高杜 一榮の世界

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モノローグ

20161225日曜日

週刊新潮に「日本軍は勝った」と題する高山正之氏の「変見自在」が載っていた。内容は日本が負けたことになっているが、実際は日本軍は勝っていたと判断しざるを得ないのだという。原爆投下は正しかったというアメリカの本「日本を叩き潰す」が発行され五十万部も売れているというではないか、驚き。つまりアメリカは原爆を落としても、まだまだ日本に対する胸の一物が燻っているようだ。彼ら白人はまだ黄色人種と闘ったが、胸の痞(つか)えが下りず残っていると言いたいようだ。戦争はまだ終わっていない。彼らはこう思っている、あれほど武器も軍隊も備えて、完璧に勝利を信じられるほど装備していたにも拘わらず、日本にコテンパンにやられた、それが悔しいだけ。負けた証拠は原爆を落としたことだ。原爆を使わなければ日本を落とせなかったために勝利感が低い。一個落としてすっきりしたか、といえばそうではなかった。「原爆二個で足りなかった」と恐ろしいことを思っていることが最近判った。というのはニューハンプシャー州のニック・ラパッサーが発言していたと高山氏が書いている。どういう民族なのか、日本人は彼らに騙されていたとしか言えない。白色人種たちは、どうやら持っていた植民地を日本によって手放すことになり、莫大な損失を被った。中でも植民地を失って貧乏国になった英国は日本をすこぶる憎んでいるという。米国が日本叩きをやり続けているのはそうした背景が絡んでいると判断できる。負けたことになっている日本が、なしたことが世界から評価されているので頭に来ている。植民地を解放されて喜んでいるアジア諸国。その上日本や日本の政治家が悪評叩かれても動じないので、それだけでも、彼らの悔しさが増すようだ。

先頃産経にロシアのアルコール含有の入浴剤を飲んで死亡する事件が多くなっていると言う記事が載っていた。原因は酒税の引き上げでまともな酒を飲めず代用酒を飲み2014年だけでアルコール中毒の患者が1万5400人に上ったという。代用酒は入浴剤で、酒としてはかなり毒素が強い。それを承知で飲むほど酒に飢えていたというのだが、悲惨だ。なぜそれほどまでして代用酒を飲んでしまうかと言えば、寒い国なので滅多矢鱈と寒さ対策に常に飲む習慣があるらしい。酒に強いのでそういう代用酒でも飲んでしまうのだろうが、その代用酒で死んだ人は54名にもなるという。恐ろしいほどの死者が出てしまった。アルコールのことでは自身もエピソードのいくつかはある。大使館勤務の頃ほぼ一週間ほとんど毎日レセプションがあり、そこにはウイスキーやワイン、シャンパンが並んでいた。毎回出席する度に飲んでいて、千鳥足で家に帰ることになった。なおかつ大使館で酒を輸入する手続きを命じられ、秘書のわたしもプライベートで自身の分も輸入するはめになった。ワンルームマンションの壁にびっしり外国の酒ナポレオンやシーバスリーガルなどがカートンごと、積み上げられて毎日飲む癖がついた。毎夜ヨレヨレになって、夫が帰って来るのを迎えることになってしまった。ある日気がついた。このままいけばアル中になる。それでピタッと飲むのを止めた。それから数十年後にまた飲み始め、再度「これではいけない!」と気付き止めた。それも日本酒お猪口一杯またはビールグラス半分だけ。それでも毎日続ければロクなことにならないと自己判断した。それでピタッと飲むのを止め、それきり飲んではいない。最近友に「断酒した」と話したら「どの程度飲んでいたの?」と聞かれ「日本酒お猪口に一杯ビールをグラスに半分」と言ったらゲラゲラ笑われた。それは断酒に入らない、とか。確かにその通りだがわたしには断酒の部類と思っている。今度はプチ断酒したと言うことにしよう。クリスマスや正月が来ると酒を飲む機会が増える。だがプチ断酒のわたしは皆が飲むのを眺めるだけ。本当の飲んべいではない。母は結構酒を飲んでいたが、十六のわたしに飲めと言い飲まされ、ビールは苦かった。依存症にならなかったのは、酒に弱かったせいだ。お猪口一杯またはビールグラスに一杯だけで顔が赤くなる。酒に弱いのでいろいろと助かっている。何故なら酒を飲むと翌日仕事にならないから。
2016年12月25日 17:36 |コメント|

