高杜 一榮の世界

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モノローグ

20200224月曜日

特殊詐欺という名前らしいが年寄りを騙して大枚をむしり取った犯人が捕まったらしい。だがほんの一部だろう。詐欺の片棒を担ぐ者は次々と出てくる。自身は絶対騙されないと自信があるがそれも相手によっては、意外と簡単に騙される可能性がある。ここで言いたいことがある。最近、自身は非常に幸せを感じている。何故なら騙されるほどの額を所有していないから。相手が凄腕でも金を持っていなければ騙し取ろうとできない筈。金がないことで幸せを感じることができるのを初めて知った。そういえば亡くなった母は当時流行した金を買わせる詐欺に騙されかなりの大枚を失った。その時学んだことは、金をため込んでこれ以上増やしたいと思うと詐欺にひっかかる可能性大である、ということ。母が騙されたために、その後生きている限り「持っている金を増やそうと思わないこと」「無くなったら後悔するほどショックな眼に遭わない」と決意した。例えばダイヤの指輪、金のネックレス、高価な真珠のネックレスなどの高価なものを持たないことを決めていた。
2020年02月24日 19:20

20200118土曜日

今日雪の日。それを猫は知らない。そのためわたしが溺愛するナツキちゃん(メス)はいつものように食事(エサを食べたなどと彼女の心を傷つける言葉は使わない)をしたら、その後必ず外にでてゆく。決まって朝食後、昼食後、夕食後は外出するのを日課にしている。それを止める理由はない。しかし今日は雪が辺り一面降っている。こういう時は人間だとて、そう外には出ない。だがナツキは全く理解しない。それで抱き上げてその柔らかい身体を胸のあたりまで持ち上げ、窓を開け、外を見せてあげる。「ほらね。こんなに雪が降っているのだよ。だからナツキちゃんは出られないの」「出たら風邪を引いてしまうから危険なの」と解説する。だが人間の子供であれば、少しは理解してくれるのだが、彼女はまだ若い猫なので、わたしの言葉を理解しない。どうしても外に出ていきたいという風にわたしを振り返る。その都度同じことを繰り返した。窓の外に、または玄関の外に抱きあげて、連れて行き、解説する。するとようやく理解したのか、寝床の上に横になり、全身のお手入れをはじめた。毛づくろいを始めたので、ようやく安堵してこれを書いている。この子を飼い始めてから一年ちょっと経過しているのだが、自身は時々彼女に話しかける。「なっちゃんは猫、わたしは人間」「でも一緒に暮らしているので、もしかしたら来世はなっちゃんが人間で、わたしが猫ってこともあるのかもしれないのよ」と話しかける。しかしその会話も空しく消えて行く。来世でなっちゃんに出会えたらそれは奇跡ともいえるだろう。彼女と全く噛み合わない一方的な会話をして、最後は彼女が諦めたかのように寝そべっているのを眺める。彼女はすでにわたしが何を話し、何を考えているのかもしかしたら知っているのではないだろうか?雪の日の奇跡的童話がまるで小さなマッチの火のように生まれていた。なっちゃんには日頃精神的に助けられているが、彼女が実際わたしの言葉を理解しているような気になるのだけは、まだ解明できていない。ところで話は別だが、テレビで芸能人の歯が異常に白くなっているのを時々みかけるが、それほど気にはならないが、何だか「やり過ぎ」に思う。話は変わるがテレビで巨大なブリがたくさんならべられてセリにかけられているのを見ると、人間の権力の凄さを感じる。ブリに同情している自分がいる。ブリは食べることがあるが、あれを見るとブリを食べたくなくなった。可哀想で仕方ない。アウシュビッツの人間迫害の光景をみるのと同じようなショックがあった。わたしだけの感性なのだが、ブリを並べている人間の醜さを見た、という感じ。わたしの感想はおそらくノイローゼとして把握されるだろう。
2020年01月18日 13:23

