高杜 一榮の世界

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モノローグ

20181110土曜日

先日のテレビニュースで中国のバス会社の事故を撮影した恐ろしい映像をみてしまった。バスの内部でバスの運転手が女性客にクレームをつけられ殴られている、光景だ。テレビ側のナレーションでは女性客が下りるべきバス停で下ろしてもらえなかったので、運転手にごねていたらしい。バスの運転手は運転しながら女性客をなだめようとせず適当に応対していたが、女性客が運転手を殴ったのかどうか確かではないが、運転手は運転を誤り、バスは客15名乗せたまま崖に転落。全員死亡。愚かな一人の客のために十四名が亡くなったというお粗末で悲惨なニュース。バスの他の乗客は文句をつけた女性客の遺族に損害賠償を請求しても良いのではないか、と思ってしまう。これを「神様が一人に罰を与える際、ミスをした出来事」というのか。関係ない者の巻き添え死というのはどういうわけか、無差別。もう一つのニュースは今現代アートでトップを走っていると思しき草間弥生氏の展覧会を中国で偽の作品を並べて展示し、主催者は日本からの取材に平然と法は犯していないと、平然としていた。この二つのニュースを見る限り、中国の国民のほとんどがこういう類の人びとなのか、と判断せざるを得ない。そうなると中国を観光するということは正に命懸けだし、買い物も本物かどうかの真偽もその場で判断できにくい国と思うしかない。毛沢東が悪いわけでも周恩来が悪いわけでも現時点での習主席が悪いわけでもない。おそらく中国人全般に昔の良き時代の財産の値打ちをまだ判っていないのではないか。古き良き時代に生きていた世界的人間国宝ともゆうべき哲学者も出ているのに、その歴史を背負っているという誇りがないのか、ないなら様々な珍事件も理解できるが、昔の孟子、孔子がどのようにこの事態を判断なさって発言をなさるのかどうか知りたい。

2018年11月10日 19:19

20181031水曜日

最近の出来事。先日線路の上に石コロをのせた青年(または小中学生)がいたらしいとテレビで報道していたが、何故そういう類の人格が出来上がるのだろうか?そういえば自身も小学校の時に、やたらに何かに当たりたい気分がしていた時期があった。あの時は家庭内ですこぶる不愉快な出来事(父母の意味のない喧嘩など)があったのだがそれが原因で線路に石をのせることをするだろうか?そういえば自身の家の近くには線路がないので、やるとすれば道路に漬物石を持参してそっと置いてくるということも可能であるが大体そういう重たいものをわざわざ運んで皆を騒がせるということは馬鹿ばかしくてできない。だが犯人が捕まってみると、意外に客観的に真面目で大人しい人というケースが多い。しかしどうして真面目な人で表面やりそうもない子が、そうした犯罪をするコト自体、おかしい。常にその種のことをする人間が真面目でおとなしい人であれば、取り締まりは難しいことになる。おそらく家庭で厳しくしつけられている子ほど、親や世間には仮面を被っていることが多いのか?あらゆる犯罪でわたしは線路に石を乗っける犯罪をより厳しく取り締まって欲しいと願う。何故ならもしそれで電車が傾いて大事になれば、一人殺す犯罪よりも大量殺人ということになる。どうか石を線路に置く者をなるべく早く見つける機械を作り出して欲しい。ところで話は違うが、何故人間は他人の不倫に対してうるさいのだろう?どうでも良いような人間の不倫を騒ぎ立てるのは貧しいメディアの怠慢だと思う。テーマは莫大にある筈、濫り(みだり)に道徳的観点から人を中傷するのだけは辞めた方が良い。不倫などは時が過ぎれば、単なる出来事で終わる。もっとも芸能人は不倫を通じて名を売るというケースもあるらしい。