20161221水曜日

平成の21年に広島県の山中で女子大生が遺体で見つかった。ところがその遺体発見の二日後に会社員の男性の乗用車が遺体発見現場の周辺を走行していたのが判明した。この会社員(遺体発見後事故死している)の男性がどうやら犯人らしいと広島と島根の合同捜査本部は判断し、男のデジタルカメラを調べてみると驚くべき画像を発見した。女子大生が死亡した時間より少し前に撮影されていると思しき写真。それも男の室内で撮影されたとみられる画像。なおかつ既に今年の段階で男は不審人物として捜査上に浮上していた。ところが男は21年の11月8日山口県の中国自動車道で運転中に、ガードレールに衝突し、母親と共に死亡していた、ブレーキ痕もスリップ痕もなかった。つまり容疑者として逮捕される寸前に男は捜査が自分の身辺に接近しているのを察知し、母親と話し合った末に心中したと窺える。この身勝手な親子は許せない。何故犯人は自分ですと自首しなかったのか?何故殺した相手に対する当然の謝罪の言葉も遺さず死を決意したのか?自分だけ始末つけたかったが、母親も一緒にあの世に逝ってくれるというので心中を決意したのか?それで人間としてきちんと「始末つけた」と思っているのか?こういう身勝手な非礼な人をどう表現したら良いのか知らない。これは単なる殺人ではなく、無責任な犯罪者の二重の犯罪としか言いようもない。もしその男の母親であったとしたら、どうするか、と考えた。普通人なら「息子を警察に出頭させ、自らもにも責任がなかったかどうか充分反省する」のが並の対処の仕方かもしれない。そのような自己中心そのものの終わり方を選んだ深層を見ると「犯罪を隠蔽するのも個人の自由」という神経を持っていたのだろう。犯罪は憎むべきものだが、人生の終わり方の選択も隠蔽体質の要素を持ち、被害者に対する非礼しかない。理由は保身だけなのか?それとも恥の上塗りは好まないだけか?とにかく犯した犯罪を反省してもおらず、また被害者に何の言葉もないのは犯罪の上にまた犯罪を重ねただけではないのか?許せないのは被害者の遺族に対して何の言葉も遺していないということ。それだけは、いかに辛くても遺すべきではなかったか?生きて「のうのうとそ知らぬふりで」同じ犯罪を繰り返さない決意だけは認めても良い。
2016年12月21日 14:32 |コメント|

20161217土曜日特別版

今日の産経に女子大生死傷事件の記事が載っていた。それによれば被害者が「殺されるかもしれない」と打ち明けていたにも拘わらず、警察側は「被害者から殺されるかも知れない、とは聞いていない」と述べ被害者の証言を否認していたという。いわゆる隠蔽体質はどこにでもあるが普通の会社なら命に関わることはない。だが警察は命に関わる危険性がある事件そのものを感じる体質が劣化したのか、最近は事件が起こってしまってからようやく隠蔽体質が露見する。これは今に始まったことではないようだ。ところでこのストーカー被害者を警察に届ける前に必ず録音機を持参で行くべきであると言いたい。後に事件が起こってしまった後警察に隠蔽をさせないためもあり、証拠の録音を残すために是非録音機を密かに持参し、届けた時点の証拠を記録すべきではないか、と思う。警察は万能ではないし、予知能力もない、なおかつ反省能力も劣化している可能性がある。であれば、国民はすべて警察に任せたり、頼ったりする前に事前にあらゆる面で装備すべきな時代に入ったのかも知れない。ところで被害者には過酷な提言だが、ストーカー被害に遭う危険性を感じる前に、自衛する能力を身につけるべきではないか、と思う。合気道でも、柔道でもボクシングでも何でも良い。とにかく他人任せの防衛ではなく、自分を鍛えておかないと、どんなことがあっても良いように、力を蓄えるべきではないか、と思う。
2016年12月17日 10:43 |コメント|

