高杜 一榮の世界

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モノローグ

20190212火曜日

最近自身の幼い子を虐待する親が増えているらしい。昭和初期から中期の日本人たちはまだ核家族を形成していない人がいるだろう。だが、最近では核家族が増えているから、家庭の問題を自分たちで解決できず、悶々としているうちに家庭内で暴力を揮うという具合に追い詰められ、醜態(児童を虐待するという不具合になる)を晒してしまうようだ。核家族の末路が児童虐待であれば、日本の未来は暗い。核家族を大家族にする方法はある筈だ。日本を核家族増加のまま放置してはいけない。なるべくなら政府が子供を持つことを手助けする体制を築くことが先決ではないか。暴力は一方の力が強いからで、その点をうまく調整すればこの家庭内暴力の問題は解決するかも知れない。あまり存在しない方法としては、家庭内暴力を揮う夫がいる家庭に家庭復活調整師を派遣する。「家庭復活調整師」は問題の家庭に行き、暴力の存在を確認すると、その妻と一対一で対面し、男女同権であり、妻が夫に逆らって暴力を揮って解決に導くと言う裏技を提供する。暴力を揮う夫を組み伏せ、逆に相手を力不足で敗北感を与えると言う場面展開に導く。これであれば暴力で虐げられる妻は出て来ない。力で押し返すことが可能であれば家庭内暴力は起こらない筈だ。長い間の夫婦生活で夫の暴力に反撃を出来るようになれば、手出しする男はなくなる筈だ。妻は虐げられてばかりではいけない。夫の暴力を正義をもって押させつけなければならない。如何だろうか?まずはママさんレスラーにご教示をお願いいたしましょう。ジャガーさんお願いいたします。

2019年02月12日 03:45

20190126土曜日

テレビで国際ロマンス詐欺という事件が起こっているのを知った。つまりロマンスを結婚と置き換えると理解出来るだろう。いわゆる結婚詐欺である。結婚を夢見ている女性に親しくなってから、結婚したいという素振りを見せ「仕事で金が必要になった」「母が病気になった」などの理由をつけ「金がないので、少し都合してくれないか」と言う風に持ちかけるものだ。しかし何故そこで相手の裏に存在する筈の陰の理由を嗅ぎわけができなかったのかという疑問が起きる。自身は大使館や貿易会社に勤務したことがあり、外国人とも交流があった。その際結婚をしていたので、更なる結婚の誘惑や接近する人もいなかった。その上結婚に対してさほど夢を抱いていなかったのも、難を逃れた理由かもしれない。もし自分がもっと若かったとしたら、相手にある陰の部分、言葉の真意を嗅ぎわけることができたと思う。本来かなり用心深い傾向にある。被害に遭う女性は必ずその感性を磨いていないと窺える。また結婚によらず、「この人の本性は何か?」というフィルターなしで生きている(付き合っている)と判断できる。結婚によらず、若い女性もある程度熟した女性も被害に遭い、殺されるという事態になる女性はその感性が育っていない、と思える。被害に遭わない方法はまず生きている限り、感性を磨き自身に何か起こるかどうか、常に感性を鋭く磨く必要があるだろう。接近してくる異性を正確に、その裏にある本性を厳しく嗅ぎ分け、本能的に危険を察知することができないうちは異性に接近することを、控えるべき。もし生まれてそのまんま生きている女性がいるとすれば猛獣の這い回る野原に自分が立っていることを、常に意識すべき。危険を感じたら身を隠すぐらいの注意と感性を磨くべきであり、何も用心せず、生まれぱなしで生きているのであれば、異性に「隙あり」「わたしはいつでもあなたの言うとおりにします」と看板出して歩いているのとほぼ同じといえる。犯罪は他人が作るのではなくあなたも手伝っていることもきちんと理解しましょう。

2019年01月26日 07:53

20190124木曜日

最近聞いた言葉で気になった言葉がある。それは「無駄に綺麗」と言う言葉。これは何を意味するのか判らないが、耳に入ってきて異物のように残っている。綺麗なものに無駄があるだろうか?誰が言った言葉か不明だが、美しいものに対する嫉妬と意味不明の不快感を表わすように感じた。誰が「あなた綺麗だけど無駄に綺麗ね」って言われて、喜ぶのか?不快感を求めての言葉であれば、それは目的を達していない。インパクトを求めてそう言ったのであれば目的は達している。しかし言葉を吐く自由があるが、その自由さに胡坐をかいた言葉としかいえない。「無駄に仕事をしている」「無駄に慈善を行っている」「無駄に親切にしている」「無駄に生きている」これらの「無駄に」は何故かひねくれ者の発言に通じる毒がある。人間「無駄に生まれて」「無駄に成長して」「無駄に学んで」「無駄に就職して」「無駄に働いて」生きる運命にあると覚悟を決める必要があるだろう。誰でも無駄の隣に生きているのだから。あなたは無駄な地球にたまたま無駄に生まれた塵です。無駄をたくさん楽しんで下さい。無駄に生きるも有意義に生きるのも自由。そしてどういう風に自分を傷つけても自由。しかし生意気ではありますが、自身の無駄な部分を少しでも有益にする生き方をすることをお勧めします。

