高杜 一榮の世界

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モノローグ

20190113日曜日

一昨日歯医者にいったが、そこで歯の磨き方を指導された。これから歯の磨き方を変えねばならず、その通りにするべく暮らしている。この年になり磨き方を教えられたのは初めて。歯ぐきと歯の間に歯ブラシを当てて、そこを念入りに少しずつ磨くのだと言う。今までかなりの年数を生きてきて、歯の磨き方を教えてくれた歯医者はいなかった。それで何だかその歯医者の全体のポリシーがわかり信頼してしまった。以前の歯医者は久しぶりに歯のお掃除をお願いしたかったが、何も言わないうちに「この次に右上の歯の差し歯を抜き、新しいのに入れ替えましょう」とのっけから言われ、次の予約日を決められた。どうも納得いかなかったので、自然体でフェードアウトするべく予約をキャンセルした。そのような理由で新規に見つけた歯科医の所に通うことになった。そこではわたしの歯を色々と綿密に調べてくれて、これからは全体の歯の管理をしてもらえそうな感じがした。今回良い歯医者に出逢ったので、内心「ラッキー」と思っている。クリニックの中は新しく白く綺麗でかなり「値段が高そう」だった。だが前の歯医者と異なり、経営自体がしっかりしていて、ポリシーやスタンスに隙がない。高くてもここに通えばなかなか良いと感じた。そんなわけでわたしの歯はこれからきちんと管理されることが判り、安堵している。歯もそのほかの身体のパーツも、健康は医師のポリシーや経営スタンスに影響されるのだ。これでわたしの歯は老化を含めて解決してもらえそう。春先から運気が良い。この歯科医院では最初にアンケートを差し出され、今までのわたしの歯の歴史を記入するところから始まった。過去に歯の治療で麻酔を使いましたか?麻酔で気持ち悪くなりましたか、など。多数の質問の有無を記入させられた。確りと面倒みてもらえそうなことが判った。歯医者の選択によって歯の運命が決まるのだから当然だが、このように緻密な医師に会った事がなかったので、吉のオミクジにあたった様な気分でいる。わたしは虫歯がなく、かなり順調に年を経ているのだが、過去に事故に遭っている。かれこれ三十年前だが、上野駅の階段を降りているときに、後ろから見知らぬ男がわたしの上着の左のポケットに手を入れそうになった。そこに財布が入っていると思ったのか、突然「すられる」と思って、振り返ると男はわたしを肩で押すようにして下に走って去って行った。「あ、財布すられた!」と思い「スリ、スリ!」と叫んだが男の姿は見事に消えていた。わたしはすられたと思っていた。思い込みから、財布ばかり気にしていた。確かにその男はわたしの財布を狙っていたらしい。男を追い駆けて階段を降りたが、男が逃げていなくなり、その瞬間あっという間に転倒した。顔面から階段に落ちていた。後ろから来た人が心配して「大丈夫ですか?」と尋ねられ、わたしはポケットを触った。だが財布は消えていなかった。しかし財布を取られるより最悪なことになっていた。わたしの前歯から血が出ていた。舌で歯を確かめると何故かザラッとしていた。家に帰り鏡を見ると、前歯の一部が欠けていた。翌日歯医者に行き欠けた歯の代わりに差し歯をいれることになった。最初は金歯だったがその数年後歯と同じような象牙色に少し色が入った歯を入れてもらうことになった。つまり前の歯科医はその差し歯を入れ替える仕事をしたかったらしい。わたしの歯のヒストリーは虫歯がないのに、事件だけは事欠かない。家に帰り、歯の欠けたわたしが「こんなになっっちゃった」と歯を(今は亡き)夫に指差して見せると、当時新婚時代だったので、わたしの話すことがよほど可愛かったのか、それともドジな妻を馬鹿だなと思ったのか、何故かニコニコ笑っていたのを思い出す。

2019年01月13日 07:54
新しい年号のことだが、自身が考え出したのは「光生」だが、いかがだろうか?光が生まれる年という意味になるし、なかなか良いのではないか?様々なご意見が出ているでしょうが、姓名判断で計算すると、明治は17画、昭和は昭で9画和で8で全部で17画。17画はかなり苦労する数字であり、明治も昭和もかなり苦労があった。平成は平成の平は5画で成は6画合わせて11画、平成は、なかなか平和な年であったはず。つまりこれからの年号は数字を良く検討してつけていただきたい。光が生まれる光生の年号は最適ではないか、と思う。年号を選ぶ人は姓名判断にも気を配っていただきたい、と思います。
 
