高杜 一榮の世界

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モノローグ

20160513金曜日

週刊新潮の5月19日号に高山正之氏の「変見自在」に「零戦は飛ぶか」というタイトルの連載エッセイが載っていた。零戦とは戦中に悲劇的に活躍したあの戦闘機のことだ。内容は現代のこの平和を一応標榜している日本で零戦に興味のある人がいるし、また世界には零戦を趣味のように集めている(狂気の沙汰?)人もいるというのだ。戦闘機の部品を集めて全部手作りで再生した人もいる。どういう類の人か、って。つまり戦闘機オタクでしょう、きっと。ある意味戦争で亡くなった戦闘機操縦した兵士、その家族にはあまり歓迎されない趣味のようにも思える。だが何故集めたり、関心を持っているかといえばこの零戦闘機がいかに優秀で、世界の注目になっているかという情報を伝えているというわけだ。なにしろ零戦の復元には政府側の拒否があったこと。ボルネオで3機が零戦に撃墜され、パプアで5機が零戦に撃墜されたアメリカは、日本の零戦の優秀さに驚愕した。これで日本は三年間アジア諸国の独立機運を促したことになる。原爆が出来るまでは何事もなかった。現在零戦は7機存在する。そのうち2機がスミソニアンに在り、民間所有が4機など。ところが零戦のことに関心を示すとどこでも無視や無関心で冷酷な反応だとか。平和指向の日本では生き難い零戦はその優秀さゆえにどこでも弱腰のスタンスであり、受け止められないだ。高山氏は日本に零戦を、冷静に受け止める人物はいないと嘆いている。それは零戦で闘って亡くなった兵士やその家族への非礼ではないのか、と思う。それほど戦争を感情的に毛嫌いしていては、現在の世界情勢に対応できる体制は育たない。平和を保てる筋肉は人間の身体と同じで努力が必要だ。別に軍備を強化するべきとは言わない。平和への知恵は金属ではできない。
 
 
 
2016年05月13日 08:30

20160512木曜日

五月九日の産経新聞に北海道の千歳空港から車で15分ほどのところに中国人向けの別荘地が建設された、と載っていた。ニトリから売りに出されたそれらの建物は完売したもののその街はゴーストタウン化しているという。推測するに、街として機能しなかったのは、住人の排他的性質が原因ではないか。つまり日本の別荘を買ったことは良いが、街として育たず日本的な雰囲気にも馴染めなかったことか?いやそうではないだろう。土地も建物も純粋に投資目的であったが、それは不発に終わった。結局売り手側は第二弾を放つこともできず残っている土地は手付かずのままという。中日合同のバブルの結果?一方同じ北海道の帯広駅から30キロの戸蔦別川沿いの広大な土地にも中国系の農場ができている。しかし何故こうまで中国の人びとは日本の土地に関心があるのだろう?何故本国の広大な手付かずの土地を何もせず異国の地を開拓したがるのか?中国政府は土地の所有権を国民に持たせないそうだが、それは国民に外国の土地に興味もを持たせる目的があるからか?そのうち日本国そのものを手に入れたいのか?それは無理でしょう。日本製の製品が世界的に評価されるこの時代に勝つための術は簡単なことではない。ウルトラ級の技能が求められるはずだ。しかし中国によって侵食された土地は健全な土地として育つのか?
2016年05月12日 08:38

20160511水曜日

この前オーストラリアの潜水艦建造の受注で日本が敗れたというニュースがあった。潜水艦というと戦中のことのように考えてしまうが、現代でも潜水艦は注文する国、受注する国とあるようだ。潜水艦だからとはいえ、別に軍備とは関係ないのかもしれない。潜水艦で深海の海底の生物研究という世界もあるだろう。気にはなるけど、日本が敗れても仕方ない。後で日本の技術を使わなかった結果はモロに出るはずなので、その結果を直視した方が良い。
 
ところで芸能界のスキャンダルに知性も優雅も何もないような気がする。マスコミは道徳の指南役にいつなったのか?誰が誰と不倫したとかしなかったとか誰が誰と離婚したとかそ~いう類のことをテレビに流すのは、それこそテレビ自体のスタンスやポリシーを貶めているのではないのか?そういう類を排除してテレビをもっと高度に優雅に品を高めて行く努力もするべきではないのか?誰が誰と不倫したとかするはずだというのは、巷の井戸端会議に任せておけば良い。テレビは国民の文化・教養を高める尺度になるはず。そういう類は時間の無駄になるのでもっと良い番組制作を目指していただきたい。
2016年05月11日 06:53

