高杜 一榮の世界

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モノローグ

20200227木曜日

コロナ騒動で日本は台風と地震と小規模の戦闘が混じったようなマスコミの騒ぎよう。あれは何かお祭りが来たような騒ぎに等しく、毎日何もせず暇を持て余していた人々にはある意味ほど良い娯楽になっている。そういえばニンゲンはどういうわけか人の不幸を味わうというあくどい根があるらしく、程よい娯楽にしてしまっているのではないか?と疑いたくなる。娯楽にしているとは断言しないが、ニュースの種不足で困窮していた一部の人にとってはかなり刺激になっているのかもしれない。自身は友人に暇を持て余しているし、生きていて素晴らしい展望などもないので、「コロナ自殺でもしたい」と言ったら「ヤバイ」と言われた。確かにそうかもしれない。いくら自分自身に希望がなくても、将来の展望が暗くても、そこまで言うというのは亡くなった母に申し訳ないし、なおかつ育ててくれた人に対しては裏切りに近い筈だが、何故かマスコミの動き方に対して冷ややかな視線しかない。何が言いたいかと言えばそれほど災難で私利を得る必要もないし、この期に及んで得になるように、立ち回るのも見苦しい。マスコミはもう少し冷静に書く必要があるし、なおかつ視聴者をもっと明るい方向に向ける努力をすべき。悪いニュースばかり垂れ流すのではなく、そこに人間が生きるということの根底に流れているものを、掬って視聴者を「人生はそれほど悪くはないし、この災禍はいつの日にか素晴らしい何かをもたらす可能性がある」ぐらいのことを発信する必要あり。地球的には災禍が人間を作ってきたという歴史も忘れないようにしたい。
2020年02月27日 12:16

20200224月曜日

このところ退屈な日が続いていたが、ひょんなことから実にラッキーな出来事があった。実はパソコンでメール送信やインターネット上の買い物などが全くできないほど簡単な送受信が不能状態だった。それでパソコンに詳しい人が周囲にいなかったので、業者に頼むべく探して依頼したのだが、その費用すべて見積もって一時間で一万という結果に。それで了承しひたすらその日を待っていた。だが以前パソコンの操作などのトラブルでOCNのスタッフに連絡をして解決をしていただいたことを思い出し、早速連絡してみた。すると電話でインターネット関連の機器やWi-Fiやその他の通信機器すべてを知らせたところ、どこの機器のコードがどこにつながっているかなどの質問が数々あり、逐一伝えたところ「上から三番目は点灯してますか?」「四番目は点灯してますか?」などの質問に答えているうちに「ではパソコンでインターネットの接続を試みてください」と指示が出た。そして幸いなことに無事復旧。つまりOCNのスタッフが無料で指導してくださったお陰で、助かったわけ。このようなラッキーな出来事は今までなかったので、今つくづく安堵しているそのOCNのスタッフの方にお礼をしたいのだがどういう形でお礼をするか、思案中。現在そのうちまた同じようなトラブルで困ることがあるかもしれない。このトラブルの解消へのすべての流れを記憶はしていないので、また同じようなことがあったら、教えを乞うしかない。そのようなわけで長い間パソコンと関わってきて、トラブルもあったが、いつまでも謙虚に教えを請い、様々な方にお世話になるということを続けることになる筈と自覚するようになった。老いてはパソコンは一人では出来ない。
2020年02月24日 10:04

20200223日曜日

コロナのせいで日本中が中位の地震を毎日味わっているような具合に騒がしい。テレビを見ると、どこそこに何名感染、年配者は何名と報道を繰り返している。いつになったら、このコロナ地震がなくなるのか、落ち着いて暮らせない位だ。ところが不思議なことに天気が青天で太陽が尋常に「仕事をしているらしく」空気が明るい。すると気分は爽快だ。とても良い。というわけで自身は非常に嬉しい。ところで今朝そのことよりも、別なことで人生で最大の幸福を味わった。というのも数日来パソコンでインターネット送受信が不能になり、何もできない状態だった。それで解決のため業者に依頼したのだがその金額が最低でも一万となる、と聞いていた。覚悟して待っていたのだが、ふと思いついてプロバイダに連絡を取り、ご指導を仰いだ。するとどういうわけか電話で指示通り操作していたら、うまくゆき、何の苦労もない。Wi-Fiのことなどが原因で起こったちょっとしたミスが原因だった。そんなわけで業者にキャンセルを入れた。つまり一万払うところを無料で済んでしまったのだ。今までにこんなに物事が円滑に解決したことはない。今日は満面の笑顔。浮いた額で浪費したくなったが、この際天に感謝し、浪費を慎むことにした。今日ほど人生が素晴らしいと思えたことはかつてない。一人で万歳三唱したくなっていた。
2020年02月23日 12:16

