高杜 一榮の世界

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024s

モノローグ

20201124火曜日

今日は自殺について、書いて見たい。朝から物々しいテーマで失礼いたします。たまたま朝色々なことを考えているうちに自殺する人について疑問が起きた。死にたくなったら、今どういう反応をするのだろう?死んだ人たちは死んで「これで良かった」と思っているのだろうか?そんな疑問を抱いているうちにふと竹内結子さんが亡くなったことを思い出し、サイトにアクセスした。するとそこに書かれていたのは、淡々と彼女のこれまでと、自殺周辺のことが判った。ところが何故自殺したのか?の疑問には回答が出ていなかった。つまり「何も考えず」「導かれるように」「ま、このまま行ってみよう」との流れがあったとしか、思えない。子供がいるのに残して行ってしまったことに後悔がなかったのか?という疑問が起きた。普通の人なら「子供残して死ねない」「子供が可哀想だから死ねない」と考えるのがフツーの考えかも知れない。自分は死にたいと思ったことはないが、脳裏に「このまま誰にも知られずに死んでしまえたら楽かも」という不埒な考えが通過したこともある。それで長い間生きていた人の本音を聞いたことを思い出した。今から数年前九十九歳の老女が「早く死にたい」「こんなに長く生きていたいと思ったことなかった」と会う度に言われていたことを思い出した。自分も若い人にそのうち同じことを言いそうになっているらしいので、失笑してしまった。しかし長く生きれば良いとは思えなくなってきた今日この頃。しかし明るく天真爛漫に息を引き取りたいというささやかな希望があるのだが、叶えてくれるかな?(数年前から新たに転勤してきた)わたしの神様は?
 
2020年11月24日 07:37

20201122日曜日

そういえば人に騙されたことが結構多い。しかしどういうわけか、騙されたと感じないまま月日が経ち過去の資料を、たまたま机の隅で見つけて、読んでいるうちに、これはどうなったのだろう?と調べていると倒産だったらしく電話は通じず、月日が経過して全く連絡が取れず結局騙された、または倒産したのを知らずにいた、と判った。それがあまりショックではなく「ふーん」「あ。そう?」という感じで受け止め、怒りはない。どういうことか自分の性格がお人良しに出来ているのかと、不思議に思う。それで今まで騙されたことが多いと初めて気が付いた。だが世の中騙されている人は結構多いと気付く。それも相手は騙そうとして騙したわけではなく、たまたまそうなってしまっただけ、ではないか、と思えた。それは平和的な流れで日々苦痛はない。だが逆に得したことがあったのかなかったのか、と調べたいと思うが、それも調べるのも億劫なので、やらない。のんびりと愛猫のナツキとの暮らしに浸っている。来年はいかなる年になるのだろう?極めて優雅で平和な日々が送れることを期待している。だが優雅ではなくとも安らかに息して健康で暮らせたらそれで充分と思うことにしよう。世の中は欲の持ち過ぎが一番不幸かも、と感じているこの頃。欲を制御すれば、平和に暮らせると思っているがどうなのか?来年が明るい年になるように祈りたい。それ以上は望まないでおこう。
2020年11月22日 05:38

20201120金曜日

コロナのせいで不況というか、極めて色の濃い不景気になりつつある。それが新聞やテレビで感じられる。皆まだまどろみの中にいて、直に鮮やかに感じるわけではない。そのうち大規模の倒産があちらこちらに発生し、「エツ!あの大企業がまさか!」と愕然とするようなできごとがあるのではないか?だが自身が大企業のトップでもなく、莫大な資産を抱えて、その維持に四苦八苦しているわけではないので、幾分軽い。だから大企業の倒産が軒並みになってから味わう血まみれの恐怖などは全く想像できない。つまり今度の大規模の災難はかつてなかったような危機に見舞われるというような予想をしていても大袈裟ではないのかもしれない。それはかつて昔の人々が味わった悲劇、例えば広島の原爆投下後の悲惨な光景や戦争が終わった後の焼け野原に等しい光景があると思っていた方が打撃が少ないかもしれない。なにしろわたしたちの時代は平和の中に楽して暮らしていたので、昔の人々の味わった地獄の苦しみを知らない。そういえば父が戦後挿絵の仕事がないので、横浜まで出かけて米国軍艦の来航で、降りてくるアメリカ人に「似顔絵描きます」と英語もろくに話せないのに身振りで似顔絵を描きドルを稼いだなどの話は知る人ぞ知るという逸話になるのだろう。だが今度のコロナ不況はどういう光景を見せてくれるのだろうか?ともあれ政治家ではないので、それほど小さい頭を悩ませることはないのだが、気になる。コロナ不況が終わるまで贅沢は敵だ(いつか戦前の人が良く口にした言葉)、と思うしかない。極めて古めかしい言葉で朝から失礼。
2020年11月20日 07:57

