高杜 一榮の世界

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高杜 一榮の世界 ≫ 高杜一榮のモノローグ

モノローグ

20170605月曜日

このところヨーロッパではテロ事件が多い。その原因はやはりヨーロッパにおける人種差別の歴史に起因しているような気がする。過去に訪れたパリで東洋系の外人に対する対応がすこぶる冷淡で「旅行客が多い割にはまだ観光体制に真摯なスタンスが築かれていない」と感じた。わたしがパリのあちこちを訪問したのは数十年前のことだが、その時点から現在までフランス国民(またはイギリス国民)の旅行客に対するスタンスが正確に進歩し近代的現代的な対応を実戦し、日々磨きをかけていたかどうか不明だ。テロ事件はすべて被害者側の人種差別に呼応しているのではないのか、と憶測してしまう。ある意味冷酷な判断だが、イスラム系の外国人に対する根強い差別が全く存在しなかったとは断言できないのでは?双方の歴史を知りもしないで無知な判断は無用と思われるかも知れないが、テロは原因が全くないわけではない筈だ。
2017年06月05日 08:34 |コメント|

20170603土曜日

今日TBSの「サワコの朝」を観ていた。対談相手は森山未来。幼い時ファミレスで楊枝を倒していくという落ち着きのない子だったという。親はそんな彼にダンス教室に通わせた。賢明な親だったといえる。今では世界的に認められる俳優ならびにアーティストに成長できた。逸材と思われている才能ある若者は、こうして賢い判断のできる親から出てくるということらしい。やはり子の才能を親が開花させるのだろう。カフカの「変身」の舞台における虫の動きをVTRで観たが、身体表現を模索し尽くした素晴らしい「ダンス」は単純に肉体の表現と言うよりむしろもっと別のアートといえる。特に、彼の表現する身体表現の無限の追及の姿を見ると感動だけでは言い表せない。塵埃までも表現しようとする彼の姿に「脅威」を感じる。舞踊家が選ばない身体表現。お腹が出ている人もどのような体型の人にも舞踊は無限に存在するというのが彼の理念の核になっているらしい。言葉と身体表現の組み合わせがアートの世界に「コンテンポラリーダンス」を産み出させているようだ。今、猫も杓子も踊る時代のようだが、その時代に新しいものが生まれてくるのだろう。そういえばヨネヤマママコというパントマイムの達人がいた。この世界は濃く深く、言語を通じての表現が不可能である領域を伸縮自在に広げている。
2017年06月03日 15:23 |コメント|

20170529月曜日

最近の世の中の傾向としては、まず「群れる」、そして「パスワードなどで縛る」この二つに尽きると思える。パソコンで好奇心から何かに手を出すと必ずパスワードを請求され、縛られそうになる。拘束されるのがいやなので中途で引き返し断念する。そういうわけで組織に入らず、混じらず危うきものには接近しない。これであれば事件に巻きこまれることはない。というわけで安泰だと思う。詐欺にひっかることがないという利点があるので、このまま続行するところで最近何かと戦時体制のような空気が流れている。この環境のまま日本は行くのか?何か大きな紛争に巻き込まれないような政策はあるのか、庶民が考えても致し方ないが、すでに大きな何かが始まっているような妄想さえ起きる。母が味わった戦争体験を味わうことはないと思えるが、断定などできはしない。皆地獄と平和は紙一重と思っているのではないのか?
2017年05月29日 08:06 |コメント|

