高杜 一榮の世界

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ワインの関税を幕府に提案したグロ男爵

グロ男爵の日仏外交

グロ男爵
グロ男爵が日本に上陸したのは1858年。英国も同じ時期に来ているが、グロ男爵の上陸を阻止したのはなんと英国だった。上陸の際かなり苦労するが、幕府の悠長な対応に柔軟に辛抱強く構え、最終的に上陸が可能になった。そのグロ男爵に対応したのは日英通商条約など他国の通商条約を手掛けた岩瀬忠震であった。当時幕府はフランスを拒否していたが日本語を流暢に話す通弁官カションの裁量で、会議が順調に進んだ。男爵はワインを飲まない日本人を相手にして、関税14パーセントと主張し譲らず、決定させた。岩瀬が条約締結後、蟄居という憂き目に遭ったがフランス側は全く知ることはなかった。蟄居の理由は、グロ男爵が上陸の際に絢爛豪華な椅子に乗り、その椅子を日本人に担がせたこと。岩瀬が「それはお断りする」と述べたにも関わらず、強引に押し切ったのは男爵とカションであった。だが岩瀬は仏外交官のみならず、英国オランダロシアなどの外交官には「岩瀬は日本人の外交官にしては、非常に国際的で親しみやすくとても楽しい人であった」と評判が良かった。だが幕府は条約締結後、岩瀬を蟄居させた。幕府側がグロ男爵の行列を拒否したのは、異人に対して弱気な姿勢であると印象付ける危険性を回避するためであった。岩瀬は蟄居後に国を憂うる詩を遺し、死亡した。周囲は憤死と判断した。岩瀬の墓は現在豊島区の雑司ヶ谷墓地にある。幕府の近代化に貢献した人物の一人であり、日本の外交官では当時としては珍しく素晴らしき国際人であった。