高杜 一榮の世界

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高杜 一榮の世界 ≫ 日本の近代化に貢献したフランス人たち

日本の近代化に貢献したフランス人たち

グロ男爵
日仏通商条約のため下田に寄港、幕府の対応の遅れのためかなり待たされ、
条約締結には米英露よりも時間がかかった。ワインの関税額はグロ男爵の提案で最初から14パーセントと決まった。
シャノワンヌ将軍
幕府の依頼で、ナポレオン三世の指名により、幕府の軍事改革のために顧問団の長として、
1867年に横浜港に到着。軍事規律、徴兵制度、軍事訓練、勲章制度などさまざまな兵法全般を指導し、
幕府軍の近代化を促進した。後の日清戦争後に、日本軍上陸を助けたため
明治政府よりブリュネと共にその貢献を叙勲された。
ベルクール公使
最初の駐日大使。1859年に江戸に到着、4年8ヶ月の滞在中にグロ男爵の敷いた友好的外交関係を引き継ぎ、
後に来日するロッシュ公使へと引き継いだ。
外国奉行側はまだ英米露仏などの国の違いが理解できていないことで苦労した。
ロッシュ公使
家茂ならびに慶喜との密談で、軍事顧問団招聘、パリ万博参加、横須賀製鉄所の設立などが決定した。
蝦夷を担保に借款の話が進行していたが、薩長側やイギリス側には、シーボルトやモンブランの暗躍で
機密が漏れ、万博の際のパリ外交が妨害され、幕府の崩壊を招いた。
ロッシュ公使の失脚も、英国側の妨害という説もある。
メルメ・カション
宣教師出身。琉球で自給自足の生活の中で日本語を覚え、布教活動をしながら次第に外交官への道を歩んだ。
カションはロッシュ公使の片腕と言われた。日本語を栗本鋤雲に指導され、勝海舟や西郷隆盛には「妖僧」「怪僧」
と呼ばれ疎まれたが、日本初のフランス語学校を設立するなど、多くの業績がある。日仏外交の陰の立役者である。
ヴェルニ
日本の近代化の基礎となった横須賀製鉄所の所長。
若干28歳にして数多くの日本人技術者を育てた。
製缶、鋳造などのあらゆる工業的技術がヴェルニによって進歩した。
現在の新幹線や航空機開発などは彼の手腕が元になっている。
ブリュネ
砲兵中尉としてシャノワンヌ大尉を助け、多くの幕府兵を指導し、後に函館戦争にも参加した。
後の日清戦争、日露戦争時にシャノワンヌ大尉とともに幕兵に助言し、その功により明治政府より叙勲された。
デュ・ブスケ
顧問団員として来日し、幕府瓦解の後は、日本女性と結婚し、明治政府のために尽力した。末裔がフランスと日本に
存在する。
ポワソナード
1873年来日し、司法省法学校(後の帝大)明治法律学校(後の明大)和仏法律学校(後の法政大)で
憲法と刑法の講義をした。在日年数20年以上におよび、日本の法律の近代化に貢献した。
彼の「日本国の法律は、貴国がフランスの法律をそのまま真似ることなく
フランスの法律から適切な項目のみを採用することを希望する」の言葉の中に
その法律指導の公平さと正統性がうかがえる。

参考文献:「陸軍創設史」篠原宏著、リブロポート
     「日仏交流の黄金期ー絹と光」クリスチャン・ポラック著
     「日本、中国、インド 」シャシロン著