高杜 一榮の世界

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モノローグ

20180109火曜日

あけましておめでとうございます。元旦から雑事が続きようやく更新に至りました。今年もよろしくお願いいたします。ところで今朝某テレビで、空港でアメリカから帰国した若者をインタビューしている会話を聞いてやや驚いた。「その荷物は何ですか?見せてくれますか?」「ええ、よいですよ」答えた若者は父の好きなものを買ってきたと答え、ダンボールの中央を切り開き、大きなパックを取り出した。「これポテトチップスのバーベキュー味なんです」日本にはこの味のポテトチップスが手に入らないのだとか。それも莫大な大きさのカートンボックスがすべてこの特大のポテトチップスの袋だとか。「この袋は一日ももたずになくなります」父親思いの息子だと感心した。しかし見ていて昭和平成時代の終わりを感じた。つまりアメリカ留学はこのように下駄履きやゴム草履履きスタイルで「ごく庶民的で非知性的でなおかつ家族的な意味」が多くなっているのだろう、と感じた。別にポテトチップスの味を研究し論文を書けとは望んではいないが、ある意味明治昭和時代の苦学生的色合いが全くなくなっているということか、と当然のことと感心した。多分驚いて呆れているのは昭和生まれのわたしだけかも。ポテトチップスのバーベキュー味が食べたいかと聞かれたら「それほどとも思わない」と答えるだろう。アメリカナイズされた食べ物には何かしら抵抗があるのは健康指向だからか、それともダイエット指向だからか不明だが今のままの指向で生き続けたい。Mというチェーン店のハンバーグの味も安いから仕方なく入って食べるのだが、心底好きかと問われれば、心底好きではない、と答える筈。食べ物の指向が変えられるのはそれほど望んではいない。日本人の食べ物をひたすら常食とし、死ぬまで同じままで暮らしたい。
 
2018年01月09日 07:49 |コメント|

20171216土曜日

昨日は多忙だった。年賀状を書いてほぼ例年の半分の枚数を書きポストに投函した。まだ20数枚残っているので、随時に書いてゆくことにする。ところがすでに年賀状を書いたリストの中の友人が昨日になり喪中の葉書を送って来た。年賀状の発送と同時に喪中の葉書がきたような具合なのでどうしたらよいか困っている。すでに出してしまったので、謝罪しなければならない。ところで謝罪といえば、最近某熟年女優が不倫したとかで、夫婦それぞれ記者の取材に答えていた。あれってまるでマスコミ生贄事件としか言えない。主なニュースがないので、不倫を見つけてニュースにするしかないというほど業界は悲惨なのか?不倫と断定された者には堪った者ではない。それが誤解であればほとんど悲劇だ。大体取材する方は予め落とし穴を空けて待っていて、すっぽり嵌った芸能人を生贄として取り巻くという事態に持って行くのではないかと推測される。ある意味「やらせ」に似ている。つまり誰でもが、在り得る事なのに「不倫」とレッテルをつけて事件を「演出」してしまうのだ。芸能界は政界と同じに恐ろしいところらしい。よほど神経が鋼鉄のごとく逞しく頑丈に出来ていないと罠にはまることになる。しかし中には不倫だろうがそうでなかろうが、とにかくテレビに顔と名前が出るから「しめた」と思う人もいるかも知れない。もっとも芸能人には神経が太ければ太いほど名を売る良い機会に恵まれていることになる。頑張れご両人と拍手を送りたいが相当有名であれば、かえって迷惑。ところで今から数十年前はこうではなかった。普通の人々は不倫はかなり人生とは逸脱した出来事と把握している人がほとんどだった。そういうわけで亡夫との暮らしは類稀な出来事が多かった。新婚時代から奇妙な場面に出会うことになった。亡夫は元々FSつまりフリーなセックス礼賛者だったために不倫を奨励し、タブーを解除すると宣言された。わたしが小説を書けるようになったのはそのタブーを解除されたためだったらしい。しかし完全に解放されたわけではなく、そういう世間とはやや離れた空間に押し込まれていただけであったといえる。詳細は過去の作品の中に描かれている。
 