20201119木曜日

30年前から死ぬまでに一度自作の映画を製作したい、と思っていた。何故このような野望を抱いたかと言えば、その当時インドのサタジット・レイ監督の映画を観た時に、映画ってそれほど大層なテーマは必要ではなく、日々の日常から淡々と描いた作品でも評価されるのか、と感じたためだ。そのため死ぬ前に一度絶対成功させると思って、すでに30年以上過ぎた。百歳まで生きなければ実現は難しいと感じ始めている。だが映画は自動炊飯器のように材料ぶち込んで待てば完成するわけではないのを、ようやくわかり始めた。とにかく映画を製作するには一億が必要になる。その資金を作るための作業を始めなければならないが大体にものぐさの傾向にあるので、「資金がなくても完成させられる映画を考える」という壮大で愚かな発想を抱いていている。クラウドファンディングというのがあるが、何故かあそこで実現をさせるという発想にはならない。多分博打と等しいと思っているためだ。だがわたしは「蚕の旅 ナポレオン三世と家茂」という自身の著書の映画化を目指している。そのためのステップをまだ見つけていない。ともあれ八方に自作品の映画化の情報を拡大しなければならない。まず希望自体を熱く燃え立たせなければならないと思っている。願えばいつか叶うという囁きが聞こえる。
2020年11月19日 07:56

20201117火曜日

令和になってから何かが変わってきたような気がしてならない。以前なら車を走らせていて他の車の邪魔をするマナー違反の人がいなかったのに、最近はまるでドライビング専門のハラスメントといえるほどの「いやがらせ」迷の惑行為が目立っている。そこにきて、車ではなく自転車のハラスメントが出てきた。あれは何でしょう?つまり「俺が通るんだ!」「邪魔するな!」「俺様は偉いんだ」「手前は引っ込んでろ」と常に言いたいらしい。悲しいことにハラスメントはするが、それで命を失いたくないから、加減をしているようだ。つまり日頃の欲求不満を道路上で表現しているのだ。あれは花火と同じで目撃してくれないと困るみたい「この人おかしいんでないか?」「邪魔してどうなるってんだだ!」と怒鳴られてもニヤニヤしているような類の連中らしい。いざトコトン戦う姿勢を見せれば逃げてゆくような「ヤワな連中らしい」つまり自身の人生に対する欲求不満を道路上でプラマイゼロにしたいらしい。車で意地悪をするのではなく、自転車でそういう類が出てきているのは、ほとんどビョーキが重度になってきているらしい。車のハラスメントも自転車でのハラスメントも底辺に流れている不満度はかなりなものだろうと窺える。彼らハラスメント軍団は、もしかすると普段はきちんと背広を着たれっきとした普通のサラリーマンかも知れない。令和になってそういう異常児を生み出してしてしまったようだ。民度が高い国民性の優秀さをもっと拡大して行って欲しい。病気は重くなれば治らなくなる。それが恐ろしい。誰か高速道路に常に控えて何かトラブルが在れば、仲裁に入って、日本の空気を清浄にして欲しい。そうした病人を取り締まる正義の味方がいないのか?
2020年11月17日 18:39

