高杜 一榮の世界

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モノローグ

20170102月曜日

あけましておめでとうございます。今年が良い年になるようにお祈りいたしましょう。ところで昨年からテレビをざっと見てみると、まずグルメに関する番組が多いこと。また大食い競争などというある意味大衆的過ぎる番組も結構あり、何だか日本が貧しい国に見えてしまう。これは個人的意見なのでどうでも良い。一方政治に関することも解説つきで説明する番組も多くなってきた。皆知識を多く持ちたい人が多いのかもしれない。それが原因ではないかと思うが、少しづつ日本人が変化してきているような気がする。劇的に変化する世相、過激に走る一部の狂信的主義者、そのような変化に追いつけない人々はただただ皮肉な眼で見ているだけ。そして意見があっても憎まれたくないので黙っている。そういう人も多い。日本人が変わって来たのは数多くの外国人の流入のため、我慢を強いられることが多くなったことも在ると思う人もいる。また外国からの善悪関係なく様々な情報に慣れて、向上する気がないようにも見えた。気になるのは世界で注目され「日本は素晴らしい国だ」という結論がシャワーのようにばら撒かれている。それは良いが本当に素晴らしいのか?本当に現状維持で良いのか疑問がある。何故ならかなり楽観できる面もあるが、すべて後に続く若い世代へのバトンタッチがうまくいっていない印象がある。それが心残り。勝手な思いだがこれさえクリアできれば日本は素晴らしい発展をまた新たに続けられるだろう。
2017年01月02日 10:41 |コメント|

20161229木曜日

今ヘンリー・S・ストークスの「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」祥伝社刊を読んでいる。ストークス氏が伝えたいのは日本人自体が一部の欧米人のプロパガンダをまともに信じ「日本人の戦争は正義ではなかった」と認識しているという現実があるという。これは真に嘆かわしい。そのために彼はこの本を著したというのである。ストークス氏曰く「南京大虐殺」も「従軍慰安婦」も悪意で広まった「プロパガンダである」という。彼が強調するのは「まだ連合国がでっちあげた「戦勝国」史観の呪いから抜け出ていないこと。「第一次世界大戦の後の国際会議で日本は人種差別撤廃を主張したがその際反対したのはイギリス、アメリカ他数ヶ国だった。なかでも人種差別廃止についてアメリカのウイルソン大統領は十一対五 の 可決で反対派に回ったという。本の内容は今まで知る人ぞ知るという類の面を持つ情報が書かれている。この種の本が最近多くなった。つまり「日本人よ、目を醒ませ!もう騙されるな!」ということだ。ある意味ヘレン・ミアーズ氏の書いていたことと共通している。戦後70年にもなるとようやく本音と真実がばらされることになるらしい。良い傾向だ。そのうち原爆を落としたが正直悪かったと思っていると自白してくれるアメリカ人が出てくるかもと期待しているが、無理だろう。ともあれしつこく言うが、原爆を落とさねばならないほど日本が怖かったのだ。
 
ところで夜中の二時半に目が覚め、テレビを観ていたらお小遣いは何に使うかと街角アンケートを取っていた。後は、プロレスに嵌ってしまい、観るだけではなく自分もプロレスのジムに通い練習をしている女子がいるという。そういう女子を「プ女子」というのだそうだ。この種のドキュメント報道としてはなかなか迫力がある。身体を飛ばして相手に覆い被さり、ねじ伏せるという技を練習していた。中々充実した趣味のようだ。あと数十年若ければ、道場に通ったに違いない。実際大塚には道場が駅のそばにあり、通りかかる度に羨ましげに、眺めていたこともあった。どういうわけか勇ましく生きることを目指しているらしい。百歳になってからボクシングを始めるなんていうのも格好良いかも。
 