20200113月曜日

今現在ACERというノートパソコンで書いている。このACER調べみたら中国製のパソコンだった。しかし日本は島国で国土は狭い。その反面中国は日本の数倍の国土を持つ。今不思議に思うのは、中国の方々がこぞって北海道とか沖縄とか、かなり国の中心地ではない僻地を狙って中国籍の人々が買い占めているというのだ。中国の方々が土地を買いたいのは判る。なにしろ中国は国民に土地を売買するのを禁止していると聞いている。だから日本にきて土地を買いたいと思うのは理解できる。しかし日本の土地を買って日本人になりたいのか、それとも売買して儲けたいのか?どちらもなにか良く判らない。土地は人間にとって何か宝石以上の価値があるような錯覚を起こさせるような代物なのかもしれない。日本人の土地への執着と中国人の方々の土地への関心は同じではないだろう。ところで日本では買ったは良いが何もしないで放置された土地がたくさんあるらしい。子や孫もなければ継ぐ存在のない土地は可哀想な気がする。兄も母も土地を買った。そのためわたしには土地の権利書が束になってセーフティーボックスに収まっている。この前数えたら土地だけで数か所あり、中には愛知県や岐阜県の山の中の土地の権利書があった。調べたら山林で山崩れを防ぐ保存林らしい。普通の人には全く価値のないものになるような気がする。しかし土地を活かすも腐らせる(土地は生ものや人間と違って腐らないが)のも所有者の気持ち次第。しかし今思うと土地を所有するというのは人間の安心感につながっていたようだ。母は親類の集まる席でいかにたくさんの良い土地を持っていると、自慢していた。あれなども聞いた時は黙っていたが、今思うと何故か憐れで不憫な気になった。わたしは大切なものは脳に収めるという主義で、現実に失って落胆するものを持たないと決めている。それがわたしの生涯の変わらない方針であり、それがあるので宝石や衣服などに浪費しない。だが一番の悪癖は母譲りの土地への執念かも。何故中国の人が土地を買っているのを不思議に思うのかといえば、そのうち日本政府が「これこれの理由で土地の法律を変更する」などの新法が発布されたら、大枚かはした金かは知らないが払った金も宙に浮き、結局登記の紙だけが残ったということに絶対ならないとは限らない。そういう意味で中国の人びとは日本と日本人を信用しているのかもしれないが、時代が変われば何が起こるのか判らないはずなので、用心すべきだと思う。なにしろ令和の時代には良いことも含めて特別何かが起こりそう。
2020年01月13日 09:03

20200112日曜日

そういえば痴漢を殴ったことがあったのを不意に思い出した。高校生の頃豊島区から港区まで通っていた。大体朝の混雑では体がびっしりと押し付けられ、痴漢をする者にとっては最適な環境が山手線の池袋から渋谷の間にあったらしい。自身が男であったとしたら、痴漢をする男性になっていたかといえば、多分そういうことはしなかったと思える。大体見知らぬ女性のお尻を触ったり、胸をさりげなく触って満足するって、ほとんど意味のないことではないのか?それよりいつもニコニコしているかわゆい女の子と親しくなり、それなりに欲望を満たすことは可能ではないのか。許されざる行為をして警察につかまり、新聞に書かれ、世間の非難の的になるなど居心地は悪いだけではないか。自身が男性に生まれたらやはり痴漢行為をする男性にならないように自身を教育すると思う。しかし世間には痴漢行為をし続けて、その病気から抜けられない人がいるのだろう。今思い出すのはある日電車でお尻を触られたので後ろを振り返って見たら結構な美男の青年だった。こんな人が痴漢するのか、とびっくりしたが、それ以来痴漢にも種類があると判った。痴漢をするのはブオトコであったら、それなりに納得するが意外に美しい男性だったら、内心驚いて絶句していたと思うが、実際は「エッ?」と思うほどの良い感じの青年だったのを今思うと「あの人が痴漢だったなんて信じられない」「何かの間違いか」と今でも思う。ともあれ、この世はただで触りたい男性がいるということだ。わたしが触られて殴った時の男性はびっくりしてわたしの顔を見て唖然としていた。まさか女子高生に殴られると思っていなかったのだろう。しかしその男性もかなりの美形だった。不思議なことだけど本当のことでした。
2020年01月12日 18:02

