高杜 一榮の世界

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モノローグ

20200112日曜日

そういえば痴漢を殴ったことがあったのを不意に思い出した。高校生の頃豊島区から港区まで通っていた。大体朝の混雑では体がびっしりと押し付けられ、痴漢をする者にとっては最適な環境が山手線の池袋から渋谷の間にあったらしい。自身が男であったとしたら、痴漢をする男性になっていたかといえば、多分そういうことはしなかったと思える。大体見知らぬ女性のお尻を触ったり、胸をさりげなく触って満足するって、ほとんど意味のないことではないのか?それよりいつもニコニコしているかわゆい女の子と親しくなり、それなりに欲望を満たすことは可能ではないのか。許されざる行為をして警察につかまり、新聞に書かれ、世間の非難の的になるなど居心地は悪いだけではないか。自身が男性に生まれたらやはり痴漢行為をする男性にならないように自身を教育すると思う。しかし世間には痴漢行為をし続けて、その病気から抜けられない人がいるのだろう。今思い出すのはある日電車でお尻を触られたので後ろを振り返って見たら結構な美男の青年だった。こんな人が痴漢するのか、とびっくりしたが、それ以来痴漢にも種類があると判った。痴漢をするのはブオトコであったら、それなりに納得するが意外に美しい男性だったら、内心驚いて絶句していたと思うが、実際は「エッ?」と思うほどの良い感じの青年だったのを今思うと「あの人が痴漢だったなんて信じられない」「何かの間違いか」と今でも思う。ともあれ、この世はただで触りたい男性がいるということだ。わたしが触られて殴った時の男性はびっくりしてわたしの顔を見て唖然としていた。まさか女子高生に殴られると思っていなかったのだろう。しかしその男性もかなりの美形だった。不思議なことだけど本当のことでした。
2020年01月12日 18:02

20200111土曜日

最近のニュースで事業所の所有する銀行の残高を不正に引き出し、長い間の着服が数十億という額になっていたという報道があった。その事業所の名前も着服した人物の名前も記載しないことにする。この種の巨額な着服というのは傍からみるとあり得ない額なので「本当に彼女一人がやったのか?」「そんなに簡単に着服できたのは会社が悪いのではないか?」などと思えてしまう。同じ意見もあるはず。だが不思議とそのあり得ないことができてしまうことがあるのは、人間は意外と信じてしまうことが容易いのではないか、と思える。何故そんなに巨額になるまで放置できたのか、実に不思議。だからこそ、容疑をかけられた者が悪いわけではないだろう?という見方が浮上する。だからこそ、かなりの大規模な組織であったのに、そういう事件が起きるのは、それは本人が悪いのではないだろう、と思えてしまう。一人ができてしまうほど管理が杜撰だったとしか思えない。こういう報道がある度に彼女ばかりが悪いのではないだろう、ぐらい思えてしまう。その上細かい面倒な仕事ばかりさせられてきた女性側からいえば、大体性差による給料の差も影響があるのではないか、とも思えてしまう。これからこういう事件がないように会社側は着服に対する厳しい規則を敷くことをお勧めする。事件が世間と新聞を騒がせてしまうことがないように、厳しい規則を綿密に打ち立てるべきでしょう。
2020年01月11日 18:55

20200109木曜日

ゴーン事件のことだが、テレビで会見して日本の悪口を言っていたらしい。しかし彼の逃亡と日産への裏切りは今後永遠に彼の国、彼の家族などまでもが犯罪者たちとして印象を残したことになる、と受け止められる。今までの業績が賞賛として受け入れられていたが、それらもすべてゼロに帰すことになりかねない。潔白を表明したいなら日本人をシャットアウトする必要もない。日本人をシャットアウトしたことが彼の有罪性を際立てているのをご本人が自覚していないということになる。彼の犯罪性を証明して見せているのを気がつかない、というほとんどお粗末な人格崩壊者としか印象付けられない。つまり逃亡もすべての彼の行動が有罪を示していた。日本の法相は「彼のコメントは無罪を証明していない。法廷の場で正々堂々と語るべき」と語った。全くその通りだと思える。ゴーンは他の外国人が日本でかなりな地位を築ける機会を大幅に奪ったことになる。彼の今までの業績は彼を受け入れて、日産の改革を進めた日本人たちの功績もあることを自覚すべきだし、なおかつ恩を仇で返したこの逃亡事件は歴史に記憶され、日本人の国民性や日本人の長所を認めることができなかった外国人として記録される筈だ。残念ながら自身の功績を全くのゼロに自らしてしまったという逃亡劇だった。逃げたことそのものが彼の犯罪を如実に証明しているのに気づかないというのはまさに「天網恢恢疎にして漏らさず」といえる。