20160510火曜日

今日は姓名判断のことについて書く。姓名判断の項目をHPに追加しようと考えたが、毎日更新する際に載せるよりもその時どきで載せる方が良いと判断した。わたしが姓名判断に興味を抱いたのは、新聞の事故の名前を見ているうちに、何故これらの人が事故で犠牲になったのか?と疑問を抱いたことに始まる。十代の頃から始めて次第に姓名判断が人生には重要であると気がついた。なにしろ事故に遭う人は必ずと言っていいほど、悪い数を姓名のどこかに持っていた。たまには例外もあるが、概ね当たっていることが大きい。ではどうやって判断するのか。姓名判断は名前の漢字の画数を計算し、判断するもので例えば自身の名前高杜一榮でいえば、真ん中の「杜」と「一」を足して中心運がでてくる。わたしの中心運は8。「高」と「榮」を足して被支援数24となる。全体を加算すると全体運32。姓ではなく名前の一と榮を足すと15となり、これは成人するまでの運気を表す。姓名判断は総合画数、中心運数、未成年運数、被支援数で占う。では姓だけの数はその家の運気を表し、中心の数は生涯を通じて支配する全体運を表す。姓の初めの「高」と名の「榮」を足すと被支援運を表す。被支援運とは他からの支援を受ける運。運気の良い画数は5、6、8、11、13、15、16、18、21、23、24、29、31、32、33、35など画数60ぐらいまで続くになる。この数字以外の数は凶になる場合があるが、凶にも大中小あるので、運気は細かく別れている。しかしながら名前が悪くてもかなりの運気の良い人生を歩んでいる例外もあるので、それは生年月日で異なることになる。ご質問があればメールでお知らせください。ちなみに上記数字を有名人やコンビ名、ならびに店名で調べてみてください。たとえば芸能人の人気者の画数の数字を調べて見ると「なるほど人気が出るわけだ」と解ってくるはず。
2016年05月10日 07:52

20160509月曜日

五月四日付けの産経の「正論」に新保祐司氏が『もう一度日本人になるために』と題して書いている。明治以降欧米の知性と文化、科学技術を受け入れ、身につけたが「日本人はもう一度日本人にならなくてはならない」と述べている。当時幕末から明治維新にかけて日本国の中の日本人を意識したのだが、あの類稀なる喧騒と混迷の中で人びとは、国家とは何か?日本人とは何か?をそれぞれ考えられたのだろうか?まだそこまで鮮明に意識しないうちに時代は激流の流れのように進んで行った、のではなかったか?つまり日本人が日本国、日本人をきちんと把握できていない。だからまだ日本人になりきれていないという、趣旨なのだろう。日本人の精神の基層にあるものに、気付かねばならないというのだ。それは確かに素晴らしい見解だが果たしてすべての日本人は精神の基層にあるものに気付くのだろうか?難しい問題だと思う。しかし戦争を経験した父母の時代の体験の中で「日本人とは」「日本の国とは」は充分味わったのではないのか?改めて日本を考えると何か切ない、割り切れない、悲哀に似たもどかしさを感じるのではないのか?つまり日本と日本人を改めて「日本人になる」と意識することは、なにやら「反省を強いている」ように思える。反省は必要だが、形のないものには責任感は育たない。「日本人になる」課題は壮大で永遠のテーマであり、どの時代も抱えて生きなければならない「磔」に近い。日本人は自虐感が強い民族のように思える。
2016年05月09日 05:38

20160505木曜日

さまざまな記事を総合して判断すると「慰安婦問題」も「南京大虐殺数十万」もすべてプロパガンダであることが、判ってくる。しかしなぜいつもこの二つで日本は右往左往し続けているのだろう。もうそのことで狼狽する必要はない。狼狽すればするほど相手の思うツボになる。これから日本はどう歩んで行くべきか?第一にプロパガンダに迷わされることなく、国際的騒音やデマに慌てないこと。第二に日本独自の質の高いプロパガンダを掲げ常に堂々としていること。第三は未来の日本国民(つまり日本の児童たち)に間違った歴史や歪んだ情報ではなく、正当な情報を含んだ教育をすること。第四に常に外国との関わりに関心を抱き真摯な国際感覚を持ち続けることを提唱すること。日本人は志の高い品格の国であることを自覚し続けることを期待する。「日本人に生まれて良かった」と言う人が増えることを願っている。(子供の日に思う)
2016年05月05日 09:07

