高杜 一榮の世界

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高杜 一榮の世界 ≫ 高杜一榮のモノローグ

モノローグ

20171121火曜日

力士を巡る、貴乃花の弟子が横綱の日馬富士に殴られたという暴力事件でテレビでは「あーでもない」「こーでもない」なおかつ「ああだろう」「こうだろう」という風に問題が膨らみ、歪み、そしてなんとなく曖昧なものが露呈して来た。つまり日本的伝統的な世界に面子とか日本的で、いまをときめく「忖度」とかが出て来て勝手に振舞っているような印象がある。事件は暴力事件だが、何かもっと優雅な要素があり、その上その逆の非優雅なものが拮抗していると思える。力士の世界は潔く決着がつくと思われたが、そう簡単ではないようだ。関係ない世間の人びとは早急な解決と決着を望んでいる。あの狭い土俵の上で当然の正義を貫くことを期待している。今回この報道が盛んにテレビで出て来ると、まるで今世紀最大のニュースみたいになっているが、少なくとも北朝鮮の頭領の話題よりもいくらか緊張感が少なくて済む。しかしどうやら貴乃花にはこの機会に日本で角界の大改革を巻き起こしたいという意志が働いているように感じる。それほど長い間相撲の世界は因習や変えようもない古いしきたりなどで身動きが出来なかったのだろう。良い機会というか、以前から溜め込んだ人間の身体でいえば、ストレスが原因で内臓が蝕まれていた肉体を改造するというように、最適な機会を迎えたと思えば良いのではないだろうか?貴乃花一人で出来なければ誰か外界から助っ人を送り込んで改革の狼煙を上げてもらうべきではないだろうか。日本の相撲の世界の改革は是非行われるべきではないか。改革により、新たな相撲関係の人材も増えるはず。
2017年11月21日 05:48 |コメント|

20171119日曜日

このところドジばかりの日々だった。一月前路上で転倒し、額にコブ眼の周りにクマとまるで歌舞伎の扮装のごとく、目立つ顔になっていた。クリニックの医師は元に戻るのには一月掛かるといわれた。その通り最近では傷が目立たなくなった。すると別な事件があった。大体金庫には金目のものが入っていないにもかかわらずパスワードを更新していたために、更新したばかりのパスワードを失念。そのため業者を呼んでみたが「後は壊すしかない」と宣言され、万事休す。財布小銭入れまで入れていたため、一時的に周囲に金を借りるほど困り果てた。最終的に金庫のメーカー側に頼んで修理にきてもらった。その手があったのか、とようやく自分の粗忽を悔いた。呼んだ業者の数が多くなり、頼んだ総額はメーカー側の修理を含めて五万。友に「金持ちだ」と言われたが正確にいえば「ソコツだ」と言われるべき。自身の愚かさに呆れた日々だった。過ぎてみればどうということがないエピソードだが、当の本人にとっては、最悪な事態だった。なにしろ金庫の中にあるのは、売れもしない地方の土地の権利書ばかり入っているのだから土地を買い漁っていた母と兄を恨みたくなった。もっとも二人のせいではない。自分のソコツが原因なのだから、恨む必要なし。最近ではとにかく必要不可欠なものしか持たないことにしている。横浜市と熱海函南の土地に興味のある方はお知らせください。
2017年11月19日 05:00 |コメント|

20171110金曜日

最近の殺人事件で改めて姓名判断信奉を確信した。自身は十代の頃からこの分野に傾倒していた。母の影響もあるが、毎日、新聞記事を読み、事件や事故があると必ずその被害者の名前を確認したものだった。今回27歳の青年が9名の若い命をまるで大根でも処理するように「消した」という事実に愕然とした。そしてその驚愕が覚めやらぬうちに、各被害者の名前を従来の姓名判断で占断してみたのだが、恐ろしいことに被害者一名を除いてすべて凶の画数を持っていた。例えば高木という姓と和子と言う姓があったとすると、「木」と「和」を足して中心運を占う。「高」と「子」を足して「外画」を占う。中心運はその人に備わった人生の運を表わし、外画はその人が他から援助される運を表わす。なおかつすべての名前の画数を足して総画数を占ってみた。ところが今回の事件の被害者は一名を除いてはすべて凶数で、驚いた。遺された一名は何が原因で事件に巻き込まれたのか理解できないほど運の良い名前だった。事件に巻き込まれて亡くなったのは、おそらく生年月日での占断による運が作用していたのかもしれない。画数数えてみて恐ろしいほど当たっていたので、人生すべて姓名判断で推し量ることが重要と考える。ちなみに今回の犯人の名前の画数を調べたところ、姓の二番目の字と名前の一番目を足すと人格の運になるが、22で凶と出ていた。姓名すべての画数を合計すると、総格の数字になるが、38で気が弱くリーダーシップは取れない。人に尽くしても報われず、精神面のダメージで倒れる暗示があります、と出ていた。なるほど100パーセント姓名判断通りであった。(参考した本 「姓名判断」著者文屋圭雲著 ナツメ社))
2017年11月10日 11:36 |コメント|