20200111土曜日

最近のニュースで事業所の所有する銀行の残高を不正に引き出し、長い間の着服が数十億という額になっていたという報道があった。その事業所の名前も着服した人物の名前も記載しないことにする。この種の巨額な着服というのは傍からみるとあり得ない額なので「本当に彼女一人がやったのか?」「そんなに簡単に着服できたのは会社が悪いのではないか?」などと思えてしまう。同じ意見もあるはず。だが不思議とそのあり得ないことができてしまうことがあるのは、人間は意外と信じてしまうことが容易いのではないか、と思える。何故そんなに巨額になるまで放置できたのか、実に不思議。だからこそ、容疑をかけられた者が悪いわけではないだろう?という見方が浮上する。だからこそ、かなりの大規模な組織であったのに、そういう事件が起きるのは、それは本人が悪いのではないだろう、と思えてしまう。一人ができてしまうほど管理が杜撰だったとしか思えない。こういう報道がある度に彼女ばかりが悪いのではないだろう、ぐらい思えてしまう。その上細かい面倒な仕事ばかりさせられてきた女性側からいえば、大体性差による給料の差も影響があるのではないか、とも思えてしまう。これからこういう事件がないように会社側は着服に対する厳しい規則を敷くことをお勧めする。事件が世間と新聞を騒がせてしまうことがないように、厳しい規則を綿密に打ち立てるべきでしょう。
2020年01月11日 18:55

20200109木曜日

ゴーン事件のことだが、テレビで会見して日本の悪口を言っていたらしい。しかし彼の逃亡と日産への裏切りは今後永遠に彼の国、彼の家族などまでもが犯罪者たちとして印象を残したことになる、と受け止められる。今までの業績が賞賛として受け入れられていたが、それらもすべてゼロに帰すことになりかねない。潔白を表明したいなら日本人をシャットアウトする必要もない。日本人をシャットアウトしたことが彼の有罪性を際立てているのをご本人が自覚していないということになる。彼の犯罪性を証明して見せているのを気がつかない、というほとんどお粗末な人格崩壊者としか印象付けられない。つまり逃亡もすべての彼の行動が有罪を示していた。日本の法相は「彼のコメントは無罪を証明していない。法廷の場で正々堂々と語るべき」と語った。全くその通りだと思える。ゴーンは他の外国人が日本でかなりな地位を築ける機会を大幅に奪ったことになる。彼の今までの業績は彼を受け入れて、日産の改革を進めた日本人たちの功績もあることを自覚すべきだし、なおかつ恩を仇で返したこの逃亡事件は歴史に記憶され、日本人の国民性や日本人の長所を認めることができなかった外国人として記録される筈だ。残念ながら自身の功績を全くのゼロに自らしてしまったという逃亡劇だった。逃げたことそのものが彼の犯罪を如実に証明しているのに気づかないというのはまさに「天網恢恢疎にして漏らさず」といえる。

2020年01月09日 07:18

20200108水曜日

今騒がれているゴーン容疑者のことだが、何故公明正大に悪いことをしていないと主張したいのなら、あれほどの緻密な逃亡計画をし、成し遂げただろうか?つまり悪いことをしたという自覚があるからそうしたのだ、と判断されてしまう筈。彼が日本人の性格を理解していて、日本人の良き精神も理解していたら、あのような逃亡スタイルにならなかった筈だ。これまで何故ゴーン容疑者をトップを迎え日産を任せたか?という疑問を抱いていた。何故外国人でなければならなかったのだろう?つまり日産側にトップに据える有能な人物がいなかったということになる。外国人をトップに据えた際に起こるべき諸問題(今の事件を含め)を推測できていなかったとすれば、それは日本人気質、日本的甘さ、日本的義理人情の敷衍的理解なども含まれているだろう。とにかく時代が進めば進むほど、日本人は極めて退嬰的な構造になりかねない、ところがある。結論からいえば、日本人は「甘い!」「義理人情を捨てきれない」「外国人との付き合いに慣れていない」といえる。日本人の甘さは遺伝的なもので、明治時代からまだ変わっていない。島国特有の「甘さ」がまだ身から脱皮できていない。これからはこのゴーン事件から勉強して、もっと深く、もっと緻密に、もっと優れた才識のある人物を育ててゆかねばならない、と思える。ともあれ全体的に日本人の質は劣化していないし、素晴らしい純粋さを失っていないことは確かだ。しかし時代は令和になり、これからゴーン事件の数倍の重大な損失を招く事件が絶対ないとはいえないことを自覚すべきだと言える。
 