2018年10月31日 16:47

20181017水曜日

十月十六日産経新聞の六面に載っていたものがある。「ソロモンの頭巾」(長辻象平)の「最凶の外来水生物が拡大中」:これはオオバナミズキンバイという水生物が地球にとって最も「不死身の侵略生物」であると断言している。早期駆除が一番良いのだが、現在は滋賀県の琵琶湖環境保全課が着手しているという。表面重大で深刻な情報とは見えないが、どうやら全く儚い弱い生き物に人間の暮らしは左右されており、それらの「か弱き生き物」が人類の滅亡の鍵を握っているらしい。しかしながら、「不死身の侵略生物」とは大変恐ろしい。実際人間に始末できないことになるかならないか、は自分たち人類の手腕にかかっているようだ。
ところで昨日テレビで港区のお洒落なブランド物のブティックなどが並ぶ地域に空き地があり、その土地に児童福祉施設が建つとのニュースが流れていた。その建設に地元の人びとが反対運動を展開しつつあるらしい。このニュースに言いたいことがある。ブランド物のブティックは児童福祉的なイメージと並ぶことを拒否しているらしい。それはどういう意味か?お洒落なブランド物の店は雰囲気を高貴なイメージにしたいらしい。児童相談所のような施設を誤解しているのか?物事を俯瞰的に観察しておらず、自己中心的に把握しているだけかも。そういえばブランド物はそのものが自己中心的な存在のようだ。納得は出来るが児童施設がお洒落なイメージとかけ離れているとしたら、ブランド物は自己中心的な存在で、なおかつ愛情と人間愛に関する温かいイメージを持つことを拒否していると見える。こうしたことで工事差し止めなどの運動を起こすことはそれこそブランド軍団のイメージを更に悪くすると思える。ブランド品がお洒落でスマートで美しく、児童向けの施設がプアで美しくないと誰が判断しているのか?児童への温かい愛を向けないブランド品だとすれば、それは問題であり、意識改革を求めたい。児童施設の建設を反対する方々に言いたい。ブランドは愛情とはかけ離れた存在ですか?児童施設建設反対運動で、児童に愛を向けることを拒否するのですか?
2018年10月17日 12:35

20180922土曜日

このところ個人情報保護法のお陰で人間関係がズタズタにされそうな恐ろしい経験をしている。某施設に入居した友人に面会を希望したところ、「ただ友人」と申し出るだけでは会えないことになっているらしい。戸籍謄本や免許証などありとあらゆる重要書類を提出しなければ、本人との面会はできない、のではないか?と疑惑が起こる。しかしここで問題は戸籍で繋がっているために面会許可が下りるのであれば、それは詐欺などのターゲットにされそうなほど軟弱だ。とにかく面会に時間と金が掛かるような様子なので、逆にその施設に言いたい。そのような施設であれば入居を希望する人間がでてくるわけもなく、次第に評判を落として、経営が悪化する可能性大だ。なにしろ友人にこの一件を語ったところ、何だかパンフレット見ると豪華でよさそうだけど、そのような体制であれば、評判悪くなっておそらく長いことないかもしれない、わたしそこに決めたかったけどやめた、とのこと。もうすでに二名の客を失っている。理事長に書面で警告したくなってきた。
2018年09月22日 16:48

20180916日曜日

最近猫2匹を世話している。一匹は相棒が飼っていたメス猫、ちびちゃんという愛称で呼んでいた。このちびちゃんは賢い猫で、突然現われた自分を懸命に世話してくれたというので、ある日彼女はいつもありがとうと礼を表わすつもりだったのか、口に何かを咥えてきて、投げた。ベッドの上に小さな痩せたねずみが、転がっていた。彼女は普通の人間ではではないので、普通の人間のようなお礼をできない。自分ができるだけのお礼をしたかったらしく、ベッドの上にネズミを投げた。飼い主の相棒は涙をこぼして「ありがとうね、ちびちゃん」と言いそのネズミをありがたそうに新聞紙に包んで述べた。「これはオレは食べられないけど、ちびちゃんのキモチは判ったよ、ありがとう」それは彼がちびちゃんが生まれてから二ヶ月ぐらいしか経っていない時に知り合っていたので、彼女の気持ちがありがたかったためだった。最近相棒が施設に入ったので、ちびちゃんには「おじさんはまだ帰らないよ」と言いながらお食事を与えている。ちびちゃんはわたしの言葉を聞きながら「あ、そうなの」というかのように夢中で「お食事」をいつものように食べる。あの世にいけば猫だって会いたい飼い主に会えるかも。ずっとさきのことだけど、猫だってそれぐらい理解してくれる筈だ。そういえば死に水を愛する猫に取ってもらいたいと思っていた相棒は、今頃いつちびちゃんに会えるか、思っているかも知れない。ちびちゃんは相棒の猫だが、常に彼とチビチャンの相思相愛を眺めていたわたしは「わたしにも愛する猫が欲しい」と呟いているうちにある日突然、チビチャンとほぼ同じ白と薄い茶色の斑点のある猫が訪ねて来てわたしは精一杯のご馳走をした。かなり良いペットフードを揃えていたので、その猫は夢中で貪った。その次の日もその猫はやってきた。わたしはまた無理して揃えたエサを皿に盛ってあげた。彼女はペロリと食べた。次の日彼女はわたしに抱き着いてきた。まるで二晩で懐いた猫だった。それで名前を「ナツキ」とつけた。わたしの家の窓に毎日ナツキはやってきて、窓からスルリとカーペットに降りてきて、そのまま白い肢体を長く伸ばして眼を閉じる。本当に安らかな眠りを味わっているようで、爆睡の様子が凄いかわいい。ここに写真を載せたいがスキャナーがないので今は無理。いつか皆に見せたい。ナツキの爆睡は素晴らしく可愛い。だがちびちゃんとナツキ二匹の世話にはかなり無理があった。次回は猫の嫉妬について書く。
2018年09月16日 21:41