 

2019年01月24日 08:49

20190122火曜日

人生で始めて捻挫を経験した。自室でふと奇妙な動きをしていたようだ。ギクと音はしなかったが、突然経験したことのない痛みを感じ、左足の付け根がおかしい。まともに歩けない。二階に住んでいるので階段を降りる時にぎこちない。上がる時にも痛い。右足を出し、一歩進み、また右足を出し、一歩進むという具合。両足を交互に動かす歩き方が出来なくなった。そのようなわけで口内炎を患っていた時と同じような独特のグレーと黒の斑の檻の中に閉じ込められている。ある意味小さな不幸を頂戴しているようなもので、神に一応感謝しなければならない。そういえば最近運動不足らしい。不思議なことに日曜日になると、NHkでは短歌と俳句の番組の間に体操の番組がある。短歌は作らないが、ただ観るだけ。俳句も観るだけ。そのうち、一句捻るつもり。その番組を両方観るため「日曜のみ」よんどころなく、体操をすることになっている。その体操がないと運動らしいことはほとんどしていない。そういえば昔某ジムに通っていた時期があった。その施設にはプールもあり、かなり運動ができる環境だった。だがそこはジムに入会して会費を払っていなければ体操もできない。あの当時はなかなか優雅な暮らしをしていたものだ、と今思う。稼ぎの良い配偶者に恵まれ、豊かな生活をしていたのを感じる。当時はマンションを三箇所も持っていた。ある意味経済的観念の大幅に外れた暮らしをしていたのかもしれない。今思うと二度と味わえないほど贅沢をしていた、と思う。毛皮のコートを三着も買った。当時六本木でワインを頼み三人で六万払うような夜もあった。しかしその後マンションをすべて手放し、紆余曲折もあり、現在独身で猫一匹との暮らし。毛皮のコートは今はない。そういうものに興味がなくなったのだ。しかしあのような暮らしはもう味わえないが、そういう暮らしを味わいたいとは全く思わなくなった。グルメと言う言葉があるが、自身はグルメではない。その上グルメに狂う人びとを「もっと別なことに関心を抱いたらいかが?」と思う。美味しい料理を造るのは好きだが、あの店が美味しいとみれば必死になって食べに行くグルメ狂いの人が多いし店の前に列を造って並ぶ。短気のわたしは並ぶのが嫌い。テレビではグルメ番組が多い。それは悪くはない。だが人生にはグルメで人生を狂うとロクなことにならない。グルメもアル中も同類項とはいわないがそう思える時もある。酒に狂うのも食に凝るのも同じ程度に人生が狂うと思える。グルメもほどほど。アルコールも程々が良い。

2019年01月22日 09:53

20190116水曜日

昨年から日産のゴーン氏の事件の報道が喧しいが、そもそもゴーン氏を選んだのは日産のトップであり、彼の犯罪に気がつかなかったのは経営陣のミスであり、彼一人を責めても仕方ないのではないか?その上誰も彼が日産を揺るがすほど大きな事件を引き起こす人物と見抜ける感性の鋭い人が経営陣にいなかったということが原因であり、一切合切をすべてゴーン氏のせいにするというのはおかしいのではないか?彼がそのような事件を起こす人物と判断したり、感性によって「何か不思議なものを感ずる」と感じていた人物がいないわけがない筈だ。なにしろ日本とフランスの外交にもヒビが入りそうな事態になっている。どう決着をつけるか、会社側の自由ではあるが、彼らの体制自体に不備があったとしかいえない。何故外国からトップを招聘しなければならなかったのか?それほど人材不足であったのかなど、いろいろと問題がある。出来てしまってから判断しても遅いが、こうならないようハンドルを切れる人がいたのを潰してしまったのではないか、と疑惑が起こる。極めて単純な表現で悪いが「大男総身に智恵が回りかね」と言うが、まさに大きな会社ほど恐ろしいほどの危機を招き兼ねない。どうか、もっと人材を育成する方策をもう一度見直してはいかがか?結構身近に適材な人物がいて、それを見抜けていなかったのでは?ゴーン氏のことも見抜けなかったので、それは判るが今後国際問題に及ばない程度の人物を据えてみるのはいかがか?

