高杜 一榮の世界

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モノローグ

20190103木曜日

新年三日目となるとそろそろ日常に戻ることに。最近の自分のニュースと言えば、昨年滅多に会わなかった兄 高木雅章(画家、新制作会員)を見舞ったこと。体調を崩したとのことでかなり弱気。「永くないかも、年を越せないかも」と発言をしていたのでとにかく会わなければと思ったわけ。早速中村橋に出かけ久しぶりに会った。寝ているかと思ったら、元気で歩いて更に近作を見せてくれた。わたしの顔を見るとフライパンを片手にチャーハンを作ってくれた。思い出すと私が幼い頃、家族で一番次兄が料理が得意だった。彼の絵の数々を眺めるとかなりの傑作揃い。これは個展をして公開した方が世のため、人のためと思ったが、個展会場を探すのも大変だし経費がかかる。とにかく「近々個展をしてあげたい」という思いが募った。自身の絵も加えて兄妹展と行きたい。そんなことを考えるこのごろだ。兄は若い頃「日本のアラン・ドロン」と噂されたこともある美形。そのため、もてたようだ。しかし今ではそのドロン君がややしなびて白髪だらけで、見る翳はあるけれど、昔のアラン・ドロンの面影は数パーセントだから「淋しい」 ともあれ、彼がもてていた時代は一緒に恋人同士のように腕を組んで歩いてくれたことがあったが、兄とはいえビミョーな気分だった。兄とわたしも結婚前だったが、今となってはいい思い出になっている。兄は現在唯一の肉親になっているのでなるべく長生きをして欲しいと常に思っている。

 

2019年01月03日 11:44

20190102水曜日

あけましておめでとうございます。四十年前ならお節に、鯛の丸焼き、栗きんとんや紅白の「なます」などを前にお屠蘇(とそ)を一杯となるのだが、最近は何も作らず、なおかつお正月らしき商品をスーパーでみても買う気ゼロ。その代わりにこのところ習慣になっているのは餃子造り。餃子造りはほとんど我が家(猫一匹と人間一名の)の習慣で毎日作る。中身の具を毎回少しずつ変え、ニラ、豚肉鶏肉の挽肉、酒も少し入れて皮は市販のものだが、最初は粉から作っていた。というのも中国語の先生(大連出身)に本格的な餃子作りを教わった。最初粉から作る方法を教えていただきそれが契機で造るようになった。大連の餃子は大根とニラがほとんどで肉はなかった。煮てしぼった大根とニラを入れた具が美味であった。皮は粉から造るもので市販の皮で造る餃子よりもかなり美味しい。今は皮は市販のものだけ。ところでお正月が来て楽しいのは芸能人や歌番組を見て喜ぶ人ばかりかも。わたしはなにしろお正月と言うケジメみたいな年中行事が嫌い。お正月に何をするかといえば、やはり餃子。ほとんど無意識に造る。今年は自身が年賀状を作成しなかったのに、外部からの葉書がきているのを確認。自身が書かなかったにしてはかなりの数の年賀状がきていて、なにか反省気分。年末体調を崩し年賀状を準備できず友人知己に不義理となってしまう。毎年五十通ほど年賀状を書いていたのだが、あの忠実な習慣が年末から頓挫し、何もできなかった。「あの人は変人だから、年賀状の習慣を辞めたかも」と思われてしまうのも、仕方ないと思う。しかしながら忠実に書いていた時期の枚数を数えると相当な数になる。その分溜まりに溜まったストレスが現在に積み上げられたかのよう。年賀状を辞める人もいるが、まだその気にはなっていない。