20200210月曜日

このところ寒いので外出が減った。買い物は二週分位買い込んで、そのまま外出しないという日々だった。だが大体外出好きではないわけではないが、出不精の傾向があり、一日家にいることもある。だがテレビとパソコンと本だけで暮らすとなると会話がない。会話がないので一日誰とも話さなかったと嘆いていた友人もいたが、自身は誰とも話さないことで悩む性格ではない。そういえば母は「口から産まれた」と豪語するほどおしゃべりが好きだった。なにしろ六本木(わたしの幼い頃は、宮村町という名だった)にいた時は、母は道で友人に会うと「あら、お久しぶり、元気?」で始まり延々と立ち話を始める。なにしろ口から産まれたというから話には終わりがない。七歳頃母が話してくれたことがある。ある時皆と話していて最後に誰からが「一体何でこんな話になったの?」と尋ねたら、母が「最初はこの話で、こうなってああなって、誰かさんがこう言って」と最初から最後まで記憶に残っていたのを話して一同驚嘆したという。そういう母だった。その母のおしゃべりの傍で長い時間待っていたこともある。母は明るく、明朗快活なおかつ頭が良く、記憶力が優れていたのか、長い時間しゃべっても苦痛を感じない性格だったようだ。その母が年を取って、周囲が脳の衰えを感じ始めた時、彼女は変わらず、活発にしゃべっていた。その母のことを思い出すと最近、非常に危機感を覚える。現在の自分の年齢の脳の機能と、あの当時の母の脳の機能を比べると格段の差がありそうな気がする。いわゆる認知症とはかけ離れていたのではないだろうか?自身は母ほどおしゃべりが好きではなく、立ち話をする際も、内心終わって欲しいという感じに「おしゃべり」を趣味や気晴らしにできない性格である。それを考えると、どうやら認知症の傾向がありそうな気がしてきた。しかしどういうわけかその病名で医療機関を訪ねる気にはならない。一度見てもらって「大丈夫」と言われたのでそのまま認知症関連のクリニックには行かない。行ったら病状が進むような気がする。それになるべくなら認知症とは別な病名で使って欲しい。たとえば「ボンサンス(仏語で良い感覚または常識という意味)」または「グッドライフ」「ハッピールック」なども少し認知症候補生を励ますネーミングはないのか!
2020年02月10日 09:33

20200207金曜日

自分の家は木造モルタル二階建ての古いアパートで、現在までに二回ほど改装している。考えてみたら、この建物はわたしが十六歳からずっとわたしをみつめてくれた唯一の証人ともいえる。わたしは六歳から十五歳まで六本木で育った。六歳の頃は百坪の土地の半分ほどある庭で山羊を飼っていたこともある。母は成長盛りの息子たちを立派な体格にしたかったらしく、山羊乳を飲ませた。当時山羊に縄を付け、山羊に草を食べさせるため、ひっぱって草を探して歩いたのは兄たちだった。その頃六本木は今ほど建物が建っておらず、母は六本木の十字路のそばの土地が売りに出ていたので「買おうか」と思ったらしい。だが売買条件があり、そこにコンクリ―トの建物を建てること、という条件だった。「鉄筋コンクリートなどは高そうだから無理」と諦めてしまったという。その後余っていた金で現在の横浜市の某所に土地を買った。その土地は今でも昔のまま、細い道を歩くとまるで軽井沢のような爽やかな土地ではあるが、値打ちはないに等しい。だがそばに警察の射撃場や温泉旅館らしき建物、最近は大学までできている。土地の「成長の仕方」は持ち主の好みによるが、この横浜の土地は母が別荘にしたかったために買ったのだが、今ではただのジャングルになっている。不思議と人間はどんな土地でも持っていると、自身は「土地持ち」という意識で満たされるらしい。母はそのために横浜という名がつく場所を買ったといえる。知人は「土地は誰でももらってうれしいものではない」と述べていた。それは全くいえてる。
2020年02月07日 20:27