2019年03月03日 12:34

20190111金曜日

昨日テレビを見ていたら、なにやらおかしい番組ばかり。お正月になるとどういうわけか、日頃の無茶苦茶な暴走が倍加したようなおかしな番組ばかりで、どうも正視できない。それほど視聴率を必死に稼ぎたいのかと不憫になる。もっとおとなしく品良く、知性的に番組つくりをできないのか、と思える。とはいえ、どこの家にもあるテレビはまるで家族の一部みたいな感じで、いつのまにかタンスとか台所のしゃもじという存在になり下がっているらしい。例えば大食い競争がもっと過激になっていたり、また一方鬼ごっこのように街中を獲物か生贄を探しまわるゲームの番組など見苦しい。例えば数名でバスも走らない田舎の道を食堂やレストランを探し回るというあの番組は何故か似たような番組ができ、双子のような番組としてオンエアされている。もっと脳を刺激する教育的番組が生まれないのか?何故皆お互いにアイデアを盗ったり盗られたりするのだろう?それほどアイデアが枯渇しているのか?いくらテレビの前の人びとの学歴を無差別に程度を下げて内容を判り易くしているのはわかるが、思考が行き詰ったような番組が多いのは何故か理解不能。一番評価できるのは「family history」NHKだからなのかこの番組は毎回とても安心して観ていられる。

2019年01月11日 10:11

20190104金曜日

ところで昨年から気になっていたことといえば、テレビの暴走。テレビでは何をしても良いという変った常識が横行しているらしく、まず大食い競争のようなはしたない番組、なおかつ芸能人の不倫やおかしな関係を取材して平然と他人の私生活に土足やブーツで上がり視聴率を稼ぐという不埒な番組がある。それでも、まだ常識の範囲内であれば良いのだが土足で上がって報道して、当の被害者がその後病気になったとか、聞いても知らん振りをしていること。テレビ局側は「自分たち以外は人権がないという常識」で暮らしているらしい。もっとも局側は当の被害者側はテレビに名が出ればそれだけ宣伝になるのだから、それほど迷惑していないと思い込んでいるようだ。そのような局側の思い込みだけで突っ走る習慣があるらしい。なにしろ「これがヒットする」と見込んだら、とことん追及してまるでトラクターか大型バスなどで暴走するような調子で「生贄」を轢きこんで平然としている。局側はおそらく自分たちだけ人権があり、自分たち以外は人権のない虫けらか動物に見えているのか、と思う。被害者を普通の人間に見ず、全く人権を無視して報道するという無茶なことをしているように「見える」のだ。本当に困った習慣だ。多分テレビはそうした魔性の血が流れている未確認生物の団体組織なのだろう。そのうち強力なテレビ被害者団体が生まれてくるかもしれない。そうした被害者の中からその種のテレビの体質を食い物にする猛者が出て来る筈だ。

2019年01月04日 08:48

20190103木曜日

新年三日目となるとそろそろ日常に戻ることに。最近の自分のニュースと言えば、昨年滅多に会わなかった兄 高木雅章(画家、新制作会員)を見舞ったこと。体調を崩したとのことでかなり弱気。「永くないかも、年を越せないかも」と発言をしていたのでとにかく会わなければと思ったわけ。早速中村橋に出かけ久しぶりに会った。寝ているかと思ったら、元気で歩いて更に近作を見せてくれた。わたしの顔を見るとフライパンを片手にチャーハンを作ってくれた。思い出すと私が幼い頃、家族で一番次兄が料理が得意だった。彼の絵の数々を眺めるとかなりの傑作揃い。これは個展をして公開した方が世のため、人のためと思ったが、個展会場を探すのも大変だし経費がかかる。とにかく「近々個展をしてあげたい」という思いが募った。自身の絵も加えて兄妹展と行きたい。そんなことを考えるこのごろだ。兄は若い頃「日本のアラン・ドロン」と噂されたこともある美形。そのため、もてたようだ。しかし今ではそのドロン君がややしなびて白髪だらけで、見る翳はあるけれど、昔のアラン・ドロンの面影は数パーセントだから「淋しい」 ともあれ、彼がもてていた時代は一緒に恋人同士のように腕を組んで歩いてくれたことがあったが、兄とはいえビミョーな気分だった。兄とわたしも結婚前だったが、今となってはいい思い出になっている。兄は現在唯一の肉親になっているのでなるべく長生きをして欲しいと常に思っている。