20171109木曜日

最近自作の二作品が、電子本で発行された。一作は「カション江戸を変える」発売元はボイジャー、もう一作は「ふまじめなエメラルド」これはアマゾンで販売されることになりました。WEBで検索してみてください。もし見つからない場合はこのHPに付属しているメールでご連絡ください。作品を解説します。「カション江戸を変える」は1855年琉球に上陸したフランス人宣教師メルメ・カションが日本語を習得し、徳川十四代将軍家茂と公使ロッシュの間で通弁官として活躍、後に駐日仏外交官として歩み続け、幕府の体制を近代化させることに成功するまでの彼の足跡を描いた作品。カションが存在していなければ、日本には日仏通商条約も成り立っていなかったし、横須賀製鉄所を建設するなどの事業も生まれていなかった筈。日本国が日本と言う名もなかった頃「大日本帝国」を築く大きな転換期に出現した重要人物である。だがカションにはまだ不思議な出来事が多い。カションの本(「カション幕末を走る」文藝春秋刊、を出すことになった時は、カションの晩年の年月日が不明のままだったこと。本を出す寸前の2010年頃、やっとメルメ・カションの晩年の地がカンヌだったと判明したのだった。なおかつ極く最近になりカションがフランスに帰国してから十年間ほどパリの外務省に勤務していたこと、結婚して二人の娘がいたことが判明したのだ。何故彼の足跡が長い間隠されていたのか?この不思議な真実の露見は一体何を意味しているのか?どうもその辺に何か大きなものが隠されているような気がする。

二作目の「ふまじめなエメラルド」は幼少時六本木で育ち、当時山羊を飼うことを決めた父母はロシア人と日本人の混血の女性から山羊を飼い、子供たちに山羊乳を飲ませた。当時六本木は外国人家庭が増えてきて、小さなアメリカ人の女の子が朝早く雨戸を叩き、戸を開けると走って入ってきて、わたしの布団の中に潜り込んで来た。彼女がジミリュウで、当時四歳程度だった。そうした思い出を綴った作品だ。「ふまじめなエメラルド」とは誰にも心の中や自身の中のどこかに宝石がある筈で、その宝石は磨かないでいるうちに、何時の間にかただの石になるかもしれない。エメラルドやそのほかの宝石も知らず知らずに光り輝く。気づいた時に磨き光らせるのはその人の努力かも知れない。いつのまにか生まれてしまう宝石にはふまじめではなく、真心で向き合わねばならない。特に自身の中に芽生えた見知らぬ宝石には心を配り、注意しなければならない。そういう思いで書いた作品である。ジミリュウとの出逢いは映画化したいと思っている。作品へのアクセスは下記に
猫の本屋さんでは次のURLよりBinB Storeにリンクしています。
http://pbc.on.coocan.jp/store/index10_01.html#book3108
2017年11月09日 23:56 |コメント|