2019年01月02日 12:35

20181230日曜日

先日から舌が腫れ異常なほど痛かったが、大塚病院の口腔外科で「これ単純な口内炎です」と診断され、案じていた舌ガンではなかったので、一安心。というわけで何とか年末の掃除に取り掛かった。大体ものぐさで掃除があまり好きではないので念入りにお掃除はせず、適当に玄関のドアの表面を一応拭き掃除をしただけ。後は中の仕事部屋や台所などをざっとどころかほとんどそのままにし、この前から書いている新作に引き続き、取り掛かった。今度の作品はフランスから日本の近代化のために招聘され「ブルトーザーともいえる改革」に取り掛かってくれたフランソワ・ヴェルニという人物の自伝的小説。この作品はメルメ・カションの小説と同じ時代に日本に来日し、横須賀製鉄所を建設し、仏技師を引き連れて日本を立派な国際社会に通じる国に仕立ててくれた人物を描くもの。この人物がいなかったら、日本には新幹線もスカイツリーも存在しなかった筈という大人物。仏史料を翻訳しながらなのでかなりホネ。ただし(師匠のアドバイスもあるが)自ら選んだテーマなので最後までまっしぐら進む予定。しかしながら明治天皇から叙勲というヴェルニという人物を描くのは緊張感がかなりある。来年はこの作品の完成を実現する予定。ところで自作の電子本がすべて再発行されて発売中ですのでどうぞよろしくお願いいたします。主な著作の中に載っていますのでご覧ください。

2018年12月30日 05:48

20181224月曜日

ナツキを一階から二階に抱っこしてきたのだが、その重さが異常でショックを起こしそうになった。おそらく5キロ以上あるかもしれない。そうなるとわたしは健康を考えて、ナツキにダイエットさせねばならないと考え、早速食事制限した。毎回のPFの量を少なくし、体重を減らさせる。ナツキ自体はダイエットなどの必要性感じていないので、なぜわたしが食事の量を減らしているのか理解できないらしい。お前のためだ、と言い聞かせても相手は猫だから首を傾げているだけ。今朝食事を減らし今までの三分の一にして出したら、どうもおかしいと台所と居間を行ったりきたりして考えていたらしい。「わたしのご飯減らされている」「何故だろう?」「何故あの人はわたしの食事を減らしたのか?」相手が人間であれば事情を話すが猫だから理解できないので、そのままわたしに対するスタンスを変え、「どこか、おなか一杯食べられるところに行こう」と思ったのか「はらぺこ」のまま出て行った。多分今まで顔を出したことのある家に行き、餌でも貰うのだろう。何故か空しい気分がしてきた。しかし彼女もそのうち、理解してくれるだろう。気立ては中々良い猫だから大丈夫。ところでここ数日激しい口内炎で舌が一部腫れそのせいですべての食生活が制限しなければならなかった。クリニックの先生から抗生剤と痛み止めを処方していただき、ようやく今日になり、普通に食べられるように快復した。楽になったが諸般の事情で舌ガンを心配してか、別な病院に行くよう指示されたので行く予定。もしそれが本当だったら、おおごとかも知れないが、根が楽天的なので「本当の舌ガンになっていたら、結構面白い体験談を書ける」などほとんど狂気に近い発想をしている。もっともわたしは恐怖心をそうやって回避しているのかもしれないが、好奇心というのはある意味身を助けるかも。後日談を書くつもりだが、果たして舌を切ることになるのかどうか不明。後日都立大塚病院の口腔外科で診断していただいたが、「単なる口内炎です」と言われ今は安堵している。

 

 