20161217土曜日

先日産経に、ある殺人事件の被害者が絶対死刑すべきだ、と載っていた。それを読みもし自分の娘がいたと仮定して、幼くして誘拐され殺されたと想像して見た。その犯人の死刑を望むだろうか、と自問した。だが、自分の幼き娘が殺されて、犯人の死刑を望めば、それは復讐だけでしかない。法律として重要なのは、その犯罪者が生きて人生を終わるまで犯罪に手を染めない人間に生まれ変わること。本来の判決の目的は、それ以外のなにものでもない。言ってみれば死刑を望むのは、相手を殺害したいという意志の表れであり、純粋な復讐になる。死刑を認めないわけでもなく、死刑に賛成するわけではない。ある犯罪について何がなんでも死刑と主張するのは、復讐であり、それは法的には犯罪の一部に成り代わる。犯人への死刑の希望はすでに復讐という犯罪になる。そうとしか思えない。犯人への憎しみを、もっと健康的に育てるのは法律の責任でもあり、また法律には、犯罪者被害者双方の教育が必要ということになる。だがこの意見は犯罪被害者側には残酷で無慈悲かもしれない。この世はまだ犯罪被害者の立場にはまだ適切な判決が適用されていない。死刑が存在しても被害者の感情を慰撫し完璧に被害者が納得する判決がない発展途上の法律ともいえる。そのうち被害者が再生でき納得する完璧な判決が出てくる時代がありえるのではないだろうか。しかし、犯罪者被害者双方が納得する判決というものがあるのだろうか?もしあるとすれば、認めたくはないが、それは宗教が媒介するものかも知れない。
 
2016年12月17日 02:26 |コメント|

20161213火曜日

韓国の大統領の事件があってから、韓国の話題が多くなっているが、最近思い出したことがある。韓国語を個人教授して貰っていた数十年前のことだが、その先生が韓国人と日本人の違いを話してくれた。「韓国ではね、金持ちや高い地位にある人ほどそっくり返っていて、日本人とは全く違うのよ」と言われた。少しでも高い地位にある人は、丁寧に挨拶などはせず相手との差を明らかに示したがるというのだ。「日本には、実るほど頭を垂れる稲穂かな、という言葉があるでしょう?頭脳が優れている人ほど頭を下げることに抵抗しない、と聞いていますよ」と告げられた。確かに高学歴や社会的地位の高い人で、腰の低い日本人が確かに多い。これで何をどう判断するべきなのか、は不明だが単純に言えることは物事の落着は引いて静観できる人間が多い少ないの差が及ぼすといえる。つまり謙譲の美徳や相手を尊重する人々が多ければ物事は複雑に捩れないと思える。何故韓国で現在騒動が起きているのか?それはこの「実るほど頭を垂れる」慣習がない点にこの騒動の核心があるのではないだろうか?物事はそう簡単に判断はできないが、日本の人間関係の美意識も参考にしてもらえたら、と願うことは僭越でしょうか?
 
ところで年賀状を書く時期になると、思うのだが最近印刷ばかりの年賀状が多くなった。宛名の部分もプリントで、手書きの部分がひとつもないという年賀状も多い。あれは意味の深い年賀状というよりもむしろ中身が空白のギフトと同じではないのか?忙しいなら書かなければまし、と思うが自身も同じことにやり兼ねないので非難できない。年賀状は意味の深い慣習だから、無意味にならないように気をつけたい。
2016年12月13日 10:13 |コメント|