20170523火曜日

昨日免許証再交付のため東陽町へ行った。病気のため足がおぼつかない相棒に行くかどうか尋ねたら同行するというのでついていってもらった。東池袋から飯田橋まで行き、そこから乗り換えて東西線で東陽町までいった。朝何も食べていなかったのでパンを買って途中で食べることにした。だが吉野家の店の前で朝定の文字を見つける。「食べる?どうする?」と尋ねると相棒は「ウン」と子供のように頷く。それで朝定を二人前注文し、食べることにした。納豆、味噌汁、海苔、ご飯、と並んだ朝定のお膳。納豆の小さい発砲スチロールの蓋を開け、納豆の粒に箸を入れかき回わそうとするがハタと手が止まった。朝早くから出て来ているので、やや焦る。なるべく早く再発行を頼みたい。心急かされてというか、焦りが、極に達したのかイライラしてきた。つまり食べている場合か?という疑問。「吉野家で朝定」というのは過去には定番だった二人。食べているうちにせっかく早くついたのに、手続きに遅れてしまう、と危惧。ご飯と、海苔をぶちこんだ味噌汁とを掻き込み、心そぞろで食べ終わりそれで相棒に自分の納豆をあげて、「これ食べて。先に行くから」と告げた。彼を残して申請のために小走りになる。「再発行のカウンターのあたりにいるからね」と言うと、彼は朝定の納豆を食べながら頷いた。納豆が直接返事してくれているような気分。そのままスタスタと出て行く前に会計を済ませた。自動車練習場のカウンターで免許証の紛失による再発行の申請をした。六番に行け、五番にいけ、写真を撮ってもって来い、と様々に指示され、流れ作業式に進み、11時には再発行の免許証を受け取った。免許証の写真は持参した写真が大き過ぎて受け入れられず、再度現場で撮影した写真を使うことになった。免許証を受け取ったことは、数回になるが、もう後数年で免許証を返還することになるはずだ。そういう思いで受け取った免許証は何故か愛着が湧く。帰りは東陽町から高田馬場まで向かい、そこから大塚に山手線で帰った。地下鉄を利用するよりも格段に速い。今まで何回も有楽町線経由で行っていたので、どこまで知能が遅れた方法をとっていたのやら、と深く反省。良く考えるとわたしは賢くない方法で大人になり、賢く生きることに背を向けて歩いてきたとしか思えない。今から賢く生きるっか?って?さあ、どうだろう?今まで通りに生きるしか方法はない。新たな方法を取ると、躓くに決まっている。その上大体において通常のやり方を嫌う天邪鬼の傾向がある。心の奥底には「賢く生きるべきか?」と自問しつつ、現状維持が最善かも。
 
 秋篠宮家の長女である真子様が婚約したとの情報がマスコミを騒がせている。この種のニュースは寿行事に分類されるので、マスコミには美味しい情報のようだが、この熱が冷めないうちは大変なうるささでもある。報道規制を敷くこことはできないのだろうか?大体において視線の的になっている真子様とその関係者の方々には苦しい日々に近いのではないだろうか?こういうことは二日ほどで報道を自粛すべきではないか、と思う。関係者にとってはありがたい半面かなり迷惑の筈。自粛に等しい心遣いを持つのは常識ではあるが、大体マスコミは何が本道なのか、何が祝いなのか正確に把握して行動しているとは思えない。とにかく雑誌などの媒体が儲かるべく、動いて写真を集め、ばら撒く。傍目からみると「そこまでやらなくても良い」と思える。温かく見守る姿勢を持つべきではないのか?
 

2017年05月23日 10:43 |コメント|

20170516火曜日

 電車の中で痴漢したと、みなされ女性によって捕まえられた。だがこのまま捕まると仕事を失うと思ったのか、その男は逃げた。すると走ってきた電車に跳ねられたのか、死亡したとのニュースがあった。痴漢が逃げる事件は、結構多発しているが死亡の事件はあまりなかった。昨日事件を知ったが、電車にはねられ死亡になるとは非常に傷ましい。実は自身も痴漢に遭ったことがある。今から数十年も前、高校生の頃、電車の窓際に立っていたところ、後ろに男が立ち、お尻の辺りに何か「妙なアプローチ」があったので、気になっていたがびっしり密着していたので動けなかった。だが電車が駅に着いた途端後ろを振り返り、手を上げ男の顔にアッパーカットを食らわせてやった。わたしはドアが開いたので降りると、男は不意に顎を殴られたので、びっくりして眼を大きくしていた。その男の驚いた顔にドアが閉まりそのまま「驚いた顔」が移動して電車も男も去った。今でも驚いた男の顔が移動して過ぎていくのを思い出す。痛快だったが、そのような痛快な痴漢撃退の場面は多くはない。その後数回痴漢に遭い、いやな眼に遭った。男を殴った経験は痛快だが、今でも不思議に思うのは、何故あのように驚いた顔をしていたのか、理解できない。それとも女はやられ放しで、我慢するのが通例だと思い込んでいたのだろうか?今思うが、男をしょっぴくときにそばにいる女性たちも加担してあげると良いと思う。男が逃げて電車に跳ねられ死亡した事件は非常に残念でいたましいが、男性側も痴漢という罪をもう少し改めて考えてみるべきだ。あの行為はお互い何の利益もなく、男性側が逃げれば死の危険がある。痴漢を起こす前にその行為が空しく何の快楽もないと理解しなければならない。女性側からいえば痴漢するよりも、女性を好きになりその結果親しくなり、楽しいひとときを二人で過ごすという「前向きの喜び」に目覚めて欲しい。「後ろ向きの喜び」の痴漢行為よりも格段に素晴らしい快感があると断言する。

