高杜 一榮の世界

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モノローグ

20210118月曜日

最近はコロナ騒動でコロナという文字が目立つ。テレビでコロナという文字で視聴率を高めているのが判る。しかしながらこのコロナであっという間に世界中で数百人が亡くなっている。現時点でその数字を持ち出してどうのこうのと呟いても始まらない。しかし脳裏の隅に「この際だからコロナになり急死する」という不埒な発想が走る。時々自分の脳の隅で「不埒」でなおかつ「ふてぶてしい」発想が起きるが、脳は勝手に動いて、本体(自分自身)とはかけ離れた発想をする代物らしいので、悪口も言えない。この「コロナ騒動に紛れて死んでしまう」という発想はなかなか素晴らしい。例えば時々「死んでしまいたい」という自身の本音とは異なる発想が芽生えることがあり、その着想は最適なアイデア。「〇〇さん自殺したんだって」と言われるよりも「まあ、お気の毒、コロナで急死だって」「でも自殺よりはましね」と言われるのがアイデアとしてはなかなかイケている。と、ほとんど人生に逃げ腰、自身の本音とは裏腹な発想を時には手にして弄んでいるような感じだ。しかし早くコロナ騒動が過ぎて行ってくれないか、まともな暮らしになれないような気がしている。
 
2021年01月18日 07:21

20201227日曜日

年末になると必ず大掃除とか、来年のための準備とか色々な作業があるのだが、元々怠け者でほとんどマイペースで過ごすことに慣れているせいか、切羽詰まった感じはない。だがテレビを観ると皆右往左往している様子で、忙しなくしていなければならない、と思ってしまう。しかし、自分以外によって指図されたり、命令されたりしたくないので滅多に慌てない。今考えていることは、自身のCGを中心にしたショートムービーを制作したいこと。それができれば毎年その制作を続け、年に一回の映画を世に出して行きたい。ショートムービーなので、ストーリーはそれほどなく、自身のCGを使用し、画面に詩のようなツイッターのような文をつけてインターネットで流す。これを完成させるとすれば、数百万はかかるだろうと思う。そのためにはまず資金をこさえねばならない。この計画のため寄付を集めることにしたい。そんなことを叶えられるかどうか不明だが、考えている。夢は夢として口外すれば叶う可能性はないことはないけれど、今までよく自身のCGをPRもせず、そのまま冷蔵庫に寝かせていたごとく時間だけが経過した。それにしても結構のんびりしていると自分ながらあきれてしまう。だが、結構しぶとく長い間夢を持ち続けていた、と自分ながら諦めない性格を他人事のように見ている。しかし昔から諦めない性格であるのを、知っている。くじけそうになっても「いや、絶対やる!」という根性の奥に力瘤が出来ているらしい。
2020年12月26日 19:08

20201226土曜日

このところ疲労が続き、現在何もせず猫の世話をしているだけ。年末の掃除も毎年の習慣の年賀状造りも遅々として進まず、疑問符のような日々を過ごしている。誰のせいでもないしいってみれば年のせい。こうなるとは解っていたが、何もせずボーっとしているのはほぼ毎年同じといえる。久しぶりにNHKの大河ドラマを眺めていた。疲労は肉体的ばかりではなく精神疲労もあり、元に戻すのは結構大変かもしれない。年末なので来年の抱負を少しだけ考えた。来年は今までしていなかったことをしたい。例えば友人知己を突然訪問するとか、または突然旅に出るとか、自身が今までやってみたかったことをしてみたい。出来るかどうか不明だが、気持ちだけでも踏み出すエネルギーを魔女が丸太を上下しただけで、理想通りの小さな未来を生み出すようにやってみたい。大河ドラマを観ると何故か作者の名前を知りたくなりウイキペディアで調べたが、あまり多くの情報を得られなかった。ウイキペディアの情報は限りがあるらしく100%の情報は取得できないようだ。自身のウイキペディアを観たことがあったが、恐ろしく様々な情報が入っていた。過去の作品がすべて出てきたのにはかなり驚いたが、逃げも隠れ眼せず沈黙するしかない。こう長く生きると恥や外聞を気にしなくなってしまうらしい。ウイキペディアに対しては、もっと詳しく書いてくれればよいのに、と思った。日本で初めてコンピューターを導入をした人物として日本経済新聞に掲載された情報だけ抜けていた。ウイキペディアも完璧ではないのでしょう。
2020年12月26日 13:30