20160503火曜日

ゴールデンウイークにどこかにでかけたことは今までなかったと思う。大体旅行嫌いの傾向がある。以前書いたので重複するがあえてまた書く。広島にいた時宮島まで出かけた。地元のケーブルカーに乗っていた時のことだ。ケーブルが頂上行きと出発地行きと交差する瞬間があった。すると昇りのケーブルに一人女性が乗っていて、外を見ていた。一人旅なのだ、と思った瞬間、後ろで声がした。「一人で旅行するってどうかしている。気が知れない」その時、後ろを振り返って「あなたね、人の状況知らないで何勝手にほざいているの!あなたのそのうちご主人に死なれて、同じように一人でケーブルカーに乗る日が来ないといえるの!馬鹿ほざいているんじゃないよ!」と怒鳴りたかった。だが怒鳴れなかった。再婚したばかりの夫にしなれて、意気消沈していたから。何十年も経過して、今ここで冷たい言葉を吐いた人にほざいている。人がどういう気持ちでいるかわからないうちに情のない発言はするべきではない。あの時のことは今でも忘れていない。旅行嫌いがさらに加速されたに近い。発言した女に再度会えるなら言いたい。過去の言葉を反省せよ、と。しかしわたしって執念深いのかしら?今は笑えるけど。
2016年05月03日 10:09

20160502月曜日

 
思い出すことがある。家族が同じ家で一緒で過ごせる時代には、六本木から麻布十番に抜ける道沿いの高台に住んでいた。かなりな崖で今で言えばビルの二階に家があったという具合ともいえる。そこでうちは六頭の山羊を飼っていた。最初はメスだけ、後で一頭では寂しいからというのでオスを飼ったら、たちまちに増えた。全部で六頭になった。つまりメスとオスが四頭の子を作ったということになる。その当時餌を探して兄たちはあちらこちらの野原に山羊を連れて行った。山羊の乳を搾るのは、母や兄たちだった。むしゃむしゃと草を食む山羊を見ているとのどかな雰囲気だったのだろう。周辺では「山羊を飼う家」と言われていた。その山羊も一頭がなくなると次々亡くなり、結局ゼロになったのかもしれない。その辺りの事情は詳しくは知らない。つまりわたしたちは山羊の乳で育ったのだ。このことは以前書いたと思うが重複してしまうがまだ話がある。山羊の次に飼ったのは鳩だった。山羊は地面にいるので目立つが、鳩小屋のある木の上にしかいないので、あまり近寄ったことはなかった。なにしろ鳩を飼いたいと言ったのは三男の兄だったから、鳩の世話をしたことはなかった。ところが近所で鳩を飼っていた家があった。金魚屋の家の鳩だった。ところがその鳩のことで事件が起こった。鳩でトラブルが起こったのは金魚店の鳩がうちに鳩小屋に紛れ込んでいたことから始まった。兄は鳩を返しに行った。ところがうちの鳩が先方に紛れ込んでいても返しに来なかった。鳩の首輪に家の名を記して紛れ込んだら、返し合うルールが自然できていたが、守られなかった。それで金魚屋とうちとで暴力沙汰になり、結局我が家(父と兄二人の三名だけ)は相手(六名ほどの男たち)と争い、先方を素早く制したのは日頃痩せていて格闘など一度もしたことがないうちの父と兄たちだった。これにより、近所の人びとから感謝された。いわゆる普通の一般人とは違う人が混じっていたので、感謝の度合いが異なった。乱闘の場面を目の当たりにしたのだが、不思議な経験だった。まるでおとぎ話に出てくる鬼退治を目撃していたような感じもある。
2016年05月02日 16:45