20180914金曜日

週刊新潮の9月6日号に掲載されていた『「綾瀬女子高生コンクリ詰め殺人」の元少年による「殺人未遂」で逮捕された』と題する記事を読んで、地獄は誰が造るのか?という疑問に苛まされた。この事件は1989年1月4日に起こっていた。事件を知る人すべてが、最悪で本当の地獄を見た少女とその親御さんの無念をどれほど理解しているのか、?疑問が起こる。誰でもこの種の記事は「気の毒に」「何とかならなかったのか?」と思うだけでそれ以上の言葉がない。驚くべきことに記事はその後その犯人グループの更生が完璧ではなく、再犯を犯させるような事態になっていたのを、伝えている。この事件は当時16歳だった女子高生Jさんが六名の男子によって監禁され、暴力を揮われ、衰弱して死んだ後、ドラム缶に入れられ、コンクリートで固められ、遺棄された事件である。ところがその少年たちの更生が「甘かった」のか「お座なり」だったのか「再犯を犯させない完璧なもの」であったのか、疑問であるという内容であった。彼らは揃って完璧な更生をなされずにシャバに出て、ものの見事に再犯を繰り返していた。つまり「更生未完」のまま出て来たということらしい。事件を起こした少年は懲役五年以上九年以下の不定期刑だったが、主犯格の男性は出所後ムエタイジムに通い、さらなる暴力の技を磨いたようだ。それが再犯へと繋がったのか不明。今年6月彼はパートナーと某アパートに移転したが、今年8月19日アパートの別棟の住人とトラブルを起こし、その住人を警棒で殴り、ナイフで首を刺した。医師は「後5ミリずれていたら、死んでいた」と告げた。被害男性は覚醒剤の常習者かと疑ったが、警察側は「そんなレベルではない。もっと大物だ」と述べたという。彼の過去を告げると「ぞっとして背筋が寒くなった」という。この世は本当に地獄を自然に、ほとんど黴菌が生のままばら撒かれたように作られるものらしい。この週刊新潮の記事を読んだら被害者の親御さんはどんな思いになることか、と真実空恐ろしい思いがする。いくら人間は未完成だとはいえ、殺人を犯した者をそのまま未完性の更生で外に出して平然としているのは、どういう神経なのか?この世は人間が地獄を作っていると、真実思わねばならない世の中になってきたようだ。どうか、未成年の犯罪を厳しく罰するべく多くの方々が少年法の改正に関心を抱いていただきたい。ここで思うのは犯人の親が重大な殺人事件を起こした息子に対し、まったく無力で家庭での再教育をしなかったと窺えることだ。子供が犯罪に手を染めたらそれは親子といえども、子の人格は別なのでそこまで責任を取れない、と胸を張っていうのなら、今後親になるなら、子の犯罪責任があると自覚する者しか、出産を認めないと法律を変えたらどうなのか?真実少年法の無力を、もっと拡大して大幅に世間に是非を問うことが必要だ。わたしが親なら、再犯を繰り返す前に自身で子を殺して始末し、世間に迷惑を掛けることはない。収監されている主犯格(警察が大物と称した男)が再度事件を犯さない程度に更生できないのであれば、一生「無料の宿」にお泊りいただき、死ぬまでお過ごしいただきたい。
 
2018年09月14日 11:11

20180907金曜日

今日は某老健に出かけました。それというのも知人が入居したと知らされていたから。ところが、その老健は入居者の面会になかなか厳しい規律があるようで単純に友人と述べても面会不可。聞いたところどこでもそうだというので、甘かったと痛感。帰りに焼け食いをしてしまいました。なにしろ自身も将来その種の施設に入るという想定の「計画」があったため、のっけから面会謝絶じゃ、自分は入居したら誰にも会えないのかと不安になってきた。老後のプログラムを描いていたわけではないが、かなり綿密に確りと描いてないと理想的な老後にならないかも、と。友人にそう話したら「えーっ、あそうなの?そこかなり良いと思っていたのに」と彼女も不安そう。二人の息子があっても将来は老健に入居しようと、ほとんど悲壮な覚悟をしている様子に愕然。これからどういう未来を描こうか、人生の終活の書き直しを迫られた感じ。
2018年09月07日 19:06