2016年12月29日 06:05 |コメント|

20161226月曜日

今年は物凄く印象の濃い出来事ばかり起きていた。その中でより濃いのはSMAP解散かも知れない。自身はグループのファンではないが、グループの中の草彅剛のファンであったために、草彅剛の字の「彅」を自分のパソコンに入れているぐらい。彼の出ている映画やドラマはすべて観ている。ある時友にファンだと伝えたら「やっぱりね、草彅剛にあなたの旦那さん似ているもの」と言われた。たしかに顔で選んだ夫であったけれど、五十になる寸前ぐらいで、亡くなった。亡くなった後で判ったことだが、彼が結婚後も結構もてていたということ。それに彼がわたしを育ててくれたことも。良く考えると彼の良さが死後判った。彼は結婚当初「俺は生命保険を掛けない。だからお前は俺が死んだら、その足で一人で頑張って歩いて行け」その言葉は過酷な宣告だったと言われそうだがわたしは、あの言葉が唯一の遺産だと思っている。彼は企業戦士というほどの過酷な毎日だったためもあり身体を酷使していた。そのための早死に。だが今となっては色々有りすぎ、彼が早世したことは彼のためには良かったのかもしれないと思えた。生きていたらもっと辛いことも起きたはずだ。正月が来るが、彼のことを考えてこれからも彼の分も働こうと思う。日々彼がそばにいると思って仕事に頑張ることは彼への感謝にもなるはず。そういえば日常の瑣末なことで亡くなった人を思い出すこともなかった。これからは亡き人々を毎日思い出すことも必要だと思うようになった。
2016年12月26日 10:50 |コメント|

20161225日曜日

週刊新潮に「日本軍は勝った」と題する高山正之氏の「変見自在」が載っていた。内容は日本が負けたことになっているが、実際は日本軍は勝っていたと判断しざるを得ないのだという。原爆投下は正しかったというアメリカの本「日本を叩き潰す」が発行され五十万部も売れているというではないか、驚き。つまりアメリカは原爆を落としても、まだまだ日本に対する胸の一物が燻っているようだ。彼ら白人はまだ黄色人種と闘ったが、胸の痞(つか)えが下りず残っていると言いたいようだ。戦争はまだ終わっていない。彼らはこう思っている、あれほど武器も軍隊も備えて、完璧に勝利を信じられるほど装備していたにも拘わらず、日本にコテンパンにやられた、それが悔しいだけ。負けた証拠は原爆を落としたことだ。原爆を使わなければ日本を落とせなかったために勝利感が低い。一個落としてすっきりしたか、といえばそうではなかった。「原爆二個で足りなかった」と恐ろしいことを思っていることが最近判った。というのはニューハンプシャー州のニック・ラパッサーが発言していたと高山氏が書いている。どういう民族なのか、日本人は彼らに騙されていたとしか言えない。白色人種たちは、どうやら持っていた植民地を日本によって手放すことになり、莫大な損失を被った。中でも植民地を失って貧乏国になった英国は日本をすこぶる憎んでいるという。米国が日本叩きをやり続けているのはそうした背景が絡んでいると判断できる。負けたことになっている日本が、なしたことが世界から評価されているので頭に来ている。植民地を解放されて喜んでいるアジア諸国。その上日本や日本の政治家が悪評叩かれても動じないので、それだけでも、彼らの悔しさが増すようだ。