20200203月曜日

わたしの地域はある一定の年齢になると銭湯の料金が100円になる。この恩恵にかなり助かっている。たとえば普通料金は420円ぐらいになるが、それがたった100円であれば、かなりの金額が得になる。10年間で換算すると結構優雅な旅行にでかけられるほどになる。だからそのカード「おたっしゃカード」という名前だが、極めて大切に使っている。ところが上限があるらしく最近もう100円で入れないと判り何だかわびしい気分がしている。四月まで100円で銭湯に入れない。四月になるまで待たねばならない。というわけで今日の午後12時過ぎにうちのシャワーを浴びた。お風呂はないが、シャワーはあるので、それで我慢した。そこで考えた。そのうち稼いでシャワーだけの暮らしをお風呂に改造してみたい、と欲が出た。しかしそこでチラリと脳裏に浮かんだ景色がある。銭湯のお風呂とうちに設置するお風呂とかなりの差がある。銭湯のお風呂は大浴場なのでザワザワガヤガヤと声がするし、水の音も一人のシャワー以上に盛大に聞える。つまりいくら金があってお風呂を家の中にこさえても、銭湯のあの雰囲気と盛大な湯煙を比べれば、かなりの落差がある。銭湯の音声や水やお湯の音、家の中のお風呂で一人で入っている雰囲気は較べてもしょうがないほどの大きな差がある。つまり大勢の裸の人に囲まれている銭湯の空気とざわめきは、どんなお風呂であっても、代えがたい要素があって、肉体の疲労を拭う要素はやはり銭湯のざわめきにありそうだ。どんなに豪華なお風呂でも較べようもない重大な要素がありそうだ。わたしは今までそれを感じていなかった。一人で家のシャワーを浴びてようやく判った。銭湯のざわめきは、何にも代えがたい究極の癒しが含んでいることをようやく今判った。人生何年経過していても、初めて判る重要なこともあるらしい。
2020年02月03日 16:03

20200202日曜日

最近理由もなく殺人を犯してしまう事件が多い。その中には一度殺人を犯してみたかった、という言葉を述べていた人もいた。それで思い出した。実は十九歳頃に親類になかなかハンサムな男性がいた。大体同じ年位だったと思う。彼は地方のかなり有名な大会社に就職し、その後南米のある地方の営業関係の部署で働くことになるのだが、どういうわけかつかず離れず交際が続いた。某県の某地で働くようになった際に「遊びにおいで」と言われ東京からでかけていったことがあった。母はその男性のことを遠縁の知り合いの人物と知っていたのでわたしの旅を許してくれた。今思うとかなり母の方針が良く判らないのだが、おそらくわたしがその男性と親しくなりすぎることはまずない、と踏んでいたのだと思う。わたしはその人が自動車製造販売の関連企業に就職したことしか知らなかったし、また「遊びにおいで」が何を意味しているのかも明確ではなかった。わたしがその地の親類の家から、待ち合わせの場所まで出かけて待っていると車で迎えに来て、そのまま車を走らせ午後から夕方まで車の中で話した。しかしそのまま車の中で話すだけで何事も起らず、時計を見ると真夜中になっていた。ところがどこにも行くわけではなく、そのまま明け方まで話してしまった。何を話したのか忘れたがすべて車の中で会話して数十時間が経過した。われわれはその会話だけで手を握るわけでもなく抱き合うわけでもなく、淡々と時間が過ぎた。つまり友達以上でも、以下でもない関係で時間が流れた。結局そのまま東京に帰った。それからお互いがそれぞれの相手と結婚した後まで友人関係が続いた。それだけであった。そして十年以上経過してから彼の妻から彼が亡くなったことを意味する葉書をもらった。今思うと、あの手を握らなかった夜の意味が何だったのか?何となく判ってきた。彼は一歩踏み込む勇気もなくわたしにもその勇気もなかっただけ。どちらかが踏み出せば何とかなった関係だが、それ以上何も起こらなかった。しかし後で彼がわたしの書いたものを読み、何か意味あることを述べていたのを記憶している。それが何であったのか不明だが、お互い愛し合う勇気も度胸もなく、お互いの成長を確認しないで時間が過ぎただけだったと思える。最初に殺人を犯してみたい人がいると冒頭で書いたが、彼が言っていた言葉がある。「殺人と銀行強盗を一度してみたかった」と。あの言葉に何があったのか、今もって何も判らない。
2020年02月02日 09:12