2017年12月16日 06:36 |コメント|

20171128火曜日

北海道札幌において十二歳の少年が二十代の女性を刃物で刺すという事件が起きた。少年は「人を切ってみたかった」と供述しているという。ここで自分の意見を述べたい。人間は性的な成長をある程度達成すると、肉体が性的欲望に煩悶することになる生き物である。つまり肉体が熟すと、性的欲望の最盛期を迎える。そうなるとどうなるかといえば、性的衝動で身体が勝手に動き出し、日頃考えている以上のことを成し遂げたいところまで行ってしまう。人間を殺すことになるとは思えないで刃物で女性を刺してしまった。ここで彼は自分が刃物を持って女性を刺すことが殺人になるとは、想像できていなかった可能性がある。刃物は性的成長の延長線上に出て来る必需品になってしまう。成長すれば女性を愛する方向に熟する。だが一方肉体の方は熟すが脳の中はそれが殺意に繋がる危険性を孕んでいるのを知らない。または微かに判っていても、停めようがないほど「成長してしまう」のだ。性的成長が殺意へと熟してしまうのは、当然のことだが、意外に知られていない。つまり男性の性的成長は殺人行為に近接する可能性が高いパーセンテージになるともいえる。家庭で男の子を持つ父母は特に、この性的成長の監視役にならなければならないが、父親は意外のこの面での見守り役を率先して手掛けるという意志がない。自分の青春時代を思い出し「勝手に成長するはずだからそれほど心配しない」というほどの「緩み具合」だ。息子が女性殺害をしてしまう父親は自身の青春時代と較べて「ま、大丈夫だろう。オレはあの当時普通の男として成長していたし、絶対刃物で異性を傷つけることはしない筈」とそれほど気にしていない。誰しも自身の息子が刃物で異性を殺すなど考えたくはない。想定外のことらしい。性欲または愛が殺意に繋がっているというのは判るようで理解できないといえるが新聞には「愛イコール殺意」という図式の事件が載っている。人間はそういう類の生き物なのか?これは真面目に研究すべきテーマでは?
2017年11月28日 07:07 |コメント|

20171125土曜日

どういうわけか今真夜中の12時前。何故書くことになったかといえば、その少し前に笑福亭鶴瓶が坂井真紀という女優と対談しているのを観ていたのが契機となり、その番組が終わったら、何故か奇妙な衝動が起きた。この「思い」を書かねば。書かねばならない、と思ったようで、ガス暖房をつけ、パソコンを開いた。何故そうなったかの疑問が起きるが数日前から怒りのエネルギーが自然に発生していて、どうやらそれが原因らしい。怒りは数日前から起こっていた。だが数日前に何が起こったのかは、不明。だがどうやらそのエネルギーが燃え上がり何か書かねばならないという衝動が起きたようだ。しかし鶴瓶が何かおかしいことを述べていたのではない。何に対して怒っていたのか不明だがどうやらこの前から起きている相撲界のあの事件のとばっちりのせいかもしれない。何かすっきりもしないトラブルのせいでほとんど関係ないエネルギーがこっちにまで飛んできたらしい。なにしろあの世界ではまだあの事件がすっきりと解決していないらしい。原因はいろいろあるらしいが相撲の競技が数秒で決まることになっているのに、この事件だけは数秒では決まらず延々と続く見通しのようだ。相撲界だから、数秒でことが解決すると思ったら延々と揉め事は決着を見ない。そうなるとテレビのこちら側で見ているほうが、何故かイライラとその決着のつかぬ不快な空気を貰い受けてウジウジしてしまったようだ。だれか両手を叩いてシャンシャンと解決を強引につけて欲しいと願っている。なにしろ数秒でかたの着く勝負師の世界だから、きっぱりと強引に落着して欲しい。それが観客のほとんどの「キモチ」ではないのか?なにしろ国技で短い間に勝負が決まる競技だ。だからなのかどうか不明だが、すみやかに「シャンシャン」と解決つけて欲しい。生まれたばかりの「シャンシャン」がそう言っている。どういうわけか、十年以上飲んでいなかった日本酒を飲んでしまい、この真夜中にこの文をしたためた。
2017年11月25日 00:07 |コメント|