20180829水曜日

このところ諸般の事情でHPの更新ができなかった。友人の入院が今年に入ってから二回。一回目は三ヶ月、二回目は八月から始まってまだ退院のお知らせがない。脳梗塞の後遺症もあるらしいのだが、本人がかなり根性の帝王という性格で、入院中自身自身でリハビリを続け、見事歩けるまでになった。医師も驚いたほどの根性を見せたのだというのだから、驚く。根性のある人は病気に勝てるらしいが、この先どうなるか不明なので心配。毎日のごとく見舞っているが、未だに退院とならないようだ。この病院がすこぶる厳しい。お腹が空くというので色々と持参すると、まるで子供の玩具を取り上げる風にパンなどを掴んで食べさせない。喉が詰まると困るのは病院側ですから、というのだが、わたしはかなり怒り狂い、彼女の汚い手からパンを奪い返して、何か叫んだ。何を叫んだか覚えていない。あまり腹が立ったので、次回からは何も持参しないことにした。同室の患者に分け与えたことが問題らしいが、何も不衛生なことはしていないし、なおかつ不衛生に取り上げたのは看護婦の方だ、と眼を怒らせた。可哀相なのはパンを楽しみにしていた友人と同室の患者たち。ともあれ看護婦に見つからなければ良いのだと、注意することにした。まるで刑務所の看守のごとく見張っているため、無事彼らに食べさせることが出来るか不明。空腹に耐え切れない患者たちが可哀相。しかしどこでも真夏は怒りの場面が多いらしい。早く本格的な秋になって欲しい。
2018年08月29日 09:57

20180727金曜日

最近気になっていることがある。それは例えば都庁のトップである都知事小池百合子氏の写真の眼の部分に画鋲が刺さっていたことだ。あの行為は個人的な恨みかそれとも存在自体が不快なのか、どちらなのだろう?見ているとその画鋲を刺した人物の貧相な人生と中身のない脳の無様さだけが感じられる。その画鋲が自分の姿を映し出しているのを知らないのかも知れない。ただ画鋲を刺しただけだと本人は思っているかもしれないが、全くの会ったこともない他人が、その貧相な脳の中身と知性とはかけ離れた品性を、この人は無価値な人であり、他人から覗かれれば際限なく罵られる類の人物、と見られることをまだ判っていない。そのため気楽で居られるということだ。その当人よりも遥かに人格者の人物の写真の顔の眼に画鋲を刺すということが、あなたの貧相な現実を多くの人に知られてしまうことになる。よく理解して欲しい。自分に子供ができ、そういう人間になっても良いと思えるなら、画鋲を買い続け、際限なく同じことを続けてください。誰もあなたを尊敬しない。ただあなたの脳の貧相さを世界の人が眺めているだけだもっともそういう類のことしかできない人は、自分の姿を全く見えないだろう。もう一つ気になる事を書く。有名人や俳優女優などのサインを欲しがり行列を作ってまで手に入れる人びと。サインを書いている人たちは「こんなに人気が出て嬉しい」とは思うが、一方真面目で真剣に人生を歩いている人から見ると「何故ただのサインをこうまで並んで欲しがるのだ」と気になる筈。「サインを欲しがるのは全く教養のない行為」と言いたい。人生のうちでそれがどれほどの重要なのか不明だ。あの長蛇の列を作り、サインを欲しがる行為は、人生の中でそれほど無駄なことはない、と言いたい。そのような時間があるのであれば、サインを欲しがるその心理をもっと研究するべきではないか?サインを欲しがり、またサインを持っている人からそのサインを盗んだりする人がいる。それも貧相な人格のなせる業かもしれない。サインは何が重要なのか?将来それを売れるかもしれないと思って集めているのであれば、貧乏根性と言いたい。もっと自身の心身から重要な発想を生み出して欲しい。とはいえ全く皆「深いこと考えないで、なしてしまうこと」が多いのかも知れない。
 
2018年07月27日 21:37

20180716月曜日

最近思うのは結構便利で、能率的な暮らしに慣れて、本来身につけていた素直さや原始的な稚拙さ、生きて行く上で失うべきではない万物に対する謙虚さを失いかけているのではないか?正確に言えば文明や科学的未来型の暮らしに疑問を持たず、やや傲慢な怠惰さが時折顔をだしてしまうのではないのか?このまま地球が滅んだらどうする、という危機感もゼロ。なにしろこの猛暑はエアコンをつける習慣とは全く関係がないとは言えない。世界的な規模で、今から月一回か二回、エアコンを辞め、本来の肉体が与えられている能力だけで生きることを目指すべきではないのか?この暑さに冷房の効いたところに入れば、すぐそれに順応して身体は快適な温度を楽しむ。だが慣れてしまうことが果たして良いのか?これからの地球を真面目に考えてどこかで世界的に対策を講じた方が良くはないのか?老人たちは死んでしまう。誰か未来を変える画期的な運動が急務だと思う。そうは思えませんか?
 
2018年07月16日 18:37