20171105日曜日

 今朝島田雅彦の言葉にあるところで出逢った。そして仰天した。「PAC3に116億、Jアラートに92億を払うより、金正恩に小遣いやって懐柔し、 日本を射程から外してもらう方が安上がりで確実なミサイル防衛になったりして」読んだ途端かなり衝撃だった。「優しいサヨクの喜遊曲」を書いたあの島田雅彦がこういう不思議でなおかつ素っ頓狂なことを述べていたとは知らなかった。島田氏を尊敬し、なおかつ遠くから羨望の眼差しで眺めていたのでそのショックは大きかった。しかし良く噛み砕いてみれば、充分納得が行く真意かも知れない。しかし尊敬が驚愕に変るって今までになかった出来事。しかし他人の思うことを規制したり、妨げたりできないことを「発見」した。彼がそう発言しているので、受け止めねばならない、とようやく落ち着いた。良く考えると物書きというのは卑怯で逃げ腰で、戦争に行かねばならない時は「逃げる派」に入るはず。そういう点で言えば、文学を身に纏い世間から隔たっている者ほど愛国精神がないのか、と判断する者もいるかも知れない。そういえば昔の先生に「わたしが男でなおかつ兵役に、と召集されることになれば、逃げないで兵役につく」と打ち明けたら、彼女は驚いて怖い顔をした。わたしは悪いことを言ったと思わなかったので、愕然とした。それ以後先生とは距離をおかねばならなくなった。嫌われたと思ったためだ。なにしろ明らかに拒否のサインをいただいたこともあった。わたしは叫びたい。「愛国者って色々種類があって良いじゃない!」と。
2017年11月05日 06:02 |コメント|

20171104土曜日

先日二十七歳の独身男性が若い女と男九名を殺害した事件を書いたが、あの記事に加えておきたいことがある。あの事件で世の人々はゾッとするほどの恐怖を抱き、大人しい優しい自身の息子の裏側の「暗闇」と「外に見えない殺意」を感じ怯えて生きている人びとがいるのではないか。しかしここで冷静にならなければならない。息子の中に起こっているすべての負の部分は、取り除くことは簡単である、ということ。弱弱しくこの世で雄雄しく生きて歩むことができないと息子を案じているかも知れないが、過度に心配はしないこと。それに親が子を案じるという普通の感性は捨てた方が良い。親も子もそれぞれ親離れ、子離れしなければ生きていけない世の中になってきている。それぞれ異なった道でそれぞれの感性と趣味で生きるしかない。しかし自身はあの事件で九人殺害した男がこの先どのような刑を受けるのか、気になった。やはり死刑が適していると考えた。九名殺して終身刑では生ぬるい。犯人の男性は暴力と金が目当てで九名殺してしまったというが、誰が彼をそこまで追い込んだか。それはおそらく彼の中の未成熟な精神と教養、生きる術を自身の脳で健康的に身につけられなかったことに起因している。身体的に欠陥があり、それがもとで生き抜く術を失った。彼を殺意に導いたのは不安だった。良くある筋書きだが、そこで彼が人生を自ら転落させたのは、彼の中の何だったのか?彼がそうなったのは、世の中のせいでもない。それは彼が女性を愛する術を知らなかったためではないか、とうかがえる。つまり女性を愛し抜くという力が不足していたこと。強い愛情が育っていなかったために転落したといえる。愛があったとしても、愛の程度が軽く彼を成長させなかったともいえる。つまりこの世は「愛」がすべてを支配する循環世界であり、「愛」がなければそこに彼を護る力学が生まれて来なかったということになる。残念だがこの先彼は刑を受けるのだが、わたしは彼が死刑になることを彼自身が望むと思える。それに従い死刑になっていただきたい。この先大量殺人しても刑が「生きて刑務所を出て行かれる刑」であったとしたら、また新たな犯罪が出て来る筈だ。彼が犯すのではなく、模倣者が同じことをする。それらの空気を食い止めるには死刑しかない。残念だが彼は回転してクルクル走るハツカネズミのように生きる道を選んだのだ。と書いてみたのだが、何かすっきり落着しない。しかし言いたいことは、他人に生死を委ねると言うのは、この上なき怠惰でしかない。死んでからもう一度出直すべき、というのが最終回答になる。死を選ぶことがそう簡単に起こり得ることがまず問題だ。