20171121火曜日

力士を巡る、貴乃花の弟子が横綱の日馬富士に殴られたという暴力事件でテレビでは「あーでもない」「こーでもない」なおかつ「ああだろう」「こうだろう」という風に問題が膨らみ、歪み、そしてなんとなく曖昧なものが露呈して来た。つまり日本的伝統的な世界に面子とか日本的で、いまをときめく「忖度」とかが出て来て勝手に振舞っているような印象がある。事件は暴力事件だが、何かもっと優雅な要素があり、その上その逆の非優雅なものが拮抗していると思える。力士の世界は潔く決着がつくと思われたが、そう簡単ではないようだ。関係ない世間の人びとは早急な解決と決着を望んでいる。あの狭い土俵の上で当然の正義を貫くことを期待している。今回この報道が盛んにテレビで出て来ると、まるで今世紀最大のニュースみたいになっているが、少なくとも北朝鮮の頭領の話題よりもいくらか緊張感が少なくて済む。しかしどうやら貴乃花にはこの機会に日本で角界の大改革を巻き起こしたいという意志が働いているように感じる。それほど長い間相撲の世界は因習や変えようもない古いしきたりなどで身動きが出来なかったのだろう。良い機会というか、以前から溜め込んだ人間の身体でいえば、ストレスが原因で内臓が蝕まれていた肉体を改造するというように、最適な機会を迎えたと思えば良いのではないだろうか?貴乃花一人で出来なければ誰か外界から助っ人を送り込んで改革の狼煙を上げてもらうべきではないだろうか。日本の相撲の世界の改革は是非行われるべきではないか。改革により、新たな相撲関係の人材も増えるはず。
2017年11月21日 05:48 |コメント|

20171119日曜日

このところドジばかりの日々だった。一月前路上で転倒し、額にコブ眼の周りにクマとまるで歌舞伎の扮装のごとく、目立つ顔になっていた。クリニックの医師は元に戻るのには一月掛かるといわれた。その通り最近では傷が目立たなくなった。すると別な事件があった。大体金庫には金目のものが入っていないにもかかわらずパスワードを更新していたために、更新したばかりのパスワードを失念。そのため業者を呼んでみたが「後は壊すしかない」と宣言され、万事休す。財布小銭入れまで入れていたため、一時的に周囲に金を借りるほど困り果てた。最終的に金庫のメーカー側に頼んで修理にきてもらった。その手があったのか、とようやく自分の粗忽を悔いた。呼んだ業者の数が多くなり、頼んだ総額はメーカー側の修理を含めて五万。友に「金持ちだ」と言われたが正確にいえば「ソコツだ」と言われるべき。自身の愚かさに呆れた日々だった。過ぎてみればどうということがないエピソードだが、当の本人にとっては、最悪な事態だった。なにしろ金庫の中にあるのは、売れもしない地方の土地の権利書ばかり入っているのだから土地を買い漁っていた母と兄を恨みたくなった。もっとも二人のせいではない。自分のソコツが原因なのだから、恨む必要なし。最近ではとにかく必要不可欠なものしか持たないことにしている。横浜市と熱海函南の土地に興味のある方はお知らせください。
2017年11月19日 05:00 |コメント|

20171110金曜日

最近の殺人事件で改めて姓名判断信奉を確信した。自身は十代の頃からこの分野に傾倒していた。母の影響もあるが、毎日、新聞記事を読み、事件や事故があると必ずその被害者の名前を確認したものだった。今回27歳の青年が9名の若い命をまるで大根でも処理するように「消した」という事実に愕然とした。そしてその驚愕が覚めやらぬうちに、各被害者の名前を従来の姓名判断で占断してみたのだが、恐ろしいことに被害者一名を除いてすべて凶の画数を持っていた。例えば高木という姓と和子と言う姓があったとすると、「木」と「和」を足して中心運を占う。「高」と「子」を足して「外画」を占う。中心運はその人に備わった人生の運を表わし、外画はその人が他から援助される運を表わす。なおかつすべての名前の画数を足して総画数を占ってみた。ところが今回の事件の被害者は一名を除いてはすべて凶数で、驚いた。遺された一名は何が原因で事件に巻き込まれたのか理解できないほど運の良い名前だった。事件に巻き込まれて亡くなったのは、おそらく生年月日での占断による運が作用していたのかもしれない。画数数えてみて恐ろしいほど当たっていたので、人生すべて姓名判断で推し量ることが重要と考える。ちなみに今回の犯人の名前の画数を調べたところ、姓の二番目の字と名前の一番目を足すと人格の運になるが、22で凶と出ていた。姓名すべての画数を合計すると、総格の数字になるが、38で気が弱くリーダーシップは取れない。人に尽くしても報われず、精神面のダメージで倒れる暗示があります、と出ていた。なるほど100パーセント姓名判断通りであった。(参考した本 「姓名判断」著者文屋圭雲著 ナツメ社))
2017年11月10日 11:36 |コメント|

