高杜 一榮の世界

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モノローグ

20170717月曜日

今朝溜まっていた新聞を切り抜いた。その中に特に気に入った切抜きを挙げてみたい。産経新聞(20170716)朝の歌に載っていた詩。題名「贈り物」東京都墨田区野村勇・作/幼い日 
母と手を
つないだ記憶がない
まして成人後 そんな
機会など皆無だった
母と手をつなげたのは
母が息子の顔を忘れた
あの日からだった
血管が浮き上がって
染みだらけの だけど
やわらかな母の手
私は思う存分その手を
握って歩けた あれは
認知症の母がくれた
贈り物だったと今思う
最後の行を読んで、わたしの眼元から涙がこぼれた。詩を読んで泣いたのは初めてだった。

ところで上記の詩とは程遠くなるが、渡辺謙の不倫だとか浮気だとかのテレビの報道を見ていたら、随分昔のことを思い出した。亡夫とは愛し愛された仲の良い夫婦だったが、その新婚時代亡夫の言った言葉が過激だった。「お前は何も知らない。俺が許すから修行して来い」この言葉で如何に超寛大な夫だったか、理解できる筈。この言葉がわたしたちの仲の好さを表わしていたのだが、当時のわたしには何か不可思議な宇宙空間に放り出された思いだった。普通の夫婦ではなかったわたしたちは、その後紆余曲折を経て見事な転身を遂げることになった。今わたしが生きて元気でいるのは恐らく大人の女になるようにわたしを指導してくれた亡夫のお陰かも知れない。
7月17日第二稿
神戸北区で高齢の男女五名が26歳の男子に殺害された。誰でものどかな田舎で起こったこの恐ろしい事件の深層を解明できていない。自身の推測ではこうした若い男の殺人の深層には「性的欲求不満」「コミュニケーションの不測に因る蛇行状態」別な解釈としては「理性を培う教育の不測」ともいえる。つまり若い男性には、かれらの性の「発芽状態」を丁寧に指導する人材や媒体が全くない。あったとしても彼らの脳裡の空白の部分を埋めるのは難しい。こうした「迷える子羊」に殺意を抱かせるのは難しくはない。少年から青年になり、年齢だけ数字が高くなっても、肉体的には全く「無知」だから彼らは性の充足を得ることも重要であるとも思えていない。殺意が起こったのはつまり、彼らの中に性を学んだり、試したりもせず、逆に積極的に知識を得ることに背を向けていたことにある。もし性行為もしくは性的知識、またはガールフレンドなどがいれば、惨劇はいくらか遠ざかっていた筈だ。この犯罪を犯した26歳の「少年」に質問をすると良い。「君は今までに性経験はあるのか?」「これまでに性で充分満足したことがあるのか?」彼らには「麗しい経験も初恋もなく、ただ幻想があっただけではないだろうか。意外と女の子に話しかけ、気楽に親しくなれるタイプの男子はこうした残虐な殺意は起こらない。女の子を妊娠させて困っている母親には一言言いたい。「そのぐらい出来れば五名ほど一気に殺害する事件は起こさない筈」意外に真面目な優等生がこうした事件を起こしやすい。
 

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