 

2019年01月03日 11:44

20190102水曜日

あけましておめでとうございます。四十年前ならお節に、鯛の丸焼き、栗きんとんや紅白の「なます」などを前にお屠蘇(とそ)を一杯となるのだが、最近は何も作らず、なおかつお正月らしき商品をスーパーでみても買う気ゼロ。その代わりにこのところ習慣になっているのは餃子造り。餃子造りはほとんど我が家(猫一匹と人間一名の)の習慣で毎日作る。中身の具を毎回少しずつ変え、ニラ、豚肉鶏肉の挽肉、酒も少し入れて皮は市販のものだが、最初は粉から作っていた。というのも中国語の先生(大連出身)に本格的な餃子作りを教わった。最初粉から作る方法を教えていただきそれが契機で造るようになった。大連の餃子は大根とニラがほとんどで肉はなかった。煮てしぼった大根とニラを入れた具が美味であった。皮は粉から造るもので市販の皮で造る餃子よりもかなり美味しい。今は皮は市販のものだけ。ところでお正月が来て楽しいのは芸能人や歌番組を見て喜ぶ人ばかりかも。わたしはなにしろお正月と言うケジメみたいな年中行事が嫌い。お正月に何をするかといえば、やはり餃子。ほとんど無意識に造る。今年は自身が年賀状を作成しなかったのに、外部からの葉書がきているのを確認。自身が書かなかったにしてはかなりの数の年賀状がきていて、なにか反省気分。年末体調を崩し年賀状を準備できず友人知己に不義理となってしまう。毎年五十通ほど年賀状を書いていたのだが、あの忠実な習慣が年末から頓挫し、何もできなかった。「あの人は変人だから、年賀状の習慣を辞めたかも」と思われてしまうのも、仕方ないと思う。しかしながら忠実に書いていた時期の枚数を数えると相当な数になる。その分溜まりに溜まったストレスが現在に積み上げられたかのよう。年賀状を辞める人もいるが、まだその気にはなっていない。

2019年01月02日 12:35

20181230日曜日

先日から舌が腫れ異常なほど痛かったが、大塚病院の口腔外科で「これ単純な口内炎です」と診断され、案じていた舌ガンではなかったので、一安心。というわけで何とか年末の掃除に取り掛かった。大体ものぐさで掃除があまり好きではないので念入りにお掃除はせず、適当に玄関のドアの表面を一応拭き掃除をしただけ。後は中の仕事部屋や台所などをざっとどころかほとんどそのままにし、この前から書いている新作に引き続き、取り掛かった。今度の作品はフランスから日本の近代化のために招聘され「ブルトーザーともいえる改革」に取り掛かってくれたフランソワ・ヴェルニという人物の自伝的小説。この作品はメルメ・カションの小説と同じ時代に日本に来日し、横須賀製鉄所を建設し、仏技師を引き連れて日本を立派な国際社会に通じる国に仕立ててくれた人物を描くもの。この人物がいなかったら、日本には新幹線もスカイツリーも存在しなかった筈という大人物。仏史料を翻訳しながらなのでかなりホネ。ただし(師匠のアドバイスもあるが)自ら選んだテーマなので最後までまっしぐら進む予定。しかしながら明治天皇から叙勲というヴェルニという人物を描くのは緊張感がかなりある。来年はこの作品の完成を実現する予定。ところで自作の電子本がすべて再発行されて発売中ですのでどうぞよろしくお願いいたします。主な著作の中に載っていますのでご覧ください。