ところで、本日より日仏外交史研究会のタイトルを「日仏外交史を広める会」に改めました。将来的には日仏外交史をテーマにした映画制作を目指しておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
2017年05月16日 09:34 |コメント|

20170514日曜日

某県で役人が公費を着服して、発覚。驚いたことにはその親が着服した3000万円を弁済したという。それで解決したと思っている日本人の親と子が息して生きているということが恐ろしい。結局日本の役人の質が劣化したということであり、なおかつ日本全体が拝金主義の質の悪い空気で満ち溢れているということか。純粋で美しい日本人はいないのか?もう一つ残念なニュースがある。図書館で公的な名簿やアルバムなどの重要書籍のページが破られ、大きな被害がもたらされているという。誰が何の目的でそのような犯罪をするのか?やはり尋常な出世や、人が羨むような地位を築けなかった惨めな負け組の仕業なのか?平凡でも良い、大いなる出世をしなくても良い。人が迷惑する所業をしなければ良いと育てた結果、褒められることが出来ない類の無為徒食の存在が無尽蔵に出て来たのか?密かに犯した「意味のない悪戯」を作り世間に知られるのが目的なのか?最近理由がなく妙な行動を取る人間が多い。例えば神社の建物へ油性の液体のばら撒き。この種の事件はあちこちに悪戯書きをする無為徒食の少年たちが良く起こす事件と等しい。彼らのこの行為は性的未解決の肉体の奥に潜んでいる不満。つまり性的生活の不足による自己表現とでもいえそう。公共の壁の悪戯書きを良くみかけるが、まさに性的欲求不満の最たる軽犯罪と判断できる。図書館に出入りの普通の一個人が心身の欲求不満の末、図書館の書物に「意味のない暴力」を向けて密かに満足しているのか?犯罪は普通の一個人が想像も出来ない領域の犯罪を犯すほど「常識が崩れ」「理性は跡形もなくなり」まるで災害時の山崩れのような具合に常識と理性が変化したのか?これからそのような正体不明の犯罪が増えて来そう。正直言えば、知性の欠如のために犯罪者のレベルまでもが、下落してゆく。向上心や理想を抱けない「心身不自由人」が無意識に自身の世界を拡大したかっただけ。
2017年05月14日 02:41 |コメント|

20170425火曜日

フェイスブックの記事が日経に出ていた。内容はFACEBOOKが台頭してくる写真共有アプリの米スナップに対して攻勢を強めているというのだ。その莫大な情熱と根性で、新たな巨大組織に進化するべく日々努力をしている。自身は2000年に日本で最初のパソコン絵画教室(当時は電筆画教室と称していた)をオープンした。その後日本初のインターネットのホームページをオープンした。当時は米国の某組織に世話になったが、数年前に日本のドメインに移転した。というのも、トラブルが起こり予告なしにいきなりドメインを閉じられた。こちらから電話で交渉したが、結局再開は2万5千円出さねば再開不能という宣告を受け、仕方なく退会した。金額をドルで提示された時はやはり日本人の商売のやり方ではなく、邪険で情のない雑な空気があった。移転したくてしたわけではない。思えばこの分野に入ってから長いが、最近では追いついてゆくのが難しくなってきた。フェイスブックもつい最近やり始めたが、まだインスタグラムには精通していない。世の中には莫大な量の知的世界が広がっているのに、こうした眼に見えるが良く判らない世界に仲間入りをしなければ生きて行けないような空気が漂う。しかし親友の一人は「未だにパソコンをやっていない」人が結構いたりするので、それほど焦る必要もないが、何か眼に見えるそうしたデジタル世界に漬かっていなければ、相手にされない不安もある。ともあれ人生に重要な真実や知性を知ることも出来ずにデジタルだけで時間を費やしてしまいがちなので、困惑する。ゲーム機に夢中になっている人もいるのでそれほど不自然ではないだろう。以前なら「わたしはわたし」で通用させていたが、もう少しで世間では通用しない感覚になっているのではないか、と余計な神経を使い始めている。もう少し冷静ならねばならない。何でも新しければ良いわけではない。
 