20161209金曜日

朝血圧を計ったら、111とか出ておかしいと思い、やり直したら174になり、突如として高くなった。あまりにもおかしいので血圧計のせいだと思い、記録するのをやめた。人間の行為は時にはおかしいことばかりの連続。わたし時に不思議な体験ばかりする。ところで最近近所の女性が「もうこんなに長生きしちゃってイヤ、もう早く死にたい」とかなり贅沢な悩みを口走る。それも毎朝出逢う度に口走る。彼女の言葉に慣れているのだが、それを聞く度に自身もいつかこうなると思い、暗澹たる思い。もしそうなったらこう言おうと、思い考えた。「昔長生きしちゃってもうイヤっ、と言っていた老女がいたけど同じ年になってみると、イヤというよりも、まだ生きていて良いのかどうか、気になる。お邪魔ではありませんか?」と言うかも知れない。すると相手は「そんなええ格好しいのこと言って、お邪魔承知で生きているんでしょ?」と言いそう。図星。ところで、最近気になるのがテレビのドラマ。単純に恐怖や不安をもたらすドラマが比較的多いのはどうなのか?もっと明るく元気になるドラマってないのか?もしかしたら視聴者はマゾの傾向があるのか?そうかも知れない。怖いこと不安なことを嫌いなくせにそういう物を見たがる傾向があるのは、深層に相当地獄を味わいたいとの欲求が潜んでいるのかも。わたしはそういう類のドラマが嫌いなので、ひたすらホラー物を敬遠している。更にホラだけは吹かないようにしている
2016年12月09日 10:38 |コメント|

20161203土曜日

最近あるところでタブレットなるものをただでくれたのは、良いけれど使い方が判らなくて何回も尋ねて時間の無駄を重ねている。こういう文明の利器という得体のしれないものを渡されてそのまま貰ってくるのは本当に愚か。だがこういうどうでもいいことに抵抗してもしょうがないので受身になったままタブレットを持って街の中を呆然と徘徊するしかなくなりそうであった。とにかくボーっと生きているのが身上であったのだが、ボーッとしているとろくな事にはならないことにようやく気付いた。

ところで五輪の費用について森健氏が産経に載せていた記事が面白かった。東京五輪費用と題する彼の調査では、五輪のとてつもない金額が浮上した最大の原因は一に責任を持つポストが不在であること。第二に「職員の昔ながらの体質」第三に主体が特殊法人だが、その実体はAMAKUDARIにポストを与えていた団体そのものだそうだ。そしてその全体を動かしているのは想像にお任せします、という空気だけ。「想像してください」と最後は結ばれていた。日本ってどういう国なのか?果たして日本人は清く正しいのか、どうなのか?不思議の国と言われ続けているがその形容詞に摩訶が付くのかどうか?摩訶不思議国?AMAKUDARIとは英語で形容すれば
appointed upon recommendation of high quartersということになるらしい。日本にはこれらの種類が莫大にいると聞いた。 昔これに憤慨し、撲滅運動をしたいと思っていたけど、どうもその野心も掻き消え今日に至っている。しかし職員の体質というのは、理解できる。彼らは普通のサラリーマンのように雨嵐にもめげずに初心を忘れず突き進む情熱をまったくもったことのない人種だと思えていたから、ありえる話だが、小池都知事にその御殿の清掃はお気の毒と言いたい。理由は、清掃は一人ではできないから。どこでも清掃は一人ではやれないことになっている。
2016年12月03日 15:02 |コメント|

20161129火曜日

最近こどもの体力が極めて弱くなっているという結果が出ているという。簡単な運動でも骨折したり、挫いた入り。勉強だけに集中させていた学校や家庭のバランス感覚欠如の教育方針のせいではないのか。外で子供が遊んでいると「ちゃんと勉強しなさい」と声を荒げて子供を机の前に座らせ続けた。その結果が積もり積もってこういう恐ろしい現実となって浮上したのか?誰のせいでもない。いつも野原や運動場で駆け回って遊び呆けている子を持つ親はこういう場合はさほど不安感は抱かない。単純に先生が「本を閉じなさい。運動場に出なさい」と生徒に声を掛け、一周するだけで良い場合もある。または家で運動をしなさいというのも良い。だがその子が親になりその孫が親になる時代に脆弱な血を連綿と続けるしかなくなることもある。その負の連鎖を自分の時代で止めるか止めないかは各人の選択次第だ。血の脆弱化をきっちり止めることができるかどうか、は考え方次第。肉体が丈夫で頭が軽いか、肉体が脆弱で頭が冴え渡るのが良いか。どちらが良いと判断できない。「筆圧が弱い子」「紐を結べない子」が多くなっていると言う現実。どうなる日本の子供たち。誰がこの問題を解決するのか?やはり母親たちが立ち上がるしかないのでは?これは自身の身体の問題と同じレベル、つまり自身の検診と同じ重要度で考えねばならない。気が付いた方々はすでに何か実行に移しているでしょう。未来の日本に心身共に健康な子供たちが溢れていることを期待したい。
2016年11月29日 10:26 |コメント|