ところで南京大虐殺ならびに慰安婦問題がまだ燻り続けているのを今朝十一月四日の産経で知った。それによるとあいも変らず日本叩きを国民総出で、血眼になっている連中がいるという。ユネスコに働きかけ記憶遺産に南京大虐殺と慰安婦問題を記録せよと、申し出ている中国系反日プロパガンダ族が再度狼煙をあげたようだ。とにかく事実無根だと日本人以外ではケント・ギルバード氏とイギリス人のヘンリー・S・ストークス氏が躍起となって「南京大虐殺」も「慰安婦問題」も作り話だ、とはっきりと断定している、ストークス氏は「韓国人は(日本に対する)劣等感を癒すために日本を苛めて、快哉を叫んでいる。(中略)そのうち日本という大切な財産を活用できなくなるだろう」と「英国人記者が見た『連合国戦勝史観の虚妄』に書いている。日本人に反日プロパガンダに負けるなと叫んでいても、意に関せず続けているあの国の知識人。彼らは自国に何千年の歴史に泥を擦り付けるのを意に介さず、声高に反日プロパガンダ行為を続けるらしい。頭脳がずばぬけて鈍化していると見える。これから彼ら反日プロパガンダを「反日ガンダ」と名付けてみよう。韓国と中国の反日ガンダたちは、真実を見ていないしなおかつ噂の真偽を調査しようともせず、ユネスコの職員たちを抱きこんだか賄賂で従わせたか知らぬが、ユネスコを騙してまで、歴史を歪めたいらしい。それこそ記憶遺産に遺すべきだ。題名は「ユネスコを騙して他国の足を引っ張る悪徳外交の国」ユネスコの職員の方がたはご苦労様です。登録手続きが保留になっているような印象がありますが、もう少しの辛抱です。なるべく何億万年の客観視に耐えるほどの力量をお見せください。よろしくお願いいたします。
2017年11月04日 11:15 |コメント|

20171101水曜日

日本の犯罪史上稀に見る殺人事件、27歳の男性が一人で自殺志願者9人を殺していたことが判明した。驚くべき犯罪だが、本人も自殺志願者だったのだろう。ここで真実を明らかにしてみたい。以前から考えていたのだが、自殺は他殺に通じるということ。過去に死にたいと呟いた人がいたがその人に「自殺は他殺に通じる」と教えたことがあった。つまり自殺したい人は人を殺せるほどのエネルギーをもっているということだ。この真実は多くの人に知らせたい。自殺が他殺に通じると言うのは、自殺したい人は殺人者になれる、と言うことだ。自殺したい者は人を殺せる壮絶な殺意を秘めているのだ。自殺したい者が弱弱しい脆弱で気弱な「こころ」でいるかといえば、そうではない。彼は自殺したい意志の裏に、肉体の息を止め、相手を死に追いやる恐ろしい悪意を抱くということ。誰も自殺したい人が人を殺せるとは思わないかも知れないが、真実自殺と他殺は繋がっていると言いたい。頭と足が繋がっているように、自殺と他殺は同じ母体にいる。だから自殺したいと思う子供を持つ親は、特にその子の中の負の部分を理解していないとぞっとする場面に出遭うことになる。今回の犯人の親は自身の息子の犯罪をどう見ているだろうか?「あの優しい子が?」「あのような弱弱しい子が?」と愕然とするかも知れない。この世はすべて表裏一体。美醜の裏表、優しさの中に恐ろしい殺意が潜み、暗闇には眩い光が隠されていたりする。自殺志願者の息子か娘を持った親御さんたちは今悲しみと恐怖と絶望の中に置かれているかもしれない。どうか、自暴自棄にならずそのどん底から力強く立ち直って残りの人生を全うしてください。人生には恐怖や悲しみがあったとしても同じ程度の光輝く場面に出逢えることになっています。もしわたし自身がそのような犯罪を犯した息子を持ったとしたら、彼に何を言うだろうか?おそらく絶句するだけだろう。しかし何故9名まで殺すところまで犯罪が広がったのだろう?もっと早く発見できる機会があった筈ではないのか?これも警察の落ち度とはいわないが、9名を2名で停めることができたのではないか、と密かに思える。
 