 

 

 

2019年01月16日 18:46

20190113日曜日

一昨日歯医者にいったが、そこで歯の磨き方を指導された。これから歯の磨き方を変えねばならず、その通りにするべく暮らしている。この年になり磨き方を教えられたのは初めて。歯ぐきと歯の間に歯ブラシを当てて、そこを念入りに少しずつ磨くのだと言う。今までかなりの年数を生きてきて、歯の磨き方を教えてくれた歯医者はいなかった。それで何だかその歯医者の全体のポリシーがわかり信頼してしまった。以前の歯医者は久しぶりに歯のお掃除をお願いしたかったが、何も言わないうちに「この次に右上の歯の差し歯を抜き、新しいのに入れ替えましょう」とのっけから言われ、次の予約日を決められた。どうも納得いかなかったので、自然体でフェードアウトするべく予約をキャンセルした。そのような理由で新規に見つけた歯科医の所に通うことになった。そこではわたしの歯を色々と綿密に調べてくれて、これからは全体の歯の管理をしてもらえそうな感じがした。今回良い歯医者に出逢ったので、内心「ラッキー」と思っている。クリニックの中は新しく白く綺麗でかなり「値段が高そう」だった。だが前の歯医者と異なり、経営自体がしっかりしていて、ポリシーやスタンスに隙がない。高くてもここに通えばなかなか良いと感じた。そんなわけでわたしの歯はこれからきちんと管理されることが判り、安堵している。歯もそのほかの身体のパーツも、健康は医師のポリシーや経営スタンスに影響されるのだ。これでわたしの歯は老化を含めて解決してもらえそう。春先から運気が良い。この歯科医院では最初にアンケートを差し出され、今までのわたしの歯の歴史を記入するところから始まった。過去に歯の治療で麻酔を使いましたか?麻酔で気持ち悪くなりましたか、など。多数の質問の有無を記入させられた。確りと面倒みてもらえそうなことが判った。歯医者の選択によって歯の運命が決まるのだから当然だが、このように緻密な医師に会った事がなかったので、吉のオミクジにあたった様な気分でいる。わたしは虫歯がなく、かなり順調に年を経ているのだが、過去に事故に遭っている。かれこれ三十年前だが、上野駅の階段を降りているときに、後ろから見知らぬ男がわたしの上着の左のポケットに手を入れそうになった。そこに財布が入っていると思ったのか、突然「すられる」と思って、振り返ると男はわたしを肩で押すようにして下に走って去って行った。「あ、財布すられた!」と思い「スリ、スリ!」と叫んだが男の姿は見事に消えていた。わたしはすられたと思っていた。思い込みから、財布ばかり気にしていた。確かにその男はわたしの財布を狙っていたらしい。男を追い駆けて階段を降りたが、男が逃げていなくなり、その瞬間あっという間に転倒した。顔面から階段に落ちていた。後ろから来た人が心配して「大丈夫ですか?」と尋ねられ、わたしはポケットを触った。だが財布は消えていなかった。しかし財布を取られるより最悪なことになっていた。わたしの前歯から血が出ていた。舌で歯を確かめると何故かザラッとしていた。家に帰り鏡を見ると、前歯の一部が欠けていた。翌日歯医者に行き欠けた歯の代わりに差し歯をいれることになった。最初は金歯だったがその数年後歯と同じような象牙色に少し色が入った歯を入れてもらうことになった。つまり前の歯科医はその差し歯を入れ替える仕事をしたかったらしい。わたしの歯のヒストリーは虫歯がないのに、事件だけは事欠かない。家に帰り、歯の欠けたわたしが「こんなになっっちゃった」と歯を(今は亡き)夫に指差して見せると、当時新婚時代だったので、わたしの話すことがよほど可愛かったのか、それともドジな妻を馬鹿だなと思ったのか、何故かニコニコ笑っていたのを思い出す。

2019年01月13日 07:54
新しい年号のことだが、自身が考え出したのは「光生」だが、いかがだろうか?光が生まれる年という意味になるし、なかなか良いのではないか?様々なご意見が出ているでしょうが、姓名判断で計算すると、明治は17画、昭和は昭で9画和で8で全部で17画。17画はかなり苦労する数字であり、明治も昭和もかなり苦労があった。平成は平成の平は5画で成は6画合わせて11画、平成は、なかなか平和な年であったはず。つまりこれからの年号は数字を良く検討してつけていただきたい。光が生まれる光生の年号は最適ではないか、と思う。年号を選ぶ人は姓名判断にも気を配っていただきたい、と思います。
 
