正当化するために、相手の短所(アパートの難点)を並べていること。 断るのに「辞めました」とだけ告げることもできるのに相手側の欠点を並べるのは、おかしいと感じた。 それで気が付いた。 社会的に人間関係でうまくいったことのない人ではないか? 普通の人間なら相手の長所を言い、見せて頂いたアパートは駅にも七分でいかれるし、池袋ににも近い、お部屋は古いけど静かそうだし、と相手側を褒めてから辞退出来る筈、正直言えば、自分がその余裕がないので、借りません、と告げればよいのに、そうせず相手の短所ばかり述べる。 それで彼のネーミングが決まった。 絶滅危惧種だ。 彼を説明するのに一番ぴったりなネーミングだ。 良く考えると時代や世相についていかれず、路頭に迷う人々は莫大にいるだろう。 絶滅危惧種人間が令和時代の新しい人間像だといえる。 絶滅危惧種人間は昭和時代の男性によくある男尊女卑的な内面を隠し持っていて、いざ自分とは異なった人格と接するとどう接して良いか判らず、まず否定する。 否定して相手が怯むまで待つ。 怯まないと怒る。 関係が悪化しても平然といている。 損をしてもまず気づかない。 この先莫大な数の絶滅危惧種人間の増加を感じる。 そのうち絶滅危惧種同士で闘争が起こるだろう。 令和時代ははっきりいえば、莫大な絶滅危惧種人間の喧騒で賑やかになるだろう。
 
2020年12月06日 07:54

20201205土曜日

最近不用品を売ってください、という電話が多い。自分の不要なものを幾つか選んでまっていたら、何故か「これはちょっと」「これは最近は人気ない」とか難癖つけて「着物ありますか?」と尋ねる。それで見せたら「ふうん」とため息をして、「こういうのは売れないんです」と述べる。結局何しに来たかと言えば、本物のダイヤの指輪や結構売れそうな品なら眼を輝かすが、わたしのところに来る業者は、かなり薄っぺらな詐欺に近いと感じる。というわけで大体三名の業者がいたが、いずれもわたしの出すものは「最近はこういうの売れないんですよね」と呟いて終わり。結局お互い何も収穫なく、さようなら。最近同じような業者の電話を掛けてきたが、お断りした。なにしろ図々しい上に、マナーが悪い。驚いたことにわたしのタンスを勝手に開けて「こういうのは売れそう」とかほとんど泥棒並みに自己中。そのマナーの悪さに四度目に連絡してきた業者には「マナーが悪いから来なくて良い」とはっきりいうと、僕は違います、と述べた。しかし大体失望するから、会わない方がよろしいと結論をつけている。それから最近全く会ったことのない人で名前を名乗らない人(女性)がメールで連絡してきて、お友達になりたい、としつこく付きまとうので困っている。なにしろそーいう誰だか判らない人物とメール交換は危険だと思うので馴れ馴れしいメールが入ったら即削除することにしている。災いを見抜くのも人生には必要。友情と見せかけて詐欺だったりするかも。大体そう簡単に友情が芽生えるわけもない。
2020年12月05日 14:29

20201201火曜日

高齢という年になってみると、過去に高齢の人と話したことを思い出す。 その人は大きな広い家に住み、心配なことは何もないと窺えた。 だが口癖のように「こんなに長く生きるとは思ってもみなかった」「早くお迎えが来ないか」などと言っていた。 その時は彼女は九十九歳位だった。 長く生きると皆に羨ましがられて暮らすと思うが、そうではなく何故こんなになるまで生かしておくのか、と神に愚痴るほどになるらしい。 それを見て何故か、ああいう風にはならない、とも思ったが、今正にそんな風な日々になっている。 かなり高齢になってから、長生きを愚痴るというのは、ある意味贅沢なことなのだが、彼女はその時にはその贅沢を味わえなかったらしい。 そういう愚痴はこぼすまい、と今思っているが仕方ない。 愚痴も全く出ないよりはまし。 だがその愚痴を話す相手が猫だけになっているというのも、惨めかもしれない。 わたしの猫なつきは猫として生きるのを満喫しているらしく、朝の五時か六時頃ベランダのガラスの窓のところでガサガサと音をさせ、おはようございます、というようにガラス戸を打つ。 わたしがお食事(決してエサとは言わない)を出し、食べ終わると布団の上で眠る。 眠らない時は必ず外に出たいと意思表示し、ドアの前に座る。 出してやると出かける。 それが毎日の日課。 猫なら猫としてニャーと鳴くのが普通だが、ナツキはいわゆる身体障碍者つまり聾唖として生まれたらしく一切声を出さない。 ただし尾っぽを誤って踏んでしまったときは「痛いじゃないの! 」という風に「ギャー」と鳴く。 最初会ったときに耳に三角の形に切れた部分があった。 友人はこれはすでに避妊の手術を受けた印だ、と言っていた。 猫でもオシに生まれる猫がいることを知った。 最近彼女は頼りになる良い猫になってきた。 今ではお互いの気持ちが判るので、本当に良きパートナーとなっている。 知人にナツキのことを話したら猫でもきちんと葬式を出したり墓をこさえたりする、と言われた。 そこまで考えなければならなくなるとは思わなかったわけではないが、一応心積りをしなければならない。 富士山の麓に墓があるが、あそこに埋葬したいと願っているがおそらくナツキは同意すると思う。 しかし許されるかどうか不明。 生きていた時代にお互い親子以上だったのだからそれ位許されるのではないか、と。
2020年12月01日 10:54