20171109木曜日

最近自作の二作品が、電子本で発行された。一作は「カション江戸を変える」発売元はボイジャー、もう一作は「ふまじめなエメラルド」これはアマゾンで販売されることになりました。WEBで検索してみてください。もし見つからない場合はこのHPに付属しているメールでご連絡ください。作品を解説します。「カション江戸を変える」は1855年琉球に上陸したフランス人宣教師メルメ・カションが日本語を習得し、徳川十四代将軍家茂と公使ロッシュの間で通弁官として活躍、後に駐日仏外交官として歩み続け、幕府の体制を近代化させることに成功するまでの彼の足跡を描いた作品。カションが存在していなければ、日本には日仏通商条約も成り立っていなかったし、横須賀製鉄所を建設するなどの事業も生まれていなかった筈。日本国が日本と言う名もなかった頃「大日本帝国」を築く大きな転換期に出現した重要人物である。だがカションにはまだ不思議な出来事が多い。カションの本(「カション幕末を走る」文藝春秋刊、を出すことになった時は、カションの晩年の年月日が不明のままだったこと。本を出す寸前の2010年頃、やっとメルメ・カションの晩年の地がカンヌだったと判明したのだった。なおかつ極く最近になりカションがフランスに帰国してから十年間ほどパリの外務省に勤務していたこと、結婚して二人の娘がいたことが判明したのだ。何故彼の足跡が長い間隠されていたのか?この不思議な真実の露見は一体何を意味しているのか?どうもその辺に何か大きなものが隠されているような気がする。

二作目の「ふまじめなエメラルド」は幼少時六本木で育ち、当時山羊を飼うことを決めた父母はロシア人と日本人の混血の女性から山羊を飼い、子供たちに山羊乳を飲ませた。当時六本木は外国人家庭が増えてきて、小さなアメリカ人の女の子が朝早く雨戸を叩き、戸を開けると走って入ってきて、わたしの布団の中に潜り込んで来た。彼女がジミリュウで、当時四歳程度だった。そうした思い出を綴った作品だ。「ふまじめなエメラルド」とは誰にも心の中や自身の中のどこかに宝石がある筈で、その宝石は磨かないでいるうちに、何時の間にかただの石になるかもしれない。エメラルドやそのほかの宝石も知らず知らずに光り輝く。気づいた時に磨き光らせるのはその人の努力かも知れない。いつのまにか生まれてしまう宝石にはふまじめではなく、真心で向き合わねばならない。特に自身の中に芽生えた見知らぬ宝石には心を配り、注意しなければならない。そういう思いで書いた作品である。ジミリュウとの出逢いは映画化したいと思っている。作品へのアクセスは下記に
猫の本屋さんでは次のURLよりBinB Storeにリンクしています。
http://pbc.on.coocan.jp/store/index10_01.html#book3108
2017年11月09日 23:56 |コメント|

20171105日曜日

 今朝島田雅彦の言葉にあるところで出逢った。そして仰天した。「PAC3に116億、Jアラートに92億を払うより、金正恩に小遣いやって懐柔し、 日本を射程から外してもらう方が安上がりで確実なミサイル防衛になったりして」読んだ途端かなり衝撃だった。「優しいサヨクの喜遊曲」を書いたあの島田雅彦がこういう不思議でなおかつ素っ頓狂なことを述べていたとは知らなかった。島田氏を尊敬し、なおかつ遠くから羨望の眼差しで眺めていたのでそのショックは大きかった。しかし良く噛み砕いてみれば、充分納得が行く真意かも知れない。しかし尊敬が驚愕に変るって今までになかった出来事。しかし他人の思うことを規制したり、妨げたりできないことを「発見」した。彼がそう発言しているので、受け止めねばならない、とようやく落ち着いた。良く考えると物書きというのは卑怯で逃げ腰で、戦争に行かねばならない時は「逃げる派」に入るはず。そういう点で言えば、文学を身に纏い世間から隔たっている者ほど愛国精神がないのか、と判断する者もいるかも知れない。そういえば昔の先生に「わたしが男でなおかつ兵役に、と召集されることになれば、逃げないで兵役につく」と打ち明けたら、彼女は驚いて怖い顔をした。わたしは悪いことを言ったと思わなかったので、愕然とした。それ以後先生とは距離をおかねばならなくなった。嫌われたと思ったためだ。なにしろ明らかに拒否のサインをいただいたこともあった。わたしは叫びたい。「愛国者って色々種類があって良いじゃない!」と。
2017年11月05日 06:02 |コメント|