2020年01月08日 06:12

20200107火曜日

ところで最近は外国人に会うことが多い。それに日本語に慣れていないだろうから、助けてあげようと思うと、結構日本語が話せたりする。先日新大塚の地下鉄の近くで何かバカでかい荷物を持って立っている若い青目くんに会った。その青目くんはわたしが英語で話しかけるとカタコトの日本語でこれからタクシーをひろうのだ、という。それで余計なお世話かもしれないが、そこで待っていてもタクシーは来ないよ、と大通りに出て手を挙げて止めるのだ、と教えてあげると頷いた。「バスの方が良いじゃないの?」というと青目くんはおとなしい風貌で、言った。「僕はこの大きな荷物がバスに入らなと思うのでタクシーにするのです。バスだと皆に迷惑だろうし」という。「でもバスの運転手さんは外国人には優しいから大丈夫だよ」と言った。そんな会話をしてから手を振って別れた。考えてみたら余計なお世話をしたものだと思う。時々外国人旅行者に声を掛け、助けているつもりだが、結構迷惑しているかもしれない。大体日本人でも言わなければよいようなことを言うことがある。例えば背中やお尻に糸くずや何か得体の知れないものをたまたまぶら下げて平気で歩いている人がいると「ここに何かついてますよ」と教えてあげる。すると頷いてお礼を言う者は大抵男性、女性は「あ、そう」と述べ、うるさいわね、という顔をすることが多い。わたしのお節介は今に始まったことではないので仕方ないが、よく考えると教えてあげて、相手が喜んでいると思い込んでいるようなのでわたしはおそらく自分のその小さな喜びのためにしているようなのだ。嘆かわしいかも。
 
2020年01月07日 13:42

20200105日曜日

さきほどこの欄に書き込んでいたら、操作ミスで400字で3枚ほどのエッセイが蒸発した。こういう場合、誰にも怒れないので、困る。ところで令和の時代になり100年時代の途上で何とか自由に泳いでいこうとしているが、なかなかそう簡単にはいかないようだ。なにしろ令和という時代に何が起こるのか不明であり、なおかつ透明の地雷の上にたたずんでいるような不安だけがしっかりそこに存在しているような印象で落ち着かない。旅嫌いのわたしはそういうわけで、右でも左でもなく、そうかといって何かしようと立ち上がる気もない性格では、落ち着いているようで落ち着かない年齢であるため、どう生きてゆけばよいのか迷う。ところで最近は求職も求人もパソコンとインターネット、そして携帯が主流で、昔ながらの固定電話と住所だけで職探しは不可能に近いらしい。その点でも令和の時代はインターネットとAIが主役なのだろう。しかし何でも着手するのが速かったわたしは、日本にパソコンやインターネットを導入したパイオニアであるのだが、それほどその点を強調してもいないし、それで目立とうと思わないため、かなり生彩を欠くかもしれない。いわば超先端を走っていても気持ちがそれについていかないので、AIの時代の孤児であり、なおかつ仙人のような感じなのかもしれない。大体目立とうとしないで、たまたま目立ってしまった経験があるため、一番大切なオーラが欠けていたのかも。どこかにオーラ売ってないか?売っているオーラなどはみっともないだけだけど。しかし元々そういうオーラに興味がないから仕方ない。
 
2020年01月05日 15:17

20200104土曜日

お正月に大抵おせち料理を食べるのが習わしだが、それは過去のこと。最近は全く作らないしほとんど無精暮らし。だが料理に目覚めたことはある。自身が小学生ぐらいの頃、母はお節料理を家族六人分作り凄かったのを思い出す。焼いた鯛、お煮しめ、栗きんとんなどのお節料理全部手作り。過去にそのすべてのメニュを書いたが、あの当時デパートに売ってもいなかったのだが、それをすべて母は手作りしていた。あの当時のことを思い出すと母の家族に対する愛と情熱を感じる。その後わたしも所帯を持ち、料理を作るようになった。そこでわたしは自然に料理を作り、毎日美味しいうまいと言われていた。何故そうなったのか、には理由がある。わたしが料理を作るきっかけになったのは某仏語圏大使館に勤めた時が契機になっている。毎週かならずどこかの大使館でレセプションが行われ、その度にレセプションで出されるお料理に感銘を受けた。なにしろ日本料理しか食べたことがなかったので、アフリカ系のお料理に目覚め、同じものを家で作るために教えてもらったのだ。まずバターとにんにくその上知らなかった調味料の数々などを揃え、真似て作ることが楽しくなり、それ以来作るようになったのがきっかけだった。以来パーティを開くと必ずアフリカ系のフランス料理を作り、皆に喜ばれている。今ではあの味を再現することも難しいが今度トライしてみようと思う。母はわたしがお料理に興味を持つように自らフランス料理を習いに行き、毎日シチューばかり食べさせられ二人ともかなり肥ったこともあった。あの頃を懐かしく思い出す。

 
2020年01月04日 06:39