20201129日曜日

最近の事件で畑の野菜を盗られた、果物を盗られた、車の部品を盗まれた、飼育していた豚や鶏を盗まれたという事件があった。大体盗む人は自分が盗まれた経験をしたことがないから簡単に盗むのではないか、と(非常に安易な判断だが)思えるが、自身が盗まれて頭に来たものが過去にある。それは某有名人の名刺を盗まれたことがある。名刺などは大抵盗んでそれほど価値があるわけではないが、当人にとっては宝石のように大事にしているものを盗まれ相当頭に来た。ある時は行く行くはよそゆきの服に仕立てようと、買っていた優雅な布がなくなってい。何が盗まれて頭に来るかと言えば、宝石や気に入っていた衣装などが盗まれたら驚くが、それほど怒りが湧かない。だが大事に仕舞っていた布(豪華な煌びやかな文様のある布で滅多に買えない代物)を盗まれた時は、正直頭に来た。その上確かにその泥棒が滞在したという証拠の煙草の吸殻などを残されたら相当頭に来る筈。いつからか、将来盗まれて悔しいものは絶対持たないと決意したが、そう決意しても悔しい気持ちは生理現象と同じで制御できない。今野菜や果物、豚や鶏など飼われていた方で、悔しい思いをなさっている方の気持ちになってこういう犯罪が完璧になくなることを祈っている。数ヵ月前はその被害者の畑に真夜中に助っ人に行き犯人をとっ捕まえて警察に突き出したいとも思っていた。盗まれた豚のことを考えると、憤怒が夏空の入道雲のように湧いてくる。数週間前某国の数名が豚を盗んだとして、捕まったという。犯人が発覚したのは豚の丸焼きをビデオに録りインターネットで流したためだったという。大体泥棒しても泥棒意識がない人はそういう基本的なドジをするものらしい。
2020年11月29日 11:57

20201128土曜日

テレビを毎日観ていると好きな番組だけ観るようになってきた。毎回観たい番組はNHKのファミリーヒストリー。これは有名人などの家系を遡って、その人物の曽祖父や曾祖母、親類まで範囲をのばして人物の人生を解説する番組で、やはりNHKだ、と感心する。というのは相当広範囲に取材しているので、経費がかなりかさみそうと感じている。次に良く観る番組は登場人物の松重豊があちらこちらに出向き、たまたま選んで入った店で料理を食べるという番組で、グルメレポートのような番組。この番組は美味しそうに食べる松重さんの顔を観ているだけで癒されるというか、楽しい気分になる。たまにその店に行ってみたいとも思う。松重さんのキャラクターが絶妙というか、あまり強烈なイメージがない彼が淡々と食事をしているのを観るのが楽しくなる番組。今までこういう番組がなかったので、とても貴重だと思う。後良く観る番組はテレビ東京の「男子ごはん」これは国分太一と栗原新平の二人の番組で、栗原が料理し、国分がそばでいろいろ話しながら料理が出来るのを待っている。そして二人が後でそれを食べるという番組。わたしはここで料理のレシピを教えられ、メモを取ることにしている。中々有意義な番組。この三番組だけは毎回観るようにしている。いろいろ沢山の番組があるが、中でもこの三番組だけは変わらず続行して欲しいと願っている。
2020年11月28日 11:28