2017年11月01日 08:08 |コメント|

20171028土曜日

東京都美術館で開催中の怖い絵展が異常に人気が出ているらしい。その中でも「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の人気が高いようだ。長蛇の列を作って待つ観覧者の中にはこの絵だけのために来所したという声もあるらしい。そこで言いたいことがある。あの絵を描いた画家はおそらくいたいけな少女の身で死に赴かなければならなかった者への愛惜と憐憫と鎮魂の意味を籠めて描いたのではないか?そうに違いない。だが単純にそれを観に来る者たちの心の底にははたして鎮魂の意が数滴あるだろうか?ただの好奇心だけに違いない。自身が主催者であれば、この絵だけは外したかもしれない。邪悪な犯罪候補者は、この絵の前で何を思うのか?画家の心境になるのか?それとも少女の心境になるのか?それとも犯罪心理の軌道に乗りそうな自身の深層の部分に温かい血が流れているのを感じるのか?それは不明だが、大昔の見世物小屋の中に無理やり拉致されて両手両足のない奇形にされた少女がいた。美術館の前に、その当時木戸銭を払い鑑賞の生き物として見にきた者の灰色の影。ただ眺める冷酷な視線がそれらの長蛇の列の人びとの中に全くない筈はない、と思えるのだ。つまり芸術的鑑賞ではなく、恥も外聞もない露骨な好奇心だけの視線でレディ・ジョーンズを観る人はいる筈ではないのか?怖い絵展は素晴らしい展示会だが、観点が異なれば誰でも犯罪人の視線とほぼ似通った類の視線になってしまっているような気がしてくるのだ。美術館博物館などの建物。そこには古今東西から培った敬意と尊敬と品格と教養などを含んだ大きな愛がなければならないと思う。観る者に一段高い教養や礼儀、優しい眼差しなどが欠如していれば、それは画家が目指した目的とは異なると思える。好奇心だけで観にいく人がいれば、それはほぼ犯罪者と同じと言いたい。
2017年10月28日 13:42 |コメント|

20171019水曜日

あちこちにペンキで悪戯かきをしている若者に言いたい。「あなたの行為はあなたの性的欲求不満が原因です」女性にもてたことがない男性は、どこかに不満を示したくてもうまく表現できず、ペンキを買ってどこかの壁に悪戯描きするしかないことになる。彼らの目的は自身の性的欲求を満たせないもどかしさを表わしたかっただけ。つまり彼らの貯められた余分な液体をどこかにふりかけたいが、彼らにはそのような機会がない場合、壁に精液の代用のペンキで意味不明のメッセージを書く羽目になって行く。そうなってくることが見通せる。自身の深層内面を表現するための知識もなく、深層の中の貧困さをどうにもできない。ただそういう行為に集約してみせただけ。誰かがそのような稚拙な悪戯描きを驚いてくれるのを期待しているのか?誰も驚かず、褒めてくれるわけもなく、本当に迷惑なだけ。彼らの行為を記録し、三十年後子供を持つ身になった彼らを想像できるか、問い詰めたい。罰として、記録を保存し、その人間が成人し子を持った頃に見せてあげるという「親切」をするべき。迷惑な落書き犯に、将来の子供がみているよ、と告げたい。なおかつその悪戯書きが、いつの日か覚醒剤中毒に見舞われる軌道に載らないとは言えない。
2017年10月19日 10:50 |コメント|

20171013金曜日

宮崎勤の事件についてテレビでかなり大規模に事件を報道していた。幼児を四人も手にかけ殺害した宮崎は死刑になり、すでに数年が経過している。被害者の親御さん方はこの番組に協力したのか、しなかったのか。被害者の名前を変えて報道に気を遣っているのは中々神経細やか。ある意味賛否両論のあるはずの番組だった。だがここで新たな同様な事件が起こっていないとは、断言できない。この世はあの事件があっても変化はない。むしろ似たような事件が起こっているようだ。食い止める方法は「女性にもてない」「女性との付き合い方が慣れていない」「なおかつ何かの事情で女性に憎悪を抱いている」者の再教育だ。こうした犯罪者をなくす運動は可能ではない、と思える。女性に対する性的未開発の若い男性ならびに性的に異常なほどの関心を抱く者を対象に性の矯正教育が必要になる。明るく優しく教育していくしかない。

ところでYouTubeで米国の図書館の司書が韓国の学生や教授は図書館から借りた本を返さず、そのまま貴重な本を国に持ち帰ってしまう、と愚痴を連ねていた。それは管理不足ではないのか?日本では貴重な本は厳正に貸し出し禁止になっているし、本を返さない人には二度と本を借りられないシステムが徹底している。管理体制がなってないと、そういう類の被害を被ることになる筈。文句や愚痴を言う前に警戒し、管理を完璧に厳罰制度を取ることをお勧めする。結構のんびりした体質であるためか、米国でそういうことで文句を言っている。ところが政府は莫大な金額を武器や軍事施設に注ぎこんでいる。なぜかバランス感覚のない体制であるようだ。軍事に金を掛けるよりも、普通の常識や正しいマナーを教える体制をまず保つことをお勧めする。それが正しい軍備に繋がる。
 
2017年10月13日 08:44 |コメント|