20201115日曜日

この所プライベートで多忙を極め、HPの更新を怠っていました。しかしながら新聞見ても、テレビのニュースを見ても、一言述べたいほど、事件や出来事に文句をつけたくなるわたしは、ほとんどビョーキのよう。一番気になるのは、芸能人に纏わる噂話から揶揄、どうでもよい他人の恋愛に「あーでもないこーでもない」と文句をつけたくなるのは、どうなのか?特に芸能人の恋愛関係に騒ぐのはほとんど十代の女の子の心理から抜け出ていないようで「そんな時間があるなら、本でも読め!、歴史を勉強せよ!」と言いたくなる。だがある意味平凡に生き平凡の枠から卒業したくない人々は、他人の色恋に文句をつけるのを趣味にしているとしか思えない。そのような連中が存在するのは事実らしい。そして気になるのは幾つになっても他人のそれも芸能人の恋愛問題に「いちゃもんつける」のが好きな人々が多いこと。誰でも自分が同じ眼に遭ったらとても辛いと思われるのに芸能人イジメが横行して、みちゃいられない。その上芸能人が事故を起こしたら、まるで蜂を突っつくように非難したり、嘲笑するような状態になってしまうのは、はっきりいえば、大衆が極めて残酷で、脳内に冷静になる機能が欠けているような気がするのは何故なのか?そこのところが理解できない。つまり相手が芸能人であれば、イジメても叩いても良いという取り決めがあるようにも感じられる。つまり大衆は芸能人をサンドバックにしているという妙な癖がついたのではないのか?そこのところをもっと気を配り、大衆の正常化、大衆の劇的成長が望ましいと思う。
2020年11月15日 16:15

20201113金曜日

最近仕事を探している。半年前に某所に勤務したが、そこでは数百人という従業員がおりその全体の団体行動がまるで軍隊みたいで、どうもゲージュツ家のわたしの頭の中が???になってしまった。首を傾げながら勤めているわたしの様子が、周囲には異常に映ったのかも知れない。ある時呼ばれて「今の仕事を好きですか?」と尋ねられて「どうもなんだか合わないみたい」と呟いたのが悪かったのか、結局「では辞めさせていただきます」という具合になり、退社したのだが、改めて考えると辞めなければ良かったかも。しかし自分には似合わない仕事だった。だがわたしには飼育しているカワイイ猫のナツキがいるので、彼女のペットフード代ぐらいは働かねばと思うようになっている。しかしこれまで結構良い職場に恵まれたせいで、どうも贅沢な条件が脳裏から去らない。その上もしわたしが勤めに出たら、ナツキが朝から晩まで寂しい時間を過ごさねばならない。ある日ナツキに呟いた。「ナツキちゃん、勤めないとあなたの食べる物を買えなくなるのよ。我慢できる?」と囁いてみた。すると両目に深刻そうな光が見えた。それで慌てて言った。「大丈夫だよ、離れないでいつも一緒にいるよ」と。しかし彼女は縁があって一緒に暮らしているが最近ではほとんどわたしのお姉さんみたいな「猫にしては風格のある不思議な雰囲気」を漂わせている。ともあれ、何とか暮らして行くしかない。いつの間にかわたしが頼りにできる猫になっていたナツキ。
2020年11月13日 12:46

20201107 土曜日

アメリカの大統領の選挙で慌ただしい日々だが、まだ決定していないので落ち着かない。自身は関係ないが、アメリカの大統領が決まらないと新聞自体が落ち着いていないように思えて・・・。関係ないけどなるべくなら早く決まって欲しい。しかしトランプ大統領は絶対粘り強く外見など気にせず、諦めないのでしょう。トランプ氏は一度味わった王座をそう簡単に引き渡したりはしない激しい魂の持ち主でしょう。ある意味大統領になる人は気性が粘り強く、忍耐力があり、なおかつ何事が起こっても投げ出さない性格でなければならない、と窺える。自身みたいにどのような地位になってもその時がくれば、あっさり人に譲ってしまうと推定されるほど諦めが極めて早い。そのためあっさり手放さないトランプ氏の情熱と粘り強さ、そしてその半端ではない巨大な鉄のような雄々しい魂を称えたくなってしまう。政敵のバイデン氏はおそらく「呆れてしまう」という気持かもしれない。最初はトランプ氏が政争から降りるのを期待していたが、何故か「トランプさん、頑張って!」と叫びたくなってしまった。大統領選挙がこう思わせるほど娯楽的部分があるのを初めて知った。
2020年11月07日 12:40