20171104土曜日

先日二十七歳の独身男性が若い女と男九名を殺害した事件を書いたが、あの記事に加えておきたいことがある。あの事件で世の人々はゾッとするほどの恐怖を抱き、大人しい優しい自身の息子の裏側の「暗闇」と「外に見えない殺意」を感じ怯えて生きている人びとがいるのではないか。しかしここで冷静にならなければならない。息子の中に起こっているすべての負の部分は、取り除くことは簡単である、ということ。弱弱しくこの世で雄雄しく生きて歩むことができないと息子を案じているかも知れないが、過度に心配はしないこと。それに親が子を案じるという普通の感性は捨てた方が良い。親も子もそれぞれ親離れ、子離れしなければ生きていけない世の中になってきている。それぞれ異なった道でそれぞれの感性と趣味で生きるしかない。しかし自身はあの事件で九人殺害した男がこの先どのような刑を受けるのか、気になった。やはり死刑が適していると考えた。九名殺して終身刑では生ぬるい。犯人の男性は暴力と金が目当てで九名殺してしまったというが、誰が彼をそこまで追い込んだか。それはおそらく彼の中の未成熟な精神と教養、生きる術を自身の脳で健康的に身につけられなかったことに起因している。身体的に欠陥があり、それがもとで生き抜く術を失った。彼を殺意に導いたのは不安だった。良くある筋書きだが、そこで彼が人生を自ら転落させたのは、彼の中の何だったのか?彼がそうなったのは、世の中のせいでもない。それは彼が女性を愛する術を知らなかったためではないか、とうかがえる。つまり女性を愛し抜くという力が不足していたこと。強い愛情が育っていなかったために転落したといえる。愛があったとしても、愛の程度が軽く彼を成長させなかったともいえる。つまりこの世は「愛」がすべてを支配する循環世界であり、「愛」がなければそこに彼を護る力学が生まれて来なかったということになる。残念だがこの先彼は刑を受けるのだが、わたしは彼が死刑になることを彼自身が望むと思える。それに従い死刑になっていただきたい。この先大量殺人しても刑が「生きて刑務所を出て行かれる刑」であったとしたら、また新たな犯罪が出て来る筈だ。彼が犯すのではなく、模倣者が同じことをする。それらの空気を食い止めるには死刑しかない。残念だが彼は回転してクルクル走るハツカネズミのように生きる道を選んだのだ。と書いてみたのだが、何かすっきり落着しない。しかし言いたいことは、他人に生死を委ねると言うのは、この上なき怠惰でしかない。死んでからもう一度出直すべき、というのが最終回答になる。死を選ぶことがそう簡単に起こり得ることがまず問題だ。

ところで南京大虐殺ならびに慰安婦問題がまだ燻り続けているのを今朝十一月四日の産経で知った。それによるとあいも変らず日本叩きを国民総出で、血眼になっている連中がいるという。ユネスコに働きかけ記憶遺産に南京大虐殺と慰安婦問題を記録せよと、申し出ている中国系反日プロパガンダ族が再度狼煙をあげたようだ。とにかく事実無根だと日本人以外ではケント・ギルバード氏とイギリス人のヘンリー・S・ストークス氏が躍起となって「南京大虐殺」も「慰安婦問題」も作り話だ、とはっきりと断定している、ストークス氏は「韓国人は(日本に対する)劣等感を癒すために日本を苛めて、快哉を叫んでいる。(中略)そのうち日本という大切な財産を活用できなくなるだろう」と「英国人記者が見た『連合国戦勝史観の虚妄』に書いている。日本人に反日プロパガンダに負けるなと叫んでいても、意に関せず続けているあの国の知識人。彼らは自国に何千年の歴史に泥を擦り付けるのを意に介さず、声高に反日プロパガンダ行為を続けるらしい。頭脳がずばぬけて鈍化していると見える。これから彼ら反日プロパガンダを「反日ガンダ」と名付けてみよう。韓国と中国の反日ガンダたちは、真実を見ていないしなおかつ噂の真偽を調査しようともせず、ユネスコの職員たちを抱きこんだか賄賂で従わせたか知らぬが、ユネスコを騙してまで、歴史を歪めたいらしい。それこそ記憶遺産に遺すべきだ。題名は「ユネスコを騙して他国の足を引っ張る悪徳外交の国」ユネスコの職員の方がたはご苦労様です。登録手続きが保留になっているような印象がありますが、もう少しの辛抱です。なるべく何億万年の客観視に耐えるほどの力量をお見せください。よろしくお願いいたします。
2017年11月04日 11:15 |コメント|