先頃産経にロシアのアルコール含有の入浴剤を飲んで死亡する事件が多くなっていると言う記事が載っていた。原因は酒税の引き上げでまともな酒を飲めず代用酒を飲み2014年だけでアルコール中毒の患者が1万5400人に上ったという。代用酒は入浴剤で、酒としてはかなり毒素が強い。それを承知で飲むほど酒に飢えていたというのだが、悲惨だ。なぜそれほどまでして代用酒を飲んでしまうかと言えば、寒い国なので滅多矢鱈と寒さ対策に常に飲む習慣があるらしい。酒に強いのでそういう代用酒でも飲んでしまうのだろうが、その代用酒で死んだ人は54名にもなるという。恐ろしいほどの死者が出てしまった。アルコールのことでは自身もエピソードのいくつかはある。大使館勤務の頃ほぼ一週間ほとんど毎日レセプションがあり、そこにはウイスキーやワイン、シャンパンが並んでいた。毎回出席する度に飲んでいて、千鳥足で家に帰ることになった。なおかつ大使館で酒を輸入する手続きを命じられ、秘書のわたしもプライベートで自身の分も輸入するはめになった。ワンルームマンションの壁にびっしり外国の酒ナポレオンやシーバスリーガルなどがカートンごと、積み上げられて毎日飲む癖がついた。毎夜ヨレヨレになって、夫が帰って来るのを迎えることになってしまった。ある日気がついた。このままいけばアル中になる。それでピタッと飲むのを止めた。それから数十年後にまた飲み始め、再度「これではいけない!」と気付き止めた。それも日本酒お猪口一杯またはビールグラス半分だけ。それでも毎日続ければロクなことにならないと自己判断した。それでピタッと飲むのを止め、それきり飲んではいない。最近友に「断酒した」と話したら「どの程度飲んでいたの?」と聞かれ「日本酒お猪口に一杯ビールをグラスに半分」と言ったらゲラゲラ笑われた。それは断酒に入らない、とか。確かにその通りだがわたしには断酒の部類と思っている。今度はプチ断酒したと言うことにしよう。クリスマスや正月が来ると酒を飲む機会が増える。だがプチ断酒のわたしは皆が飲むのを眺めるだけ。本当の飲んべいではない。母は結構酒を飲んでいたが、十六のわたしに飲めと言い飲まされ、ビールは苦かった。依存症にならなかったのは、酒に弱かったせいだ。お猪口一杯またはビールグラスに一杯だけで顔が赤くなる。酒に弱いのでいろいろと助かっている。何故なら酒を飲むと翌日仕事にならないから。
2016年12月25日 17:36 |コメント|

20161221水曜日

平成の21年に広島県の山中で女子大生が遺体で見つかった。ところがその遺体発見の二日後に会社員の男性の乗用車が遺体発見現場の周辺を走行していたのが判明した。この会社員(遺体発見後事故死している)の男性がどうやら犯人らしいと広島と島根の合同捜査本部は判断し、男のデジタルカメラを調べてみると驚くべき画像を発見した。女子大生が死亡した時間より少し前に撮影されていると思しき写真。それも男の室内で撮影されたとみられる画像。なおかつ既に今年の段階で男は不審人物として捜査上に浮上していた。ところが男は21年の11月8日山口県の中国自動車道で運転中に、ガードレールに衝突し、母親と共に死亡していた、ブレーキ痕もスリップ痕もなかった。つまり容疑者として逮捕される寸前に男は捜査が自分の身辺に接近しているのを察知し、母親と話し合った末に心中したと窺える。この身勝手な親子は許せない。何故犯人は自分ですと自首しなかったのか?何故殺した相手に対する当然の謝罪の言葉も遺さず死を決意したのか?自分だけ始末つけたかったが、母親も一緒にあの世に逝ってくれるというので心中を決意したのか?それで人間としてきちんと「始末つけた」と思っているのか?こういう身勝手な非礼な人をどう表現したら良いのか知らない。これは単なる殺人ではなく、無責任な犯罪者の二重の犯罪としか言いようもない。もしその男の母親であったとしたら、どうするか、と考えた。普通人なら「息子を警察に出頭させ、自らもにも責任がなかったかどうか充分反省する」のが並の対処の仕方かもしれない。そのような自己中心そのものの終わり方を選んだ深層を見ると「犯罪を隠蔽するのも個人の自由」という神経を持っていたのだろう。犯罪は憎むべきものだが、人生の終わり方の選択も隠蔽体質の要素を持ち、被害者に対する非礼しかない。理由は保身だけなのか?それとも恥の上塗りは好まないだけか?とにかく犯した犯罪を反省してもおらず、また被害者に何の言葉もないのは犯罪の上にまた犯罪を重ねただけではないのか?許せないのは被害者の遺族に対して何の言葉も遺していないということ。それだけは、いかに辛くても遺すべきではなかったか?生きて「のうのうとそ知らぬふりで」同じ犯罪を繰り返さない決意だけは認めても良い。
2016年12月21日 14:32 |コメント|