2018年12月24日 08:52

20181205水曜日

とうとう十二月になった。年の瀬というのは、どういうわけか気ぜわしいのでこの時期が一番居心地悪い。遠くから誰かに監視され「お前は今年何をしたのか?」「何も世のため人のためになっていないじゃないか?」「それで年を越せるのか?今年何をしたか列挙せよ」「来年もそのようにタラタラ暮らすのか?」と攻められている気がしてくる。だからとにかくさりげなく、普通の暮らしが一番と思い込み、褒められなくても、それなりに生きていれば神様はお許し下さる、と思い込んでいる。猫のナツキはよく懐いたからこの名になったのだが、常にわたしのそばですやすや眠るのを習慣にしている。あまりにも可愛いので、「今年も年を越すんだよ。お前と一緒に年越そうね」と囁いたら意味が判らなくても承知してくれたのか、わたしのすぐ傍で常に爆睡している。こんなに可愛い猫はそう矢鱈にいないと思っている。ナツキが良く懐いてくれたので、わたしの老後は幾分華やかで明るい。彼女はわたしが「お食事」をあげると、食べ終わってわたしのすぐそばまで来て、わたしの膝や足に纏いつく。まるで「今日もご馳走様というかのように」律儀だ。普通の人間が律儀ではないので、特に感じる。今では彼女(雌猫です)が一昼夜いないだけで、どん底気分を味わうことがある。だから眼の前からいなくなるとゾッとする。ナツキもわたしがいないとゾッとするらしい。なにしろわたしの後にくっついて歩くので、時にはよろけて彼女の上に尻餅を付きそうになる。来年もナツキと相思相愛の関係で年を越す。

2018年12月05日 13:44

20181128水曜日

いつも使っているコンビニのローソンの店員さんから貯まっているポイントをインターネットまたは電話で会員登録をするとポイントを使えます、と教えられた。「電話をして良いですが、電話よりもインターネットでも受け付けておりますので、どうぞ」とも言われた。ところが、インターネットで登録をしようとしたら、本人の身分証明の代わりに手続きが必要で結局会員登録は不発に終わった。この時間数十分掛かった。貴重な時間を使った代わりに疲労だけが残った。こういうことって若い人しか駄目なのか、時代遅れになりつつあるのか、としょげたのだが、忽ち仁王立ちしたかのようにインターネットの会員登録体制やポイント還元、ポイントのための会員登録体制に怒りがもちあがった。何のために登録させるのか、何のためにポイント制度を作ったのか?消費者に疲労をもたらすサービスで良いわけか?そのような上から眼線でいつも栄耀栄華を築けると思っているのか?なんだか体制自体が消費者を翻弄しているかのようで怒りが収まらなかった。ローソンでは買うけどポイントは入らない。何もいらないから疲労はばら撒かないで欲しい。しかしながらパソコン歴も、インターネット歴も長いにも関わらず何か注文したり、手続きを行う必要が起きた時に、かならずうまく行かないという「手続き下手」の経験がある。何故人間対人間ではないと、手続きが旨く行かないのか?自身にも判らない。多分原始的な野生の部分が多いためらしい。これはどう教育しても仕方ないようだ。

 

2018年11月29日 11:33

201181122木曜日

今朝津川雅章と朝丘雪路の合同葬儀の模様をテレビで観た。出席者それぞれが二人の思い出を語るという豪華な葬儀で、なかなか娯楽性の高い葬儀だった。だがそれを見ていて、葬式嫌いで遺言に葬式はしないで欲しい、と遺したいほどだった自身だが、こんなに楽しい笑いに満ちた葬式なら許せると思う。だがこの二人のように豪華な華々しい人生ではない自分があれと同じにして欲しいなど希望を出すことはできない。自分なりにさりげなく消えたいので、あれならやっても良いなど贅沢な希望を出す必要はない。しかし人間とは非常に面白い生き物らしい。動物と人間の違いは葬式を出すか出さないか、の違いではないのかと思える。どういうわけか人によっては華々しいお別れをしたいという人間が多いように見受ける。葬式は結婚式とほぼ同じで見栄の土台の上に立っているものかも。見栄っ張りではないと自分を思っていたが潜在意識の中に何か不思議にムズムズするものがありそう。客観的に自分を観れないので、まだ枯れてはいないらしい。水っぽい枯れ葉か?そういえば葬式嫌いになったのは、過去に葬儀業の知人が「葬儀は安くすれば安くなる」と言われたことがあった。その影響で母も兄の葬儀もそれぞれかなり安価に値切って節約してしまった。あの世で二人とも「カズエコはケチ」と愚痴をこぼしていそう。だから自身の葬式は極めて質素にして、ただ焼き場の費用だけにさせなければ・・・。