20201220日曜日

このところ年末ともなると過去の写真などを見つけたりして久しぶりに思い出すことが多くなった。それでその過去の中で「あの時はこうすれば良かった」「ああ、あの人はおそらくこう思っていたに違いない」など過去の一場面を思い出し、ほとんど自分が真実を理解していなかったのではないか?と振り返ることがある。例えば二十代のころに出逢った某男性が地方のある会社に勤務していて、自身が彼を訪問し、帰ってきたことがあったが、あの時点でその人物を好きだったのか、それともどうだったのか、を思い出し、もしかしたら彼と結婚していた可能性がある筈が、信号を見誤っていたのではないか?などと奇妙な妄想を広げてしまった。その当時はほとんどまどろみの中で覚醒度が低かったから、感じることも感じずに時が経った。その後わたしが小説を書いているのを知らせたら、再会をすることになった。その際も普通の友人関係として、話していたが、もしかしたら相手の心理を把握していなかったのではないか、と今になって思う。こういう埒もないことを今モソモソと思い返しても何の足しにもならないが、ひょとすると小さな(もしくは大きな)宝石を無駄に河に流していたのかもしれない、と思えてきた。年取って何の足しにもならないことをグズグズと思い出しているのは、自身があまりにも子供であったために損をしたことになったように感じる。つまりもう一つの人生があったのではないか?と自分に問い正しているのだ。だがすでに時間が経過しているので、当時の薬缶に湯気が立ち上っていたのを、今思い出したからといって、お湯を取りには行けない。そう考えるとそのポイントが一個ではなく結構数があるのを感じる。しかし黄泉の国に旅立つ前にいろいろな引出しを開けて空にしてから旅立たねばならない。年末の心理状態としては何故かほとんどボケ老人の戯言に聞こえそう。しかし今の年齢で過去の愛や恋を思い出して相好を崩すなんて非常に贅沢で見方によっては変人とか奇人に思われそう。実を言えばわたしは正真正銘の変人だと思います。
2020年12月20日 16:10

20201218金曜日

今日地震の報道があったが、不思議なことに自身は昨日その地震を感じていた。だが昨日は「テレビをつけても地震報道がなく、わたしが感じたあの奇妙な感覚は何だろう?」と不思議に思っていた。昨日味わった地震は、揺れてはいるがいつもの地震ではなく、何となく迫力のない揺れで、そのためテレビでは報道が見当たらないので「あの感覚は何だったのだろう」と首を傾げていたのだ。その感覚は地震らしくない地震で、何だか強くなくまるで地震を少し強度を弱くした感じで「この揺れは何なの?」つまり地震にしては何だか地震らしくないただの風のようで、奇妙な感じ。すると判った。あれは地震からの特別なお知らせで、つまり「予告編」だったのだ。本当に地震がこれからありますよ、というお知らせだったから、迫力がなく、揺れが強くなかったのだ。つまりわたしは某所(神様に近い存在)からテレパシーで地震を予告された、ということになるのだ。あれは予告編らしく、迫力はなく、まるで「ふんわりした綿菓子のような揺れ」だった。だがその時にわたしは「地震だ」と把握していた。テレビをつけたが地震報道がないので首を傾げていたのだ。それでその一連の流れを、予知能力に似ていて、地震を前もって誰かがお知らせをしてくれたのではないのか。それで今「なるほど」と思っている。世の中奇妙なことがあるものだ、と思っている。熟慮すると、わたしを守ってくれている守護神殿が、地震がこれからあるよ、と教えてくれていたということになる。
2020年12月18日 18:33

