高杜 一榮の世界

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プロフィール

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高杜 一榮(たかもりかずえ)
1961年文化学院美術科を卒業後、アテネフランセ仏語科高等科を修了。仏語圏商社並びに大使館などで秘書兼通訳を通算15年。1985年「土踏まずの日記」で光文社「宝石」の第八回エンタテインメント小説大賞を受賞。(審査員は西村京太郎氏、佐藤愛子氏、武蔵野次郎氏)1988年「笑い水の日記」光風社。1997年日本で初のパソコン絵画教室を開き、日本経済新聞に載る。1990年講談社「永子、大きく振りかぶれ」2008年慶応大学文学部入学、二年後法学部政治学科に転籍。政治学科を2011年に退学。2010年文藝春秋「カション、幕末を走る」2013年「蚕の旅 ナポレオン三世と家茂」など。電子本「上海刺青人形」「チュエンチュエンが消えた夜」「僕の水」「ヴァージンな男たち」を発売中「歴史街道」PHP出版に日仏外交に関する読み物「幕末・箱館戦争に参加したフランス人の物語」(1992年8月号)「フランスで名撃墜手と呼ばれた日本人」(2006年6月号)「グロ男爵と天津条約の椅子」(2003年3月号)
 菊池寛と父高木清の出会いと家族の交流を描いた「文豪の月」、ヘレン・ミーアーズが書いた「アメリカの鏡:日本」をマッカーサーに発禁本にされた経緯を描いた「マッカーサーの眼の中に」を猫乃電子出版にて販売中。
そのほかのプロフィール
菊池寛の小説の挿絵を描いた高木清の末の娘として1943年東京に生まれる。戦時中は一家そろって菊池邸に寄宿し、兄(三男)厚の名付け親は菊池寛であった。高杜一榮の本名一榮子は菊池寛が命名する希望があったが、その前の四男が生まれてすぐ死亡したので、命名を辞退し母親が姓名判断でつけた。菊池寛の命名好きは知られていた。一榮三歳の時、菊池寛が急逝し、毎年命日には母、兄たちと墓参りをするのが習慣であった。

父高木清 (1910ー1988)は、文豪菊池寛に出会い、挿絵画家としてデビューのチャンスを得た。新聞の連載小説の挿絵が好評となり人気挿絵画家となる。菊池寛の将棋の対戦相手としても重宝がられ親交を深めた。数々の将棋大会で優勝し、戦後文壇の将棋大会で優勝カップを獲得した。菊池寛の小説の挿絵のほか、林芙美子「女の部屋」(小樽新聞)、横溝正史(「魔が来たりて、笛を吹く」「八墓村」雑誌「宝石」)青柳淳郎「皇太子(現天皇陛下の青年時代の実録)」(東京タイムス)などの新聞と雑誌の小説の挿絵を手掛けた。そのほか丹羽文雄、高木彬光、佐藤紅緑、尾崎士郎、佐賀潜、島田一男、富島健雄、田村泰次郎などの新聞ならびに雑誌の小説の挿絵を担当した。
写真は父高木清、母高木ふみ。次兄雅章(新制作会員)