20161217土曜日特別版

今日の産経に女子大生死傷事件の記事が載っていた。それによれば被害者が「殺されるかもしれない」と打ち明けていたにも拘わらず、警察側は「被害者から殺されるかも知れない、とは聞いていない」と述べ被害者の証言を否認していたという。いわゆる隠蔽体質はどこにでもあるが普通の会社なら命に関わることはない。だが警察は命に関わる危険性がある事件そのものを感じる体質が劣化したのか、最近は事件が起こってしまってからようやく隠蔽体質が露見する。これは今に始まったことではないようだ。ところでこのストーカー被害者を警察に届ける前に必ず録音機を持参で行くべきであると言いたい。後に事件が起こってしまった後警察に隠蔽をさせないためもあり、証拠の録音を残すために是非録音機を密かに持参し、届けた時点の証拠を記録すべきではないか、と思う。警察は万能ではないし、予知能力もない、なおかつ反省能力も劣化している可能性がある。であれば、国民はすべて警察に任せたり、頼ったりする前に事前にあらゆる面で装備すべきな時代に入ったのかも知れない。ところで被害者には過酷な提言だが、ストーカー被害に遭う危険性を感じる前に、自衛する能力を身につけるべきではないか、と思う。合気道でも、柔道でもボクシングでも何でも良い。とにかく他人任せの防衛ではなく、自分を鍛えておかないと、どんなことがあっても良いように、力を蓄えるべきではないか、と思う。
2016年12月17日 10:43 |コメント|

20161217土曜日

先日産経に、ある殺人事件の被害者が絶対死刑すべきだ、と載っていた。それを読みもし自分の娘がいたと仮定して、幼くして誘拐され殺されたと想像して見た。その犯人の死刑を望むだろうか、と自問した。だが、自分の幼き娘が殺されて、犯人の死刑を望めば、それは復讐だけでしかない。法律として重要なのは、その犯罪者が生きて人生を終わるまで犯罪に手を染めない人間に生まれ変わること。本来の判決の目的は、それ以外のなにものでもない。言ってみれば死刑を望むのは、相手を殺害したいという意志の表れであり、純粋な復讐になる。死刑を認めないわけでもなく、死刑に賛成するわけではない。ある犯罪について何がなんでも死刑と主張するのは、復讐であり、それは法的には犯罪の一部に成り代わる。犯人への死刑の希望はすでに復讐という犯罪になる。そうとしか思えない。犯人への憎しみを、もっと健康的に育てるのは法律の責任でもあり、また法律には、犯罪者被害者双方の教育が必要ということになる。だがこの意見は犯罪被害者側には残酷で無慈悲かもしれない。この世はまだ犯罪被害者の立場にはまだ適切な判決が適用されていない。死刑が存在しても被害者の感情を慰撫し完璧に被害者が納得する判決がない発展途上の法律ともいえる。そのうち被害者が再生でき納得する完璧な判決が出てくる時代がありえるのではないだろうか。しかし、犯罪者被害者双方が納得する判決というものがあるのだろうか?もしあるとすれば、認めたくはないが、それは宗教が媒介するものかも知れない。
 
2016年12月17日 02:26 |コメント|

20161213火曜日

韓国の大統領の事件があってから、韓国の話題が多くなっているが、最近思い出したことがある。韓国語を個人教授して貰っていた数十年前のことだが、その先生が韓国人と日本人の違いを話してくれた。「韓国ではね、金持ちや高い地位にある人ほどそっくり返っていて、日本人とは全く違うのよ」と言われた。少しでも高い地位にある人は、丁寧に挨拶などはせず相手との差を明らかに示したがるというのだ。「日本には、実るほど頭を垂れる稲穂かな、という言葉があるでしょう?頭脳が優れている人ほど頭を下げることに抵抗しない、と聞いていますよ」と告げられた。確かに高学歴や社会的地位の高い人で、腰の低い日本人が確かに多い。これで何をどう判断するべきなのか、は不明だが単純に言えることは物事の落着は引いて静観できる人間が多い少ないの差が及ぼすといえる。つまり謙譲の美徳や相手を尊重する人々が多ければ物事は複雑に捩れないと思える。何故韓国で現在騒動が起きているのか?それはこの「実るほど頭を垂れる」慣習がない点にこの騒動の核心があるのではないだろうか?物事はそう簡単に判断はできないが、日本の人間関係の美意識も参考にしてもらえたら、と願うことは僭越でしょうか?
 