2019年03月03日 12:34

20190111金曜日

昨日テレビを見ていたら、なにやらおかしい番組ばかり。お正月になるとどういうわけか、日頃の無茶苦茶な暴走が倍加したようなおかしな番組ばかりで、どうも正視できない。それほど視聴率を必死に稼ぎたいのかと不憫になる。もっとおとなしく品良く、知性的に番組つくりをできないのか、と思える。とはいえ、どこの家にもあるテレビはまるで家族の一部みたいな感じで、いつのまにかタンスとか台所のしゃもじという存在になり下がっているらしい。例えば大食い競争がもっと過激になっていたり、また一方鬼ごっこのように街中を獲物か生贄を探しまわるゲームの番組など見苦しい。例えば数名でバスも走らない田舎の道を食堂やレストランを探し回るというあの番組は何故か似たような番組ができ、双子のような番組としてオンエアされている。もっと脳を刺激する教育的番組が生まれないのか?何故皆お互いにアイデアを盗ったり盗られたりするのだろう?それほどアイデアが枯渇しているのか?いくらテレビの前の人びとの学歴を無差別に程度を下げて内容を判り易くしているのはわかるが、思考が行き詰ったような番組が多いのは何故か理解不能。一番評価できるのは「family history」NHKだからなのかこの番組は毎回とても安心して観ていられる。

2019年01月11日 10:11

20190104金曜日

ところで昨年から気になっていたことといえば、テレビの暴走。テレビでは何をしても良いという変った常識が横行しているらしく、まず大食い競争のようなはしたない番組、なおかつ芸能人の不倫やおかしな関係を取材して平然と他人の私生活に土足やブーツで上がり視聴率を稼ぐという不埒な番組がある。それでも、まだ常識の範囲内であれば良いのだが土足で上がって報道して、当の被害者がその後病気になったとか、聞いても知らん振りをしていること。テレビ局側は「自分たち以外は人権がないという常識」で暮らしているらしい。もっとも局側は当の被害者側はテレビに名が出ればそれだけ宣伝になるのだから、それほど迷惑していないと思い込んでいるようだ。そのような局側の思い込みだけで突っ走る習慣があるらしい。なにしろ「これがヒットする」と見込んだら、とことん追及してまるでトラクターか大型バスなどで暴走するような調子で「生贄」を轢きこんで平然としている。局側はおそらく自分たちだけ人権があり、自分たち以外は人権のない虫けらか動物に見えているのか、と思う。被害者を普通の人間に見ず、全く人権を無視して報道するという無茶なことをしているように「見える」のだ。本当に困った習慣だ。多分テレビはそうした魔性の血が流れている未確認生物の団体組織なのだろう。そのうち強力なテレビ被害者団体が生まれてくるかもしれない。そうした被害者の中からその種のテレビの体質を食い物にする猛者が出て来る筈だ。

2019年01月04日 08:48

20190103木曜日

新年三日目となるとそろそろ日常に戻ることに。最近の自分のニュースと言えば、昨年滅多に会わなかった兄 高木雅章(画家、新制作会員)を見舞ったこと。体調を崩したとのことでかなり弱気。「永くないかも、年を越せないかも」と発言をしていたのでとにかく会わなければと思ったわけ。早速中村橋に出かけ久しぶりに会った。寝ているかと思ったら、元気で歩いて更に近作を見せてくれた。わたしの顔を見るとフライパンを片手にチャーハンを作ってくれた。思い出すと私が幼い頃、家族で一番次兄が料理が得意だった。彼の絵の数々を眺めるとかなりの傑作揃い。これは個展をして公開した方が世のため、人のためと思ったが、個展会場を探すのも大変だし経費がかかる。とにかく「近々個展をしてあげたい」という思いが募った。自身の絵も加えて兄妹展と行きたい。そんなことを考えるこのごろだ。兄は若い頃「日本のアラン・ドロン」と噂されたこともある美形。そのため、もてたようだ。しかし今ではそのドロン君がややしなびて白髪だらけで、見る翳はあるけれど、昔のアラン・ドロンの面影は数パーセントだから「淋しい」 ともあれ、彼がもてていた時代は一緒に恋人同士のように腕を組んで歩いてくれたことがあったが、兄とはいえビミョーな気分だった。兄とわたしも結婚前だったが、今となってはいい思い出になっている。兄は現在唯一の肉親になっているのでなるべく長生きをして欲しいと常に思っている。

 

2019年01月03日 11:44