2020年01月09日 07:18

20200108水曜日

今騒がれているゴーン容疑者のことだが、何故公明正大に悪いことをしていないと主張したいのなら、あれほどの緻密な逃亡計画をし、成し遂げただろうか?つまり悪いことをしたという自覚があるからそうしたのだ、と判断されてしまう筈。彼が日本人の性格を理解していて、日本人の良き精神も理解していたら、あのような逃亡スタイルにならなかった筈だ。これまで何故ゴーン容疑者をトップを迎え日産を任せたか?という疑問を抱いていた。何故外国人でなければならなかったのだろう?つまり日産側にトップに据える有能な人物がいなかったということになる。外国人をトップに据えた際に起こるべき諸問題(今の事件を含め)を推測できていなかったとすれば、それは日本人気質、日本的甘さ、日本的義理人情の敷衍的理解なども含まれているだろう。とにかく時代が進めば進むほど、日本人は極めて退嬰的な構造になりかねない、ところがある。結論からいえば、日本人は「甘い!」「義理人情を捨てきれない」「外国人との付き合いに慣れていない」といえる。日本人の甘さは遺伝的なもので、明治時代からまだ変わっていない。島国特有の「甘さ」がまだ身から脱皮できていない。これからはこのゴーン事件から勉強して、もっと深く、もっと緻密に、もっと優れた才識のある人物を育ててゆかねばならない、と思える。ともあれ全体的に日本人の質は劣化していないし、素晴らしい純粋さを失っていないことは確かだ。しかし時代は令和になり、これからゴーン事件の数倍の重大な損失を招く事件が絶対ないとはいえないことを自覚すべきだと言える。
 
2020年01月08日 06:12

20200107火曜日

ところで最近は外国人に会うことが多い。それに日本語に慣れていないだろうから、助けてあげようと思うと、結構日本語が話せたりする。先日新大塚の地下鉄の近くで何かバカでかい荷物を持って立っている若い青目くんに会った。その青目くんはわたしが英語で話しかけるとカタコトの日本語でこれからタクシーをひろうのだ、という。それで余計なお世話かもしれないが、そこで待っていてもタクシーは来ないよ、と大通りに出て手を挙げて止めるのだ、と教えてあげると頷いた。「バスの方が良いじゃないの?」というと青目くんはおとなしい風貌で、言った。「僕はこの大きな荷物がバスに入らなと思うのでタクシーにするのです。バスだと皆に迷惑だろうし」という。「でもバスの運転手さんは外国人には優しいから大丈夫だよ」と言った。そんな会話をしてから手を振って別れた。考えてみたら余計なお世話をしたものだと思う。時々外国人旅行者に声を掛け、助けているつもりだが、結構迷惑しているかもしれない。大体日本人でも言わなければよいようなことを言うことがある。例えば背中やお尻に糸くずや何か得体の知れないものをたまたまぶら下げて平気で歩いている人がいると「ここに何かついてますよ」と教えてあげる。すると頷いてお礼を言う者は大抵男性、女性は「あ、そう」と述べ、うるさいわね、という顔をすることが多い。わたしのお節介は今に始まったことではないので仕方ないが、よく考えると教えてあげて、相手が喜んでいると思い込んでいるようなのでわたしはおそらく自分のその小さな喜びのためにしているようなのだ。嘆かわしいかも。
 