2018年12月30日 05:48

20181224月曜日

ナツキを一階から二階に抱っこしてきたのだが、その重さが異常でショックを起こしそうになった。おそらく5キロ以上あるかもしれない。そうなるとわたしは健康を考えて、ナツキにダイエットさせねばならないと考え、早速食事制限した。毎回のPFの量を少なくし、体重を減らさせる。ナツキ自体はダイエットなどの必要性感じていないので、なぜわたしが食事の量を減らしているのか理解できないらしい。お前のためだ、と言い聞かせても相手は猫だから首を傾げているだけ。今朝食事を減らし今までの三分の一にして出したら、どうもおかしいと台所と居間を行ったりきたりして考えていたらしい。「わたしのご飯減らされている」「何故だろう?」「何故あの人はわたしの食事を減らしたのか?」相手が人間であれば事情を話すが猫だから理解できないので、そのままわたしに対するスタンスを変え、「どこか、おなか一杯食べられるところに行こう」と思ったのか「はらぺこ」のまま出て行った。多分今まで顔を出したことのある家に行き、餌でも貰うのだろう。何故か空しい気分がしてきた。しかし彼女もそのうち、理解してくれるだろう。気立ては中々良い猫だから大丈夫。ところでここ数日激しい口内炎で舌が一部腫れそのせいですべての食生活が制限しなければならなかった。クリニックの先生から抗生剤と痛み止めを処方していただき、ようやく今日になり、普通に食べられるように快復した。楽になったが諸般の事情で舌ガンを心配してか、別な病院に行くよう指示されたので行く予定。もしそれが本当だったら、おおごとかも知れないが、根が楽天的なので「本当の舌ガンになっていたら、結構面白い体験談を書ける」などほとんど狂気に近い発想をしている。もっともわたしは恐怖心をそうやって回避しているのかもしれないが、好奇心というのはある意味身を助けるかも。後日談を書くつもりだが、果たして舌を切ることになるのかどうか不明。後日都立大塚病院の口腔外科で診断していただいたが、「単なる口内炎です」と言われ今は安堵している。

 

 

2018年12月24日 08:52

20181205水曜日

とうとう十二月になった。年の瀬というのは、どういうわけか気ぜわしいのでこの時期が一番居心地悪い。遠くから誰かに監視され「お前は今年何をしたのか?」「何も世のため人のためになっていないじゃないか?」「それで年を越せるのか?今年何をしたか列挙せよ」「来年もそのようにタラタラ暮らすのか?」と攻められている気がしてくる。だからとにかくさりげなく、普通の暮らしが一番と思い込み、褒められなくても、それなりに生きていれば神様はお許し下さる、と思い込んでいる。猫のナツキはよく懐いたからこの名になったのだが、常にわたしのそばですやすや眠るのを習慣にしている。あまりにも可愛いので、「今年も年を越すんだよ。お前と一緒に年越そうね」と囁いたら意味が判らなくても承知してくれたのか、わたしのすぐ傍で常に爆睡している。こんなに可愛い猫はそう矢鱈にいないと思っている。ナツキが良く懐いてくれたので、わたしの老後は幾分華やかで明るい。彼女はわたしが「お食事」をあげると、食べ終わってわたしのすぐそばまで来て、わたしの膝や足に纏いつく。まるで「今日もご馳走様というかのように」律儀だ。普通の人間が律儀ではないので、特に感じる。今では彼女(雌猫です)が一昼夜いないだけで、どん底気分を味わうことがある。だから眼の前からいなくなるとゾッとする。ナツキもわたしがいないとゾッとするらしい。なにしろわたしの後にくっついて歩くので、時にはよろけて彼女の上に尻餅を付きそうになる。来年もナツキと相思相愛の関係で年を越す。

2018年12月05日 13:44

20181128水曜日

いつも使っているコンビニのローソンの店員さんから貯まっているポイントをインターネットまたは電話で会員登録をするとポイントを使えます、と教えられた。「電話をして良いですが、電話よりもインターネットでも受け付けておりますので、どうぞ」とも言われた。ところが、インターネットで登録をしようとしたら、本人の身分証明の代わりに手続きが必要で結局会員登録は不発に終わった。この時間数十分掛かった。貴重な時間を使った代わりに疲労だけが残った。こういうことって若い人しか駄目なのか、時代遅れになりつつあるのか、としょげたのだが、忽ち仁王立ちしたかのようにインターネットの会員登録体制やポイント還元、ポイントのための会員登録体制に怒りがもちあがった。何のために登録させるのか、何のためにポイント制度を作ったのか?消費者に疲労をもたらすサービスで良いわけか?そのような上から眼線でいつも栄耀栄華を築けると思っているのか?なんだか体制自体が消費者を翻弄しているかのようで怒りが収まらなかった。ローソンでは買うけどポイントは入らない。何もいらないから疲労はばら撒かないで欲しい。しかしながらパソコン歴も、インターネット歴も長いにも関わらず何か注文したり、手続きを行う必要が起きた時に、かならずうまく行かないという「手続き下手」の経験がある。何故人間対人間ではないと、手続きが旨く行かないのか?自身にも判らない。多分原始的な野生の部分が多いためらしい。これはどう教育しても仕方ないようだ。

 

2018年11月29日 11:33