20201125水曜日

小学生の頃、ある日突然アメリカ人の女の子がうちの庭に入ってきた。その出会いがどう始まったのか鮮明な記憶はないが、彼女ジミリュウはほとんど外国人(彼女にとってはわたしたち家族は外国人になる)を知らなかった筈なのに、何時の間にか毎日のようにやってきて、時には朝ご飯を食べているわたしたちと一緒にお茶碗に盛ったご飯を箸で食べていた。彼女が隣の敷地に出来た建物に父母と一緒に住んでいるのを知った。彼女がその経験を大変気に入ったのか「アケテヨー」と毎日のごとく雨戸を開けてくれと、叫ぶ。すると兄が木の雨戸を開き、彼女を家に入れると、わたしの布団の中に飛び込んで潜り込む。そんな彼女の天真爛漫が面白く、一家は明るい日々を過ごしていた。彼女の父親がパイロットだと聞かされたが、あまりそのお父さんに会う機会はなかった。ジミリュウと彼女の母親には毎日のように会っていた。彼女はわたしを「カズ」と呼んでくれていたと記憶している。仲良くつきあっているうちに「娘が日本人の家庭でご飯をご馳走してもらった」というので彼女の母親がわたしと母を横浜へのドライブに誘ってくれた。母親の運転で横浜に行った時のことは良く覚えている。帰りにGHQの人々が買い物をするのをスーパーの外から眺めたりした。売り場の中は莫大な種類の商品が並び、日本の店よりも質も量も異なっているようだった。そして外国人の暮らしの匂いがいわゆるバタ臭いというように表現するが、今思い出すとそのバタ臭さにもいろいろと種類があったことを思い出す。ジミリュウはある日突然いなくなった。「明日アメリカに帰る」とのメッセージも何もなかったが、今思えばジミリュウが泣くといけないから、黙って突然帰国したと推測する。わたしが少し年上で、あの当時彼女は五歳程度だった、と思う。わたしよりも二歳ほど年下だった。再会できるような気がするが、アメリカのどこに住んでいるのかも知らない。ただ父親がパイロットだったということだけが手掛かりになっている。
 
2020年11月25日 18:55

20201124火曜日

今日は自殺について、書いて見たい。朝から物々しいテーマで失礼いたします。たまたま朝色々なことを考えているうちに自殺する人について疑問が起きた。死にたくなったら、今どういう反応をするのだろう?死んだ人たちは死んで「これで良かった」と思っているのだろうか?そんな疑問を抱いているうちにふと竹内結子さんが亡くなったことを思い出し、サイトにアクセスした。するとそこに書かれていたのは、淡々と彼女のこれまでと、自殺周辺のことが判った。ところが何故自殺したのか?の疑問には回答が出ていなかった。つまり「何も考えず」「導かれるように」「ま、このまま行ってみよう」との流れがあったとしか、思えない。子供がいるのに残して行ってしまったことに後悔がなかったのか?という疑問が起きた。普通の人なら「子供残して死ねない」「子供が可哀想だから死ねない」と考えるのがフツーの考えかも知れない。自分は死にたいと思ったことはないが、脳裏に「このまま誰にも知られずに死んでしまえたら楽かも」という不埒な考えが通過したこともある。それで長い間生きていた人の本音を聞いたことを思い出した。今から数年前九十九歳の老女が「早く死にたい」「こんなに長く生きていたいと思ったことなかった」と会う度に言われていたことを思い出した。自分も若い人にそのうち同じことを言いそうになっているらしいので、失笑してしまった。しかし長く生きれば良いとは思えなくなってきた今日この頃。しかし明るく天真爛漫に息を引き取りたいというささやかな希望があるのだが、叶えてくれるかな?(数年前から新たに転勤してきた)わたしの神様は?
 
2020年11月24日 07:37

20201122日曜日

そういえば人に騙されたことが結構多い。しかしどういうわけか、騙されたと感じないまま月日が経ち過去の資料を、たまたま机の隅で見つけて、読んでいるうちに、これはどうなったのだろう?と調べていると倒産だったらしく電話は通じず、月日が経過して全く連絡が取れず結局騙された、または倒産したのを知らずにいた、と判った。それがあまりショックではなく「ふーん」「あ。そう?」という感じで受け止め、怒りはない。どういうことか自分の性格がお人良しに出来ているのかと、不思議に思う。それで今まで騙されたことが多いと初めて気が付いた。だが世の中騙されている人は結構多いと気付く。それも相手は騙そうとして騙したわけではなく、たまたまそうなってしまっただけ、ではないか、と思えた。それは平和的な流れで日々苦痛はない。だが逆に得したことがあったのかなかったのか、と調べたいと思うが、それも調べるのも億劫なので、やらない。のんびりと愛猫のナツキとの暮らしに浸っている。来年はいかなる年になるのだろう?極めて優雅で平和な日々が送れることを期待している。だが優雅ではなくとも安らかに息して健康で暮らせたらそれで充分と思うことにしよう。世の中は欲の持ち過ぎが一番不幸かも、と感じているこの頃。欲を制御すれば、平和に暮らせると思っているがどうなのか?来年が明るい年になるように祈りたい。それ以上は望まないでおこう。
2020年11月22日 05:38