20201106金曜日

実を言えば刺青に興味がある。その契機となったのは、銭湯で背中に刺青のある女性を見かけた時だった。色の極めて白い女性の背中に何かおどろおどろしい色鮮やかな龍と花が広がっていた。「あれ何?」とわたしは裸の母親に尋ねた。彼女は低い声で「イレズミ」と囁いた。後でわたしは聞いた。「何であんな絵を背中にのせているの?」「さあ、目立ちたいとか、人を威嚇したいとか」「イカク?」母親は大人にならなければ判らない単語として威嚇を教えてくれた。その意味があまり判らなかったが、つまり自分が友達に会う時に色の鮮やかなマフラーを首に巻いたりすることと通じていると感じた。イレズミはそれからわたしの脳裏にほとんどイレズミのように刻まれた。ある意味刺青に憧れがあった。その後表紙に刺青の写真の載った雑誌を見たことがあり、それが脳裏にまた刻まれ刺青記録は増えていったのだが、ある時凄く奇妙で恐ろしい刺青を一度見たことがある。友人が入院した際に見舞いに行くと、その友の真向かいの男性が刺青を入れていると知らされた。「見たいか?見たいなら話して頼んでみる」友は若く非常に丹精でいわゆる美男子に属する患者に「この子が見たいって言ってるんだけど見せてくれる?」と頼んでいた。するとその青年はすぐパジャマを脱いで背中を見せてくれた。その刺青はおそらく他の同じような絵は決して見当たらないと思しき「恐ろしき絵」で誰も同じ画を刺青にしないと思えた。入れ墨を見せてくれた。その絵は寂しい林の中の墓地にありそうな見事に薄気味の悪い画だった。わたしは口を噤んだまま唖然とした。どうしてその絵にしたのか?と質問したら、「誰もいれないだろうと思う画を選んだ」と述べた。その青年の心の中に何かあったのか、よく判らないが彼のその刺青は彼の人生を支えていると思えた。
2020年11月06日 12:30

20201105 木曜日

前回六本木で山羊を飼ったことを書いたが、家庭の中でかなり暴君的で(父は子供を可愛がっていたが、男の子だけだったようで)わたしは圏外にいたらしい。後に父母が離婚するとか別居するなどのゴタゴタがあり、最終的には母の家で暮らすことになった。あの当時のことは思い出したくない出来事があったが、大きな事件としては、金魚屋さんとのゴタゴタがあった。三男の兄は鳩が好きで鳩を多い時で二十羽以上飼っていた。ある日兄が「鳩が金魚屋さんのところに行ったまま帰らない」と父に告げ、問題が大きくなった。帰らない鳩を取り戻したかった兄はある日金魚屋さんの鳩が混じっているのを鳩小屋の中を見て気が付いたのだが、その鳩がトラブルの幕開けにした。「あそこの家が鳩を返してくれないので、あそこの家の鳩をこのままこちらで預かっておこう」ということになった。するとその家の息子が取り戻しに来て「返せ」と言った。だが「そちらに行っているうちの鳩を返してくれたら返す」と返事をすると、その日のうちに金魚屋の行商人たちが、数名押しかけてきた。すると日頃のんびりと絵を描いている我が家の男子たちはすぐ「闘いだ!」とまるで今まで一度もボクシングや格闘技を習ったことがないのに、真剣に闘ってしまった。わたしはそれを窓から見ていたが、うちの男子たちは(痩せて見事にへなへなの父を含めて)戦ったのだから驚いた。あれはほとんど不思議な出来事だったと思える。なにしろ日頃運動も激しい格闘もしたことのないうちの男子たちは、むくつけき外見屈強な男たちに立ち向かい、見ていると棒や箒で闘い、あっという間に勝ってしまった。わたしの眼に頭が血塗れになっていた男の頭をタオルで拭いている母が見えた。その血塗れの男性が当時その辺りで有名なYの字の親分だったことが後で判った。事件は警察に知られ、母は警察まで詫びに出掛けた。すると警察は、頭に血を流していた親分の家に謝罪に行きなさいと言われ、その言葉通り親分の家にお金を包んで謝罪に出掛けた。後で聞いたら、かなりその当時その辺りで有名な親分だったことを知ったが、その後父は親分に勝ったと噂になり、近所の人が通るたびに皆感謝してくれた、という。今思い出すと世の中裏と表が逆転することになる時もあるのだと、学んだものだ。
2020年11月05日 10:51