20201216水曜日

パソコンを相手に時間をかけていると、不思議と怒りが湧いてくる。何故なら勝手にパソコンが主導権を握り、勝手にパスワードを変更せよ、とかまたはこちらのサイトが便利とばかりに、異なった空気感のあるサイトに導いてくれる。つまり余計なお世話をする。パソコンとは「余計なお世話をする機械」と言いたい。とにかく誰に唆されているのか不明だが、何時の間にか別なグループに入り込んで、そこで暮らさねばならなくなるような雰囲気になっている。パソコンの悪い癖は、勝手にパソコンの所有者の代理として働き始め「このサイトに行って仲間になったら?」とか「このサイトで面白いことをやっているのでいかが?」とか勝手に働きだす。自分は他人に指図されたくないので、必死に逃げてホウホウの体で帰ってくる。一旦パソコンの世話になったら、ほとんど誘導され、何時の間にか買いたくないものを買わされる運命にあるようだ。かなり危険な組織に取り込まれる恐怖さえ感じる。本当に不思議な存在になりつつある。極めて烏合の衆になりさがるのを嫌うわたしは、必死に逃れようとするが、何時の間にか巻き込まれてしまっているらしいのだ。パソコンとインターネットの世界というのは、生の人間の世界よりも巧妙でなおかつ厳然とニンゲンを愚弄するのが仕事だと思っているかのよう。自分みたいに天邪鬼は嫌いらしいので見ていると面白い。このまま向こうの思うようには動かない天邪鬼で行くことに決めたので、天邪鬼の世界とサイトの名前を変えようかと思う。パソコンに都合の良いように動かされたくないわたしはバトルを続けるつもり。
2020年12月16日 07:16

20201215火曜日

本日は十五日。後十五日経てば今年とお別れ。年末の様々な「仕事」つまり大掃除や整理整頓が嫌いで、昔の人のように古き習慣を尊ぶという精神が欠如しているのかも。しかし何かに導かれるように建物の1Fと2Fのドアの拭き掃除を先日していた。これもご先祖様のご指導に寄るのかもしれない。ところで話は変わるが最近は手の込んだというか、無差別無分別の細かい犯罪が横行しているらしい。今朝もコインランドリーで自動販売機をバールなどで壊し、数万円を盗んでゆく犯人の姿がテレビで流されていた。あれなども店を運営している人の心身をズタズタにして、侮る行為としか言えない。この自分なども見ていて明日にでも犯人を捕まえにいってみようという気持にかられてしまう。おそらくもっと若い時にそういう正義感に満ち溢れた行為に走ればよかったのだが、あの当時はほとんど頭の中は現在の同じ年齢の人と比べて相当幼稚でまだまどろんでいる状態だったと思う。若い時こそ血気盛んに活躍すれば良かったのだが、ほとんどそういう気もなく、なおかつテレビもなかったので正義感を発揮する機会などは全くなかった。当時は不思議と正義感は所かまわず湧き出てくるらしく、ある時やーさん風の人が某スポーツセンターのカウンターで因縁つけて、威嚇していた。それを見て出て行こうとしたわたしの腕をひっぱったのは今は亡き夫だった。前にも同じことを書いたが彼は言った。「そんなことしたら畳の上で死ねないよ」それは確かなことだった。彼はほとんど格闘技などをしたことのないわたしの無謀な考えを危ぶみ、常にブレーキを掛けてくれたのだった。本当にわたしの良き用心棒だった。
 