2017年04月25日 09:34 |コメント|

20170419水曜日

つなぎ融資の女王山辺節子容疑者の事件が最近テレビで盛んに報道されている。理解できないのは被害者が簡単に一千万とか数千万などすぐ赤の他人に委ねてしまうということ。現時点で被害総額約七億円となったらしい。だが本当に騙されたとすれば不思議。どうして一千万以上の金や億単位の金があるというのに、それ以上の金額を欲しいと思うのか?そのぐらいあっても、もっと儲けたいと何故思うのだろう、と貧乏人のわたしは不思議に思ってしまうのです。儲けたいのは判るが何故簡単に騙されるのだろう?それほど熟慮せずに金を預ける神経が理解できない。そういえばわたしには母が、当時の金の取引で「金を買った」と言いわたしに満面の笑顔で話してくれたことがあった。結局山辺の事件とほぼ同じ詐欺の技術を持った会社組織の詐欺だった。訪ねて行ったところ体よく「今、解約すると元金の半分も戻りません」などと言われ結局は245万ほど騙された母はその時ショックだったらしく、営業に来た人の名刺に針でチクチクと刺し呪っていた。それを見て漫画か劇画の中にいるような気分になった。しかしその母の経験をそばでみていたわたしは「金があってもそれを増やそうとしないこと」と心に誓った。増やそう、得しようなどと思うと損することになるのは、当たり前と思うことにした。貯めた大金を大胆な投資話に唆されて動かすことのないように是非常に注意することをお勧めする。人生「金」のために明暗を別けられるのは時間の無駄です。もっともマゾヒズムで金がありあまっているので痛い思いをしたい方には何も申しません。
 

2017年04月19日 07:59 |コメント|

20170418火曜日

最近棟方志功の版画が某美術館でコピーではないか、と疑惑を招いたという。実物を盗み、コピーに変えてしまった人物がいるらしいが、果たして本物を持ったとしても「これを買った」と公言して人に自慢をしたいのか?そうした恥をかく可能性のある「贋作」を所有したとしても喜べるものだろうか?世の中不思議な人物がいるものだ。ともあれ盗品をいつのまにか掴まされて喜ぶ人もいるのか。聞いた話だが美術品を蒐集する人物はどうやらそれが盗品だったとしても、隠し持ってその逸品を愛するのだ、そうだ。その種の人がいるのだ、と思うと美術品愛好家には「正義の蒐集家」というのは存在しないのか?棟方志功氏の嘆きが聞こえてきそう。おそらく「わたしの版画は心根の優しい正しい人が持つべき」と述べるだろう。版画の値打ちは下がらないが、イメージは付き纏うはず。「これってコピーではないのか?」この世に真っ当な美しい世界はどこに在るのか?棟方氏の版画を愛する人々にとっては、許せない出来事に違いない。どこかで棟方志功のコピーではないこの本物で得している人がいるとしたらはっきりいえば芸術に対する冒涜に違いない。
 
2017年04月18日 12:55 |コメント|

20170412水曜日

今、新作を書いている。幼い頃に銭湯で見た刺青について書いてみた。まだ完成していない。最近友から読んだら捨てて、と本を三冊送ってもらった。その中のひとつに「梅干しと日本刀」樋口清之著、があり一ページから気に入ってしまった。130万部のベストセラーだそうだ。日本人の知恵が世界的に高く優れているというのが主旨で、ただ面白いだけでなく、改めて考えさせられた。自然環境が極めて多様で厳しく、日本は住むのには不向き。その環境に、現在の日本の優れた技能の鍵がある、という。忍耐を要し、自然との対応に知恵を絞らねばならなかったた太古の日本人。彼らは脳も身体も厳しい天候や災害に鍛えられ強くなったという。西洋では自然に逆らって自然を捻じ伏せて暮らすことを目指したために、日本とは別な暮らし方になった。地震も台風もそれほどない土地に住めば脳も身体もそれなりに鍛えられない。日本人は常に環境に翻弄されていた。どういうわけか日本人は脳も身体も常に環境に無駄な抵抗をすることなく柔軟に対応、自然に対して賢かった。それが日本人の美意識にも文化にも影響を与えているというのだ。確かにその通りであり、日本が世界で賞賛され続けているのは、その厳しい自然に対する逞しいスタンスのせいであった。日本人は諦めない。地震があっても台風がきても、どんな災害に遭っても諦めずに助け合い頑張ってきた。何故なら大昔から自然に逆らわない精神を培い、お互い励ましあって生きのび続けてきたから。それが日本人の最大で貴重な遺産だった。その遺産で世界一とも言われるような賞賛を浴びている。これからの日本人もそれらの遺産に恵まれてはいるものの過酷な自然に対するスタンスを長く継げ続けなければならない。自然に対する礼賛と従順の質をいつまでも持ち続けることが日本人の幸福に繋がる。果たして若い人々は先人の賢明と忍耐を継承し続けられるだろうか?
 
2017年04月13日 06:39 |コメント|