ところで年賀状を書く時期になると、思うのだが最近印刷ばかりの年賀状が多くなった。宛名の部分もプリントで、手書きの部分がひとつもないという年賀状も多い。あれは意味の深い年賀状というよりもむしろ中身が空白のギフトと同じではないのか?忙しいなら書かなければまし、と思うが自身も同じことにやり兼ねないので非難できない。年賀状は意味の深い慣習だから、無意味にならないように気をつけたい。
2016年12月13日 10:13 |コメント|

20161209金曜日

朝血圧を計ったら、111とか出ておかしいと思い、やり直したら174になり、突如として高くなった。あまりにもおかしいので血圧計のせいだと思い、記録するのをやめた。人間の行為は時にはおかしいことばかりの連続。わたし時に不思議な体験ばかりする。ところで最近近所の女性が「もうこんなに長生きしちゃってイヤ、もう早く死にたい」とかなり贅沢な悩みを口走る。それも毎朝出逢う度に口走る。彼女の言葉に慣れているのだが、それを聞く度に自身もいつかこうなると思い、暗澹たる思い。もしそうなったらこう言おうと、思い考えた。「昔長生きしちゃってもうイヤっ、と言っていた老女がいたけど同じ年になってみると、イヤというよりも、まだ生きていて良いのかどうか、気になる。お邪魔ではありませんか?」と言うかも知れない。すると相手は「そんなええ格好しいのこと言って、お邪魔承知で生きているんでしょ?」と言いそう。図星。ところで、最近気になるのがテレビのドラマ。単純に恐怖や不安をもたらすドラマが比較的多いのはどうなのか?もっと明るく元気になるドラマってないのか?もしかしたら視聴者はマゾの傾向があるのか?そうかも知れない。怖いこと不安なことを嫌いなくせにそういう物を見たがる傾向があるのは、深層に相当地獄を味わいたいとの欲求が潜んでいるのかも。わたしはそういう類のドラマが嫌いなので、ひたすらホラー物を敬遠している。更にホラだけは吹かないようにしている
2016年12月09日 10:38 |コメント|

20161203土曜日

最近あるところでタブレットなるものをただでくれたのは、良いけれど使い方が判らなくて何回も尋ねて時間の無駄を重ねている。こういう文明の利器という得体のしれないものを渡されてそのまま貰ってくるのは本当に愚か。だがこういうどうでもいいことに抵抗してもしょうがないので受身になったままタブレットを持って街の中を呆然と徘徊するしかなくなりそうであった。とにかくボーっと生きているのが身上であったのだが、ボーッとしているとろくな事にはならないことにようやく気付いた。

ところで五輪の費用について森健氏が産経に載せていた記事が面白かった。東京五輪費用と題する彼の調査では、五輪のとてつもない金額が浮上した最大の原因は一に責任を持つポストが不在であること。第二に「職員の昔ながらの体質」第三に主体が特殊法人だが、その実体はAMAKUDARIにポストを与えていた団体そのものだそうだ。そしてその全体を動かしているのは想像にお任せします、という空気だけ。「想像してください」と最後は結ばれていた。日本ってどういう国なのか?果たして日本人は清く正しいのか、どうなのか?不思議の国と言われ続けているがその形容詞に摩訶が付くのかどうか?摩訶不思議国?AMAKUDARIとは英語で形容すれば
appointed upon recommendation of high quartersということになるらしい。日本にはこれらの種類が莫大にいると聞いた。 昔これに憤慨し、撲滅運動をしたいと思っていたけど、どうもその野心も掻き消え今日に至っている。しかし職員の体質というのは、理解できる。彼らは普通のサラリーマンのように雨嵐にもめげずに初心を忘れず突き進む情熱をまったくもったことのない人種だと思えていたから、ありえる話だが、小池都知事にその御殿の清掃はお気の毒と言いたい。理由は、清掃は一人ではできないから。どこでも清掃は一人ではやれないことになっている。
2016年12月03日 15:02 |コメント|