20200130水曜日

このところ多忙だったが、ある事情で暮らしのリズムを変えた。ところでなつきが家でニャーニャー鳴かないのだが、当たり前。彼女は生まれつき聾唖に生まれた猫だった。最初は気付かなかったが、友人は「彼女は鳴かないよ」と教えてくれた。わたしが抱き上げて頬を寄せると、口を開け空気だけを出し、返答する。彼女はわたしに相槌を打っているのだ、と開いた口からのため息のような空気で感じることになっている。その口から漂う空気で彼女の返事を知る。最近では慣れてしまった。普通の人間の親だったら不憫で涙を流していたはずだった。だが彼女が猫なので、それほどの悲哀を感じない。しかし一応二年間位の小さな絆をもっている彼女とわたしは一方的な会話をして、満足している。たとえばわたしが抱き上げて「お互い年取ったら、一緒に生きてゆくのだから、頑張ろうね」と抱きしめると、彼女は嬉しそうにわたしの愛撫に応えてくれる。彼女の本当の言葉を聞けないが、それは贅沢、というものでこれからも一方的会話だけで通じ合う。仕事で遅くなり、帰ると彼女は飛ぶように走ってきてわたしの胸に飛び込んでくる。朝出かける時も、食事(エサとは言わない)をしているときに、顔をあげわたしが出かけるのを感じていてもそのまま食べ続けている。どんなことがあってもわたしのところに帰ってくるのだが、雨が降ったりすると、家から出さないようにしている。そうでないとずぶ濡れになり、風邪をひかせてしまう。最近は慣れてきたのだが、雨になると抱き上げて窓を開け「ほら雨降っているから今日は外にいけないよ」と言う。すると数分経ってからまた同じようにドアの前に座って「外に行きたい」と意志を表す。大体三回ほど抱き上げて窓を開けて外の雨を見せるとようやく理解して部屋の隅で爪とぎ、身づくろいをしている。そんな彼女が愛らしい。猫でさえこんなに愛しいのだから、人間だったらどうなるだろう?と首を傾げる。しかしわたしは子を作らないで良かったと思うことが多い。その理由をまた今度機会があった時に書く。
2020年01月30日 16:05

20200127月曜日

寒いのは苦手だが、暑いのはどの位暑くても大丈夫。その上この日本の猛暑でもエアコンなしで暮らしている。それは十代の頃某大企業で働いたことが基因している。あの当時エアコンの聞いたオフィスで仕事をしていたのだが、毎日冷房の室内で仕事しているうちに冷房病になってしまい、一週間ほど休んだ。冷房で体調が狂ったが、どういう症状だったか、記憶にない。おそらく普通の仕事ができないほど衰弱してしまったのだろう。治ってからまた出社した。その時の影響で冷房を嫌うようになり、どんなに暑くても絶対冷房を使わない。そのため冷房が苦手。どのように猛暑を過ごすかと言えば非常に簡単。タオルを数枚水で濡らし、そのタオルをビニール袋に一枚一枚入れて、冷蔵庫に積んでおく。暑くなるとその冷たいタオルを首に巻き、仕事をする。タオルが温くなってきたら、水で洗ってまた袋に入れて冷蔵庫にとっておく。そんな暮らしで過ごしていて冷房代はゼロ。変人といわれようが奇人と言われようとそのスタイルを変えない。そのため猛暑には全くめげたことはない。多分こういう冷房対策をしているのはわたしぐらいだと思う。おそらく死ぬまでこのスタイル。だからうちに遊びにきても残念ながら冷房なし。本人が猛暑に慣れ、自分の冷房スタイルを好んでいる以上変わらない暮らし。わたしって異常でしょうか?しかし地球温暖化の時代なのでわたしの暮らしはおそらく理想的ではないかと思う。
2020年01月27日 07:12

20200125土曜日

以前から思っていたのだが、地球の温暖化で皆おそらく「自分の生きている時代にはそれほどの変化が来ない」「なるようになるさ」など諦観と緊迫感の欠如などの反応だけで対策を持とうという気配はない。しかし最近思うのは一度地球をリセットする意味で、世界の進歩や改革などを一時停止し、文化やすべての進歩を止めてしまい、点検してみた方が良いのではないか、と思う。人間も機械も一度止めて状態を判断するのが普通だ。だが大自然の一部である馬鹿でかい地球は扱いにくいためにまだ着手していない。そのため誰も地球の動きを止めるほど大規模な点検を考えない。それはゆくゆく地球の滅亡を想定していないスタンスかもしれない。だが地球の総点検を実行しなければ今後地球のたどり着く「未来」がどうなるか把握のできない。それで地球の総点検の意味で世界の暮らしと文化程度を1800年代に戻して一度リセットしてみてはどうかと思う。そのような動きで何か大切なものが見えてくるはずだと思う。地球の総点検、全体の総停止でおそらく新しい地球の時代が見えてくるのではないか?そう思う。自身は一度江戸時代に戻って暮らしてみたらどうか、とかねがね思っていたので、実行してみたいと思う。電気もガスも飛行機も車もない時代に戻ってみれば、おそらく空気も清らかになり、戦争も自然になくなるという変化があるかもしれない。
2020年01月25日 09:18