2020年01月07日 13:42

20200105日曜日

さきほどこの欄に書き込んでいたら、操作ミスで400字で3枚ほどのエッセイが蒸発した。こういう場合、誰にも怒れないので、困る。ところで令和の時代になり100年時代の途上で何とか自由に泳いでいこうとしているが、なかなかそう簡単にはいかないようだ。なにしろ令和という時代に何が起こるのか不明であり、なおかつ透明の地雷の上にたたずんでいるような不安だけがしっかりそこに存在しているような印象で落ち着かない。旅嫌いのわたしはそういうわけで、右でも左でもなく、そうかといって何かしようと立ち上がる気もない性格では、落ち着いているようで落ち着かない年齢であるため、どう生きてゆけばよいのか迷う。ところで最近は求職も求人もパソコンとインターネット、そして携帯が主流で、昔ながらの固定電話と住所だけで職探しは不可能に近いらしい。その点でも令和の時代はインターネットとAIが主役なのだろう。しかし何でも着手するのが速かったわたしは、日本にパソコンやインターネットを導入したパイオニアであるのだが、それほどその点を強調してもいないし、それで目立とうと思わないため、かなり生彩を欠くかもしれない。いわば超先端を走っていても気持ちがそれについていかないので、AIの時代の孤児であり、なおかつ仙人のような感じなのかもしれない。大体目立とうとしないで、たまたま目立ってしまった経験があるため、一番大切なオーラが欠けていたのかも。どこかにオーラ売ってないか?売っているオーラなどはみっともないだけだけど。しかし元々そういうオーラに興味がないから仕方ない。
 
2020年01月05日 15:17

20200104土曜日

お正月に大抵おせち料理を食べるのが習わしだが、それは過去のこと。最近は全く作らないしほとんど無精暮らし。だが料理に目覚めたことはある。自身が小学生ぐらいの頃、母はお節料理を家族六人分作り凄かったのを思い出す。焼いた鯛、お煮しめ、栗きんとんなどのお節料理全部手作り。過去にそのすべてのメニュを書いたが、あの当時デパートに売ってもいなかったのだが、それをすべて母は手作りしていた。あの当時のことを思い出すと母の家族に対する愛と情熱を感じる。その後わたしも所帯を持ち、料理を作るようになった。そこでわたしは自然に料理を作り、毎日美味しいうまいと言われていた。何故そうなったのか、には理由がある。わたしが料理を作るきっかけになったのは某仏語圏大使館に勤めた時が契機になっている。毎週かならずどこかの大使館でレセプションが行われ、その度にレセプションで出されるお料理に感銘を受けた。なにしろ日本料理しか食べたことがなかったので、アフリカ系のお料理に目覚め、同じものを家で作るために教えてもらったのだ。まずバターとにんにくその上知らなかった調味料の数々などを揃え、真似て作ることが楽しくなり、それ以来作るようになったのがきっかけだった。以来パーティを開くと必ずアフリカ系のフランス料理を作り、皆に喜ばれている。今ではあの味を再現することも難しいが今度トライしてみようと思う。母はわたしがお料理に興味を持つように自らフランス料理を習いに行き、毎日シチューばかり食べさせられ二人ともかなり肥ったこともあった。あの頃を懐かしく思い出す。

 
2020年01月04日 06:39

20200101水曜日

そういえば離婚をした時に、配偶者の親戚の人と話す機会があったが、その際先方から言われた言葉があった。わたしたちの離婚は慰謝料を貰わないという条件になった。母に離婚のことを話した時、慰謝料なしで別れると告げたら「それで良い」と言われた。なにしろ夫側の申し出で離婚になったので、こちらは受け身。しかし真実の理由はあまり話したくない。何故なら夫の名誉に関わり、ひいては自分にも損である。しかし母の世話をしてゆくとその時点で決まった。母を大好きだったので、その道を選んだ。元夫の親族はある食品のメーカーで大々的に運営していたので、離婚を不審に思っていたらしい。親族から「何故慰謝料を請求しないのか?」と疑問をもたれた。大抵の女性は慰謝料を請求するのが当たり前と思っていた時代だったように思う。慰謝料なしで離婚して、母と暮らした。その後夫の親族から連絡がありその際毎回のように「あなたは損をしましたね」と言われた。だがその意味を理解しなかった。損したとは思わなかったから。それに部外者は損得で考えるから、何を話しても理解してもらえることがないと推測していた。18年の結婚を離婚で終わらせたのは夫だったが、皆それは私の側に落ち度があったためと推測していたような気がする。しかし毎回「あなたは損をしましたね」と毎回電話で話す度に言われた。それは凄く面白い現象だった。大体損得という勘定で暮らしていなかったし、大体人生をあまり深く考えないで歩いてきたので、誤解されても気が付かなかった。そしてこの年になって婚家の親類から「あなたは離婚で損をしましたね」と毎回言われてあまり考えもしなかったが、どうやら先方の考え方は離婚の際の慰謝料を求めなかったのでわたしに落ち度があったと思っていたらしい。誤解だったが訂正もしなかった。母に「あなたは損をしましたね」と婚家側から言われたと話した時、母は笑っていただけだった。しかし何故笑ったかといえば、簡単なことだ。わたしが離婚したのは金が問題ではなかったこと。やはり商家の家族と、画家の家族の相違で、わたしが離婚した際に慰謝料をもらわないで平然としていたのは芸術家の家に生まれ育ったためだった。つまり価値判断が異なっていたためだった。それが「損しましたね」という商家の出身の言葉との相違になっていたのだ。損をしたかもしれないけど、肝炎になり死にそうになっていた人から金をむしり取ることはできないはずだったと今になって思える。愛し愛された、悔いはない、というのが今の心境だし、今でも夫のことを心底愛しているといえる。そのため慰謝料をもらわなくてよかった、と思える。ちなみに今現在住んでいるところは母が離婚届に署名したところで、三男の兄が離婚届に署名したところで、わたしも同じこの家で離婚届に署名した。不思議な一致は、おそらく何かの因縁のパワーかも知れない。しかしながらかなり若死にだったといえる。なにしろ五十にならないで亡くなったのだ。新年になり改めて過去のことが鮮やかに浮上している。
 