20161125金曜日

最近魚を原料に、身体に優しい強力な医療用接着剤をつくることに成功したという。茨城の物質・材料研究機構の田口哲志氏が開発中だ。原料は北海道のかまぼこ工場の廃棄物のスケトウダラの皮。それから抽出したゼラチンに油に溶ける成分を少し加えただけ。これで身体に染みこみやすく強度も増すのだという。このゼラチンと硬化剤を注射器で噴霧すると、血管の縫合や肺の穴などをふさぐのに使えるという。豚の血管を塞ぐ実験では、タラを使った接着剤が高い血圧に耐える結果が出ているという。物材機構は2018年頃に臨床試験を予定している。田口氏は「手術で十針縫うところを五針減らして、接着剤で止めることができれば」と製品化を目指すと言う。医療の世界は次第にその進化を加速させつつある。それは新しい世界の扉へと誘導しているらしい。
2016年11月25日 21:17 |コメント|

20161124木曜日

 テレビを観ていたら観葉植物の盗難があるという。ハオルシアという名の植物で愛好家には最近では注目されているらしい。そのハオルシアの盗難事件が多数発生しているのだそうだ。一鉢400万500万はするというのだ。中国富裕層に大人気だという。日本のハオルシアが優れているというので、大人気になっている。盗難の犯人はすべて中国人だというので納得した、というよりむしろ「またか」という印象。何故か響きは良くないが金に繋がることに貪欲、無節操または優雅とはかけ離れた無粋と思える。こういう方々が日本にはたくさん出入りし、なおかつ土地を買い、住んで中国人のあの胡麻油臭い空気を醸し出すのだろうと諦観が起きている。どうにかならないか、と誰も書かないしなおかつ黙認した方が良いと見ているらしい。良く考えれば日本人の中には、かつては中国から来て帰化した人も多い。純粋ではない日本人が多くなるということだ。だから最後は混じって自分たちも慣れ親しむしかない。かつてフランスパリでブランド物を買い込んだ日本人たちがいたが、あの時点でフランス人は「日本人なんて」と非常に侮辱した空気を抱いていただろう。今度は日本人が当時のフランス人の立場になって、日本の空気を変える人々が蔓延するのを見る立場になっている。何があっても黙認すべき時代に入ったのか?反感を持つよりも、空気に慣れる方が楽なのかも知れない。例えば煙草の匂いで満ち溢れた部屋で「煙草を喫うしかない」と覚悟をするかのように。
 
ところで最近一歳児が誤って川の落ち、心肺停止と言う類のニュースが度々あるのだが何故そういう事故が起こるのか?親はその時何をしていたのか?一歳児がヨチヨチ歩いているのを黙って見ていたのか?最近の傾向を見ると、父母が楽観視していて事故を起こしているのが目立つ。何故背中に背負っていなかったのか?危ないのを見ていても、児が歩くのを止めなかったのか?不思議と事故を起こして大切な子を亡くす親が結構いるのが信じられない。おそらく神様は助けてくれる筈などの妙な依頼心があるのかもしれない。親は子供から眼を放してはいけない。子が重要で大切であるにも関わらず、そのように扱っていないのを自覚していない。不思議と神様が守ってくださる筈という無意識の発想があるようだ。子は誰も守ってくれない。神様だとていちいち神経立ててあなたの子を四六時中見て入られない。あなたの子を守れるのは父母だけしかないのだから。
 
2016年11月24日 18:44 |コメント|