20160429金曜日

4月27日の新聞に「豪次期潜水艦 ちぐはぐ対応 日本受注逃す」と出ていた。オーストラリアの潜水艦の発注を日本が受け損なったという、のだ。だが日本にその発注(共同開発)を受けるだけのスタンスがあったか、どうかの問題になっているようだ。オーストラリアの「次期潜水艦の共同開発相手選定で日本が敗れたが、それは日本の「入札対応が官僚的で熱意が欠けていた」なおかつ「経験不足をしてきされた」の原因という。しかしそれだけではないだろうが「官僚的で熱意が欠けていた」のは日本人特有の「外交下手」と「おしの強さの欠如」かもしれない。しかしオーストラリアの潜水艦建造計画に参加できなかったのは、中国外交が日本外交よりも敏捷即決的な素早さであったためらしい。この記事の下に「日豪接近に警戒感 中国外交の勝利」という記事があり、そこにはすでに中国の元共産党の幹部の娘と豪州のターンブル首相の息子が結婚しており、貿易では中国は豪州からの鉱石の輸出先であり、中国とオーストラリアの密着外交は今に始まったことではないようだ。つまるところ日本が潜水艦の建造に絡みたくても無理だったともいえる。すでに勝負は付いていたのか?だが日本の技術は未来永劫に不滅であり、最後は勝利すると言いたい。政治はビジネスの面でも瞬時の対応を迫られるのであり、理想をいえば政治家は自動販売機のように打ては響くように対応しなければ生き残れない。これからは日本国内だけのことを考えているだけでは世界で日本が輝くことにはならないとはいえるが、しかし日本の政治家で抜群の外交政治ができる力量のある者がいるのだろうか?日本は「内弁慶外交」しかないのか?内弁慶外交にも長所があるとはいえるが、長い目で見ているうちに月(ツキ)は雲隠れ?
 
 
2016年04月29日 17:44

20160426火曜日

最近気になったことといえば、テレビの画像に誤字や間違った文言が結構出ていること。それが修正されずに放送されている。例えば子供の会話に子供が普段使わないような言葉を使わせていたり、大人も同じように間違った言葉使いをしている。時には漢字の間違いがあると、それを隠蔽するように場面が変わり、それについて何もコメントせず番組が進行するのだ。その都度気になるが間違ったまま、ドラマや報道が進んでしまうことが意外に思う。誰も気にならないのか?これまでにかなりの間違いがあったことを記憶している。放送中に修正する字幕訂正が下方に流すこともできるのでその都度直してから番組を進ませるのは出来ないことはないはずなので、是非そうして欲しい。
 
詐欺は今猛威を振るっているごとくあちこちで被害者が増加中だ。実はわたくしの母はある時「金のノベ棒」を買ったので、覚えておいてね、と言った。良く聞くと「金」を買ったのだという。245万払ったという。証書があるが、それには五年後か八年後にならないと、実際の金を渡せない、との但し書きがついていた。どうも不信感があり、変だ詐欺ではないか?と思ったがその時はすでに遅かった。その頃「金」の詐欺が横行していて、その会社も同じ類のようだった。キャンセルに会社を尋ねると「解約すると全額は戻らない」というので仕方なく帰ってきた。結局騙されたことになった。母はその担当者の名刺の表面に針を刺し続け、まるでその人の家族を呪うかのように、刺し続けていた。その母の経験を目の前で見ていたので、自分は詐欺に合わないようにしようと肝に銘じていた。だが現在の詐欺グループは相当手が込んでいるようだ。なにしろ「切羽詰った息子を助ける」というテーマで電話してくるというのだから呆れる。一番良い対策はまず老人には電話に出さないこと。なおかつ赤の他人には金を振り込まないこと。この二つが重要。振り込め詐欺対策は「老人には電話に出さない」「赤の他人には送金しない」などを徹底させることが重要。最後に大切なことは冷静になること。せっかちな人は電話に出ないこと、稀代のケチに徹して、電話に出たとたん「あんた詐欺でしょ!」と叫ぶこと。これが一番手っ取り早いかもしれない。ご自分の親御さんに言ってください。電話に出た途端「あんた詐欺でしょ!」と叫ばせる。これを練習させると良い。これで世の中の詐欺がいなくなる軌道に入るかも。甘い?だが練習しておけば数億取られないで済む可能性がある。

 
2016年04月26日 16:57