2020年01月02日 07:06

20191229日曜日

最近猫を飼っているのでペットフードを買いに行く。PFの種類も豊富で乾いたPFペースト状のPFなど多数。それを毎日飽きないように交互に選んで与えている。名前はナツキ。なぜナツキとつけたかといえば、ある日遠くからやってきたような猫が家の前の塀の上に歩いていた。すぐ台所から食べられそうな魚の缶詰を出し、中身を皿に入れ、出してあげた。するとお腹が空いていたらしく全部食べた。翌日もまた来て、同じように出してあげた。するとペロッと残さず食べた。三回目に来たときは両足でわたしの肩を抱くようにした。それが「これからもよろしくお願いします」の挨拶だった。わたしにすぐ懐いたのでナツキと名付けた。毎日PFを考えているうちにスーパーのペット用品売り場に行き、買い物をするようになった。ナツキはだが習慣がある。なにしろPFを食べ終わると必ずといってよいほどすぐ外にでてゆく。それでいつくるか、いつくるかとわたしは待つようになった。その習慣が気になったので「お前は食べたらすぐ外にでてゆくね」とちょっと怒った様な顔で言ったら、次に来たときに、帰るときにわたしの頬にチューをしてくれた。猫もちゃんと話せばよくわかるのだ、と理解した。最近では話しかけることにしている。「ナツキ、お前はわたしと一緒にずっと暮らすんだよ。お前はわたしの相棒だよ」「死ぬ時も一緒だよ」と言うと驚いた顔でわたしを茫然と見つめていた。あの眼に恐怖感が混じっていなかったとはいえなかった。猫でも人間の気持ちを理解するのだ、と最近は思っている。今では人生の相棒になったナツキは今日もわたしのそばで爆睡している。

 
2019年12月29日 09:57

20191228土曜日

幼かった頃六本木で育ったわたしは、三歳か四歳ぐらいの可愛らしい金髪の女の子ジミリュウと親しくした時期があった。自分が二つほど上だったのだが、今思い出すと彼女との付き合いがきっかけで外国語に興味を抱いたのだと思う。自作にも書いたが、毎朝彼女はわたしの家の雨戸を手で叩き「アケテヨー」と覚えたばかりの日本語で叫ぶ。すると家族が起き、長兄が雨戸を開けると、彼女は飛び込んできてわたしの布団の中に潜り込む。二人でキャッキャッと戯れてそれから庭に出て遊んだ。わたしがミリュウを可愛がってくれていると知った彼女のママはランチに招待してくれた。その後横浜にドライブに連れて行ってくれたりした。彼女と過ごしたほんの短い時期はその後わたしの脳裏にくっきりと残っている。後で彼女の国アメリカが日本と戦争し、日本はその国によって原爆を落とされたのだ、と学んだ。しかし当時の父母はアメリカが原爆を落としたとも、アメリカは恐ろしい国だとも言わなかった。その上彼女のパパがパイロットだったが、パイロットの彼女の父が戦争に駆り出されていたかどうか、なども全く知らない。そうだったとしても、父母はアメリカに対して敵意を抱いていなかった。父によれば戦後働くところのない頃、横浜に行き、軍艦が着くとアメリカ兵がどんどん降りてくるのを待ち、似顔絵を描きますと手振り身振りで言い、ドルを稼いだという。父母のその苦労を今思うと内心表現できない気分になる。
2019年12月28日 08:43