2020年12月15日 06:31

20201214月曜日

ところで二十代の頃にアジアからの留学生にパーティで出会ったことがある。その人はベトナムから来ていた。確か外務省関係の人物だったようだ。付き合ううちにお互い何故か楽しく会話していた。その当時は英語はそれほどできないが、相手もそれほど日本語が出来ない。だが何故か会って話せた。だがその短い出逢いが長くは続かず、彼がベトナムに帰るというので、別れがすぐ来てしまった。彼の名前は「ウング・ルング・リッツ」今でも名前は憶えている。当時彼は二十代の初め頃でわたしも同じ位の年齢。彼がわたしのことを好きらしいので、別れは何故か辛くなりそうだった。市ヶ谷の駅のホームで別れたのだが、ホームの向こうに立っている彼は涙を浮かべているらしいのが判った。わたしは泣いてはいなかったが、泣いている彼を見て何故か「もう二度と会えないだろう」と思えた。彼は「また会いたい」と告げていた。しかし不思議なのはお互い言葉があまりできないのに、よく意志が通じていた。それが不思議でならない。その後数年してからあの有名なベトナム戦争が始まった。共産系の派閥と民主主義系の派閥との対立は泥沼化し、莫大な民族が亡くなって行った。そのニュースを新聞で知り「おそらく彼はもう死んでいるかも」と内心思っていた。彼は富裕層の階級の出で、やり玉にあがる確率は高い。彼が殺されていると思っていたし、まだ生きているとは思えない。あれから数十年ほどの歳月が流れた。今でも彼の名前ウング・ルング・リッツを覚えているが、おそらく何万という数の死者が出た戦争で亡くなっている可能性が高い。生きていれば孫に囲まれて暮らしているかもしれない。不思議なことだが、母は彼のことを話すと黙って聞いていて、にこやかに笑っていた。母はわたしの異性との交際に反対を唱えたり、また親らしい小言を絶対言ったりしなかった人だった。今でもその点が不思議に思っている。だがその理由をわたしは知っていた。娘の異性に対して激しく反対を唱えていた祖母のことを話していた母はわたしにだけはいつも自由にさせる、と決意していたのだろう。
 
2020年12月14日 07:18

20201213日曜日

いつも老人の運転で事故が発生しているなどの事件がある。そしてその中身が「アクセルとブレーキを踏み間違えた」というものだった。そのためいつも「アクセルは右足、ブレーキは左足と覚えさせておけば、事故を防げると思っている。お勧めだが、それでも事故は起こす人は起こす。しかし老人(わたしを含めて)皆、自分が事故を起こすわけはない、と自信があるらしい。自信過剰は事故の始まり。ともあれ皆事故のない人生を送って欲しい。ところで、今だから公開できるけど、昔かなり酷い失敗をした。ある時、何かのお礼とのことで有名な東郷清児の絵を頂いた。その時は東郷氏の名前を知っていたのだが、父が挿絵画家だったので、軽い気持ちで絵を自分の部屋に置いた。ところが父や兄に見られて「これどうしたの?」と言われるのがいやだったのか、さりげなく捨ててしまった。後であの絵を取っておけばかなりの値打ちだったのだ、と反省した。父の絵と東郷氏の絵と比べれ雲泥の差であるのは判る。だが全く会ったことのない人の絵をもらっているのを家族に知られたくなくて捨ててしまった。わたしに絵をくれた人がわたしの愚かな行為を知ったらしく、その後つきあいもなくなった。しかし現時点では「あの絵があればよかった」とも思っていない。つまりどんな絵でも好き嫌いがあるので致し方ないと思える。家族に話せば、怒られるかもしれない。今から五十年以上前の話だ。
2020年12月13日 11:35

20201212土曜日

最近パソコンが壊れ四苦八苦状態だった。インターネットには繋げず、なおかつメールも出せない。パソコンお助けサービスなどの業者に連絡を取ったが、土曜日曜のためうまくゆかず、ふと冷静になって考えたら、初期化が一番と気が付いた。パソコンが不調でも、他のどんな機械には出来ない裏技がある。それは初期化すれば、再度新しく使える。それに気が付いたわたしは早速初期化し、再出発した。そんなわけでとにかく物事が停滞したら、まず冷静になること、そして再度やり直すこと。これが一番の解決方法だ。そんなわけでひとまず安堵している。最近年末なのでお掃除らしきことをしていたら、昔のラブレターや、昔の写真が出てきた。懐かしいので眺めていたら、昔は結構天真爛漫に暮らしていたことがじんわり思い出された。もうすぐ八の字がつく年齢になるというのに、中身だけは若い時のまんまで思い出に「年代物の皺とか余分なたるみなど」が付かないのは素晴らしい。しかしそのうちどっと何かが来るのかもしれないが、今を謳歌することに徹しよう。それしかない。今そばでお肌のお手入れに夢中の我が娘のナツキがいる。彼女にこの前言ったことがある。「お前は猫でわたしはニンゲンだけどね、あの世に行ったら、わたしが猫でお前がニンゲンってこともあるんだから、よろしくね」と伝えたら、わたしの顔をじっと見つめていた。「判りました。今後はそのつもりでおります」という気持になっていたのかも。

2020年12月12日 11:26