2018年11月22日 08:25

20181119月曜日

現在安倍首相はロシアのプーチン大統領と親しく外交を重ね、北方領土の件で交渉をしつつある。だがどうか日本人の人の好さにつけ込まれないようにお願いしたい。わたしの叔父はその当時中国大陸で軍務についていたが、戦争が終了した直後、今まで日ソ平和協定を締結していたにも関わらず、中国の大地にいてソ連軍の急襲があった。日本軍はすべてシベリア経由で、モスクワの某収容所に拉致され、過酷な土木作業を強制されたのだ。それも五十万人という数だったという。大人しい日本兵は、強制されるまま文句も言わず建物建設の重労働をしたという。今、外交が普通に行われているが、あまり油断をしてはならない。彼らが日本軍に戦後与えた強制労働は国際法に基づけば、違法であり、犯罪でしかないかも知れない。現在北方領土の件で上下関係はない。堂々と過去のロシアの仕打ちを充分理解した上で、対応して欲しい。日本の首相はロシアで日本軍人が過酷な労働を強制させられた過去を無視せず北方領土の外交を成功させて欲しい。幸い叔父は帰ってきたが、大阪万博の際にロシア館を訪れた母はロシアの豪華な展示に魅せられ、一言「素晴らしかった」とロシアと褒めたのだ。日頃姉の言葉には逆らわない叔父は、母の言葉を聞くと烈火のごとく怒った。それもそうだ。パン一切(それも沢山の人との分配)で一日働かせられた記憶は捕虜としても耐え難いものだった筈だ。終戦の年の8月26日頃にはソ連軍とのすべての戦闘が終わった。満州では停戦会談によって、武装解除後の在留日本人の保護について、一応成立したが、ソ連軍がその通りに行うことはなかったそうだ。日本軍崩壊後の民間人は何の保護も得られず、多くの被害が出た。また捕虜の扱いについては一切言及されなかった。そのような「泣き寝入りの過去」に学ばないでのこれからの外交はありえない。

 

2018年11月19日 16:37

20190111金曜日

2019年01月11日 10:08

20181110土曜日

先日のテレビニュースで中国のバス会社の事故を撮影した恐ろしい映像をみてしまった。バスの内部でバスの運転手が女性客にクレームをつけられ殴られている、光景だ。テレビ側のナレーションでは女性客が下りるべきバス停で下ろしてもらえなかったので、運転手にごねていたらしい。バスの運転手は運転しながら女性客をなだめようとせず適当に応対していたが、女性客が運転手を殴ったのかどうか確かではないが、運転手は運転を誤り、バスは客15名乗せたまま崖に転落。全員死亡。愚かな一人の客のために十四名が亡くなったというお粗末で悲惨なニュース。バスの他の乗客は文句をつけた女性客の遺族に損害賠償を請求しても良いのではないか、と思ってしまう。これを「神様が一人に罰を与える際、ミスをした出来事」というのか。関係ない者の巻き添え死というのはどういうわけか、無差別。もう一つのニュースは今現代アートでトップを走っていると思しき草間弥生氏の展覧会を中国で偽の作品を並べて展示し、主催者は日本からの取材に平然と法は犯していないと、どこ吹く風。この二つのニュースを見る限り、中国の国民のほとんどがこういう類の人びとなのだ、と判断せざるを得ない。そうなると中国を観光するということは正に命懸けだし、買い物も本物かどうかの真偽もその場で判断できにくい国と思うしかない。毛沢東が悪いわけでも周恩来が悪いわけでも現時点での習主席が悪いわけでもない筈だ。おそらく中国人全般に昔の良き時代の遺産の値打ちをまだ判っていないのではないか。古き良き時代に生きていた世界的人間国宝ともゆうべき哲学者も出ているのに、その歴史を背負っているという誇りがないのか、ないなら様々な珍事件も理解できるが、昔の孟子、孔子がどのようにこの事態を判断なさって発言をなさるのかどうか知りたい。

2018年11月10日 19:19